本館防衛4

 フェレンツと出会ったのは3歳の時だった。

 今も思い出す金の髪の輝き。肩まである髪をかきあげる仕草は今と変わらない色気が備わっていた。

 私が出会う初めての同世代の子だった。

 それは私の生まれに起因する。

 時間は真夜中だというのに何本もの虹が空を煌々と照らし、季節は真冬だというのグラティアリスの邸宅の敷地には色とりどりの花が咲き誇ったという。

 神の御業みわざに他ならない奇跡の中の出産。神に遣わされた御子みこの誕生。まぎれもなくそれは聖女の顕現。

 私は世界に祝福されて生まれた。

 当然、その報せは世に駆け巡る。”接見したい””ひと目だけでも””品物を受けとるだけでも”と国内外から申し出があったそうだ。

 しかし当時の当主だったお祖父様はほとんどすべて断った。

 きっとお祖父様の信仰は虚ろだったのであろう。世の乱れに抗する存在として神が遣わす聖者――国の、いや大陸に伝わる伝承すらも信じていない。

 私が聖女として国を世を導くなどと思ってはいなかったのだ。

 今、この時が最高値――そう思っていたに違いない。

 そうでなくては魍魎もうりょう跋扈ばっこする貴族の世界ではやっては行けないだろう。


「何故主は同時に遣わさないのか。聖女か勇者か何故一人なのか」


 お祖父様は常々嘆いたそうだ。


「聖女を守れる存在が必要なのです! 選ばれし貴公子が」


 卑しさすら感じる直接的な要求の売り文句が、何故この国でもっとも高貴な血筋の琴線に触れたのかは分からないけども――

 3年という月日のお陰がついに念願成就した。

 私の元にさる貴公子の足を運ばせることに成功したのだ。

 春の暖かい日。その日は珍しく庭に出ることを許された。

 私の神性を高めるためだろう、滅多なことでは人前に出ることを許されなかった。 だから嬉しくて庭で走り回った。

 勿論――こけた。

 泣きべそをかいた顔を上げると、目の前には差し出された小さな手。

 手の持ち主は麗かな陽の光を跳ね返す黄金の輝きを放っていた。


「初めまして――貴方が聖女イライザですか? 私はフェレンツと申します」


 それまで接見した誰よりも滑らかなで綺麗な所作。

 末席の末席とはいえ王族のそれは実に美しかった。


「頼む――イライザ。私を――」


 あの誇り高く、陽の光すら装飾品の一部に過ぎなかったフェレンツの姿はない。

 目の前にいるのはあの頃のフェレンツとは似ても似つかないただの男。


「お願いお願いお願いお願いお願いします――ああはなりたくないんです」

「それがどういうことか――」


 分かっているのだ。

 利己的で臆病で残酷な――受け入れがたい地を見せる男は理解している。

 私が一人残されることも。

 もはや私一人ではどうすることも出来ないことも。

 抵抗空しく私が生きたまま食い散らされるであろうことも。

 それが嫌なら神の禁忌に触れる他ないということも。

 この卑屈に泣き笑う男は分かって言っている。


「早く、ああ、ああ! 来るよ。あいつらが。ほら、這いずる音がああぁイライザ」


 あの頃、私はフェレンツと一緒になると思っていた。

 死が分かつまでと誓うと思っていた。

 同じ思いだと思っていたのに。

 背信、あまりに度し難い背信。

 私から逃げて――そして私を残そうという。

 まただ――今一度裏切った。

 だから――


「ええ、許すわ」


 不思議と力は沸いた。

 怒気と、それを通り越した憐憫れんびんが私の願いに呼応してくれる。

 深く冷たく沈んだような暗い魔力が、湧き上がって来るのが分かった。


「すまないすまない――ありがとう」


 私の手を通じて流れる冷気は貴公子の足元から凍らせていく。

 痛いだろうに、苦しいだろうに、冷たいだろうに――

 せめてその美しい顔と髪とをそのままにという私の思いを汲んだように笑う。

 目の前に出来上がった氷柱。

 その中にあるのは幼き日に出会った、彼の似姿だけが残った。


「ふぅ、浸る間もないのね」


 もはや見なくとも、魔力を用いなくとも、そこに来たのが分かる。

 壁の向こうから足音がするからだ。血も流れないというのにどこか水気のある気色の悪い足音が。

 正真正銘、枯れた魔力。

 残されたのは一本の小さい武器。

 最後のお守りと胸元に入れてあった短剣のみ。


「上手く切れてくれるかしら」


 かつて扉のあった場所から、灰色の焦げたようなアンデッドの手。どこか見覚えのある茶色い髪が揺れる。

 もはや試す間も見当する時間もない。

 果たして上手く切れるのか。

 果たして本当に戻れるのか。

 自信はある。今の結果がそういっている。

 だが確信ではない。しくじれば永遠の喪失。


「だけど――この肌を下郎に触れさせるわけには行かないものね」


 勢いよく抜き放つ短剣の輝きは十二分に期待出来る。

 出来る。

 必ず。

 そう信じて天を仰ぎ、首筋に当てて――


「神よ! 見よ! 私は何も諦めない、諦めてなどいない! これは禁忌ではない! これが、これこそが私が、イライザ・グラティアリスが生きるための道である!」


 力を込めて引いた。


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