街道脱出3

 それは光輪こうりんいただ鈍色にびいろの兜を被った狂信者。

 それは自らを神の意志の体現者を自称する気狂い。

 それはこの世界を神の下に戻すとのたまう狂った思考の持ち主。

 ある時は一人で城を落とし

 またある時は一軍を正面切って相手取り

 またある時は王城の奥に籠る主を暗殺せしめた。

 狂気に支えられた絶対的意志によって止まることなく邁進まいしんする者。

 それが神の尖兵せんぺい――


――臭い。

 意識を取り戻して最初に気付いたのは腐臭。

 目を開いて最初に入ったのは私の貴公子ぷりんす――その生首。

 無造作に地に転がされた6つの首には蠅が集り、蛆が沸いている。眼窩がんかにはワームが住み着き、口腔からは羽虫が飛び立つ。


「――っ」


 声が出せない。

 今の自分がどうなってるかようやく分かった。

 口には猿ぐつわ、手は開かれて足は閉じ、背にした木にくくられている。十字の形で手足を杭で打ち付けられてけられていた。

 だが大した痛みがないのは、恐らく大分時間が過ぎたからだ。

 日は出ている。

 一日発ったのだろうか。

 陽の位置が分かれば――と思い痛む首を回すとそこには鉄の兜が立っていた。


「――」


 狂信者は言葉の代わりに鉄鎧を軋ませて私の目の前に立つ。後ろに続くように列を為すアンデッドを従えて――

 臭い――が、匂いは生者のそれだが兜の細い斬り込みから見えるのはただ闇のみ。何も映らない。

 この腐臭の中では自信はないが、兜の中身はアンデッドではないだろう。

 恐らく本物。だからだろうアンデッドが大人しい。操っているのだ。

 今にも飛び掛かって来そうな、食いつきたそうに身を捩っているというのに我慢をしているのは狂信者のお陰と思う他ない。


「――」


 無言のまま手を伸ばす。すると背後の列から一際小さいアンデッドたちが現れる。

20体ほどのアンデッドは髪もぼろぼろで衣服はない。眼窩がんかはがらんどうで、身体の肉も半分近く剥がれ落ちた姿。年季の入ったアンデッド。細く小さい骨格に育ちつつある骨盤の大きさは少女のもの。いずれのアンデッドもだ。

 その中の一体が狂信者の差し出した手に針を渡すのが見えた。


――何をするつもり


 猿ぐつわの下でそう叫んだ。

 いや何をするかは分かっていた。

 捕えた捕虜に針である。ならばもっとも効率的な使い方は――爪だ。


「――っっっ!!」


 最初は右手の親指だった。

 指と爪の間にゆっくりと差し込まれていく。

 間違いなくこの季節の金属針の先は冷えている。だというのに指と爪の間に入って来た針は燃え盛る火のように熱い。

 熱さと痛みで身体が震える。貫かれた手足が振動で痛む。けれども爪の間の痛みに比べれば涼しさすら感じた。

 ただ指先だけが熱く。そこだけが熱い。それだけに指先の痛みがより際立った。


「――」


 抜かれた針。やはり無言のまま次の指の先に針が刺さる。

 何故人が恐怖や苦痛を前にすると叫ぶのか。その理由が分かった。

 叫べれば幾らかマシになる――その確信があった。

 せめて痛みにのたうち回りたい。だけどもその自由もない。

 ただただじっくりと痛みに向き合う他ないのだ。

 恐ろしかった――生まれて初めての恐怖。

 無言で指に針を刺し続けられるという拷問もそうだ。

 だが何しろ理解出来ないのはこれに意味がないということ。

 猿ぐつわでは何も言えない。

 死をも上回る、死を選んだ方が楽な苦痛を与えるから。それを選べないようにするのは分かるが。ならばせめて指と指の間に話を聞いたりあってもいい。

 それどころか目線を合わせることもない。

 何の意志も確認を取らない。

 ただただ苦痛を与えることが目的なのか。

 せめて何かを欲していれば、目的を理解できれば、我慢しなければ行けない事柄が分かれば――多少は耐えられるというのに――

 この狂信者はただ淡々と拷問している。

 まるで意志のない拷問官だとでも言うのか。

 ただ上意をこなしているつもりなのか。

 それが怖い。


――なら――いやまだだ。まだ死ねない。


 死ぬだけならいつでも出来る。

 だがやることがある。

 こいつの正体だ。

 こいつは何者で、何故ここにいるのか。

 その答え――いや答えに通ずる何らかの情報を持って帰れなばならない。

 でなくては浮かばれない。

 だから耐えるのだ。

 状況が変化するまで、耐えられず話をするまで。

 耐えるのだ。

 この程度、産みの苦しみに比べれば楽。

 耐えられ――いや、そうだ。

 あれがある。

 痛みに抗する手段が私にはあるではないか。

 刺した光明、すがるようにそれを行った。

 既に4本目の指に針は達している。気付かれないようにその指に集中した。魔力を

集め、指先の中心を凍り付かんばかりに冷やす。

 指の中心に冷たいひりつくような痛み。

 けれども静まる熱、納まる痛み。凍らせれば感覚を失うのは当然。

 私は実験を経てそれをどの部位をどの程度冷やせば痛みだけを失うか知っている。ならば耐えられる。そして苦しまぬ私に大してこの狂信者は興味を持つ。

 いや、持て。そして話に来る。

 その瞬間はすぐに来た。

 右手の指すべてを終えた段階で奴は私の耳元に兜を近づけて、中からくぐもった声を出した。


「いじらしいことをするじゃないか」


 しゃがれた声。年寄りにも聞こえた、草臥れたようにも聞こえた。

 神の尖兵の活躍、その噂は多岐に渡り、時代も様々。

 ならば年をとっているのが自然――ではあるが違和感はあった。

 動き、所作を思い起こしても。

 また喋り方もどこか若い。

 なのに声は年老いた男に感じる。

 兜のせいか、または何か隠すためにそうしているのか。

 そんなことに気を取られていて言葉の意味を理解しようとしていなかった。

 それが分かったのは男が私の左手側に回って針を親指に刺した後――痛みが来る前に感覚を凍結した時。


「こうしたらどうかな?」


 左手が暖かい光に包まれた。

 熱でも寒でもない、癒される暖かさ――神聖魔法だ。

 私の冷気による感覚の遮断は自傷である。ならばそれを癒されればどうなるか。


「――っっ――ぁぁっっ!!」


 痛い。

 ただ痛い。

 何もかも痛みしかない。

 この先を信じることも出来ない痛みと苦しみ。魂ごと擦り切れかねない激痛。

 冷気を出しても出しても、その先から回復されていく。

 一瞬の癒しが、引き立てる痛みの辛さは筆舌に尽くし難い。

 もはやただ頭を上下することしか出来ない。

 白目を向いて苦痛の中に身を委ねることしか出来ない。

 身じろぎ一つ出来ない中、満身の力を込めて締め付ける縄に身体をぶつけるように跳ねようと試みることしか。

 回復のせいか、正気を保てないのに気絶も出来ない。

 だから私は全力を出した。

 身体に残された魔力、爪の先から毛の先までかけら一つ残さずかき集める。


「ふ、ふふっ、ふははっ無駄だっ! 無駄無駄!」


 そして冷気を爆発させ――ることは出来なかった。

 いや実際冷気は放つことは出来た。

 万物の生命を停止させ、絶対の死をもたらす極低温の冷気を。

 だがそれは端から回復されて中和された。

 それは魔力の量で負けているということ。

 魔法の技量に大差がついているということ。

 なのだが私にはもうそれを考える思考がない。

 ただただ――痛い。


「死ねると思うな。ただで死ねると思うな。苦しめ苦しめ苦しめ苦しめ苦しめ苦しめ苦しめ! 苦しみぬいて狂って死ぬがいい!! そして神の御許みもとに参るのだっ!!」


 笑いながら叫ぶ。叫びながら爪と指の間の針をさかんに上下する。

 狂ったような調子――だがそれとは裏腹に狂信者はぴたと止まった。


「ああ、僕の天使――もう少し我慢はできない? もう何年かこうしてたいんだけど――さっきのじゃ足りない? ああ、腐るよね。そっかじゃあ仕方ないなぁ」


 何を言っているのか分からなかった。

 ただ永遠に続くと思われた苦痛からの解放。深く深く眠りたかった。


「じゃあ折角だから見ていようじゃないか。ほら目を開けるんだ。ほら開けろ開けろ開けろぉぉっ!!」


 目を開けないでいる私の目蓋を乱雑に手で千切る。ただそれを痛いとはもう感じることは出来ないでいた。

 強制的に開けた視界。目の前には少女のアンデッド。大きく下品に開く口。円形に大きく開いた。まるでヤツメウナギのような口が向かって来て――


「さあ食べていいよ」


 食べられるという、おぞましき行為。

 だけども私はそれを笑って待った。

 どれだけ酷いことだとしても、少なくともこれで――死ねる。

 全身に噛みつかれるその噛みの甘さが、少し煩わしくもあるほどにその時を待つ。

 ばりばりと音がして、べりべりと剥がされる皮。少しひっかかりがあるのかそれを咀嚼する音は少し硬く、飲み込むのに時間がかかるのだろう。

 ずっと待つ、早く肉を喰らえ、血を飲め、臓腑を裂け――

 私を殺せと。

 剥がれた皮のその上を、冷たい鉄がぴたりと触れた。

 皮の剥がれた身体は過敏というにはあまりに弱く。冬の風が通りぬけるだけでも爪と指の間に突き立てられた針と同じ痛み。


「――っっ!!」


 声もあげられない叫び。

 だけどももう少し、さあ喰らいつくせ!

 その時を待つ私の耳に最後の言葉。


「さあもう一度最初からだ」


 全身に駆け巡る暖かい光。

 むき出しの神経は皮に覆われ、目蓋は閉じられ、そして爪と指の間には――絶望が刺さった。

 それからは一言もありはしなかった。

 ただただ淡々と、拷問官の役割をこなす。

 合図とともに皮を喰らう小さな助手たち――また風が私を鞭打った。

 そしてまた暖かい光。

 繰り返される拷問。淡々とどこまでも続く拷問。

 いつまで続くのか。何度続くのか。

 何度も何度も何度も何度も。

 陽が傾き、陽が沈み、陽が上がり、また陽は傾く。

 何度数えただろうか。3回までは数えただろうか。

 痛みのせいか。回復魔法のせいだろうか。眠ることも、気絶することも出来ない。

 何度繰り返しただろうか。

 何度目かの終わりと始まりの間、久方振りに声を聞いた。


「見ろ。ほら、お前の身体を、お前の肌を。血が足りないようだな」


 そこにあったのはずたずたになった肌だ。

 神聖魔法による回復でも元に戻らなくなった私の肌。

 卵のように白く、絹のように滑らかな私の肌はなく。

 鮫の肌のように毛羽だって、色も黒くくすんでしまっている。

 傷の治り方も一定でなくなりまるで魚の鱗のようにがたがた。

 狂信者の愉悦が伝わってくる。兜の下にあっても分かる。


「ああああああああああああぁぁぁぁっ!」


 ご丁寧に猿ぐつわを外して私の絶望の悲鳴を聞いて、身を捩っていた。





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