街道脱出2

 問題は脱出経路。

 主に道は4つある。

 一つは街道、一つは雪山、一つは湖沼こしょう、一つは森林。


絵師イストバン

「――?」

「山を越えることは出来ると思う?」

「――辞めた方がいい」


 当然の答えだ。

 この季節に山を越えるのは自殺行為。寒さもそうだし、冬の魔物はアンデッドの比ではなく強い。見つかれば即襲撃という凶暴性も高い。人が生きている環境ではないのは誰しも認めるところ。狩人だってこの時期は入らない。

 ただ、だからこそ敵の死角になりうるとも考えることが出来る。


「なあ、寒いぜぇ」

「そうですよイライザ。出かけるなら出かけるで。早く馬車に乗りましょう」


 確かに寒いだろう。朝早くに馬車を待って玄関先に突っ立っているのだから。

 とはいえ一刻を争うので無視して続けた。


「沼地を抜けるのは?」

「馬車でかい? 一歩間違えたらはまっちゃうじゃん」

「そうだよお嬢さん。いくら何でもこんな季節に沼に浸かる趣味はないな」


 これも言う通りだ。館の右手は未だ灌漑かんがいの終わっていない地帯。何れはと思ってもまずは農村部の近くから。この離れた場所まで2年では手が回らなかった。

 危険な深い沼地の位置もはっきりとしていない。それにあそこはかつての戦場跡と記録にもある。

 アンデッドの発生源の可能性が高い。


「おー来た来た! うー乗ろうぜ早く」

「では私から――よっとさあイライザ。手を」


 先に乗り込んだ貴公子フェレンツの手をとり乗り込む。


「森林ならどうかしら?」

「森? 馬車でですか? 幾らマールクでも難しいのではないですか? 下手すれば崖の下に真っ逆さまですよ。それに私は高いところが苦手と知っているでしょう?」


 確かに一理ある。深い森の道幅は狭く。挙句峡谷きょうこく沿いの崖のすぐ側を走る。下手を撃たなくてもかなりの確率で事故が起きる場所。

 道を広げることが出来れば交易の道として有益なのだが。いかんせん森でも魔物がネック。狂暴ではないし強さという点でも脅威ではないが、数が多い。

 最悪挟み撃ちも有り得る――となるとやはり候補は一つ。


「さてどう座るか。俺は端がいいんだけど?」

騎士ラスロはマールクとともに前よ。御者の位置について」

「いや待てよぉ。寒いって」

従僕アンナ乗りなさい」

「えーアンナ連れてくから俺に寒い思いしろっての?」

「そうよ。日を跨ぐことも有り得ます。さあ早く」

「まあお嬢さんがこう言ったら聞かないからな。乗ろう皆」

「いやお前らはいいだろ。俺は寒いんだ!」


 少し渋ったけれど無事に全員搭乗。目的地を楽師マールクに告げる。


「街道を行って、砦に行きます」

「はっ」

「なんだい。色々聞いてたけど結局無難なとこにしたんだね。それで砦で何を? 兵と打合せなら僕らを連れていく必要ないよね」

「そうね――」

「タマシュ。何かいい食材があるとか言った? お肌にいいのとか」

「さあ、記憶にないなぁ。今年は食材調達が厳しいとぼやいたくらいだよ」


 その台詞に前から「ああ肉食いてぇ」という騎士ラスロの声。

 沸く車内。

 だけれど私はぴくりとも反応しなかった。


「ねぇ料理人タマシュ

「なんだい?」

「貴方が城門塔から門扉を降ろす時、見えるのはどこの景色?」

「そりゃ街道沿い――うん、街道だな。この道だよ」

「そうよね」


 料理人タマシュでなくとも門扉を閉ざすために城門塔に上るならばそこの窓から見えるのは街道沿い。

 つまり料理人が逃げたのが敵の大軍団を見たからならば敵は街道からという可能性が高い。わざわざ森や湖沼を見ない限りはそうだ。貴公子フェレンツ騎士ラスロならともかく料理人タマシュが無駄に別方向を見るための塔に上るとは思えない。

 ならば敵は街道から?

 脇の森林や湖沼から回って来ることは有り得る?

 だけども、壁を越えてアンデッドは中に侵入している。わざわざ城門に回る必要があっただろうか? ならばやはりこの道の先にいる? このまま進めば鉢合わせる?

