第14話
舞台の端っこで、モブが下を見ている。川のせせらぎの音で、そこに人の命を飲み込んだ濁流が流れているのだと表現していた。
静かに、モブの一人が「四十五分が経った」と告げる。カムパネルラが川に入ってからの時間だ。同時に、下流でも見つからなかったという報せが舞い込む。こうなっては、カムパネルラの生存は絶望的だ。彼女は、星を写して瞬く川の中に沈んで消えた。一人で。
諦めたように、どこか名残惜しげに去っていく村民を、あたしは能面のように表情がない顔をして見送った。そのまま、思わず床にへたり込む。
舞台の真ん中で、ポツリと。スポットライトが当てられて、その煩わしさに舌打ちをしそうになってしまった。
照らさないで。見ないで。こんなあたしを。
脳裏に、彼女の呟きが蘇る。
『確かに君は、カムパネルラはできなさそう』
あの言葉を今、ようやく理解できた。
確かにあたしはジョバンニだった。
友だと思っていた人間を亡くし、泣き叫んで手を伸ばす。他人の幸福のために自己の犠牲を厭わないジョバンニだ。物語で描かれたよりずっと醜悪な、ジョバンニだ。
けど、あたしは今、どうしようもなく死んでしまいたかった。
あたしは、誰かの死を見ていることしかできない。
止めることなんてできない。
だからあたしは、誰かのために死ねて、その誰かを救えたカムパネルラが、どうしようもなく羨ましくて、妬ましいのだ。
ここが舞台上であることも忘れて、あたしは慟哭した。滔々と流れる川のせせらぎが、人の命を押し流していく。そのうつくしい清らかさが、煩わしくてたまらなかった。
本来あたしが立ち去るシーンでも、あたしは動けなかった。舞台裏が少しざわついて、間もなく照明が暗転する。それでもあたしは動かない。そんなことをしても、あの子が蘇る訳もないのに。それでも駄々っ子のように蹲っていた。
「大丈夫? あまちゃん」
クラスメイトの声がかけられる。あたしが押し殺している嗚咽に気がついたのか、あたしの背を摩りながら憐憫のこもった声がかけられた。
「淵神さんと仲良かったもんね」
違う。なんであたしを憐れむんだ。
腹の底からむかむかと湧き上がってくる激情を叩きつけるように、あたしは叫んだ。
「違う! 友達じゃ……ない……!」
友達なんかじゃなかったのだ。
だって、あたし、ずっと心の中であの子のことを「淵神」って呼んでたから。あの子の名前を一ヶ月も呼び違えて、それに気づきもしなかったから。
あたしは、あの子の友達に、なれなかったのだ。
それから、あたしはずっと身も世もなく泣き叫び続けた。
淵神友杜は見ていた。
あまりにもお粗末な、高校生レベルの域を超えない演劇を。
正確には、見ていたかもしれないし見ていなかったかもしれない。彼女の走馬灯が見せた未来予測だったかもしれないし、四十五日の間現世に留まる魂が見たのかもしれない。
彼女自身にも、それは分からなかった。正直、彼女自身にとってもどうでもいいことだった。
不明瞭な意識の中を揺蕩って、彼女は小さく安堵の息をこぼす。
去来するのは走馬灯。自分が今まで歩んできた人生の軌跡が、まるで結婚式で御涙頂戴に流される成長記のような映像で目の前に流れる。
その中には、酔狂にも友達になろう、だなんて言ってきた少女の姿もあったけど、すぐにどこかに消えてしまった。淵神も、それですぐに彼女のことを忘れた。そんな風変わりなやつもいたな、と少し思ったくらいだ。
無感情にその映像を眺めていると、やがて終わりが訪れた。意識がぼんやりと溶けていって、自分の輪郭が薄らいでいく。己が何か得体の知れない情報の集積体に溶け込んでいくような、奇妙な感覚だった。
淵神は目を閉じる。親に少し申し訳ないとも思いながら、甘やかな夢に沈んでいく。
彼女が最後に見たのは、自分自身でも甘美な幻想で、夢想で、ありえないと思える光景だった。
けれども、虫を惹きつけ捕える蜜の如き甘い夢に、淵神は浸る。
彼女が最後に見たのは、人生最後の友達と写真を撮っている瞬間の自分達だった。
右手の親指の付け根にほくろがある、淵神が一方的に友達だと思っていたあの子との。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます