第4話

 あたし達が通う高校は一学年あたりの生徒人数が三百人以上であり、全校生徒は千人以上となる、それなりに生徒数のある高校だ。

 そして、夏休み明けてすぐの九月中旬に、その全校生徒が総力をあげて開催する文化祭が行われる。進学を考えている中学生や他校の生徒、在校生の親兄弟や保護者、果てには卒業生なども訪れる大規模なイベントである。

 一年生から三年生まで出し物や模擬店などを開き、各々の方法で祭りを盛り上げるのが通例である。

 もっとも、食事などを出すにはかなり規制が厳しくてほとんど冷凍食品を高額で出すしかないぼったくり店となるので、飲食店は外部からの出店が主ではあるが。

 二年生であるあたしのクラスも例外ではなく、文化祭での出し物をする事になる。そしてその準備は主に夏休み期間中に行われるため、内容の決定は夏休みに突入する前に決定する。

 本来ならばもっと早い段階で決めなければならないものなのだが、期日までに延びに延びて現在、出し物の内容の会議が行われていた。


「それでは、クラスの出し物は演劇に決定しました。次に上映する劇の内容ですが、すでに公開されている劇の内容を借りたいと思います。どの劇をやりたいとか、案はありますか?」


 クラスは静まり変える。当たり前だ。このクラスで日常的に本を読んでいる人と言えば、淵神と他数人くらいだろう。このクラスで声が大きい人間は、はっきり言ってしまうと本を読まないし学習に意欲的でも無い。


「……ま、いないよねぇ」


 委員長が困ったように眉を下げながら呟く。

 このクラスは、よく言えばほぼ全員が仲がよく、悪く言えば落ち着きのない集団だ。その中で大人しく、静かに本を読み耽っている人間なんてごく僅か。小説なんか授業と読書感想文以外ではほとんど読んだ事がない高校生の集まりなのだ。

 かくいうあたしも、その本を読まない人間の一人だった。


「……ゆとー、あんたよく本読んでるし、一つくらいわかるんじゃない?」


 後方に座って我関せずとばかりに文庫本を開いていた淵神に、あたしは声をかける。周囲はざわざわと話し合いの声があったが、あたしの高い声はよく通った。促されるように、クラス全員の視線が淵神に向く。

 淵神は一瞬狼狽えたように周囲を見るが、すぐに少し鋭くあたしを睨んだ。


「……私、劇の脚本はシェイクスピアの四大悲劇しか読んだ事ないよ。観劇の経験も無いし」


 淵神は本から顔を上げ、ページに栞を丁寧に挟むと、はっきりと言った。クラスの数人がヒソヒソと話をしていて、多分声を初めて聞いたとでも思っているんだろうな、と思う。


「読んでるんじゃん。じゃあその……四大悲劇? で一番好きだったのは?」

「全部あんまり好きじゃない」

「じゃあ、今まで読んできた本の中で面白かったのは?」

「……『銀河鉄道の夜』」

「じゃあそれで良いんじゃない? ね、委員長」


 委員長は黒板に「銀河鉄道の夜」と書くと、他に案はありませんか、と念を押す。教室はまた静かになって、結局「銀河鉄道の夜」と書かれた行に赤丸がつけられた。


「それでは、劇の内容は『銀河鉄道の夜』で決定で。脚本は……淵神さん、お願いできる?」

「はっ?」


 淵神はまた本を開こうとしていて、急に名指しをされて素っ頓狂な声をあげていた。


「『銀河鉄道の夜』を一番よく知ってるの、淵神さんでしょ? 書いてほしいの」

「いやいや……えっと……有名作だし、他に読んだ事ある人くらいいるでしょ?」

「じゃあ、読んだこと一回でもある人、内容知ってる人、いるー?」


 淵神の代わりにあたしが前に出て、クラス全員に訊く。全員が口を噤み、首を横に振った。

 例え読んだ事がある人物がいても、この空気感の中では手は挙げられないだろう。ここで名乗りあげようものなら、脚本作りという役目を押し付けられかねない。

 皆、面倒ごとは嫌なのだ。なんでよ、という淵神の悪態が聞こえる。


「ゆと、観念しな。この中で脚本書けるの、ゆとしかいないよ」


 あたしはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて、淵神を指差す。


「……私、脚本の執筆経験なんて無い」


 淵神は、なおも食い下がる。どうしても脚本を書きたくないようだった。

 けれど、あたしの側も押し負けてはいられない。ここで淵神に時間がかかる仕事を取り付けたなら、それは彼女の生きる理由になる。


 あたしには脚本の執筆にどれほどの時間がかかるかはわからないが、それを生きる理由にさせられる。「まだ脚本執筆の仕事が残っているんだから、自殺しちゃダメだ」と、枷にできるのだ。


 それは淵神の責任感が強いという前提が必要だが、あたしは淵神の性格をよく知らないから責任感があるかもわからない。ただ、一応の予防線のようなものとしては使えるだろう。


「よく本読んでるからできるでしょ」


 あたしが軽い調子で言うと、すぐに反駁が返ってくる。


「小説家をバカにしてる? あの人達は本を読んでいるのと、本を書く練習をしているからああいうのが書けるの。一朝一夕で小説家や脚本家になれる訳じゃない」


「けど、脚本を書いたならその瞬間から脚本家って事にならない? 脚本家って、脚本を書くから脚本家なんでしょ?」


 自分でも言っていて詭弁だと思ったけど、まあいいか、と口を噤んだ。

 同じように、淵神が口を引き結ぶ。


 面白い脚本がみんなに書けるとは言わない。けれど、面白くなくとも脚本は誰にでも書けるのだ。


 暫く二人で睨み合う。時間なんて計っていなかったけど、あたしからしてみれば何十分も目を合わせているように感じた。けど、周囲ではなく淵神が痺れを切らし、先に目を逸らしたから、実際は数秒程度だったのかもしれない。


「……私は、本は読んでも舞台は見た事がない。だから、実際にみんながどう演じるかとか、そういうの全く想像つかない」


 淵神が、ゆっくりと言う。クラス全員の視線が、彼女に集まっていた。


「原典の言葉を、簡単な言葉に噛み砕くだけ。翻案はしない。……それでも良いなら、やるけど」


 少しまごつきながらも放たれた言葉に、あたしは思わずぱっと破顔した。

「お願い! ゆとの脚本、読んでみたいし、演じたい!」


 あたしがそう叫んで淵神に抱きつこうとすると、すっと横に避けられる。

 どうやらボディタッチが苦手なようだ、というのは、あたしが初めて知った淵神の一面だった。

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