第四章 砂漠の国ハシント

クロードの戦い


第四章 砂漠の国ハシント


 カルロスとハンスが、パルティアの街からなんとか脱出をし、エンテ山脈に入った頃……シュザンヌやクロードたち一行は、砂漠の国ハシントに向けての徒歩の旅を続けていた。ハシントに近づくにつれて、メルバーンの肌を刺すような寒さは若干弱まったものの、それでも、若干の寒さは感じられた。ハシントは、砂漠の国と一口で言っても、南北に長いので、南と北では、だいぶ気候も異なれば、夜と昼の温度差もあるのであった。

 それに、砂漠の国と言っても、砂砂漠ではなく、礫砂漠の国であり、雨の少ない、厳しい気候の国でもあった。

 毎日、徒歩で少しずつ進み、一行は夜は野宿をして過ごす日々であった。やがて、一行はハシントの国の南端を過ぎて、ようやくハシントに入国したことを知った。

 徐々に人とすれ違う頻度があがり、行商人や旅人とすれ違うことも多くなった。

「見た、クロード、さっきの看板!もうハシントに入国して2日目だけど、この分だと、クロードの言ってた、ルザークっていう市場のある町には、近いんじゃないかしら」

「そうだな、見積もってあと2日はかかると思うがな」と苦笑いするクロード。

「今日はどこかの宿には泊まれそう?」と、疲れが顔に出ているノエリアが懇願するような目でクロードを見て言った。

「どこかに宿ぐらいはあるだろう。ここらへんになってくると、ルザークで商売する旅商人も多いから、宿ぐらいはあると、昔王宮勤めの先輩から聞いたぞ」

「よかった~~!!」ノエリアが微笑む。

「よかったね、ノエリア。って、そういう私も、嬉しいけどね」

 そういうシュザンヌの肩掛けカバンから、ステファンが顔をひょっこりだし、「ミャア」とないた。クロードの圧縮魔法によって、持ち運んできた餌は毎日あげているから、すこぶる元気ではある。まあ、カーバンクルは雑食だから、放っておいても、勝手に餌となる生き物を自分で狩って食料にはしてくるだろうけれど。

「そうだ、最近、月明かりの夜でも、ハンスと通信できてないんじゃない?シュザンヌ」とノエリア。

「まあ、カーバンクルってのは、気まぐれでもあるから、通信させてくれない時もあるから、しょうがないけど」シュザンヌがステファンの頭をなでながら苦笑した。

「ハンスやカルロスさん、今頃何してるんだろう。けがなんてしてなきゃいいけど……」

「カルロスがついてるから、そこは俺は安心してるけどな。必ず、ハンス義兄さんを守ってくれてると、俺は信じてるぞ」

「そうね。あ、クロード、あれって、もしかして民家の灯りじゃないかしら?」

 やや斜め前方を指さすノエリアの方向には、確かに、煙突のようなものと、そこから出ている煙が見えた。

「行ってみるか」と言って、クロードがその煙のある方向へと向かった。

  一行がやや街道から外れて行ってみた先には、ノエリアの言った通り、民家……というよりも、旅人を迎え入れるための料理店のような家が何軒か建っていた。

「俺が中に行って様子を見てくるから、二人はここら辺で待ってな」と言って、クロードは二人に、同じく店の灯りにつられて寄ってきた旅人たちのいる場所に留まるように行って、一人、店の中を様子見しにいった。

 もちろん、その間、魔法も剣術も使えないノエリアを守るのは、シュザンヌの役目であった。何かあっても、シュザンヌの力量であれば、クロードの助けを呼ぶことぐらいはできるはずだった。

 10分ほどして、クロードが二人のもとに帰ってきた。久しぶりに、彼の青色の目がわずかに輝いて見えた。

「数軒回ってみたんだがな。中に、一軒、空きのある、宿屋も営んでいる料理屋を見つけた。今晩は、そこに泊まろう」

 この言葉に、二人の女の子は素直に喜んだのだった。

 異国の料理店ということで、出てくる食べ物も、メルバーンのものとは若干異なるものもあったが、クロードの心配をよそに、シュザンヌとノエリアは、どの料理もおいしそうに食べたので、彼はほっとした。

 その晩は、二部屋の予約をクロードが取ってくれたので、(お金はすべてクロードが出してくれた)、シュザンヌとノエリアは、彼におやすみを告げて、部屋に入っていった。

 二人の女性に見送られて、クロードは一人、自分の部屋のドアの前にたたずんだ。

 ドアノブに手をかけ、少しの間考え事をしてから、中に入る。

 ドアを閉めて一人きりになると、少し肩の荷がおりたのか、思わず「ふぅ……」とため息をもらした。部屋の中は、案外静かだ。しーんとして、外の音もほとんど聞こえない。灯りのついていない室内は、もう日も落ちたから、真っ暗で、そこには一種の情緒も感じられた。

 窓枠から漏れる月明かりを見て、クロードはふっと微笑んだ。

「今日も月が出てるな。まぁ、通信できるかは、ステファンの機嫌しだいだろうがな」

 そう思った。

 数秒後、クロードは、月明かりの漏れる窓枠のそばにある木のテーブルと椅子に腰かけ、部屋の灯りをともすことなく、じっとテーブルの上を眺めていた。

 そして、この旅に出てから、あるタイミングから彼が毎晩、こっそり始めた習慣――といっても、他の誰かには見せないように努めてきたものの――を始めた。

 小型ナイフを取り出して、自身の左手の小指に、切り傷を入れた。

 当然のごとく、そこからは数滴の血が、ぷくっと噴き出ては、静かに垂れる。ナイフは特殊なものを使用しており、それは普通のナイフではなくて、魔法のナイフであった。

 彼は、その行為を始める前に、テーブルの上に魔法陣をチョークで描いてあった。その魔法陣の上に、自身で出させた血が、2、3滴、滴り落ち、魔法陣に触れた瞬間、蒸発した水のように「ジュッ」と言って空気中に消えた。

「こっちは契約を守っているからな、ちゃんと約束は守れよ……」と誰かに呟くように言って、彼は魔法を詠唱して、小指の小さな傷跡を消した。

クロードは、過去の回想をしていた。彼がまだ幼い頃、そしてシュザンヌがまだ言葉もあまり喋られなかった頃、彼はシュザンヌの両親から、彼女を守ってほしい、と言われたことを。ヴェルナー伯父は、いずれ彼女が、両親を失い、ひとりぼっちになってしまうことを知っていたため、なおさら強く、クロードに、彼女のそばにいて支えてやってほしいと、そのお願いをしたのだった。

「伯父さん、ようやく、伯父さんの思いに応えられるチャンスともいえる時期が、巡ってきたようです・・・・・・この旅が、彼女にとっても、そして俺にとっても、大きな転機となるでしょうし。伯父さん、俺は、何があっても・・・・例え、悪魔と・・・・悪魔と契約することになろうとも、あなたとの約束を守るつもりです」

 彼は、誰もいない部屋で、血をたらしたあとの指先を、もう片方の手でにぎって、その感触を確かめつつ、そう呟いた。

 シュザンヌとノエリアは、今ごろ、何も知らず、隣の部屋ではしゃいでいることだろう。この旅の最後に、一抹の不安を抱えつつも、きっと明るく過ごしているのは容易に想像がつく。

 だが、「それでいい、」とクロードは思った。

「今は、まだ、それで。俺にも、この旅の結末はまだよく見えないが、彼女の未来を見る目があれば、きっとうまくいくのではないだろうか・・・」

 と、クロードは思った。

 その頃、隣の部屋で、案の定、シュザンヌとノエリアは、はしゃぎはしないまでも、楽しく過ごしていた。二人は、シュザンヌの得意とする、占い魔法・・・・といっても、魔法を使った、占いの遊びのようなもの・・・・現実と非現実が混ざり会う、まだ彼女にとって習熟しているとはいいがたい魔法で、遊んでいた。

「シュザンヌ、私、また悪い結果が出たわ!」

 ノエリアの、がっかりするような、悲しいやら、そんな声が部屋にこだまする。

「ノエリア、これで今日で3回目ね、ドンマイだわ」

「じゃあ、これで消すわね」

 ノエリアは、シュザンヌに教えてもらった、占いで悪い結果が出たときに、それを打ち消すための魔法の方法で、おまじないを唱えた。といっても、彼女は厳密にいえば魔力を使えないのだから、この方法を使っても、あまり意味はないのだろうけれど、シュザンヌによれば、心の平静を保つのには効果があるから、それでいい、とのことであった。

 ノエリアは、左下からバニシング・ペンタクル(過去の五芒星)を描いて、ぶんぶんと頭をふった。これで、悪い占いの結果を、気に病み、現実に悪い影響が出るのを防ぐというおまじないだ。

 二人は、トランプとタロットカードを組み合わせたカード占いをしていたのだが、何回やっても、ノエリアにとって、「最後までたどり着かない」といったたぐいの結果がでてしまうので、二人して困っていたところであった。

「私、旅の最後まで、一緒にいけるのかしら・・・・何があっても、あなたを支えるって、決めて、ついてきたのに、これじゃあんまりだわ」

「ノエリア、これはあくまでもただのカード占いだから。あまり気にしないで。ほら、あんまり気にすると、それが現実に悪い影響を出してしまう、って、前にも説明した通りだから・・」

 しかし、そう言うシュザンヌには、その結果が心に引っ掛かるものではあった。この占いには、彼女の魔力を込めて行っているため、あまりに明確にでた結果・・・今回のように、何度やっても同じ結果が出る場合など・・・には、ある一定の信憑性があることを、彼女は知っていた。しかし、親友のために、それは黙っていた。

「それより、シュザンヌ、今日は久しぶりにハンスと通信できてよかったわね!」

 床やテーブルに散らばったカード類を片付けながら、ノエリアが無邪気に言う。

「?ん、そうね・・・」

「どうだったの、ハンスの様子は?元気にしてたみたい?私にも、少しは通信の内容、教えてよ」

 ノエリアが軽く笑いながらあまりにせがむので、シュザンヌは話さざるをえなくなった。

「今日はステファンがいうことを聞いてくれたから、よかったけどね。実は、今日はハンスとじゃなくて、かわりにカルロスさんと話したのよ。なんでも、ハンスは、今日はそんな気分じゃないって・・・。なんでも、やっと、二人ともパルティアの町を抜けて、エンテ山脈に入ったそうで。でも、カルロスさんによれば、ハンスは、その道程で、ちょっと大変な目にあったみたいで、今はそっとしておいてほしい、って・・・。私、少し心配になっちゃった」

