第十三話
女性として入用のものを調達するべくシャルロットは街に出ていた。食料品や普段の衣類はゼストとの買い物のついでに揃えられるが、ロットの姿のままでは行き届かない部分もある。フロワに語った月に一度の外出がこの買い出しである。
(下着に石鹸。月経用の薬……)
男の姿のまま買いに行けばたちどころに噂の的だ。文化レベルに反して近代的な価値観が強いとはいえ、伝統に縛られるきらいのある国だ。ゼストに買いに行かせるのも憚られたため、病身を押してもこの買い物の時間は確保していたかった。
(もっとも、あと何度こうして出掛けられるのでしょうね)
寂寥とした気持ちと共に風に揺れる髪の毛を抑え、シャルロットは嘆息した。帽子をかぶってくるか悩んだが、この風ではたちまちにさらわれていたので鏡の前で下した判断は正解だった。
鎖骨を隠す長さの白茶の髪は人様のものではなくシャルロット自身の物だ。数年前の断髪の際、どうしても髪の毛を捨てたくなかったゼストの我儘を聞き入れて鬘にしたのだ。
どこからか作り方を覚えて黙々と幼馴染みの毛髪に取り組む姿はいっそ狂気的だった。手先の器用さは遺憾なく発揮され、端からは自前の髪の毛と区別が付かないほどの仕上がりである。
(本人の自覚はないけど、職人の息子よね)
ゼストの父親はグルース村のガラス職人の一人だ。真面目で妻を愛する一本木な人物で村にいた頃はシャルロットのことも可愛がってくれていた。
時折注文外の奇っ怪な置物を作り上げるが、グルース村の職人達は大抵がそうなので目立った欠点とも言えなかった。
(元気になさってるかしら)
都に来て五年。ゼストとシャルロットは一度も故郷に帰っていなかった。都の本店で村の者や父と顔を会わせる機会はあるが、友人や母といった村にいる人々への手紙や言伝を頼むことも無く不義理を働いていることは分かっていた。
帰郷すること考えたことはあるが、どうしても村行きの馬車を見るとゼストの足が竦んでしまうのだ。徒歩で向かうことも勘案に入れるも、途中でシャルロットが発作を起こしては道中では医者を呼ぶことも安静にすることも難しい。
とどのつまり、二人は理由をつけて故郷から逃げ出したのだ。変わり果てた自分達すら受け入れてくれる優しい場所に背を向けて、人ばかりが多いこの都にやって来てしまった。
(それにしても、今日は人が多い)
普段より活気のある場所ではあるが、輪をかけて人が多い。
(わざわざこの日に出掛ける必要もなかったかしら。だけど、ここ最近体調が安定しているのは珍しいし)
三月に一度、ドガでは旅芸人たちが都に招かれる。かつて芸事をいたく好んだ王が取り決めたことで、百年経った今現在も伝統は続いていた。
この都は人を集めることに余念がない。移民であろうと役所で届けを書いてしまえば職に就くことも結婚することも可能だ。
(レディオルも北の生まれだと言っていたし、保守的なのか開放的なのか判然としないのよね)
どちらにせよドガではロットとして振舞うシャルロットには関わりの無いことだった。目当ての店に向かうべく、青空を見上げ息を吸い込んだ。秋の空がひどく高かった。
(どうしてこんなことに)
きっかけはイネスが無防備に裏路地に入ろうとするのを見かけたことだっだ。普段であれば裏通りへの抜け道でしかない場所だが、抜けた先で今日は見世物小屋の公演があった。
中央の広場で公演を行う一座とは違い、裏通りを選ぶものたちは脛に傷を持つものが多い。そこに美しい容貌を持ち、警戒心の低いイネスが飛び込めばどうなるかは想像に固くなかった。
思わずといった調子でイネスを引き留め、今日のうちは裏通りに入らない方がいいと忠告した。
(ここまではお節介の範疇。問題はその後)
そのまま買い物に戻ろうとしたところ、今度はイネスがシャルロットの手を握った。
「お礼を、させていただけないでしょうか」
シャルロットの行いを恩に着てしまったのか、イネスは報恩を申し出た。
(そろそろ積極性が培われてきた頃合いかしら)
何か適当な店屋物の代金でも受け持ってもらって別れようと考えたシャルロットとは裏腹にイネスは荷物持ちを買って出て、この外出に同行し続けている。
「重さはないけど嵩張るものが買い物では厄介と奥様に聞きました」
この奥様とはエヴァンの義姉にあたるミリアだ。夫が拾ってきた身元不明の少女に隔意を抱くこと無く接する人格者で、世間知らずのイネスのフェアリーゴッドマザーとも言うべき存在である。
「……」
確かに助かってはいるがどうやっても自宅までは連れていけないため、シャルロットとしては何とかしてちょうどいい頃合いで別れたかった。
「他にご入り用のものはありますか? お嬢様がよろしければ同行させていただきます」
