三十 織豊

「んんっ……! ゲホッ、ゴホッ!」


 大和やまとは口の中の痛みで目を覚ました。

 激痛が口腔内こうくうないを支配している。


「うう……。ここは……? あたしは……?」


 辺りを白煙が覆っていた。火事だろうか。心なしか床の木目も少し熱い。

 手を動かそうとして、動かなかった。同じく脚も。

 手には手錠がかけられ、足は赤いスカーフできつく縛ってあり。ついでに頭にはひびの入ったヘルメット。


「そうだ、そうだよ……。坂倉さかくらが……!」


 あれからどうなったのだろうか。

 どれほどの間自分は気を失っていたのだろうか。光秀みつひでは上手く着陸できたのであろうか。様々なことが頭の中をよぎる。

 しかし今はそれどころではない。一刻も早くここから逃げなければ。


「ミツ君……。信長……。助けてよう……怖いよう……痛いよう……!」


 返事は何も返ってこなかった。返ってきたのは——



 ——どすどすどすっ‼



 大和の体を囲むように矢が勢いよく突き刺さった。


「ひえっ⁉」

「いたぞおおおおおお‼」


 和風の鎧に身を包んだ兵たちが大和のいるに飛び込んできた。


「い、いや! いやああぁぁぁああああああぁぁああっ‼」


 おののく大和にはお構いなしに、兵たちは刀を向けながら彼女の周りを囲む。


「何だこの小娘の着物は⁉」

「気を付けてください‼ 武器を隠し持っているやもしれませぬ‼」

「ふん! ひと思いに殺してしまえ!」


 兵たちは口々に殺気立ったことを口走った。


「やめておじさんたち‼ ほら、あたし動けないの‼」


 大和はうつ伏せになって兵たちに手錠を見せる。


「ね? この通りぜーんぜん動けないの。抵抗なんてしようがないし、こんなか弱い女の子を殺そうとするなんて……。というかこれ何のテレビの企画?」

「そうか。動けないか」

「うん!」

「ならば死ね! 八つ裂きにせよ‼ 恨むのならば惟任これとう日向守ひゅうがのかみ様を恨むのだな‼」


 兵たちが刀を振り上げて襲いかかってきた。


「ぎゃあああああああああああっ‼ 何でええええええええええええっ⁉」


 大和はごろごろごろと転がって兵たちの間を抜けて逃げていくが、すぐに壁にぶち当たってしまう。


「うっ……! 何かおじさんたち本気じゃないの⁉ 本気で大和ちゃん殺しにきてない?」


 兵たちが大和ににじり寄る。


「ひっ……ひえっ……! ねえねえこれテレビの企画だよねっ? そうだよねっ⁉」

「くたばれ————ッ‼」

「イヤ————ッ‼ 信長————ッ‼」

「大和————ッ‼」


 剣閃が兵たちの胴体をぎ、跳ね飛ばした。八つ裂きにされた兵たちの残骸が床の木目の上に落ち、転がる。大和は目を丸くして固まった。


「大丈夫か。大和」


 聞こえてきたのは低く、それでいて大和がここ何か月か親の声よりも聞いた優しい声。

 信長が肩で息をして愛刀のじっきゅう光忠みつただを構えていた。


「信長~~~~~~ッ‼」


 大和は顔を綻ばせ、あんのあまり笑い泣く。


「……ふう。そんなに泣くことか?」

「だっで……っ! 目がめだらいぎなりデレビの謎がぐが始まっで……っ! 本当ほんどうごわがっだよおおおおおうわああああああああああっ‼」


 信長はむせび泣く大和に近づき、きゅっと抱きしめた。

 袴に大和の涙やはなが付着する。

 ——そこで大和はハッと気が付いた。


「ねえミツ君‼ ミツ君は無事⁉」

「あいつか……」


 信長は表情を曇らせた。

 大和の心を嫌なざわつきが通りすぎていく。



「残念ながら——この世にはいない……」



「……う…………そ……………………」



 信長は大和の手を拘束していた手錠の鎖に悠々とじっきゅう光忠みつただの刃をあてがい、切り離した。

 大和の手が自由になる。


「嘘……。……嘘……だよね…………?」

がそのようなつまらん嘘をつくと思うか? だから貴様はたわけなのだ」

「嘘おおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおぉぉおおおおおおおおおおおっっ‼」


 天を仰いだ大和は爆発したように泣き出した。


「何で‼ 何でよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお⁉」


 呼吸が激しく乱れ、信長の肩を何度も叩く。


「落ち着かんか」

「何で落ち着いていられるのっ‼ あたしの大切な男性ひとよっ‼ こんなわがままなあたしのことを『大切な女性ひと』って言ってくれた世界にたった一人のおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああっっっ‼」


 大和の泣き叫ぶ声で「こちらから声がしたぞ‼」と荒々しく兵たちが部屋に現れた。信長は大和を自身の体からがし、その兵たちへ剣閃を飛ばして楽々片付ける。

 その間も大和は泣きながら壊れたように床を叩き続けていた。おかげで次々に兵が召喚され、たおされた兵の死体も累々るいるいと重なっていく。


「何で死んじゃったのおおおおおおおおおおおおあああああああああああああっっっ‼」


 いい加減キレた信長が大和の両肩をぐわしっと摑み、しゃんしゃん揺すった。



「静かにせんかっ‼ まだ生まれとらん・・・・・・・・だけだ・・・‼」


「…………………………………………………………へ?」



 大和は変なところから声を出し、目は涙を溜めたまま点になる。


「いたぞ————ッ‼」


 また兵が召喚された。


「ええい。手間取らせおってからに! タスクを増やすな・・・・・・・・‼」


 令和の世で身に付けたカタカナ言葉を口にしつつ、信長が剣閃で兵を料理していく。

 瞬く間に兵たちのづくりが完成した。


「信長ー……ミツ君が生まれてないってどーゆーこと……デスカ……?」


 信長は背中を向けたまま答える。


「今は天正一〇年! すなわち一五八二年だ‼ 場所は京の本能ほんのう‼ 我らは時を・・・・・渡ったのだ・・・・・‼」


 信長は外の土塀つちぼりの向こうにはためく水色の旗の群れを指差した。上のほうに真っ白な桔梗紋ききょうもんはたじるしとして確認できた。あれは惟任これとう日向守ひゅうがのかみ光秀みつひでの旗印である。


「……ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええええっっっっ⁉」


 大和のクソデカ叫び声でまたまた兵が召喚された。


「……頼むからタスクを増やすな……」


 大和は顔の前でがっしょうすると、信長に深々と頭を下げた。……今度こそ無言で。




 燃えゆく本能寺の御殿ごてんの中で大和と信長は言葉を交わす。


「ここは本当に本能寺……? それも戦国時代の……?」


 放心している大和は、ほけっと息を吐いた。


「覚えておるか? 坂倉が撃ってきたミサイルを余がりにしたり何だりしたあと貴様が余の斬撃をくわえて——」

「ああ……あ~あ~……!」


 大和は徐々に思い出す。

 そのあと意識が飛んで、気が付けば織豊しょくほうだいの本能寺にいた。

 だがどれだけ考えてもそのあとは「WHY」の三文字が頭の中でタップダンスを踊っていた。


「……これだ」


 信長は右手のじっきゅう光忠みつただの刀身を大和に見せる。


「このじっきゅう光忠みつただ。不思議な力を持っているようでな……」

「へ、へえ……?」


 信長は口をぽかんと開けている大和に構わず続けた。



「名付けて——『時渡りの刀』」



 壁に炎が燃え広がった。


「時渡りの……刀…………」


 オウム返しするしかなかった。


「どうやらこの刀。斬った生命体に時を渡らせるらしい。気が付いたのはらんが人質に取られた退却戦の時だ」


 信長の言っていることに理解が追いつかない。

 しかし大和の記憶が正しければあの退却戦の時、信長が斬った荒くれどもは紫色の光を発して消えていった。

 まさかと思った。


「——そう。余が斬り捨てたあの悪党どもはこの時代のどこかにいるはずだ。まあ何でも他人のせいにする根性なしどもにこの戦乱の時代を生き抜けるとは到底思えんが」

「……じゃあこれテレビの企画じゃなくてあたしが今いるのは本当に戦国時代の本能寺……?」

「そう言っておるだろうに……」


 信長はすっかり眉を垂れ下げてしまった。


「それに……腹を切る瞬間。見えたのだ。デウスの稲妻が」


 大和は小首をかしげた。初めて聞く単語の登場のオンパレードに、ますます理解が追いつかない。


「でうすの……いなづま……?」

「……ああ。見間違いでなければ」


 信長はしんみょうな顔つきになった。業火は依然として本能寺を呑み込みつつある。


「腹を切ろうとしたら。でんのようなものが刀に落ちてきた。その証拠にいつの間にか……ほれ、よく見ろ。余は異国と浅からぬ親交があったからな。デウスの慈悲なのか気まぐれなのかは分からんが、それで余は時を渡ったのだろう」


