第20話:ファミレス内の悪夢
ファミリーレストランは家族連れや学校を終えた学生たちで賑わいを見せていた。
ときおり店内には、幼い子供か女子学生のものと見られる甲高い笑い声が聞こえ、三宅は思わず肩を竦めた。
空いていた二人用席に座り込んだ三宅と美亜子は、席に着くと同時に息を吐いた。そのタイミングがあまりにもぴったりで、美亜子は疲れ果てた様子で掠れた笑い声をあげた。
「なんだか、どっと疲れた気がするな」
三宅は頷く。慣れない聞き込みの真似事をした疲労感だけではない。
千紗都の、精力のない姿を見たからだろう。その場の印象以上に、病床の千紗都の衝撃が、胸の奥にまで響いてしまっている。
二人はドリンクバーを注文して席を立った。
美亜子が何を飲むのかと目線をやると、ドリンクサーバーからコーヒーを選んでいた。
もう夕食時だし、この時間にコーヒーを飲んではカフェインが眠りを妨げるのではと思ったが、口を挟むのは止めた。
人の嗜好にあれこれ言うものではないだろう。
三宅はオレンジジュースを選んで、席に戻った。
コーヒーを一口飲むと、美亜子はすぐに、パンパンに膨らんだ鞄の中から、千紗都のFREAMのリモコンデバイスを取り出した。
側面についたスイッチを押して、液晶画面を点灯させる。
「時間も少ないから、手早く話を済まそう。メモを出してくれ。これを書き写して」
美亜子は、画面を操作して、千紗都の夢の視聴履歴を表示した。他人の夢の履歴を見るのは思考を覗き見るようで気後れしたが、そうも言っていられない。メモを取り出すと、画面に表示されている夢を書き出していく。
「とりあえず、一か月分にしよう。千紗都が不審者に尾行されていたかもしれない時期から、今までだ。一月前の一週間と、直近一週間は、日付も一緒にメモしておいてくれ」
書き出していくと、千紗都が見ている夢は、全部で数種類だった。
スパイモノやアクションモノが多く、果ては時代剣戟モノなんかもあり、活発な千紗都の印象通りだった。
だが、中には悲恋モノや学園恋愛モノも混じっていて、年相応の少女らしさもある。
ちらりと隣席の家族連れが目に入って、三宅は声のトーンを落とした。
「一か月前は……ほとんどアクションものですね。不審者への警戒心の現れでしょうか」
書きながら呟く。視聴履歴は有名なスパイ作品から、突如として、破天荒な刑事が犯罪者を相手に大立ち回りするアクション作品に変わって、それが一週間続いている。
「千紗都は素直で分かりやすいな。彼女が誰かに見られていると言った日は、この日だろう」
美亜子は履歴の中から、アクション作品に夢が切り替わった日を指さした。十一月十二日の、月曜日だ。一週間続いたアクション作品は、それから法則性を失って、不規則な履歴になっていた。彼女はその日の気分で夢を選ぶタイプなのだろう。
「直近の数日は、恋愛作品か……」
履歴を見て、美亜子が呟く。
「千紗都は、交際していた相手はいたのか?」
突然聞かれて、三宅はどきりとした。
「いや、知りませんよ。……少なくとも、千紗都が話してきたことはありませんね」
突っぱねるような言い方をしてしまい、慌てて取り繕う。だが、美亜子は気にした様子はなく、腕を組んで虚空を見上げていてた。
「なら……これはどう考えるべきだろう。寒さが増して、人肌が恋しくなったとみるべきか……それとも何か他に……」
ひとりごちながら、美亜子の眼鏡の奥の瞳は、ぱちぱちと瞬いた。
思考の海に踏み出した美亜子に、三宅は喋りかけようとした。彼女の武器に、重要な情報を加えなければならないと思ったからだ。御舟家で思いついた、古市皐月の懸念のことを。
美亜子を見つめた視線の端で、誰かがこちらに向かってくるのが分かった。
髪を眩しいほどの金髪に染めたその姿に、なぜか悪寒がして、三宅は思わず目を伏せた。
その誰かが、通り過ぎるのを待った。だが金髪は、美亜子の席の隣に立つように、速度を落とした。
気怠そうに歩く黒いジャージ姿の足元が、狭い視界の中で静止する。
「ねえ。三宅君だよね」
掠れて、ねばついた声。
三宅の心臓が跳ね上がった。かつて幾度も頭の中でリフレインした声は、忘れようがない。
ゆっくりと顔を上げる。見なくても、それが誰なのかは、分かっているのに。
薄くなった眉に金髪、ピアス、化粧。
変わった部分もあれば、その印象的な高い鼻や、口元なんかは、以前と変わりない艶やかさを秘めている。
「古市さん……」
その嗄れ声は、自分の声だとは思えなかった。
皐月は口元を歪めると、ちらりと美亜子の方を見やった。
美亜子の視線は一瞬だけ、皐月に向かったが、その視線は今、こちらを向いていた。
「やっぱ三宅君だ。彼女とデート?」
皐月は、手にしていた電子タバコを口元へ運ぶ。通路を挟んだ隣席の家族連れが、神経質な目線を皐月に向けた。
母親が慌てて子供らに話しかけ、注意を引こうとしている。
「いや……学校の先輩」
「へえ」
タバコを口元から話すと、皐月は細い煙を吐いた。無遠慮な目線を改めて美亜子へ送り、皐月は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「三宅。この方は?」