「そうだったの、それは心配よね。ハンスも、大きなことがなかったのならよかったのだけれど、あの明るいハンスが落ち込むぐらいだから、きっとよっぽどのことがあったのね。今度、数日あけて、今度は向こうからの連絡を待つぐらいがいいかもね」

「そうよね。私も、しばらくは、こちらから連絡するのは、控えようと思ってるの」

 そう言って、シュザンヌは再び表情を固くした。実は、カルロスから、あることを告げられたのだった。

『死霊の国に行くことだけは、今から覚悟しておいてほしい。ドラゴンのクエストがどうなるにせよ、いずれは、君も死霊の国に行くことになるだろう。君が、トリステスを治したいと望むのならば』

 と、カルロスは通信の中でそう言った。

 ドラゴンのクエストが終わったら、ハンスたちの死霊の国のクエストに、こちらも参加するという意味だったのだろうか、と彼女は考えたが、カルロスの暗い表情から、その言葉に含まれた意味は、それだけではないような気がした。

 しかし、彼女には、それ以上詳しく聞く勇気がなかった。

 それほどに、「死霊の国」の恐ろしい噂は、メルバーンの国の子供たちにとって、幼い頃から植え付けられている怖いおとぎ話の世界であった。

「でも、なおさら、それだったら、ハンスたちだけに行かせるわけには、いかないじゃない!私も・・・・!」

 と、シュザンヌは一人呟いた。カードを片付け終わったノエリアが、「シュザンヌ、今なんて?」と聞いてきたが、「なんでもない、気にしないで、ごめん」と彼女は言ったのだった。

次の日、クロード、シュザンヌ、ノエリアの三人は、宿屋をあとにし、ルザークの町へと向かうために歩を進めた。次の日は宿屋が見つからず野宿になったが、その次の夜は再びいい宿屋を見つけることができた。

 以下の文章は、シュザンヌが、野宿の夜、月明かりが出ていたので、ハンスと通信した夜の記録である。

 いつものように、コインを使って月明かりをカーバンクルの額に反射させ、簡単な儀式を行って通信を試みた。

 その日は、カルロスではなく、ハンスが出てくれたので、シュザンヌとしてはほっとしたのであった。

 夢の世界と現実の狭間のような、不思議な感覚の中で、シュザンヌの前に現れたのは、紛れもない、ハンスの姿であった。少し疲れたような、眠たそうな顔をしている。

「よう、シュザンヌ」

 と、ハンスはいつものように笑顔で手を掲げた。

「この前は悪かったな、俺の気分のせいで、お前と通信もできなくてさ」

 ごめん、とハンスは苦笑いしながら言ったのだった。

「気にしないで、ハンス。そういう日もあるから。それより、もう気分はよくなったの?」

「ああ、なんとか、な・・・。今、俺たち、山脈の中で野宿だらけのすごい生活送ってるんだぜ!シュザンヌにこの道程を行かせなくてよかったよ、シュザンヌにはとてもこんな道程は無理だろうから」

 そう言って、ハンスは軽く笑った。

「シュザンヌ、カルロスがな、俺にいろいろ話してくれたんだけどな・・・・・まあ、いいや、このことは、また今度話すよ。もし・・・もしだぞ?この旅の終わりで、俺とお前、さようならしなくちゃいけないことになったら、お前、どうする・・・?」

「え・・・?ハンス、どうしたの、急に・・・・」

「なんでもないんだ。ただ、聞いてみただけ」

「それは・・・・。私たち、将来を誓いあった仲じゃない。将来結婚するために、子供にトリステスを継がせないために、この旅にでたんでしょ。私、最後まで、諦めないつもりよ」

「いや、それは分かってるんだよ。俺だって、そういう未来を信じてる。いや、信じてた。けど、お前の命を助けることを最優先するならば・・・・」

「ハンス?」

「いや、なんでもない。そうだな、お前の言う通り。そんなこと、考えるのも間違ってるよな。それより、聞いてくれ。俺、この前、はじめて鹿の肉を食べたんだぜ!今までメルバーンにいたときは、食べたこともなかったんだが、カルロスが狩ってくれてさ・・・・」

 それ以降は、以前と同じような、明るい感じのハンスに戻ったので、シュザンヌはほっとしたのだった。

 ハンスは、野宿生活で得た生き抜くすべの新鮮さを、シュザンヌに語って聞かせた。

「・・・というわけなのよ。んで、お前の方はどう?ちゃんと、食事、とってるのか?まあ、クロードがついてるから、俺としては、安心してるけど」

「うん、クロードは、本当にすごくて。お金も持ってるし、魔法を使って、荷物を小さくして、持ち運びしやすくしてくれたり。やっぱり、クロードって、すごいな、って思った。帝国で学んだ魔法使いって、やっぱり、すごいのよ。私も、もし帝国で育って、そこで魔法を学んでいたら、また人生違ったのかもしれない、って思ったわ」

「そうか、よかったよかった」

「ねえ、ハンス。この旅の終わりに、何が待っているか、私にはわからないけれど、何が待っていたとしても、私のそばから、消えないでね。きっと、旅が終わったら、ずっと、一緒に、それこそ幸せに、暮らせるわよね?私、そう信じて、いいのかな・・・?」

「・・・たぶん、な。けど、俺といることだけが、幸せじゃないのかもしれないぜ。生きなきゃ始まらない。お前が死んでしまったら、幸福も不幸も、なにもあったもんじゃないだろ?俺は、最近、決めたんだ。お前と結婚することも大切だけど、それ以前に、お前のトリステスを治して、お前の命を助けることが、最優先だって。・・・もしかしたら、その二つは、同時には、叶えられないかもしれない。けど、きっと、いい円満な解決策が、見つかるさ。俺は、俺は・・・・・。そう、信じてるよ」

 そう言って、ハンスは、半ば泣きそうになっているシュザンヌの手をとって、悲しそうに笑って言ったのだった。

「俺は、いつでも、お前の幸福を祈ってるし、お前のためになりたいと思ってる。それに、俺だけじゃなくて、みんながいる。だから、お前の未来も、きっといいものになる。誰も、お前を死なせたくない、って思ってる。だから、それだけは、安心していてくれ。そして、お前も、生きることを、あきらめないでくれ」

 その言葉に、シュザンヌとしては、同じく悲しそうに微笑み返すしかできなかった。急にどうしたというのだろう。

 この前まで、シュザンヌとの未来を一緒に願っていてくれたハンスが、半ば諦め半分に言っているように聞こえたからだ。

「私にはよくわからないけど・・・。ハンス、ありがとう。その言葉、私、信じてるね。でも、私は、私は・・・・。私は、あなたとの将来、未来を、諦めたくないけどね。まあ、それでも、とりあえず、日々の生活、頑張るね」

「うん。それでこそ、俺の好きなシュザンヌだよ」

 そう言って、ハンスは、ちょっとかがんで、シュザンヌの額にキスをしたのだった。そして、そのあと、シュザンヌの手を離し、「じゃあな」と言って、シュザンヌの惚れた、明るい、まばゆいばかりの笑顔で、霧のもやの向こうへ、歩いて消えていったのだった・・・。

 その場に一人取り残され、通信を断とうとしたシュザンヌだったが、ハンスのくれた言葉に、喜んでいいのか、悲しむべきなのか、よく分からない気持ちになった。

 ハンスは、明らかに以前と、考えが違っている。きっと、カルロスから、なにか告げられたに違いない。きっと、なにかあったのだ。

「二つの願いは、同時には叶わないかもしれないって・・・・。ハンス、そしたら、もし本当にそうなったら、私は、どうしたらいいの・・・・?あなたなしで、どうやって生きていけばいいっていうの・・・?」

 そう呟いたシュザンヌの頬を、一筋の涙が、つぅーーっとつたったのだった。


 通信が終わっても、シュザンヌは、その内容を、ノエリアには告げなかった。ただ、ノエリアが寝静まったあと、彼女を起こさないようにしつつ、クロードにだけは、説明をしたのだった。

 一通り、シュザンヌの報告を聞いて、クロードは少し真剣そうな顔をした。

「なるほど、それで、君は、ハンスにカルロスが何か言ったんじゃないか、と推測した、ってわけか」

「うん・・・・。そうじゃなきゃ、ハンスがあんなこと言うわけないもの」

「まあ、確かにな。その内容は、俺にも気になる部分はある」

しかし、クロードも、それ以上はなにも言わなかった。

 シュザンヌも、深くは聞かず、自分の寝床へそっと戻り、ノエリアが寝ているのを再度確認し、自分も床についたのだった。

 その日、シュザンヌは不思議な夢を見た。

 幾面にも貼られた、ガラス張りの空間。いや、違う・・・・・・と、シュザンヌはそのガラスのようなものに右手をそっとふれて思った。

 違う。これは、ガラスじゃなくて、鏡だ。

 そう、彼女がいたのは、鏡でぐるっと囲まれた空間であった。自分の姿が、嫌でもその鏡にうつっている。鏡の奥の奥を見渡して、思わず彼女は自分を見失いそうな錯覚を覚えた。ーー閉じ込められたのか?・・・そう思ったら、鏡に手を触れて進むうち、出口のような場所が開けているのに気がついた。空いているスペースが、鏡の中に紛れてあったのだ。しかし、やった、と思ってその開けた細い道を進んでも、そこにはまた鏡の迷宮がつながっているだけであった。

 彼女は半ば途方にくれてしまった。今まで、このような夢・・・・迷子になるような、よく分からない夢・・・・・は、見たことがないわけではない。しかし、今回の夢はどこか違う。そう思った根拠は、その夢に、感触や五感が、いつもより鋭く感じられるように思えたからだった。手のひらで触れた鏡の冷たさの感触は、現実と同じぐらいだった。

 彼女の背丈よりずっと高い鏡の中を、彼女は進んでみることにした。6角から8角形に並んでいるであろう鏡を1枚1枚手で探り、偽物とわかったところ・・・・すなわち、開けている箇所を見つけたら、そこに歩を進める。

 しかし、それを繰り返すうち、彼女は出口を探すのが嫌になってきた。憂鬱というのか。きっと、本当の出口なんて、ないような気がした。それは分かっていた。

「シュザンヌ」

 と、そのとき、誰かの声がした。天井から聞こえるような声。男性の声だ。でも、どこか幼い感じも含まれている。

「それは、君の、さよならへのプレリュードだよ。序曲なんだ」

 それは、どういう意味・・・・と聞き直そうとして、口を開きかけた瞬間、彼女は目を覚ました。遠く・・・目の上で、木の上で、小鳥が元気に鳴いている。太陽の眩しさに、彼女は油断していたため、目をやられてしまい、思わず「うっ」と言って、手で目をおおった。

「おはよ、シュザンヌ。昨日は寝れなかったみたいだけど、そのわりに早く起きたな」

 と、一人早起きして、二人のために朝御飯のスープを作ってくれていたクロードがぽつりと言った。

「わるいわるい。起こしちゃったかな」

「・・・ううん、大丈夫。ありがと、クロード。・・・・おはよう」

 そう言って、彼女はゆっくりと立ち上がった。

 あれは、夢だった。そう、夢だったのだ。しかし、それにしては、なんとリアルで、現実味を帯びた夢だったことだろう。しかも、いつもなら夢の内容は、占いのための魔法を使わずにいたら、起きたら3割覚えていたらいい方なのに、彼女は、昨日見た夢の内容を、ほとんどすべて、はっきりと覚えていた。脳に刻み込まれたかのように。

 クロードに話そうかとも思った。しかし、彼女は、なんとなく黙っておくことにした。

 その日の午後、一行はルザークの街の中に到着したのだった。いわゆるバザールのような街で、行商で成り立っているような街であった。

「さよならへのプレリュード、かぁ……」と、賑やかな市場を歩いている時、シュザンヌは呟いた。えっ、とノエリアが困惑する。

「シュザンヌ、今なんて?」

「ううん、なんでもない」

「二人とも、俺のそばから離れるなよ。ここは礫砂漠を旅した行商人が多く立ち寄る町でもあるし、旅人も多いが、その分盗賊や、危険な輩が多い町でもある。その分、裏の情報も手に入りやすいがな。それこそ、俺らが求めている、ドラゴンについての情報とかも含まれているが。とにかく、この町で、ドラゴンの里への入り口の情報を、なんとしても手に入れよう」

「私にできることがあれば、なんでもいって、クロード!私、全然役に立ってないから」と、シュザンヌが落ち込んで言う。

「お前は、死霊の国の奴らから狙われている面もあるし、そこまで無理しなくていい。ノエリアも、俺やシュザンヌから、離れるんじゃないぞ」と、クロードが、シュザンヌの頭に手をポン、と置いた。

「ありがと、クロード」

「うんうん。お前はそれでいい。それより、今日から、この町にしばらく滞在して、聞き込みでもするかな……」

 三人は、クロードの指示通り、三人一組でまとまって、様々なお店を回ることにした。お店と言っても、固定されたきちんとした店舗は町の郊外に多いようで、中心のバザールは、掘っ立て小屋のような、ある期間のみに作られた簡易店舗のようなところが多かった。色とりどりの衣装を着た行商人の、並べるテーブルに置かれた、ユニークな商品の数々。どれも、メルバーンの国からほとんど出た事のないシュザンヌとノエリアにとっては、見るだけで楽しく、物珍しいものばかりであった。

 怪しげな煙をあげている、緑色の透明な綺麗な瓶に入った液体の魔法の薬の数々、メルバーンの国では獲れない色とりどりなフルーツ。中には、魔法の材料になりそうなものもある。年季の入った古書を扱う、旅する行商人の開く、期間限定の店もあった。どうも、クロードと同じく、魔法で本を圧縮しては、大量の本を持ち歩き、年に数回、こうしてバザールで店を開くのだという。

 そのような古書を扱った店舗に、クロードは足を傾けた。それは、バザールで情報収集を始めてから2日目のことであった。

 いつものように、店主に話しかけるクロードは、旅の目的はあくまでも明かさずに、ドラゴンの生息地について、さりげなく聞き出そうとした。情報をくれたら、それ相応のお礼のお金は出す、と言いながら。

 シュザンヌは、そんな従兄の様子を見て、やはりある一定のお金を持っているクロードは、もう大人なんだな、と感じた。当たり前のことだが、彼はすでに何年も働いている。一方で、彼女といえば、まだメルバーンから出たこともほとんどなく、働いたこともない。(そのための訓練ならば、フェリクス先生からも、ある程度受けてきているのだが)

 将来を、占い魔法でぼんやりと生計を立てようと考えていた彼女と、すでに王宮で雇われてエリート魔法使いとして働いている従兄との違いを、彼女は感じずにはいられなかった。

 銀貨を片手に、交渉を続けるクロードは、幾度がそれを店主に渡して、代わりに情報を得たこともあった。

 三日間で、四回、従兄は銀貨を渡し、その後、その情報がガセであることにのちのち気付いたのだった。なぜなら、銀貨を渡した次の日、その簡易店舗の姿はなく、店主が町から逃げ出していたからである。お金は、もちろん持ち逃げである。

「またやられたな」と、クロードが頭をかきながら苦笑した。

「でも、案外ガセの情報じゃなかったかもよ。今まで集めた情報を整理してみましょうよ。本当のことを言って、でもやっぱりそれがばれるのが怖くなったから、逃げ出したのかもしれないじゃない」と、ノエリアが励ますように言う。

 シュザンヌには、それはただの励ましではなく、幾分かの真実も含んでいるかのように思えた。

「そうよ、クロード。ノエリアの言う通り。ちょっと休憩して、あそこのベンチに座って、考えてみない?」

「そうだな、それもいいな」

 三人は、さんさんと降り注ぐ陽光の中、町の喧噪を眺めながら、木のベンチの一つに座った。三人が座ると、ちょうどいっぱいになるぐらいの大きさのベンチだ。ノエリアが、町の市場で買った、ラムネのようなものが入った瓶をクロードに渡して、「ちょっと休憩しましょ」と言って、微笑む。

 ノエリアから受け取ったラムネを一口、二口飲みながら、クロードはため息をついた。

「一件目の情報について。『ドラゴンの里は死霊の国からのみ行くことができる。したがって、普通の人間に行くことはできない。これがその死霊の国からドラゴンの里へつながる手がかりを記した地図である』そう言って店の店主から5ギニーで買った地図の内容。魔法によって、明日その地図が紙から浮かび上がってくると言われ、次の日になり、浮かび上がってきた地図は、死霊の国のものではなく、別の国の詳細な地図を模写し、適当に地名を変えただけのものだと判明した。その地図を渡した店主は、お金を受け取った次の日に町から失踪した」

 クロードが旅行鞄から、嫌そうにその地図を引っ張り出す。店主が失踪したのを不審に思ったクロードが、魔法で圧縮して持ってきていた、諸外国の地図が載っている分厚い本から、見覚えのあった地理をかたっぱしから調べ、地図の不正を暴いたのは、店主が失踪した日の翌日の事だった。

「他の三件も、似たような感じね。どれも手口は全然違うし、騙す方法も違うけれど、根本的にどれも共通しているのは、『ドラゴンの里へは普通の人間には行けない』ということだったわ」とシュザンヌ。

「そうだな」

「そもそも、ただでさえ希少と言われているドラゴンの里への直接の行き方を知っている人間が、ここにいる確率の方が、かなり低いと考えて、直接的に情報を知っているという人は、信用しない方がいいんじゃないかしら。それより、『確かなことは言えないが、なんとなくなら、聞いたことがある』みたいな、断片的な情報を持っている人の方が、信用できると思う」と、ノエリアが神妙な顔をして言った。

「それはそうだな。ノエリアが正しい。そもそも、俺がこのルザークの町に来たのも、ガセ情報が多いだろうことは想定していたものの、そういう断片的情報をいくつかでも聞けないか、ぐらいで思って来たのもあるが……しかし、ここまで、情報自体の件数が少ないとはな。困ったものだ。俺の予想では、エルフの公募に出されているのもあって、もっとドラゴンの話題でにぎわっていると思っていたのだがな」

「ドラゴンの髪の毛の公募、やろうと思っている人、案外少ないのかもね。公募は他にも無数にあったし、そんなおとぎ話の域をでないほどレアなドラゴンの公募を見た時点で、みんな諦めちゃったのかも……」

「どうだかな」と言って、クロードが両手を頭の上で組み、ベンチにもたれかかる。

「そこの紳士淑女の方々」

 日差しの強い中座っていた三人をおおうように、一人の男の影が三人にさしかかった。肌は日焼けしていて、髪は短く刈り込んである。屈強そうな男だった。

「どうも、お三方は南の方からルザークにいらっしゃった旅人とお見受けする」その男が、にこにこした顔で言う。

「出身地についてはお答えできませんが、はい、我々は確かに旅をしております。その途中でこの町に寄ったのも事実です」

 そういって、クロードはベンチに座り直し、手を膝の上で組んだ。

「その旅の目的はドラゴンに関するものでお間違えないかと――?」男がペコリと深くお辞儀をした。

「我々が、ドラゴンの情報を聞いて回っているのが、すでに噂になっていますか?」とクロードが苦笑して言う。

 男はちらっと笑みを見せ、

「ええ、まぁ、こちらには、お三方のお役に立てそうな情報を持っている方を知っていまして。その方が直々にあなた方に会いたいとおっしゃっています。どうか、その方に会っていただけないでしょうか」

 クロードだけでなく、ノエリア、シュザンヌも、三人とも、「また騙されているのだろうか」という思いはあったはずであった。しかし、どんなものでもいいから、手掛かりとなる情報が欲しいのもまた事実であった。

「そのお申し出はありがたく存じますが、あいにく我々は―――」とクロードが言いかけた途端、

「その方に会わせてください!私はノエリア、ノエリア・ギヨンと言います」と、ノエリアがベンチから立ち上がって、その男に言ってしまった。

「ノエリア、あんまり本名を旅の途中で口にするなって……」と、クロードがノエリアにささやく。思わず、彼女を止めようと、彼はノエリアの手を引いて、ベンチに座るよう言ってみた。

「クロード、止めないで。今までとは違うタイプの情報が手に入りそうじゃない。その人に、会ってみましょうよ!今は、どんな情報でもほしいでしょ。たとえその情報が違っていたとしても、それでもそれも覚悟の上で、探してみないと、見つかるものも見つからないわ。質より量で勝負よ。下手な鉄砲も数撃てば当たるっていうじゃない!」

「お嬢さんによれば、我々の情報は、どうやら嘘と思われているようで」その男がにこやかな笑みを崩さず言った。

「あっ、いいえ、とんでもない。ただ、そういう可能性もあるってことで……。私たち、なにぶん、この三日間で、かなり騙されてきたものですから……」と、ノエリアが顔を真っ赤にして言う。

「いいんですよ。お気になさらず。我々の情報は、実はドラゴンに関するものからは少し離れたものでして。ドラゴンの里についての情報はないのですが、ユニコーンに関する情報を持っているのです。それをあなた方に提供したいと、その方がおっしゃっています」

「ユニコーンね、なるほど」とクロードが言った。

「伝説というか、噂には聞いています。ユニコーンの中には、ドラゴンと通じるものもいる、と。貴方は、そのことをおっしゃっているのですね。まずユニコーンに会って、そこからドラゴンへ通じる手がかりはないか、探してみるのも一興、ということですか」

「ええ、まさにおっしゃる通り」

「分かりました。そのお話、お伺いしましょう。ただし、その方に会いに行くのは、俺一人で……」

「いいえ、私たちも行きます!」とシュザンヌ。

「お前たちは危ないからここで待ってろよ」とクロードが二人にささやいた。

「私にもできることはあるかもしれないわ!役に立てるかもしれない。行ってもいいでしょ?」シュザンヌは引き下がらない。ノエリアも頷く始末だ。

「分かった……ただし、俺から絶対に離れるなよ」

 そういって、3人はその男に案内されて、バザールの町の喧噪からやや離れた、街の中の路地裏のようなところに入っていった。と言っても、乾燥した赤茶色の土でできた建物が多く立ち並ぶため、日がややかげって、少し薄暗いだけであったものの。

 15分ほど歩いて、三人はとある4~5階建ての建物の中に案内された。

「ここがそのお方の住むお屋敷です。どうぞ、中へ。靴はもちろん、履いたままで結構です」

「分かりました」と言って、クロードがまず先に入る。

 雰囲気の良い玄関だった。観葉植物のような縦に長い植物が、玄関口の左右に飾られている。赤茶色というより、レンガ色、オレンジ色の、落ち着いた雰囲気の壁には、いくつかの小さな絵画が飾られており、それが、その「お方」の財力を示しているように感じられた。

「どうぞ、奥へお進みください」と、男が手で指し示す。

 クロード、ノエリア、シュザンヌの順で中へ進んでいく。少し長めの廊下だ。クロードは、相変わらず、表には出さないが、警戒は解いていない。

 召使いと思われる二人の女性が、廊下の終わりを告げる、大きめの扉を静かに開けた。扉には、草模様の装飾。

 扉を開けた先には、中央に鎮座された、立派な椅子に座る、一人の男がいた。左右には、二人の、少し変わった衣装を着た男が、二人立っている。

 中央の男が、クロード達一行を見るなり、椅子から立ち上がって、両手を広げ、歓迎の意を示した。歳は30代か40代半ばだろうか、まだ若いが、ある程度歳をとっていることは伺える。

「ようこそ、いらっしゃいました、クロード様。お話は伺っております」

「こちらこそ、お招きいただいてありがとうございます」クロードが、ちょっとした違和感を感じつつも、挨拶を返した。

「見たところ、お連れ様お二人は、女性のようで」

 その立派なマントを着た男が、ノエリアとシュザンヌをじろっと眺めた。

「これはいい商品になりそうですね」と、その男が言った瞬間、召使いの女性二人が、3人の後ろの、入ってきた大き目の扉を、手早くしめ、ガチャンと大きな音をたてて、鍵をしめた。

 とっさに、クロードが、ノエリアとシュザンヌ二人の手を握る。そして、二人を自分の近くに引き寄せた。

 よく見れば、男の背後にあった隠し扉から、武装した男たちが、7~8人、ぞろぞろと出てきた。みな、盗賊風情の恰好をしている。今までの温厚そうだった部屋の雰囲気が、一気にガラリと変わる。

 ノエリアが、「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。一方のシュザンヌは、戦闘態勢に入った従兄の雰囲気を察知し、自分も、魔法の剣を出して、役に立とうと、詠唱を始めたところだった。しかし、いかんせん、困ったことに、シュザンヌの魔法の力量では、詠唱しだしてから2~3分しないと、剣を出すことはできない。彼女はもともと戦闘系の魔法なんて習っていないし、魔法の訓練も、たいして受けていないのだ。

「シュザンヌ、やめろ、ここは俺がなんとかするから、お前はノリエアを連れて、部屋の隅へ……っと!」

 クロードが指示を出そうとしたとき、武装した盗賊の一人が、うなり声をあげて3人につっかかってきた。

 クロードは、ちっと舌打ちし、「シャインソード」と小さく呟いて、右手に、彼自身の魔力を使ってできた光の剣を作り出した。しかし、その一瞬、彼は右手に握っていたノエリアの手を、離した。

 クロードは、剣を片手に、二人の前に立ち、かばうようにして、その男と応戦した。クロードと、数人の男が、キーン、という音を立てながら、剣で応戦していく。

 シュザンヌは、はっとして我に帰り、とっくにやめていた詠唱のことは忘れ、ノエリアの手を引いて、部屋の安全なスペースへ逃げようとした。しかし、召使いの女性二人も、気づけば長い槍のような剣を手にして、じりじりと二人にせまってくる。

 クロードの方は、一計があったので、それをすることにした。彼の強力な魔法の剣なら、盗賊の男たちの持つ、金属でできた普通の剣ごと切ってしまうのは簡単であった。

 彼は、魔法の剣で彼らの剣をはじき、剣ごと切り伏せつつ、詠唱を始めた。

 片手で剣を、片手で詠唱のための魔法陣を、空中に描く。

「我、詠唱せす、ここに誓う、来たれ、イフリート!」

 キーン、キン!と、刀がぶつかりあう音の中で、部屋の中に、とどろきのような轟音とともに、ゆっくりと炎の魔人がむくむくと立ち上がった。魔人からは煮えたぎる炎の熱気がしているし、立ち上った幽霊のような炎の魔人の後ろには、縦に長く伸びる影が、不気味に部屋の壁を覆いつくす。

「イフリート、頼んだ!シュザンヌとノエリアを守ってくれ!」と、ひらりと盗賊の剣を交わしつつ、クロードが言い放つ。

 影のような、見るも恐ろしい魔人は、一瞬、彼の言葉にうなずいたように見えた。

 イフリートの手と思われる部分が、シュザンヌとノエリアを襲おうとしている二人の女性の召使いを薙ぎ払う。

 盗賊団の一員であったその二人の女性は、イフリートの炎で焼かれ、ひどい悲鳴をあげて、黒焦げの死体になった。

 イフリートは、若干動きが鈍いものの、その火力では、並大抵の敵なら太刀打ちできないはずであった。なにより、この魔人は、クロードと契約しており、彼自身の魔力をもらって動いている。

 シュザンヌは、イフリートに周囲を炎の盾のようなもので守ってもらいつつ、恐怖でおびえる友人の手を握りつつ、考えていた。従兄が、残りの盗賊団の全員をやっつけてくれるかもしれない。けれど、もしものことがあれば、自分が、ノエリアを守らなければならない、と。

 クロードのような魔法使いの使う、魔法の剣は諦めて、彼女は、盗賊団の女が持っていた、今は地面に放りなげられている金属の刀を手にとった。そして、片方の手で友人の手を握り、片方の手で剣を構える。万が一、敵が襲ってきてもいいようにである。

「イフリート、ありがと」と、シュザンヌが炎の魔人にそっと言った。クロードがこの魔人と契約しているのは、彼女が子供の時から、従兄から見せてもらったことがあったので、知っていた。しかし、以前に見たときより、この魔人の炎の威力が一段と増しており、すごみを増しているのを、彼女は肌で感じた。オーラが違う。炎の熱量も違う。

 従兄は、あの時から、ずいぶんと、炎の魔人の力を、よりうまく貸してもらえるようになったのだ、と思った。

 クロードは、にやっと笑うと、彼の全神経を、刀のほうに手中させた。シャインソードで、光の剣で、次々と、部屋の隠し扉から湧いて出てくる盗賊を、斬っていく。

 しかし、その様子を見ていた、中央の男のそばにいた二人の、唐草模様入りのマントを着た男が、クロードに向かって何か唱えたように思えた。

 その様子を目の端でとらえたクロードは、剣の手をとめ、素早く後退した。

 直後、彼がいた場所に、炎の柱が立ち上がる。床が黒焦げになっていた。

 若干息を切らした従兄は、油断ならないというふうに、その男を見た。

 どうやら、異国の魔法使いらしかった。唐草模様のマントの下からのぞく手が、一風変わった魔法陣を作る。もう一人の男が、呪符のようなものをかかげて詠唱を始める。

 クロードは、盗賊団の下っ端の男たちをかき分け、その異国の魔法使いのもとに駆け寄って応戦しようとした。嫌な予感がしたからだ。だが、たどり着こうにも、それを阻む男達の数が多すぎる。部屋の奥の隠し扉から、ひっきりなしに出てくるのだ。

 1分ほどの詠唱を経て、その二人の魔法使いのそばから、女性のような姿をした、長い髪をもつ炎の精霊が出てきた。ブリギットだ、とクロードは思った。

 詠唱を止められなかった。それを、彼は悔やんだ。

「炎の精霊よ、イフリートと戦え!炎の精霊使いは、こちらにもいることをしらしめろ!」と、異国の魔法使いが、ブリギットに命じる。

 炎で全身を覆われた、長い髪の女性の精霊……ブリギットは、にやりと笑うと、イフリートに向かって突進していった。

 ブリギットは炎の剣を手にしていた。その姿は戦いの女神といったところか。

 力は、クロードの召喚したイフリートの方が上に思えた。だが、ブリギットは、二人の魔法使いによって召喚されている分、力が増しているようだ。

 クロードの知る限り、二人がかりで召喚する魔法使いは見た事が数回しかなかった。

 彼は、自分の持つ魔力を、よりイフリートに注ごうと思った。しかし、召喚を終えた二人の魔法使いが、今度は魔法の剣を召喚して、彼に切りかかってきた。こちらにも魔力を割かなければいけない。彼は素早い選択を迫られた。

 二人の魔法使いと斬り合いをしつつ、彼はイフリートに守られているシュザンヌとノエリアの身を案じていた。

 なんとかしなければ。あちらは丸腰の女性二人と考えてよい。シュザンヌは、事前に準備しなければ、あまり戦闘系の魔法は使えない。

 彼の目算通り、異国の魔法使い二人はなかなか手強く、他の下っ端のように、簡単に切り伏せられてはくれなかった。

 1対2では分が悪い。彼はそう感じた。

 突如、部屋に悲鳴があがった。ノエリアの悲鳴だ。

 はっとして、クロードは後ろを見た。イフリートと戦うブリギットの交戦中、弱くなってしまったイフリートの、守護するための炎の壁が薄くなってしまっていた。その間をくぐって、そっと盗賊の一人がシュザンヌとノエリアに駆け寄り、人質にとろうとしたのだ。

 シュザンヌは、手に持っていた剣で応戦しようとした。しかし、剣術の術も良く知らない彼女で、相手になるはずがない。

 シュザンヌは、なんとか簡単な魔法を使って、持っていた金属製の剣に魔法を少し注いだ。おかげで、彼女はなんとか盗賊に捕まらずに済んだ。しかし、ノエリアをかばおうにも、そこまでの余裕はなかった。

 ノエリアが、なだれこんできた盗賊の一人に捕まったのは、時間の問題でもあっただろう。彼女は両手を縛られ、人質となってしまった。

「動きを止めろ、黒マントの魔術師!」と、ノエリアを捕まえた盗賊が、声を限りに叫んだ。

 その声で、異国の魔法使いと応戦していたクロードが、ぴたりと剣を止めた。

「この女の命が惜しければ、今すぐ剣を捨てろ!その金髪の女もだ!」

 言われて、シュザンヌは剣を構えつつ、どうするべきか迷い、従兄を目で追った。

 イフリートは、ブリギットと戦っている最中で、二人を助けられない。

 自分一人ならまだしも、この状況下でシュザンヌとノエリアを助けつつ戦い続けるのは無理だと察したのか、従兄は魔法の剣を消し、両手を肩の上に掲げた。投降の合図である。

「ふん、それでいい」と、盗賊の一人が言った。

「この二人の女は異国に売り飛ばす。お前も売り飛ばしたいところだが、見たところ一応の実力を持った魔術師らしい。厄介な魔術師風情は商品にはならないだろう。お前は売らないでやる。その代わり、この二人の女のことは諦めて、ここから立ち去れ。いや、この町から立ち去るんだ。それなら、お前を殺さないでやる。異国の女は高値で売れるだろう。そうだ、お前、お前自身もいくらかの金は持ってるんだろう。所持金は全ておいていけ」

「――分かった」従兄は、静かにそういうと、胸ポケットから財布を取り出し、静かに床に置いた。

「えらく物分かりがいいな。ここを去る決心はついたのか?え?二人の親友を見捨てて逃げる覚悟もできたか?」

 従兄は、一瞬動きを止めたように思えたが、静かに、「ああ」とうなずいた。

 シュザンヌは、従兄が決して自分たちを見捨てないことを知っていた。それに、なにより、この盗賊団は、従兄の実力や、従兄が属している仕事の地位の高さなどを知らない。クロードからすれば、人質二人がいるからといって、きっと助けに来てくれる。シュザンヌはそう確信していた。ノエリアも同じだった。

「そうか。じゃあ、お前はとっとと帰れ」

 クロードは、囚われた二人の親友をちらりと見て、すぐに目をそらし、館から去っていった。

 従兄が考えていたのは、助けに行ったとしても、二人を盾に取られれば自分は身動きがとれなくなるし、詠唱なしの魔法が使えると言っても、チャンスは一度きり、もし失敗すれば、魔法を使ったことがばれ、最悪二人が殺されることも頭に入れておかなければいけないということだった。いつもは、基本最低でも2名以上のチームで任務にあたることの多いクロードであったが、(もちろん単独任務もあったが)、今回は、早めに救出に行かねばならないことも分かっていた。

 奴らは盗賊団を名乗っていたが、実質人身売買もするようなかなりの極悪人のグループということに間違いない。金髪と茶髪の、シュザンヌとノエリアは、異国人として、早く助けに行かなければどこかへ売られてしまうだろう。

 今夜だ、と彼は思った。

 今夜中に、助けに行かなければ。それ相応の準備をして、さらに計画の作戦も立てて。

 もちろんだが、救援を呼ぶ時間などない。そもそも、今回の旅だって、詳しい目的や行先は、仕事の同僚には告げていなかった。上司にだけは、それとなく報告し、相談したのだが………。

 さらに厄介なのが、シュザンヌがトリステスを持っている事を知られたら、さらに従妹の身が危ないだろうということだった。なんでも、メルバーンや帝国以外の異国では、トリステスを持つ者を、高値で取引するような風習もあると聞く。

 シュザンヌが、やたらと魔法を使って抵抗し、トリステス保持者であることを露見しなければいいのだが……と、クロードは一人心配した。

「これは、悪魔の力を借りるしかないな」と、盗賊団のアジトからかなり離れた、ルザークの町の市場に戻ってから、彼は言った。アジトの場所は、一種の魔法の力で、すでに特別な術の施した地図に示してある。二度目も、迷わずに行ける。これは、尾行や探索の任務を行ったことのある従兄には、造作もない事だった。

 彼は、とりあえず人目のつかない路地裏の片隅に行き、3人がついさっきまで、この町に滞在する間に泊まっていた宿屋の部屋に入った。本当は、あと3日ほどは、この宿屋にいる予定だった。

「おや、お連れ様のお嬢さん方二人はどうなさいました?」と、宿屋の受付のおばさんが、不思議そうに、単身のクロードに尋ねる。

「ああ、ちょっと、私だけ、気分が悪くて部屋で休もうと思っていまして。二人は、まだ市場で買い物をしていますよ」クロードは必死に笑顔を取り繕って言った。

「そうですか。ご無理なさらずにね」

 クロードは自室に入ると、毎晩のようにしている儀式……といっても、簡単なもの……悪魔ナベリウスと契約してからというもの、毎晩かかさずに行っていることを始めた。

 魔法のナイフで、自分の左手の小指……魔法の中では、自分の心臓を意味する指……に切り傷を入れ、2,3滴の血を、テーブルにチョークで描いた魔法陣の中に入れた。

「悪魔侯爵ナベリウス卿、今日は力を貸してもらおうか」と、彼は言った。

 以前に呼び出した時……シュザンヌの魔力をハンスに渡した時……は、黒い鶴の姿をしていたナベリウスであるが、その後クロードと本契約をした彼は、今や異形の姿をしていた。黒い二つの目、憎悪のこもったまがまがしい力……をあらわしたような姿である。黒い入道雲のようとも言える。黒い霧の塊のような感じだ。

「小僧、我を実戦で使うのは初めてだな」

「そうだな、ナベリウス侯爵」

「代わりに、貴様の魔力もしくは寿命の一部をもらうが、それは分かっているはず。いいんだな?」

「ああ、場合が場合だからな。救援を呼んでる暇もないし、人質をとられている。ナベリウス候の力を貸してもらう」

「状況をざっと説明しろ、小僧」

 そこで、クロードはナベリウスに、ざっと今の状況を説明してみせた。

「分かった。その状況下では、吾輩の力を貸すにしても、お前の寿命の100分の1もしくは、一日に消費する魔力の80%を、すべての戦いが終わった後にもらう、で手を結ぼう」

「――分かった。じゃあ、シュザンヌとノエリアを助け出した後、俺の魔力の80%を渡す。それでいいな」

 ナベリウスが頷く。

「じゃあ、早速、今夜、しかけるぞ」

 言って、クロードは自身のトランクケースの中の魔法具の準備や、自身の計画の確認などを始めた。

 少しして、日も沈み、クロードは軽食をとって、宿屋を出た。

 一方その頃、捕らえられたシュザンヌとノエリアは、縄で両手を縛られ、さきほど二人が連れられた、盗賊団の頭のいる部屋の奥の小部屋にいた。二人の見張りが、ドアの前で立っている。

 彼女にも策はあった。言葉に出して詠唱して2~3分かければ、魔法の剣を出すことができる。そして、従兄のように、言葉なしの詠唱をするには、彼女はさらに30分から40分の、心の中での詠唱が必要だった。

 しかし、言葉なしの詠唱であれば、見張りには気づかれず、手の縄を切ることができる。

 従兄が助けに来た時に、なにかしらの役に立つだろうし、足を引っ張らないで済む可能性が高い。

「ノエリア、これからしばらく、私には話しかけないでちょうだい」と、彼女はノエリアにささやいた。

 ノエリアは少し不思議そうな顔をしていたが、コクンとうなずく。詠唱を心の中でするのには集中力がいる。シュザンヌの魔法力では、話しかけられると、詠唱が中断してしまうのだ。

「えらく静かだな。ま、見張るにはちょうどいいがな」と、しばらくして、見張りの一人の男が言った。

 30分ほどして、シュザンヌはようやく詠唱がうまくいき、魔法の剣が出せるようになった。しかし、タイミングが重要だ。下手に剣を出して縄を切っても、彼女一人では、ここにいる敵を全員倒して、この館を抜け出すのは不可能に近い。従兄が助けに来た時に、魔法を使うのだ。

 ところが、詠唱の準備が整ったその瞬間、一瞬だけ、シュザンヌの右手の甲のトリステスが、ぼうっと赤く光った。

 運悪く、それを見張りの男が見ていた。

「ん?お前、今手が一瞬光っただろ。何かしたのか。見せてみろ」

 男がシュザンヌの右手をつかむ。シュザンヌが「放して!」と抵抗してみせたが、無駄だった。

「これって……。おい、魔術師を呼べ」

 少しして、従兄と戦っていた、異国の魔法使いが呼ばれた。

「おい、この紋章ってなんなんだ?さっき、小娘の右手のこの印が、赤く光ってたのを見たのだ」

「これは……」異国の魔法使いが、しげしげとシュザンヌの右手の甲を見る。

「これは、トリステスという、魔法使いの家系にのみ現れる呪いのようなものですね。この国ではすでに廃れていますが、南の国の方では、まだ残存していると聞く。にしても、いいものを見つけました。これは上に報告しないと。トリステスを持つ者は、死霊の国で高く売れるそうですし。普通に売るより、高値で売れるでしょう」

 シュザンヌは自分の耳を疑った。“死霊の国”で売る、と確かにこの魔術師は言った。その言葉が信じられなかった。

「マジかよ?分かった、俺から上に報告してくる。あんたは、俺に代わって、この二人の小娘を見張っていてくれ」

「承知した」

 見張りの男が上機嫌で小部屋を出て行った。

「――ということは、あなたは、多少は魔法が使えるようですね。何か、仲間に助けを呼ぶような魔法を使いましたか?」

 と、異国の魔法使いが、シュザンヌに尋ねる。

「そんなことしてないわ。それに、クロードなら、そんなことしなくても、絶対に助けに来てくれるもの」

「ふむ、まあいいでしょう。私の見立てでは、あの男は、きっともうこの国から抜け出して、逃げ出しているでしょう。決して助けは来ない。まあ、せいぜい無駄なあがきをしなさい」そういって、魔法使いがにやりと笑う。

 なによ!こんな男より、従兄の方が、何倍も実力は上なんだから!と言いたくなるのを我慢して、シュザンヌは、魔法の剣を出す詠唱のことが魔術師にばれなかったのに安堵した。しかし、ばれなかったからといって、それでなんになるのだろう?シュザンヌでは、たとえ剣を召喚できたとしても、この男相手では、手も足もでないのだ。

 しばらくして、部屋から出て行った見張りの男が戻ってきた。

「決まった!その金髪の小娘は、2日後、例のルートを通って死霊の国へ売り払う!その茶髪の子は、明朝、いつものルートでガーレフへ売り払うことになった」

「そうか、承知した」

 男たちの言葉に、一瞬二人は凍り付いた。どうやら、明日の朝には、まずノエリアが、ガーレフ皇国へと売り払われるという。従兄は、はたして本当に、明日の朝までに、助けに来てくれるだろうか?いくらクロードだからといって、きちんとした対策を練って、迅速に対応してくれるだろうか……一抹の不安が、シュザンヌの胸をよぎる。

 ガーレフ皇国といえば、学校の授業で習ったので聞いたことがあったが、なんでもかなり北にある国のようで、ほぼ一年中、厳しい寒さが続くという。ノエリアは、そんなところに連れられて行くのか。

 ノエリアだけではない。自分の状況だって、そんなに芳しいものではない、とシュザンヌは思った。最悪、従兄が来てくれなければ、彼女はあの死霊の国に行くのである。しかし、なぜトリステスを持つ者が、死霊の国で売買されるのであろうか?と、彼女は疑問に思った。これは、ある意味、情報を聞き出すチャンスかもしれない、と彼女は思った。

「そこのお兄さん、少し質問させて」と、彼女はやや下出に出て、見張りの男に尋ねた。

「ん?なんだ?」

「私は死霊の国へ行くらしいけど、そのルートってなに?どうやって死霊の国へ運ばれるの?それに、トリステスを持ってると、どうして死霊の国へ行くことになるの?」

「へっ、誰が商品の質問になんかに答えるかよ。あんたは、ただ黙って売られてりゃいいんだよ」

 見張りの男はそういうと、にやりと笑い、ぷいとそっぽを向いた。ため息をついて、シュザンヌはそれ以上の質問を諦めた。

 ただ、異国の魔法使いだけは、その茶色の目をきらりとさせると、シュザンヌに興味を示したのか、口を開いた。

「お嬢さん、死ぬのが怖いのかな?それとも、死霊の国に行くのが怖い?」

「死霊の国を怖がらない人はいないと思いますけどね。私は、死霊の国へ、いつか行きたいと思ってるの。だから、その道順があるなら、それを知りたい」

「なんと、そんなお嬢さんがいるとはね!」と言って、魔術師はおかしそうにくっ、くっ、と笑った。

「もちろん言えないさ。秘密だよ。これは、死霊の国をすべるあのお方との契約でもあるから。機密事項なんだ。ただ、一つ教えてあげられるとすれば、君はまず雪原の国リラへと向かってもらう。そこから、死霊の国へ引き渡す。凍死されては困るから、ちゃんと厚手のコートは支給されるから、安心するがいい。もっとも、今はそんな心配より、お友達とは明日お別れになるのだから、その別れを惜しんでいた方がいいんじゃないのかな?そっちの方が、賢明だと思うがね」

「……」

「シュザンヌ……」ノエリアが、少しおびえたような声でシュザンヌの方に体を寄せる。シュザンヌと言えば、従兄の助けを信じるほかはなかった。しかし、いくら従兄に実績があるとはいえ、たった一人で、人質を抱えつつ、救出までできるのだろうか。

 その晩、二人は簡単な食事を出された。乾パンにスープというもので、あと多少の水は飲ませてもえらえた。

 夜も8時を過ぎ、日はとっくに落ちていた。魔術師はすでに別の部屋へ去っていた。二人の見張りの男が、シュザンヌとノエリアに、そろそろ寝ろ、明日は早いんだから、と促した。

 異変が起きたのは、それから1時間ほどたったころだろうか。突然、扉の外が騒がしくなった。その頃、シュザンヌは、旅の疲れもあって、少しうとうとしていた。もちろん、魔法の剣は、いつでも出せる準備はしてあった。

 ドタバタ、という音と、見張りの女の悲鳴とともに、今度は「応援を呼べ!」という男たちの叫び声が聞こえた。その声に便乗して、二人の見張りの男が、困ったように顔を見合わせる。

「あっちは大丈夫なのか?なんかあったのか?よし、お前が様子を見てこい、この二人の娘は俺が見張っとくから……」

 と、二人のうち一人が、ささやいた。

「ああ、そうだな。お前、しっかり見張っとけよ」

 もう一人がそう言い終わらないうちに、別室から、断末魔の叫び声のようなものすごいうなり声がとどろいた。

 クロード……従兄が来てくれたんだ。シュザンヌはそう察した。

 見張りの一人の男が部屋から出ていき、室内にはシュザンヌとノエリアのほかには、見張りは一人だけとなった。

「今しかチャンスはない!従兄の足手まといにならないためにも……!」と、シュザンヌは心の中で思った。

 そして、意識を集中させ、「アルカナソード!」と心の中で叫ぶと、従兄のシャインソードとまではいかないのだが、彼女の独特の魔法の剣を出し、縄をそっと切った。そして、ノエリアの縄を切る前に、一人で、剣を持ち、男に立ち向かった。

「ん?お前、なんで立ってるんだ、って……」

 シュザンヌは、外の様子をうかがおうとしていた男の油断を見逃さなかった。後ろから不意打ちをかけ、剣で男に切りかかった。アルカナソードは、シャインソードと違い、付加効果のようなものがあった。切りかかった相手に幻影を見せ、気を失った場合、悪夢を見せる事ができるのだ。

 ただし、彼女がここまでの力を出すには、かなりの長い詠唱時間を必要とするのだが。

 しかし、彼女はあらかじめ従兄が来るのを信じて待っていたため、その付加効果も出す事ができた。

 背中を切られた男は、低くうなり声を短く上げ、ドアにぶつかる形で前のめりに倒れた。今頃、夢の中で悪夢を見ているに違いない。

 すぐさま、シュザンヌはノエリアの手を縛っていた縄をアルカナソードで切った。

「ありがとう、シュザンヌ!」

「しっ、ノエリア、声を小さくして。すぐに見張りか、あの魔法使いの一人がこの部屋に戻ってくるかもしれない。私はこの剣でできるだけ応戦するから、あなたはこの部屋の奥の隅に隠れてて。見つからないように、捕らわれないように」

「うん、わかった、シュザンヌ。ありがとう!」

 そういって、ノエリアはなるべく奥の方へと身を寄せ、ある一つの、コンテナのような木箱の一つを選び、その中に入って身を隠した。

 シュザンヌも、できれば木箱の一つに入って、身を隠そうかとも思った。しかし、見張りか魔法使いの一人が戻ってくれば、確実に彼女とノエリアはどちらかが見つかる。そうなれば、従兄はまた人質をとられ、身動きがとれなくなってしまうのだ。そうなれば、こちらに勝ち目はないし、次こそ、従兄は、見逃されることなく、殺されてしまうだろう。

 剣を両手でもち、若干震える手で、扉の前で構えの姿勢を崩さず、彼女は立ち続けた。いつ見張りの男が戻ってきても、すぐに応戦できるように。

 フェリクス先生から教えてもらっていた、占い魔法でもできる応戦や、初歩的な応戦方法を頭の中で繰り返しつつ、彼女は剣を握って立ち続けた。

 しかし、10分ほどたっても、見張りの男はおろか、異国の魔法使いも、シュザンヌとノエリアの部屋に戻ってくる気配はなかった。相変わらず、外の部屋は騒々しいらしく、男たちや女の叫び声が聞こえる。

