《終章》

三十二 平朝臣織田上総介三郎信長

 ——それから三年の歳月が経った。

金砂きんしゃ』崩壊後の日本は基本的に穏やかである。結局あの戦いでメイドたちに犠牲者は出なかった。信長は嘘をつかない。

 大学二年生になった大和やまとは自室のベッドに腰かけ、部屋の写真立てに納まっている一枚を眺めていた。

 大和、かな、レックス、らん信長のぶなが……二年前の成人式の日、みんなで撮った写真。みんなとびきりの笑顔でピースサインをしている。写真撮影は適材適所で光秀みつひでだ。

「僕も写りたいんだけど」なんて甘えたことを言ってきたので撮影は光秀に決定した。弱肉強食の世の中である。

 そんな大和をシャンデリアの上からメイド服を着た乱が見つめていた。


「大和殿。今日はいよいよですね! 私は待ちに待っていましたよ!」


 乱が皿に載せた水ようかんをつまようじでぷすりと刺しつつ、にこりと笑う。


「あんたさあ、水ようかんくらい普通の場所で食べなさいよ。それにあんた昨日もメイド服着てなかったっけ?」

「いやあ♪ この着心地、『金砂』の一件からすっかり気に入ってしまいました! 最初は屈辱的で嫌だったんですけど、分からないものですねえ! デザインも秀逸‼」


 乱は幸せそうに水ようかんを頰張る。


「はあ……」


 大和は深い溜息ためいきく。

『金砂』の一件が片付いてから、大和にとって激動の三年間だった。

 歯は二本インプラントになったし、潰された鼻は何とか元に戻ったもののりょうは少し曲がったままだ。頰の傷はかすれたようなあとが残ったし、それらを理由に芸能界入りなんてとっくの昔に諦めた。そもそも「芸能界に入りたい」だけで「憧れの人物」すら考えたことがなかった薄っぺらい自分が恥ずかしくなったから——というのは後つけが過ぎるだろうか。

 自ら夢を投げ出した高二の冬。ここに至って大和は、この世には自分の力だけではどうしようもできないことがあることをようやく知ったのだった。

 それから大和は少し荒れた。

 しかし荒れる度に。信長や乱、奏多とレックス——そして誰よりも光秀が真剣に怒ってくれたのだ。大和も大和で人への当たりが強いから、殴り合いの喧嘩になることもあった。

 そうして徐々に……徐々に大和は自分を取り戻していく。

 その後できた空き時間で大和は懸命に考えた。


 それは——


 ふと、手元の赤いスカーフに視線を落とす。

 これは坂倉さかくらの物だ。

 あの時。現代日本のひずみを訴える坂倉の目には涙が浮かんでいた。

 その理由が今なら少しだけ分かる気がする。

 大和も。大和自身も。みんながいてくれなかったら『金砂』のようになっていたかも知れないから。

 みんなに必死に支えられて今があるのだ。

 大和は今の世の中、命や幸せの奪い合いをする戦国時代はまだ終わっていないと考えている。奪って奪われての繰り返し。現在進行形で戦国時代は続いているのだ。


 ならば——


「大和殿? まだここから出かけないんですか? 皆さん集まってらっしゃいますよ? 何だか私そわそわしてきちゃいました……」


 しきりに時計を見る乱を横目に、大和は立ち上がった。すっかり元通りに伸びた薄桃色の髪の毛を後ろに流すように払うと、ポニーテールを作った。

 信長にプレゼントしてもらった打掛うちかけを腰に締めると、大和と乱は部屋を出る。

 もう約束の時間は過ぎているのだ。



 ★ ★ ★



 大和の屋敷の庭に——大きな城が建造された。

 いや、これは搭か。壮観である。

 あまりにも高すぎて上まで眺めることができない。

 今日はこの『日ノひのもとじょう』が開業した日。

 信長の夢がまた一つ叶ったのだ。

 城の入り口となるぐちに観光客が長蛇の列を作っていた。

 メディアの取材も受けており、あちらこちらでカメラのフラッシュがかれている。ニュースリポーターの姿も多く、並々ならぬ関心が国内外から集められていることを物語っていた。