今度は美亜子が、凛とした顔で問いかけてきた。
「中学の、同級生です」
「古市皐月でーす。よろしく」
皐月の間延びした声がした。
「ああ、よろしく。南美亜子だ」
「美亜子……なんだか、猫みたいね」
「よく言われるよ」
皐月と美亜子の会話は、二人が薄氷の上に対峙しているように聞こえた。張り詰めた緊張の中で、互いの腹を探り合っているような。
三宅は早鐘を打つ心臓を必死で抑え込んで、二人の会話に割って入った。
「古市さん、なにか、用だった?」
皐月の瞳が三宅を向く。糸のように細めた眼は、猫を連想させた。
「べつに。久々に見かけたから声かけただけ。千紗都は?」
「……いないよ。別に、いつも一緒にいるわけじゃ、ないし」
「そう、残念。久々に話でもしたかったのに」
嫌悪感を堪えて、皐月の表情を見つめる。愉快げな表情が、僅かに覗いた。
「おい皐月!」
店内に男の怒れる声が響いた。声のした方に目を向けると、金髪の男が椅子にふんぞり返って不愉快そうな視線を寄越していた。交際相手だろうか、だが同年代には見えない。
「もう戻るって!」
皐月もまた、男を振り返って、声を張って返す。店内の注目を集めているのが分かった。
「じゃあね、三宅君」
こちらに向き直った皐月は掠れた声で囁き、怪しげな笑みを浮かべた。
三宅の返事も待たず、皐月はそれきり、背を向けて立ち去った。
ふっと、長く息を吐く。
暖房の利いているはずの店内で、異常なほどに背中が粟立っていた。
まだ耳の奥に、暴れ狂う心音が響いている。目を瞑って、平穏が訪れるのを待った。
美亜子は黙って、そんな三宅を見つめていた。
三宅が目を開けると、美亜子と視線が合った。
「すみません。ご迷惑を」
「別に謝ることはないだろう。君のせいじゃない。というか、私たちは会話をしただけだ」
並々ならぬ動揺は、まちがいなく美亜子にも伝わったと思った。それでも、彼女はそれ以上、何も言わなかった。
だが、ここで話を終えるわけにはいかないのだ。
グラスに残ったオレンジジュースを一気に飲み干した。よく効いた暖房でぬるくなったそれは、へばりつくようにして喉に残っている気がした。
唾液を飲み込んで押し流し、三宅は声を低くして切り出した。
「先輩。今の、古市皐月なんですが」
中学時代の古市皐月が、御舟千紗都と暴力沙汰の喧嘩を起こしたこと。以来、皐月は千紗都を恨んでいるのではないか、という考えを三宅は披露した。
もっとも、喧嘩の原因は分からず、千紗都が皐月の悪事を何らか暴いたようだと、背景を隠したままにすることも欠かさない。
ときおり頷きながら話を聞いていた美亜子は、話を聞き終えると、眉間にしわを寄せた。
「……逆恨みの怨恨ね。そういう線もあるか。たしかに千紗都は、頑固だからな」
ぼそり、と美亜子が呟いた。
「まあ、意志が固いというのは同意します。それが千紗都の良いところだとは思いますが」
「ただね、あの古市皐月というのは、外していいんじゃないか?」
「え?」
三宅は困惑した。
久々に皐月を見かけたが、とても高校へ行っているようには思えない。まさに、なりふり構わず千紗都への復讐を企んだと考えるのに、疑問はない様に思えた。
それを、なぜ美亜子が否定するのか分からなかった。
「果断なる偏見ではあるが……。ああいう手合いは、もし逆恨みの復讐をするなら、もっと直接的な方法に出るだろう。
集団で取り囲むとか、カツアゲとか。古市皐月もそんな直情的なタイプに映ったよ。
目的のために感情を貯蓄できない。短期的な感情が優位で、回りくどいことは好まないタイプだろう」
それは、あの女を知らないからだと、三宅は叫びたくなった。しかし、その声を心の内に留める。
皐月がいかにして自分を辱めたのか、それを説明しない限りは、美亜子には伝わらないだろう。
不意に、美亜子が口元に手を当てて小さく欠伸をした。
「……それに、姿のある者を疑いたくなる気持ちもわかるが、先入観は持たない方がいい。『エルム街の悪夢』みたく、狂気を信じられない人間は犯人に翻弄されるばかりさ」
「でも、あれは創作ですよ。それにあの作品じゃあ、フレディは快楽殺人鬼で、殺すために夢を使いましたけど、黒い女はただ夢に出てくるだけです。
むしろ、意識不明にさせる、という目的のおまけが、黒い女の夢なんじゃないですか? だから犯人は、被害者を眠らせたいという動機を持った人……」
その時、美亜子は強かに顔面をテーブルに打ち付けて、大きな音を立てた。三宅が驚いて中腰になると、美亜子自身も音に驚いたらしく、寝ぼけ眼で顔を上げて、目を瞬いた。
「だいじょうぶですか⁉」
「……いかんともしがたいな」
眼鏡を外した美亜子は、眼を閉じて眉間を指先で押さえた。
「今日は、ここまでにしましょう。早く帰って、寝た方がいいです」
「そうはいかないよ。早く、あの子の目を覚まさせてやらなきゃ」
かけなおした美亜子の眼鏡は、僅かに傾いている。
「差し当たっては、時間が惜しい。……三宅、今晩泊めてくれ」
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