 何が起きているのだろう。従兄は、何をしているのだろう。ちょっとした好奇心から、扉の外をのぞきたいという欲求にかられた。

 しかし、それはいけないことだと、彼女は分かっていた。クロードは一人で大人数に立ち向かっている。邪魔になってはいけないのである。

 おかしいと思ったのは、以前、クロードが、戦いの際は精霊と共に戦うのだと言っていたのに、今のところ、炎の精霊であるイフリートの声も、熱気もないし、クロードが使えそうな、水の精霊や、風の精霊の声も、なにも聞こえてこない事だった。その代わり、悪魔のうなり声のような、とどろきが聞こえてくるだけである。そして、恐怖におびえた男たちの声だけ。

 やがて、15分もしないうちに、外の部屋は静かになった。完全なる静寂である。剣を持ち、扉の前でカタカタ震えていた彼女は、ごくりと唾を飲み込んだ。――終わったというのか?おそらく、従兄の勝利で。それにしても、あの恐怖の叫び声は一体……彼は、そんな戦い方をするような魔術師だったっけ?――そう考えつつ、彼女は剣をゆっくりとおろし、思わず扉の取っ手に手をかけた。

 嫌な予感がする。

「クロード?」

 そう言いつつ、彼女はそっとドアの扉を開けた。そこで彼女は思わず息をのんだ。部屋は、前見た時のような、装飾品で飾られた豪華な様子は微塵もなく、すべての調度品が粉々になっていた。室内は戦闘のあとが残り、ぐちゃぐちゃになっている。そして、床に倒れ伏して苦しそうにうめいているのは、この盗賊団アジトにいた男たちと、数名の女、そして魔法使い数名も、みんな気を失って倒れていた。クロードと激しくやりあったのか、流血して倒れている者もいる。

 そんな惨状の中、室内に一人立っていたのは、まさしく従兄であった。いつもの黒いマントをはおり、魔法の剣を出して、茫然と佇んでいる。従兄の体からは、紫の嵐の渦のような、一種のまがまがしいオーラがにじみ出ていた。

「クロード?」

と、もう一度呟き、シュザンヌは思わず、右手に持っていた魔法の剣をその場に落としてしまった。従兄の目がおかしい。いつもは穏やかな茶色なのに、今は、その身にまとったオーラのような、紫の目をしていた。その目の恐ろしさ、まがまがしさに、彼女は思わずその雰囲気にのまれそうになる。

「ナベリウス、二人はどこにいるか分かるか……それが最後の仕事だ」と、従兄は若干よろめきながら、シュザンヌには見えない何かに問うていた。

「――なに、問題ない、だと……?だから、二人はどこかを教えろって……」

 その後、自身を呼ぶ声に気付いたのか、クロードはぱっと後ろを振り返った。そこには、魔法の剣を落としたまま震えている、シュザンヌが一人立っていた。

「シュザンヌ!無事だったか、よかった……」

 しかし、シュザンヌはクロードに駆け寄ることも、笑顔を見せて返事をすることもできなかった。従兄から放たれているまがまがしいオーラが、消えず、彼女に重力のような圧力をかけ、彼女の体を動かしてくれなかった。

 なんとかして、「クロード、それ、なに……?その、紫の渦……」と言ったとたん、従兄の体がぐらっと揺れ、そのままゆっくりと音を立てて床に倒れたのだった。その瞬間、従兄を包んでいた紫の渦の重力が消えた。

「クロード!」と言って、彼女は従兄のもとに駆け寄った。

「クロード!クロードってば……一体何をしたの?何があったの?」

 倒れた従兄を抱き起し、彼女はクロードに話しかけた。意識がまったくない。目は閉じたままだ。シュザンヌの悲鳴にも似た叫び声を聞いて、奥の部屋からノエリアが出てきた。

「シュザンヌ?」ノエリアが、部屋の惨状を見て、思わずはっと身動きを止める。その後、彼女の目は、部屋の中央で佇む二人の姿に移った。

「しっかりして、クロード………」

 シュザンヌの目は涙で濡れていた。一瞬だけ、少しの間だけ見えた従兄の姿は、いつもとは明らかに違った。様子が変だし、何か嫌な予感がしてならない。

「クロード!」と言って、ノエリアも彼のそばに駆け寄った。

 二人してクロードの名を呼んだが、まったく反応がない。苦しそうな表情を浮かべて、目をつむったまま、動かない。体は温かいので、死んではいないようだが――……。

「それより、シュザンヌ、この人たち、みんな死んでるの……?」

「死んでる人もいるけれど、大半は気絶してるだけだと思う。この人たちが目覚める前に、ここを立ち去らなきゃ!クロードも、二人で担いでいけばなんとかなるわ。早くしないと、危ないかもしれない。この町からも、早く立ち去った方がいいかも……」

 言いながら、シュザンヌは目の端で、床に飛び散っている血だまりを見やった。異国の魔法使いだった。きっと、クロードと激しく戦ったのだろう。他の下っ端と思われる者たちは、完全に気絶しており、地面に突っ伏している。

『シュザンヌ』

 と、その時、彼女の脳裏で誰かの声がした。一度も聞いたことのない声。それでいて、どこか懐かしさや安心感を覚えた声だった。女性の声である。

『私の名前を呼んで』

 シュザンヌは思わず立ち上がって周囲をキョロキョロと見渡した。

「誰……?」と、脳裏の中で読んでみる。しかし返事はない。

『あなたとハンスの思い出を司る者。私の名前を呼ぶのです』

 その一言で、シュザンヌははっと思い出したことがあった。フェリクス先生との会話だ。確か、光の神の象徴でもあるという……

「ミトラ、ミトラス、グレイン……アルデバラン!」彼女がそう言うと、右手の甲のトリステスが赤く光り、彼女の手から、白い炎がぼうっと空中に燃え出した。

 フェリクス先生が言っていた。死霊の国でいつか役に立つという、聖なる星の力を宿した光。彼女はフェリクスから教えを受けるとき、ハンスとの思い出の星である、アルデバランを選んだのだった。そしてあの時、彼女は確かに、アルデバランと共に、ハンスやノエリアとの思い出も一緒に思いを込めて、炎を出す訓練を受けたのだった。そのことを、遠くから、星々の神も知っていたというのか。

「あなたは、アルデバラン様……光の神様なのですか?」と、シュザンヌは思わず口に出して尋ねた。

『さぁ、どうでしょう。でも、私も星々の神々の中の一人であることは間違いなく、そしてあなたに今力を貸したいと思ったのです。星読みの見習い占い師さん。シュザンヌ、暖炉の中を調べなさい。いいですか、中ですよ』

 それ以上、アルデバランからの声はしなくなった。どことなく温かい、神聖な雰囲気も消えている。

「シュザンヌ、どうしたの……?」ノエリアが床にかがんだまま、心配そうに彼女を見上げる。

 シュザンヌは、ノエリアの問いには答えず、まっすぐに部屋の左奥に設置されている大きな暖炉のそばへと駆け寄った。床に倒れている人たちを避けながら。

 暖炉は、このあたりでは、寒い時期に使うものなのだろう。今は薪が用意されてはいるものの、最近使用された形跡もない。彼女は、薪を数本ずつ取り出し、暖炉の外へ置いた。すると、薪で隠れていた暖炉の底に、扉のようなものが見つかった。彼女はその取っ手を握り、思いっきり上に引っ張った。

 ギギギ……と、耳が痛くなる音とともに、さびた扉はゆっくりと上に持ち上がった。そこから見えたのは、地下の部屋へと続く隠し階段だった。

「ノエリア、あなたはクロードのそばにいてあげて。私、ちょっと下を調べてくるから」

「う、うん、分かった!」

 シュザンヌは、アルデバランの炎をそのまま空に掲げ、たいまつ代わりに、そのまま階段を降りて行った。

 階段はそんなに長くなかった。10秒もしないうちに、彼女は隠された地下室の床に降り立っていた。相変わらずの真っ暗闇だが、ともした炎のおかげで、周囲の様子が見える。どうやら、隠された宝物庫のようだが……。床には、半ば無造作に、盗まれたと思われる盗品の数々が積まれていた。銀の食器、金でできた壺、有名そうな絵画。そして、何百冊と積まれた古そうな本。他にも、宝石が埋め込まれた首飾り、ブレスレットなどなど、お金になりそうなものが置いてある。

 若干その光景に戸惑いつつ、自身が捕まった集団が、人さらいの盗賊団だったことを思い出し、彼女は冷静にそれらの品を眺めた。この中に、何か役に立ちそうなものがあるかもしれない……いや、それ以前に、これらは持ち主のもとへ帰されるべきなのだろう……。

 しばらくの間、それらの品を調べていた彼女が、背を向け、階段を上がって上に戻ろうとしたその時……。

「シュ、ザンヌ……」

 階段をコツコツと降りてくる、その足音と共に、懐かしい声がした。かすれてはいるが、まぎれもない、従兄の声である。

 見上げれば、ノエリアに手を貸してもらいながら、クロードが苦笑いを浮かべて階段を降りて来ていた。

「クロード!目が覚めたの?それより、歩ける状態じゃないじゃない……!」

 慌てて、シュザンヌもクロードに手を貸す。

「は、は……。悪いな、こんな姿で。だが、なんとか意識は戻った。それより、地下には、何があった?」

「あの時何があったか、あとで聞くからね、クロード。えーとね、地下はどうやらあいつらの宝物庫だったみたいよ。本やら宝石やら絵画やら、たくさんあったわ」

「そうか、少し興味がある。最初、俺たち……に声をかけた男が言ってたろ。ユニコーンに関する情報を持ってるって。あれは、はったりだったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。いずれにしろ、俺は、奴らが何らかの情報筋をもっていたと考えている……」

 苦しそうな従兄を支えつつ、3人はようやく宝物庫の階下へ降り立った。

「クロード、これが、さっき言ってた本なの。もし情報があるとしたら、きっとこの中に……。でも、この本、メルバーンとは違う言語で書かれていて、私にはタイトルすら読めなくて……」