――いや考えても仕方がない。意味がない。必要がない。

 何せ私には時間があるのだから。

 何度でも挑戦すればいい。


「うへぇ霧だぜ。濃いぃ。寒いぃ」

「寒い寒い言うな。こっちまで冷える」

「お前は外套マント付けてっからいえんだよ。いいよな暖かそうで。なあ貸てくれ」


 霧――その言葉が耳に入った時、私は舌を打った。

 確かに本来の昨日は少し暖かかった。そして今朝は冷えた。霧の出る条件が整っている。深い霧が出ていても可笑しくはないというのに。

 広い街道沿い、視界は通ると油断していた。

 出来得る限り魔力を温存したいと感知を切っていた。

 嫌な汗が背中を伝う。

 急いで魔力で感知を行う――と同時に鼻に刺す匂いがあった。

 刺激のある、甘味のある、腐ったようなアンデッドの香り。


「退け! 楽師マールク、止めなさい!」


 魔力の網の端に触った気持ちの悪い感触。私は立ち上がって叫んだ。


「はっ、止まれっ! お前たち」

「馬鹿っ急に!」


 一瞬の浮遊感とともに、がくんと止まる馬車。

 だがその後、またがくんと動き出す。

 響く馬のいななき。

 そして今度は本当に浮遊した。


「イライザ」

「イライザ様!」


 愚かにも立ったままの私の身体は跳ね飛び。頭をぶつけ、肩をぶつけ、馬車の中を転がるようにぶつけた。

 何が起こっているのか分からなかった。

 ただ猛烈な、雪崩のような音がして、踊るように馬車は上下した。落雷のように音がして馬車が裂け――私の目は暗闇に閉ざされた。。


「――イザ様」


 従僕アンナの声が聞こえた気がした。


「イライザ様! 誰か!」


 手が――いや身体中が痛い。


「お願い! 誰か手を。イライザ様目を開けて!」

「イライザ!」


 何故か目の前には従僕アンナの必死な顔。可笑しいくらい必死な形相。

 少し手の痛みが引いていく。

 ああ、そしてこの安心する声は学者ジェルジだ。


「はっ! 一体――」

「よし、効いたね」

「何がどうなったというの」


 手が暖かい。学者ジェルジが神聖魔法を私に掛けてくれたのだろう。


「いいかい。僕を見るんだ。意識ははっきりした? なら手をしっかり掴んで」

「え、ええ」


 どうやら私は二人に手を掴まれている。

 そうだ。馬車が割れて私は投げ出された。


「一体何で――」

「穴だ。道に大きな穴が開いてね。馬は頑張ってくれたんだけど。引っ掛けるようにして馬車が当たって。見ての通り真っ二つというわけさ」


 割れた馬車――二人は馬車の残った前方部分から手を伸ばして私を掴んでいた。


「こっちも不安定だから。早く上がってほしんだけど。無理かな。誰か! ラスロ! イストバン! マールク! 手伝ってくれ」


 穴? 穴? 穴? 私は頭の中で繰り返し、そして頭を下に向けた。

 下を振り向けばそこは奈落、底は遠く、そこには朝日を跳ね返す鈍い光。その光の正体は刃。尖った刃のついた槍の先端がこちらを向いている。

 これは穴ではない――罠だ。

 偶然に出来た穴ではない。必然に落とすための罠。


「何か――何か来る! あれは――ああぁぁうわぁぁ」


 同時に悲鳴が上から聞こえる。


「抑えるぞ! 皆。フェレンツ! 何を呆けているんだ。早くイライザ様を引き上げないか」

「くそ、なんだこいつら。どこから一体。くそがぁぁ」

「――前に出る」


 来ている。確実にそこにいる。すぐ上にアンデッドの群れ。

 アンデッドだけではなく、罠まで用意している。

 しかもこの罠は馬車の後ろが沈んでいる。馬だけでは落ちないように出来ていないとこうはならない。まず間違いなく私を狙ったもの。

 大規模に、大胆に、そして気付かれず、私の領内で私に気付かれないように仕掛けを施す。

 一体何だ。何がいる。何が――


「わ、私が? タ、タマシュ! 君が!」

「馬鹿が! あの化物の群れが見えないのか? こんな所に居られるか! 俺は一人でも逃げるぞ! お前まで付き合って――いや、付き合うがいいさ!」

「タマシュ! 貴様ぁぁ!! 何を言うか! 逃げるな! イライザ様に報いる気はないのかぁ! ああああっ! くそっ! おいっ、フェレンツ引き上げろっ!」

「マールク、フェレンツでは力不足だ。君が近いんだろ? 頼む、早くっ!」

「しかし、敵が――ええい! ラスロ、イストバン。任せるぞっ!」


 私の混乱を余所にようやくもっとも信頼できる貴公子プリンスによって引き上げられる。


「いやだいやだ! いやだぁぁ。あんな化物の軍団に――いやだぁぁ! 私には無理だよぉっっ!」


 何故か入れ替わりにもっとも心の弱い貴公子プリンスが落ちて行った。


「フェレンツ――! まあいい。イライザ様。既に囲まれております。幸い馬は無事これに乗ってお逃――」


 厳しい顔つきの楽師マールク。瞬きをすると、そのまま目を開くことはなかった。まるで時が止まったようで。何故か私のやり直す力が暴走した――などと考えた。

 楽師マールクから飛んできた生暖かい液体。私の顔に掛かったそれを拭うと何が起きたかをようやく理解した。

 楽師マールクの首が転げて落ちた。


「イ――ラ、イ――」

「いやぁぁぁぁぁぁっ!!」


 首だけになっても私の名を呼ぶ。楽師マールクの側に更にもう一つ、長い黒髪を纏った首が転がってくる。


「ああ、ああぁ! また、何で何でぇぇ! いやぁいやぁぁぁあぁっ!!」


 更にもう一つ転がってきたものがあったけど。

 私はもうそれを見ることもしなかった。

 釘付けだったのだ。

 楽師マールクの首の向こう側、背後にあった頭に、その頭を包む兜に。

 目だけに薄っすらと切れ込みの入ったバケツのような兜。

 光沢のなくなるほどに使い込まれた兜。

 腐臭すら漂うような、血の染みたような色合いになってしまった古びた兜。

 天使の輪を縫い付けたようなグレートヘルムに目を奪われた。

 何故なら私はそれを知っていたから。

 その存在の名――


「――神の尖兵せんぺい




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