第13話:少女ふたたび
目の前の光景に、三宅は思わず身体を硬直させた。
ドアの先にあったのは、廊下ではなく保健室だった。
不可思議なことに、保健室の窓からも陽が差している。窓際には、よく見るグレーのスチール製デスクと、椅子がある。誰も座っていない。
部屋の右半分は、天上のレールから吊下げられた白いカーテンが揺らめいていた。
カーテンは天井から人の膝ほどまで長さがあり、地面との隙間からはベッドと思しき金属製の脚が覗いている。
ベッドは二つあるようで、窓際のベッドも、その隣のベッドも、カーテンで覆われている。
三宅はゆっくりと、教室に踏み入った。足音を立てないように気を配る。何かあったときのために、扉は開け放しておいた。
遠くから、微かに小気味のいい金属バッドの快音がした。心なしか、蝉の鳴き声が聞こえ、気温が上がったように感じた。
部屋の中央辺りまで進んだ所で、三宅は首だけを静かに動かして部屋全体を見回した。
人の姿はない。白いカーテンは小さく揺れていて、ベッドの上に人がいるかは分からない。
ふと、窓際のベッドの足元に視線がいった。なにかが気になったのだ。よく見ると、カーテンと床の隙間から、白いスリッパがベッド脇に揃えられているのが見えた。
先ほど入り口から見たときには、こんなものがあっただろうか……。
「だれ?」
突然の声に、三宅は小さく声を漏らした。慌てて口を押える。
「だれか、いるの?」
その声は、目の前のベッドから聞こえた。少女らしい、それも幼さの残るような高い声だ。
カーテンの向こうに、薄墨が滲んだようなおぼろげな輪郭が浮かんでいる。
三宅はさっと、入って来た出入口へ視線を移す。開け放したはずの扉は閉まっていた。
「どうして、喋らないの?」
怪訝そうな声は、不信感を増したようだった。
口の中が渇き、声が出ない。
何を怯えることがあるのか。これは夢で、周りは暗闇でも何でもない。
『どき学』にプログラムされた、何らかの青春的シチュエーションに違いないのだ。
——だが、なにかおかしい。この夢で見た他の少女たちとは違う。
そんな小さな違和感を、次第に三宅は、はっきりと捉えた。
今まで見た少女たちは三宅を知っていた。三宅が見ている夢なのだから当然だ。だが、目の前の少女は違う。
三宅の存在を知らないどころか、予期せぬ闖入者として敵意すら抱いているようだ。青春を描くにしては婉曲的すぎる演出である。
三宅は決心した。
この場から逃げるのだ。そして、美亜子を呼ぶ。
本能が、目の前の相手が脳の産んだ幻覚などではなく、オカルトだと訴えていた。
そしてようやく、三宅は、この正体不明の少女が幻覚ではおよそあり得ないことに気がつく。
簡単なことだ。機械は人間の望んだ夢を見せる。自分は、こんな不可思議で神経質な邂逅など、望んでいないのだから。
三宅は気配を殺して、足先をそっと出入り口の方へ向けた。
「喋って、くれないの?」
今にも踏み出そうとした足が、踏み留まった。少女の声に突如、悲哀が籠ったからだった。
やめておけ。余計なことを考えるな。
頭に鳴り響く制止の声と裏腹に、もう一つの声が三宅の耳朶を打つ。それは古来から人類が夢に抱いてきた神秘であり、潜在観念だった。
夢の啓示。——この少女こそ、何らかの啓示なのではないか、と。
「君は……誰だ?」
三宅は理性に叛逆し、口を開いていた。
しばしの沈黙が訪れる。三宅は努めて呼吸を落ち着けて、カーテンの向こうにいる少女の反応を待った。
「……わからない。わたしは、誰?」
少女はあてどない記憶の海を彷徨うように、ぽつりと答えた。
その声に冗談や戯れの気配はない。むしろ、彼女の困惑を三宅は感じ取った。
「どうして、ここにいる?」
「気が付いたら……いたの。誰かに、よばれたの」
「誰かって、誰?」
「……わからない」
「君は、なにをしてるんだ?」
「……わからない」
少女は、か細い声で答える。
対話を交わすうち、三宅の抱いていた警戒心は徐々に薄れてきた。少女は、なにか害のある存在とは思えなくなってきた。
まるで迷子のようだ。なぜそんなものが自分の夢の中にいるのかは、さっぱりわからないが。
三宅が再び口を開こうとしたとき、「でも」と、今度は少女が自分から話し始めた。
「でも……誰かを待っていたような気がする。私は、それが楽しみだった……」
言葉はそこで途切れてしまった。
三宅は次の言葉を待ったが、少女は黙ったままだった。
「ここを、開けていいかい?」
黙っていても埒が明かないので、三宅は努めて優しく語り掛けた。果たして昨晩見た夢の少女なのか、確かめる必要があった。
だが、返事は帰ってこなかった。カーテンの向こうは、時が止まったように静かだった。
三宅はベッドに近寄り、カーテンの端をおそるおそる掴む。静かに息を吐いて、一気にカーテンを引き開けた。
目の前の光景に、三宅は目を瞬いた。
ベッドの上には、誰も居なかった。誰かがつい先ほどまで寝ていたかのように、布団が空洞を作って盛り上がり、捲り上げられていた。
引き寄せられるようにベッドに近寄った三宅は、ベッドの側面に回り、僅かにへこんでいるベッドの表面に触れた。そこはひんやりと、冷たかった。
「探して」
どこからか、ぼんやりとした声が聞こえた。
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