 刀身には焦げたような文字で、うっすらと「fazer boa viagem」と書いてあった。

 二人はあずかり知らないことであるが、これはポルトガル語で「良い旅を」の意である。


「え⁉ ちょっと待って‼ じゃああんたが最初に時を渡ったのは実休光忠ソレでお腹を切ったから?」

「恐らく」

「でも蘭丸らんまるはあんたに斬られてなかったんでしょ⁉ 辻褄つじつまが合わないなあ‼」


 信長は少しはにかむように笑い、


「ただでさえそのような力を持つじっきゅう光忠みつただで腹を切ったのと加えて……。恐らくてん取りの目前でこの時代のほうの光秀の謀反むほんで死ぬことになる悔しさが。……時空を大きくゆがませたのだろうな……」

「…………あのね」

是非ぜひに及ばず」

「あんた腹くらい一人で切れよ‼」

「批判は甘んじて受けよう」

腹心ふくしん巻き添えにしないと腹切れねえのかよ‼」


 大和が男言葉を使いたくなるほど信長の説明は常軌を逸していた。

 ……かろうじて納得はできたが。


「まあ貴様を時渡りさせたあと、余もちゃんと空中で腹を切ってこの時代に渡ってきたのだ。それで許せ」


 信長が頭をうつむけた時、じっきゅう光忠みつただの刀身に大和の顔が映った。

 鼻は潰れ、歯は上の前歯が根元からぱっきりと欠けていた。更に顔面は傷だらけ。


「うう……こんな顔じゃ令和に戻っても芸能界なんて絶対無理だ……! うわああん信長~ッ‼ あたしの小さい頃からの夢だったのに~っ‼」


 大和はがばっと信長に泣きついた。


「すまんな。貴様をとことん巻き込んでしまった」


 信長は大和の後頭部をあいする。


「ホントだよ~! 人の夢笑いながら踏みにじって‼ 責任取って………………!」


 はた、と気が付く。

 責任を取る、とは。

 信長は目をつぶる。必死に笑いをこらえているようにも見えた。

 それまで泣いていた大和も吹き出してしまった。


「泣いたり笑ったり忙しい奴め」

「…………ばか」

「芸能界は無理でも。余のうままわりしゅうには入れてやろう」

「うま……うままわ……り……?」


 信長はオホン、と咳払い。


「平たく言うと余の側近(?)という意味にでもなるか……? ははは……」


 信長はぽりぽりと頰を搔く。

 大和は一瞬俯いたが、しかし太陽のような満面の笑みをたたえて顔を上げた。



「——是非に及ばず! だよ!」



 信長は満足そうに、こくりとうなずいた。



 ★ ★ ★



 いよいよ天井てんじょうに炎が燃え広がり始めた。


「さて。帰るか。令和に」

「帰るの……? いいの? あんた……この時代じゃ天下を取ろうとしてるんでしょ? 本当に悔いはないの?」


 信長は「そうだな」と前置きして、


「このままここにとどまり無双してもいいが。貴様だけ帰るか?」

「え~……あたし……だけ………………?」


 大和は信じられないという風に寂しそうな顔をした。

 はなをすんすんいわせる。


「信長……一緒に帰ろうよう……あたし……もうあんたがいない日常なんて……考えられないよう……一緒に……っ……一緒に……っ……!」

「……それが理由だ。まあ……この時代のほうの光秀に剣閃をお見舞いしてから去ってもよかったがな。どれ」


 信長が大和の足を縛っている坂倉の赤いスカーフにじっきゅう光忠みつただの刃を伸ばした。

 さっくりと切ってしまう。

 大和は信長がゴミのようにポイ捨てしたそれを、拾いにいった。

 信長が大和の小さな背中に問う。


「これから貴様はどう生きる。令和に戻り、またこれまでのような——」

「これまでには戻らないよ」


 信長は得心とくしんしたように。


「ほう……?」


 振り返った大和はニマっと笑った。


「また新しいことを始めるよ!」

「いたぞ——ッ‼」


 この寺には召喚士でもいるのか。

 何度目かの召喚で兵たちが御殿ごてんに飛び込んできた。

 大和は信長の前へと歩を進める。


「信長~! お願い、あたしを斬って~! ごろにゃ~ん☆」

「またちん台詞せりふだな」


 信長は染み渡るような顔をして口角を上げると。

 じっきゅう光忠みつただうならせて、大和を斬り捨てた——

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