アタリ-1

「確かに俺、言ったけどさあ。マジで奢りでいいの?」

「いいよ。普段から世話になってんだし」


 金網の上の肉をひっくり返しながら、なおとが遠慮がちに尋ねてきた。いつも大学生で賑わっている食べ飲み放題の店に連れて来られると思っていたのだろう。俺が予約したのは完全個室の少し値の張る焼肉屋だった。頼んだ肉の量はいつもより明らかに少なかったし、注文してもなお肩身が狭そうな様子を見て、「俺の退院祝いも兼ねてだと思ってよ」とフォローした。

 なおとは昔から誰にでも平等に優しい。けれどその優しさにつけ込もうとしたり、つけあがってぞんざいに扱ったりするような人はいなかった。優しいのと同じくらい、カリスマとも呼べるような言葉にし難い魅力があるからだ。俺も知らず知らずなおとの魅力に引き込まれているうちの一人なのだろう。


「肉足りてるか?遠慮すんなよ」

「まもるこそ。まだまだ食えんだろ」


 焼けた肉を片っ端からこっちの皿に寄せられるので、負けじと同じことをやり返す。こうするくらいなら最初っから自分で取ればいいのに、ときっとお互いが思っている。

 とうとう網の上に何もなくなったところで、俺は軽く咳払いしてから話を切り出した。


「……あのさ。今日、ちょっと相談があって呼んだんだけど」

「なになに?改まって珍しいじゃん」


 他人からしたらさぞかし子どもじみた悩みだろうが、一連の流れを包み隠さずなおとに話した。彼ならたとえ何か思っても、わざとらしく茶化したりしないだろう。

 なおとは時折うなずきながら俺の話を聞いていたが、箸を止めてまで真剣に聞こうとするので、「冷めるから食べながらでいいよ」と付け足した。


「そういうわけで、まず俺の見た夢って実際あったことなのか確かめたいんだけど……」

「ああ、あったよ。あのとき流行ってた」


 あまりにもあっさりと答えたので、俺は拍子抜けした。しかしそれもそうだ、なおとからしてみれば子供時代に聞いたただの噂話なのだから。


「俺も今思い出したよ。確か夏の怪談の特番で似たような話やっててさ、クラスで流行ったよなー」

「そうだったか?全然覚えてないんだけど……どんな話だったっけな」

「お前怖いの苦手だったから見てなかっただろ?子供をさらう女のお化けかと思ったら実は違いましたー、みたいな話」


 なおとから聞いたあらすじはこうだ。

 主人公の女性が住む街で「のぞき女」の噂が流行り、主人公やその娘も遭遇するが、実はその正体は主人公の旦那の元妻で、主人公と娘に並々ならぬ憎悪と執着を抱いていた──というものだ。


「じゃあのぞき女って普通の人間だったんだな。その……見た目とかは?」

「髪長くて、メイクで目元真っ黒になってたけど、それ以外は普通の女の人って感じ。CGとかも使ってなかったはず」


 俺が夢で見る女の姿とは微妙に食い違う。俺がなにかの間違いでその番組を見てしまって、トラウマになってしまったというわけでもなさそうだ。手がかりが見つかったと思ったが、空振りらしい。想定内の出来事ではあるものの、俺は内心肩を落とした。


「そっか。変な話に付き合ってくれてありがとうな。『のぞき女』がなんだったか、調べても出てこなくてモヤモヤしてたんだ。おかげで気が済んだよ」


 何にせよ、なおとの協力がなければ何も分からずじまいだったことは事実だ。本心から感謝を伝えたが、少しでも落胆してしまったのを感じとったのか、なおとは神妙な顔をした。


「力になれなくてごめん。あと……」


 言葉を選んでいるのか、箸を置いて黙り込んでしまった。「んー」と唸りながら頭を掻いて、ばつが悪そうな様子で話し始める。


「お前のことビビらせようってわけじゃないんだけど、まもるが見てる夢、なんか変な感じがする」


 俺は思わず身構えた。なおとの表情はいつになく真剣だった。


「変、ってどういう」

「その夢について調べてるみたいだけど、もしかしていちいち内容メモったりしてる?」


 最近試したばかりのことを言い当てられて、わかりやすく動揺してしまった。図星であることを察した彼は、「やめた方がいいかも、それ」と釘を刺した。


「ムズいと思うけど、気にしないのが一番いいんだよ。夢の内容的にもさ、あんまり詳しく覚えようとするとどっちが現実かわかんなくなっちゃいそうじゃん」

「あ……確かに、そうだよな。気をつける」

「うん……あんまりこういうのも言いたくねえんだけど、曖昧になるほど


 さっきから心臓がどきんどきんと嫌な音を立てている。口の中が渇いてきて、自分を落ち着かせるためにコップの水を一口飲んだ。

 なおとがいたずらに人を揶揄うような人物じゃないなんて痛いほどわかっている。わかっているからこそ、彼の感じている不穏な気配も只事ではないのだろうと実感してしまう。本気で心配して、忠告してくれているのだ。


「ほんと、ごめんな。お前こういうの苦手なのに」

「いや、わかってるよ。話聞かないで怖い思いするよりよっぽどマシだ」


 虚勢を張ったつもりはないが、よっぽど顔色が悪く見えたらしい。なおとは眉を下げて捨てられた子犬のような表情をしている。

 すると、彼は空いた席に置いていた自分の荷物を漁り始めたかと思えば、カバンから何かを外した。人気ゲームのマスコットキャラクターのストラップだ。いつだったかゲームセンターで一発でとったと自慢していた気がする。


「これ、店出る時か家帰った時にファブリーズかけてやって。お守りがわりだと思って」

「え、ああ……ただのファブリーズ?」

「同じようなものならなんでもいいよ。あと、怖いなら寝る時そばに置いときな。散々不安煽っといて、一人で寝てみろなんて言うほど鬼じゃないから」


 俺はなおとから受け取ったマスコットの表情を見つめる。キラキラしたつぶらな瞳がどこかなおとらしい。こっちは任せろと言っているようで、不思議と笑みが溢れた。


「ありがとう。大切にするよ」

「うん、それと、いつでもLINEしてくれていいからな。相談乗るぜ」


 なおとは笑ってそう言うと、「とりあえずまたなんか頼むか」とメニューを手に取った。気を逸らそうとしてくれているのは十分伝わった。

 もしかするとこの夢は、精神的なものじゃなくて、俺の常識をはるかに超越した何かが関わっているのかもしれない。

 目の前の彼の言葉を思い出す。気にしないのが一番いい。俺は一瞬脳裏に過ぎった考えの数々に見ないふりをした。眠るまでは。俺が眠るまでは、なんてことない日常を過ごしていたい。

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