「信長はすごいなあ。『日ノ本城』完成じゃん。どんどん夢叶えていってる……」

「このお城はスカイツリーより高いんですよ!」


 乱が誇らしげに小さな胸を張る。


「あはは。どこの物好きがこんなたっかいだけの城に住むのかなあ?」


 乱を言葉でどすりとえぐった。


「な——っ‼ 上様うえさまに失礼ですよ大和殿っ……‼ オホンッ……! せっかくの開業の日なのです。このくらいにしておいてさしあげましょう! ささ、上様が待っておられますよ!」


 乱が並ぶ観光客を無視し、ごく限られた者だけが知る秘密の扉へと軽快に駆けていく。城門が一部、くるりと回って内部に侵入成功。大和も乱に続いた。



 秘密の扉からのエレベーターが最上階に着くと、もう三年前の『金砂事件』に関わったみんなが集まっていた。今日はプライベートなパーティが開かれているのである。


惟任これとう! 蘭丸らんまる! こっちこっち! 遅いってば!」

「やーまとー! 蘭丸ー! にゃははー、おいでおいでー!」


 ほりレックスと奏多が大和と乱の腕を引っ張り、パーティーの会場へと案内していく。


「ぐふふー、二人とも堂々と遅刻! 目的地から自宅が近い人ほど遅刻しやすい説は本当なのかなー?」

「あはは。奏多久し振り。この前レックスと入籍したんだっけ」

「そうなのー! レツ様ったら『俺の永遠のパートナーになってくれ~!』なんて言うものだからさあー♪ いやー……」


 奏多は自身の腹部に幸せそうに両手を置いた。


「……は? 奏多まさか……?」

「ん。四か月だよ♥ ふうっ。あの夜は熱かったなあ‼」


 大和は失神しそうになった。


「大和も早く光秀とヤっちゃいなよっ‼」

「何の話をしてんのよっ‼ そんな……そんな自分の身体からだだよ? 何というかもっと大事にっていうかその……!」


 しどろもどろになる大和をニタァッと覗き込んだ奏多。やや酒臭いということは、既にある程度できあがっているのだろう。


「大和も一緒に呑まないかい?」

「妊娠中はお酒はダメッ‼ 一滴たりとも呑んじゃダメなんだから‼」

「いいじゃんいつも禁酒してるんだから今日くらい……!」

「ダメ‼」


 奏多はしゃっくりを一つすると、


「ひょっとして幸せなうちらがうらやましいのかな?」

「はあ?」

「いいから早く子をはらめ‼」


 と言いつつ、ポォン! と大和の腹をぱたいた。


「はうっ!」

「あははー! 『はうっ!』だってカワイイ‼」


 品の欠片かけらも感じさせない奏多のゲラゲラとした笑い声。もう手に負えない。


「ごめんねー。俺の奏多がさ……」


 乱の手を引くレックスが申し訳なさそうに呟いた。大和は鼻をふんふんいわせてレックスの匂いを嗅ぐが、酒の臭いはしてこなかった。こちらは呑んでいないらしい。レックスは大和を不思議そうに見た。


「……もう! 奏多ったら二十歳はたちになったからって一気に呑みすぎじゃない?」

「あとで言っとく。本当にごめんね」


 レックスはぺこりと頭を下げた。ここまでされたら大和が引き下がるしかない。


「お詫びと言っては何だけど……。ほら。ここから富士山が見えるんだよ」

「すっごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおいぃいっ‼」

「これはすごい! 日ノひの本一もといち霊峰れいほうが見えます!」


 大和も乱も感激している。

 さすがに景色は最高であった。大和が子供のように両のてのひらを密着させている分厚いアクリル板の向こう側。山々の奥に富士山が恥ずかしそうに頭だけちょこんと出していた。

 これぞ『日ノひのもとじょう』天守の『セレスティアル・信長のぶながタワー』が誇る眺望。


「つーかさ、スカイツリーの近くにこんなでっかいお城ぶっ建てて当てつけもいいとこだよね」

「本当ですねえ。上様はいつもぶっ飛んでいますから。スカイツリーが悔しそうにすら見えますよ」


 乱がどこか自慢げに言った。


「夜にはこのお城ライトアップされるらしいから、それも見どころだよ」


 レックスが微笑む。今見ると、あれから更に背が伸びただろうか。


「ふぅっ。俺もようやく補欠の呪いから解放されそうでさあ……」


 大和は首をレックスのほうへ向け、


「あっ! 知ってる‼ 今はまだ補欠だけど『フェンシング部の未来のエース』って呼ばれてるんでしょ⁉」

「補欠で悪かったな‼」


 レックスが宙を殴りつけた。周りにいた人間が一瞬こちらを向く。

 あの戦いでサーベルを操ったレックスはフェンシングのサールに興味を持ったのだ。

 もともと才能があったのか、めきめきと上達したレックスは現在フェンシングのサーブルに夢中になっている。これも信長が開いた道の一つであろうか。


「大和!」


 大和の後ろから、コッと靴音が響いた。大和が上半身をひねって振り向けば、タキシードに身を包んだ光秀が立っていた。


「ミツ君!」


 大和がアクリル板から手を離し、光秀に駆け寄る。


「元気にしてた? 僕と大学が違うもんだからさあ……」

「光秀殿もお元気そうで何よりです!」


 一連の『金砂事件』で光秀は自分のからを破った。

 メンバーの中で一番引っ込み思案だったが、最後には戦闘機だって操縦して大和を助けにいった。そんな男に惚れ直すなというほうが無理だろう。


「ミツ君。会いたかった……!」

「大和」


 二人は人目もはばからず抱き合った。それを視認した奏多が、ささっと寄ってきた。


「大和! 光秀! 子作りする時は言ってね! 生で観たいから‼」

「「酔っ払いはすっこんでろっ‼」」

「けちー」


 大和と光秀は力を合わせて無双状態の奏多を追い払うことに成功する。これは奇跡だ。


『レディースアーンドジェントルメーン‼』


 司会の男性がマイクでみんなに呼びかけた。


『上様のおな~り~!』


 近くに設置されていたステージ上に、スーツをまとった信長が現れた。

 ゆっくりとステージ中央のマイクへと歩を進める。


『堅苦しい前置きは一切合切なしとする。貴様たち。今日は遠いところご苦労であった。貴様たちの尽力あって「日ノ本城」が無事開業したぞ』

「信長ー! 十分堅苦しいよー!」


 大和の野次に笑いが起こった。


『思えば天正てんしょうの本能寺で腹を切ったらこの令和の時代に足を踏み入れることとなった。まことに人生は分からんものだ』


 大和は思い出す。目が覚めたら信長と乱がいた、三年前の驚愕の朝を。


『余と乱が時を渡ってくると、目の前にいたのはぱだかの大和であった』


 光秀が顔を真っ赤にして吹き出した。口元を押さえて大和に「本当⁉」とでも言いたげな視線を送る。


「ちょっと信長っ‼ 誤解を招くようなこと言わないでよっ‼」


 同じく大和も真っ赤になって信長にえた。

 信長は眉根を寄せて首を傾げる。


『大和‼ 貴様は素っ裸だったではないか‼』

「ちゃんと下着つけてたもんっ‼」


 このままでは広く世間に「惟任大和は寝る時素っ裸」という誤った認識が伝わってしまいかねない。場内ではくすくすと笑いが起こっていた。


『……そうか。悪かったな。訂正。素っ裸同然・・の大和がいた』

「やめて⁉ やめてええええええええええええぇぇぇえええええええええっ‼」


 場内の笑い声がどっと大きくなる。大和は顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。

 そのままの態勢で叫ぶ。


「あたし……あたし寝る時ちゃんとパジャマ着るもんっ‼」

『しかし余と乱がこちらに来た時は素っ裸だったぞ。このままでは世間に誤った情報を知らせることになってしまうではないか』


 この男は何故、変なところで正確であろうとするのか。それにいつの間にか「素っ裸同然」から「素っ裸」に戻っている。


「あの時は一時的にミツ君から振られてたからでしょう‼」

「……そういえば。そんなこともあったね」


 光秀が口を覆っていた手をしゃがみ込む大和に差し出した。


「ごめんね大和。でも。これからは二度とあんな辛い思いはさせないから」

「へ……?」


 優しくそう告げた理想の彼氏。


「信じて……もらえないかな?」

「い、いや……その……その……」

「にゃははー! そのままヤっちゃえー! 子作り子作りーっ‼ いえーいっ‼」


 いいところでモンスターが現れた。すぐさまレックスが止めに入ってくれたが。


『オホンッ! まあそういうことで我ら二人は令和にきたわけだが、中でも大和、奏多、レックス、そして光秀の四人に大変助けられた。この場を借りて改めて礼を言う』


 大和たちやステージ上の信長に温かな拍手が送られる。


『「金砂」も滅び、かくして万国安寧ばんこくあんねいかい平均へいきんった。めでたい限りである——』


 一瞬。

 大和は信長の言葉に違和感を覚えた。

 光秀が差し出した手をつかんで立ち上がると、次の瞬間には挙手していた。


『ん? 何だ大和。どうした』

「ちょっと言いたいことがある‼」


 大和はポニーテールと打掛うちかけを揺らしてステージによじ登る。

 パーティに招待されていた一部のマスコミや奏多たちがざわめいた。


『どうかしたか?』

「まだ……平和にはなってないと思う!」

『……ほう』

「坂倉や猿玉さるたまがやったのは悪いことよ。それは動かない。絶対に許されない卑劣なこと」


 大和はつかつかと信長へと歩いていく。マイクを奪った。


『でも。あいつらの……「金砂」の主張の一部は、一面的には、だけど——正しいの……』


 会場内のざわめきが大きくなる。

 光秀は腕を組んでどこか嬉しそうに大和を眺めていた。


『あたし思い知った。いかに自分がちっぽけな存在だったか……。今までどれだけ無知で、馬鹿で、何もしようとしていなかったか。……信長や蘭丸……みんなのおかげよ……』


 乱が勝手に後頭部をいて照れている。

 大和はそんな乱を見やると、緩く口元に弧を作った。


『——だから』


 大和は、すぅと息を吸い込んだ。


『「金砂」に文字通り顔を潰されたから。そんなあいつらが心から憎いから——』


 大和は眼に力を込めた。


『あたしは政治家を志す——! この腐った世を叩き直すの。第二の「金砂」は出さない!』


 大和はふっと口元を緩め、隣にいる信長のほうを見た。

 信長も満足そうにまぶたを閉じ、頰を綻ばせている。


「それでここ数年勉強ばかりしていたんですねーっ⁉」


 ステージの下から乱が声を張り上げていてきた。


『そう!』


 大和は晴れやかな笑顔で乱を指差した。

 大きな拍手が鳴り響く。

 いつしか奏多やレックス、光秀がステージ上に上がってきた。乱はさすがに信長と同じステージ上には上がれないらしいが、それでもステージ下の一番手前にはやってきた。


「惟任! すごいな!」

「まーあなただけ東大生だしねー。見事に抜け駆けされちゃったよー」


 奏多はワインのボトルを鷲摑わしづかんでいる。


「大和。……頑張れ」

『ミツ君。……うん! あたし頑張るよ!』


 信長は、じゃれ合う大和たちの背後で一人腕を組み、瞼を閉じたまま何度も頷いていた。



「それでこそ。余が見込んだ惟任大和よ」



 大和は信長に向けて打掛うちかけをきゅっと力強く結んでみせた。

 目を開けた信長はそんな大和を見て嬉しそうにはちひげを触った。

 さすがだ、とでも言うように——




 時は令和。

 この混迷の時代にひときわ頼れる戦国大名が迷い込んできた。

 名をたいらの朝臣あそん織田おだ上総介かずさのすけ三郎信長さぶろうのぶなが


 彼は令和の世に何を見るのだろうか。

 また何を変えていくのだろうか。


 ——戦乱の世をしずめるべく。

 令和に信長がやってきた!

                                   〈了〉

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令和に信長がやってきた! タテワキ @__TATEsan

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