イネスのこの口の利き方もシャルロットの頭を悩ませていた。
「そうかしこまらないでくれる? 私、貴族でもなんでもない平民だもの」
傍目から見れば貴族の令嬢が歳の近い侍女を連れて町に繰り出したようにしか見えない。ただそのように見られるだけならともかく、平民が貴族の振りをしている誤解を受ければ厄介事は避けられない。
「そうなのですか? 気品がありますし、何より背筋が伸びていらっしゃるので私はてっきり……」
立ち居振舞いはシャルロットが幼少の頃から両親に頼んで、グルース村に来るよりも前に身に付けたものだ。前世とは異なる人生を歩んでいるなら、所作からもシャルロットは変えてしまいたかった。せっかく与えられた今生を謳歌するたことは彼女のポリシーのひとつだった。
「そもそも御令嬢は薬局で買い物なんかしないでしょう。あなた、見る目は確かだけど抜けているのではなくて?」
以前の会話で貴族の振る舞いの特徴について言及していたにも関わらずである。人間味は増してきているが、年頃の少女らしい迂闊さも生まれてきているのではとシャルロットは訝しんだ。
「最近、覚えることが増えてきたせいかもしれません。今までとは比べ物にならないくらい日々が目まぐるしく過ぎています」
黒水晶の瞳を細め、イネスが微笑む。儚さと少女らしい愛らしさが周りの目を惹き付ける美しい笑みだった。
「数ヶ月前。私、思いもよらない災難に見舞われて家を無くしてしまったんです」
イネスの自宅は彼女が例の事件の犯人を目撃してしまったせいで放火されている。身寄りの無い彼女の身柄は事件を担当したトワイライト家の若旦那によって預かられ、宿代代わりにメイドとして働くことで糊口をしのいでいた。
(実に乙女ゲーム的というか)
主人公が攻略対象の家で働くことはある種定番の流れだ。友人関係では自由に踏み入ることが難しい自室への出入りが容易になる点、家族や使用人仲間から思い出話を聞ける点からイベントが作りやすいのだ。
(この時に主人公のメイド姿のデザインがあるか無いかが無駄に気になるのよね……)
スチルなどがあっても構図によっては攻略対象のみが描写され、作品によっては主人公の立ち絵があっても衣装の差分が用意されていないこともある。
乙女ゲームも物語のひとつとして楽しんでいた前世のシャルロットからすれば主人公もまた愛する作品を構成する重要なピースなのだ。
シャルロットが余分な思索に耽っている中、イネスの話は続く。
「家を建て直そうにもお金がないし、借家を借りてもまた駄目になってしまうかもしれないと教えられました」
犯人の事や放火の件を隠すため曖昧な物言いになっているが、既に事情を心得ているシャルロットには差し障りなかった。
(イネスを口車に乗せて捜査に加わらせたのはレディオル)
六人の内、能動的に状況を動かそうとするのはレディオルだけだ。他は慎重派であったり確信が持てなければ行動を起こさない者、身内のことにしか興味を抱かない者などで本来事件の捜査には向かない内向的な面子である。
物語当初のイネスが人間味の薄い性根であることもあってレディオルは作中でも狂言回しの役を務めていた。己の出自から親しくなった公権力に近しいトワイライト家の次男を抱き込んでいることは計算か、はたまた彼自信の天凛か。
「分かることだけに囲まれて、今日と変わらない明日を繰り返して、終わりが来るいつかまで生きていくんだと思っていました」
空を仰ぐ彼女の瞳は陽光を受け輝いている。鉱石らしい硬質さを残しながら、精巧な芸術品に魂が宿るように違う位階の存在に姿を変えつつある。
「空の高さも、軋んだ肺に取り入れる空気の冷たさも、人と関わり合うことの難しさも初めて知ったんです」
そうあれかしと定められていた少女だった。定められた運命の逸脱をなぞるように彼女は今も生きている。その在り様を物語として知っているシャルロットから見てもイネスは美しかった。
(純粋な子)
このようにはシャルロットは生きることができない。世界は美しいくせにシャルロットには残酷な一面ばかりを選んで味合わせる。経験が内面を作り、立場が人の立ち振舞いを決める。数年前の出来事以来、彼女はそのことを痛感していた。
「人生讃歌はいいけど、この話はどこに着地するの?」
踊っているわけでもないのにイネスの歩みは軽やかで、体重すらないかのように錯覚してしまう。
「どこでしょうね。ごめんなさい」
微笑みは柔らかく、言の葉に夢を乗せて。彼女の振舞いはこの世界の何物も傷付けることは無い。
「きっとあなたとの話が楽しくて、ずっと喋っていたくなったんだと思います」
この箱庭を管理するAI。それこそが彼女の正体だ。
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