八
石が首筋に食い込んだ時に、目が覚めた。
身体を起こして辺りを見回せば、相変わらず周りは瓦礫だらけで、その中になぜか一軒、ほぼ無傷で立っている四階建て。
ボクに関しても、ほぼ無傷だった。
「まだ他のお客さん来ないのかなー」
「まあ、貸し切りは長く続いたらいいんじゃない?」
変わらず、二階から湯気と光とピアノの音が流れてきているのを感じる。女性の声と。
「……よしっ」
安心した心を、頬を叩いてもう一度引き締める。
少しの霧もかかっていない冴えた脳を持って、ボクはまた、エントランスをくぐった。
「ごめーん、ちょっとトイレ行ってくるわ」
「私も」
ドアを開けたタイミングで、二人はそう言って席を立った。
――こういう時、大体、女はトイレで長話するんだよな。
頭の中でもう一度、ハーニャに話す内容をそらんじて、ボクは彼女の前に出た。
「ハーニャ」
「ヒィヤァァァッ!?」
そっと肩に手を置くと、彼女は奇声を発しながら身長の二倍ほどに飛び上がった。
「えっ、なんだ、ユーリ!? ビックリさせないでよ」
「あ、ごめん」
また、口角が上がるのを必死にこらえようとする。
「てか、そもそもなんでここにいるの?」
――この辺りまでは、さっきと一緒だ。
ボクは、「落ち着いて聞いてほしいんだけど」と彼女の頭に手を置いて、息を吸った。
「ちょっと、急ではあるんだけど、とても大事な話があって。友達と一緒にいるところで悪いんだけど、一回ついてきて、話を聞いてほしいんだ」
「……話って?」
「それを、話すから。ついてきて」
「あ、ちょっと待って、二人に伝えないと……」
と。
「ハーニャに何してんの!?」
野太くドスの効いた声。
後ろを振り返ると、ヴィクトリアとエレナがまたまた、吽形像のような形相で、こちらを睨んでいる。
――ちょっと、トイレ想像以上に早いよ。
「うちのハーニャを何しようと思ったワケ?」
ヴィクトリアは、臨戦態勢のライオンのような姿勢で、心なしか前のループよりも怒っているように思えた。
「あ、ちょ、私の彼氏で……」
「……え?」
ファイティングポーズをとっていたエレナの腕の力がするすると抜けた。
「そ、そうなの?」
「なんか、大事な話があるから来てほしいって……」
「ええ? こっちもこっちで久々の再会を喜んで、色んな話してるのにぃ?」
ヴィクトリアの方は、また別の恐ろしい表情でこちらを睨んでいる。
「またにしてくれない?」
「いや、でも……」
「ハーニャの相談とか乗ったりしてたのに……」
「え?」
と、ボクは肩身が狭そうに座っているハーニャの顔を見た。
ハーニャは、眉をハの字にして、俯き加減のまま。
「え、どうしたの、なにかボクに不満でもあっ」
「ここは女子会だから、出てってくんない?」
ヴィクトリアの巨体がこちらに一歩迫って、ボクはその身に纏った圧力に思わず後ずさった。
刹那。
ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ
「クッ」
歯の間から、不覚にも声が零れた。
――またか。
目が覚めると、上空には相変わらず落っこちてきそうな曇天が広がっていた。
何回も目の前で人が死んでも悲しくなってこないのが、また悲しい。
鼻先を、緩い風に乗った湯気と光とピアノの音が掠った。
――ハーニャ。
脳内で、“あの記憶”がど真ん中に鎮座していた。
――相談って、何だよ。
なぜ彼女たちは、ボクが自分の彼女と話すことをこんなにも止めていたのか。
「ボクのこと、本当は……」
そこまで言って、喉がキュッと閉まった。
これ以上言ってしまえば、目の前の黒い四階建てがもう出現しないかもしれないと、身体が悟ったのかもしれない。
「え!? それは酷くない!?」
裏返ったヴィクトリアの声に、肩が震えた。
「そうなの、元カレがずっと言い寄ってくるってどうなの? こういう男って本当、なんか頼りなくて復縁しようとは思わないよねー」
これまであまり話していなかったイメージのエレナが、随分はきはきと話している。
「やー、本当、男っていう生物って分かんないよね」
ハーニャの声で、ボクは崖の下に蹴落とされたような絶望感に襲われた。
――一体、君たちは何の話をしてるんだよ。
“そういう風な話”をしているのだとすれば、また、どういう風に説得すればいいというのだろう。
全身の筋肉を侵食する虚無感。
と。
ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ
辺りの空気をかき回すサイレン。
『間もなくミサイルが飛来する恐れがあります。急ぎ、避難を』
ボクの脚は、最後までそれを聞くことなく動いていた。
――死にたくない、死にたくない、死にたくない。
階段を切り刻むような脚の回転で駆け上がる。
――死なせない、死なせない、死なせない。
焼き尽くされたせいで見たこともない、最愛の人の死に顔が頭をよぎる。
――まだ、笑ってたい。
これで、ハーニャと一緒に暮らせるなら。
ガコン!
体当たりをしてドアを開けた。
「え、ユーリ!?」
ちょうど、ドアに近づいてきていたハーニャが、目を見開いて口に手を当てた。
「え、ひょっとしてハーニャの彼氏!?」
「そう、なんで!?」
「いいから、早く逃げよう!」
息が切れているのもすぐに忘れて、ボクはもう一度、ドアに身体をぶつけて、彼女たちをカフェの外に出した。
「逃げろ! 生きろ!」
彼女たちはこちらを心配そうに見ながら階段を下りていく。
――間に合えっ。
と、花火を打ち上げるような、ヒュウウウウと音が聞こえた。
「逃げろ!」
轟音と共に、地面が消えた。
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