 少し休んでから、従兄の様子は多少は改善したようだった。

「ったく、魔力をほとんど持っていかれちまった結果がこれかよ……。さて、と。じゃあ、本を見てみるかな……」

 そういって、従兄は100冊ほど無造作に積んである本の束を一冊一冊、タイトルを見ていった。

「シュザンヌ、これは俺たち、当たりくじをひいたかもしれないぜ」

 その言葉とともに、クロードは、5冊ほどの本を取り出して見せた。

 5冊のうち4冊は、シュザンヌには読めない言語で書かれているものだった。しかし、1冊だけ、マグノリア帝国の文字で書かれていることだけはわかる本があった。

「これなんだよ、シュザンヌ」と言って、クロードはマグノリア帝国の文字で書かれた1冊の本を引き抜き、残りの4冊を、ありがたそうに自分のバッグの中に入れた。

「この4冊は俺がありがたく受け取るとして……と。シュザンヌとノエリアには読めないだろうけど、っていうか、ここらのアジトの奴らにも、おそらく高価そうという理由だけで、読めもしない本をとっておいたふしがあるがな…。この1冊。ノエリア、おまえにもわかると思う。これは、俺が育った帝国の本だ。重要なのは、この本のタイトルや中身じゃない。ちなみに、この本のタイトルは、『聖遺物辞典』で、マグノリア帝国の宗教に関わるものであって、ユニコーンやドラゴンとは一見なんの関係もない。本の中身も、ユニコーンやドラゴンとは関係ない。ただし、この本の背表紙に、ある人のサインがある」

「サイン!?」と、シュザンヌ。

 頷いて、クロードが、その1冊の本をくるりと裏返して見せた。しかし、そこには何のサインらしきものはない。ただの本の背表紙……黒緑色の背表紙が続いているだけである。

 だが、一瞬ののち、シュザンヌには分かった。

「月文字ね?これ……なんか魔法の気配がすると思ったら!」

「その通り、シュザンヌ」とクロードが、その本もバッグに入れつつ、二人に一緒に上の階に上がるように促した。

 隠し階段を上がりながら、ノエリアがきょとんとした声で聞く。

「月文字って?月でしか読めない本のこと?何の話してるの、シュザンヌ、クロード?」

「あのね、月文字っていうのは、魔法使いが一般の人には見えないようにするいたずらのような、トリックのようなものなんだけどね。しかけは単純、ある技法にのっとって、ある特殊配合したインクで書くと、月明かりですかしてみないと、見えなくなるのよ」

「なるほどね。それなら私にもわかるわ」

「うん、そんな感じなのよ」

 3人は、階段を登りきると、重いふたのような扉を閉じ、シュザンヌが取り出しておいた薪をもとの場所へ戻した。

 そののち、3人は、全員一致の意見のもと、さっさとこのアジトから抜け出し、この町からも抜け出すことにしたのだった。

 3人が、大広間から出ようとした瞬間、床に寝ていた一人がさっと起き上がり、最後に大広間から出ようとしてたノエリアに、剣を持って殴りかかってきた。

 とっさに、シュザンヌがノエリアをかばう。その前に、気配をさっしたクロードが、詠唱を省略して、シャインソードを出し、その男のみぞおちを、きれいに真っ二つに切った。きれいな太刀筋だった。

 男は、血を吹き出すこともなく、その場に再び倒れ落ちた。シャインソードは、クロードの手にかかれば、本切りも、みねうちも、思いのままなのだ。そこは、鍛錬された魔法使いの腕といったところだろうか。手加減も可能なのだ。

「急ごう」と、従兄は言った。「ほかにも、おき始めた奴らがいるかもしれない。きっと、隠し扉を開くギギギという音で起きたんだろう。結構大きな音がしちまったし。急ごう、二人とも。おれがしんがりをするから!早く」

 シュザンヌとノエリアは、おとなしく恐怖の中クロードの言葉に従った。きっと、あと数人は起きているに違いないと、シュザンヌは気配で分かっていた。だが、きっとクロードにやられることを悟って、わざと寝たふりを続けているらしかった。クロードに殺された異国の魔法使いは、もちろんぴくりとも動かなかったのだが……。シュザンヌは軽くぞっとしながら、ノエリアの手をにぎって、必死に館の中を走って出た。

 3人は、外に出てはじめて、少し安堵の表情を浮かべた。クロードだけは、2人とは対照的に、逆に焦ったような顔をしていた。

「こっそり起きていた奴らに、この町の誰かに通報される恐れもある。今夜のうちに、今すぐ、抜け出すぞ!」

 シュザンヌは頷きつつ、夜風の寒さにぶるっと体を震わせた。すかさず、トランクケースというか、バッグからコートを取り出し、クロードがシュザンヌのドレスの上にかけてやった。クロードの黒いコートだ。

「ノエリアも、寒いだろ」と言って、クロードが、ミニチュア魔法を解きつつ、カバンから黒いコートを2つめを取り出し、ノエリアにもかけてやった。

「ありがと、クロード。この町、夜になるとものすごく寒くって」

「ああ、そうだな」いいつつ、クロードも、いつもの王宮魔法使い時代の黒茶色のコートのボタンをしめなおしていた。

「月明かりの夜か……月文字の検証はあとでいい。とにかく、急ぐぞ!」

 シュザンヌとノエリアは頷きつつ、クロードに手を引かれつつ、3人は急ぎ足で迷路のような街を抜け、砂漠の国ハシントの町、ルザークを抜けるため、なるべく遠くへ行くため、歩き始めたのだった。

 クロードの心配をよそに、追手らしき人達は来なかった。クロードの見立てでは、アジト自体、というより、盗賊団の存在自体、ルザークの警備隊及び一般市民には秘密にしている気配もあったし、だとしたら、奴らは奴らで、盗みをしていたことを警備隊に知られたくなくて、ことを公にしたくないのだろう、ということであった。事実、3人は夜通しで歩き続けたのだったが、追手らしき雰囲気も一切なく、途中からは、クロードも、足の遅い二人の女性に配慮しつつ、歩きながら、2~3時間後には、ルザークの町を無事に抜け出していた。

 どれくらい歩いただろうか。もう次の日の深夜にさしかかっていた。

「さすがに、もう二人には限界かな。ここらへんで、今日は休もう。もう町明かりも遠くからでも見えないぐらいだから」

 そういって、従兄は二人に、忘れてた、と言って、ミニチュア魔法で解除した、二つのクリームのような器を差し出して見せた。

「すっかり忘れてたんだがな。旅の最初に渡すべきだったんだが、ここまで追いつめられることも少ないと思って、渡していなかった。この軟膏というかクリームを足の裏に塗ると、ちょっと歩き疲れの痛みがとれるんだ。特に、あんまり長時間歩かない女性向けの軟膏だから、俺が昔、働いてた時にもらったものだから、ちょっと古いけど」

 と言って、クロードは、二つのクリームを、シュザンヌとノエリアに渡した。

「ありがとう、クロード、こういうの、すごく助かるのよ」といって、ノエリアがさっそくクリーム……白い色で、においもそこまできつくないもの……を、足の裏に塗り始めた。

「ノエリア、お前、少し足、はれてるな。靴擦れかな」といって、クロードは、

「俺も、少しなら医療魔術も使えるから。特に、こういう応急処置なら、なんとかできるレベルだから、ちょっと動くな」

 と言って、クロードがノエリアの左足の小指に両手をかざし、軽く呪文を唱えた。悪魔に魔法をもってかれて、俺もあんまり魔力は残ってないんだけどな、と思いつつ、クロードは苦笑して、数秒後には、かざした手をもとに戻した。

「ありがと、クロード。もう痛みもだいぶひいたわ」

「よかったよ、ノエリア」そういうクロードは、珍しく少しだけ苦しそうだった。

「大丈夫、クロード?あなた、今日私たちを助けてくれた時も、倒れてたし、いったいなにがあったの……?クロード、苦しいの?大丈夫?本当に、私に教えて、クロード、何があったの?」

「ありがとう、シュザンヌ」シュザンヌに背中をさすってもらいつつ、額に汗をかいて、クロードは苦笑いした。

「大丈夫だから。お前たちは、俺が必ず守ると誓ったしな。とりあえずは、心配しなくていいから。ちょっとした秘密さ」

と言って、従兄は軽く笑って見せた。シュザンヌとしては、クロードの性格を知っていたので、これ以上何を聞いても無駄だと悟ったのだった。

 少ししてのち、3人で協力して野営の準備をし、シュザンヌとノエリアは夕食もとらずに眠りに落ちた。というのも、もう深夜の2~3時をまわっていたのである。

 2人が寝入ったのを確認し、クロードは一人のっそりと起き上がると、盗賊団のアジトからもらった5冊の本のうち、月文字の本を手にし、月明かりの夜を見上げた。

 こんなきれいな月の夜こそ、シュザンヌとハンス兄さんの通信にはちょうどいいのだろう……とクロードは一人思いつつ、寝息を立てている従妹の顔をみやった。そして、優しく微笑み、少し眺めたのち、意を決したように、彼は本を上に掲げた。

 月明かりだけでは見えないのだ。それはわかっていた。彼は、掲げた本を再び元の位置に戻し、小声で、「ステファン、おいで」と声をかけた。シュザンヌのかばんの中で眠っている、彼女が連れてきたカーバンクルの名前を、クロードは呼んだ。

 「みゃあ」と言って、ステファンがそっとカバンの中からごそごそと動き、出てきた。クロードが、優しくステファンの背中をなでた。額には青い宝石が光っている。

「さて、と。ちょっと力を貸してくれな、ステファン」と言って、クロードはステファンの額の青い宝石に、呪文を2,3唱え、月明かりを反射させた。

 そして、手に持っていた例の本の裏表紙にかざしてみた。すると、案の定、いくつかの文字列が浮かび上がってきた。

 それをじっくりと眺め、少し考えたのち、彼は頷くと、「あの人ね、なるほど」と言って、ステファンの額をなでた。月明かりの反射が終わった。本の裏表紙に現れた月文字はあえなくすっと消えた。

「マリウス・ホフマン」と、彼はつぶやいた。

「あの人か……」

 そういって、クロードは、本を自分のカバンにしまい、寝息を立てている二人に続き、眠りに入ったのだった。


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聖なる二人のトリステス ~月明りの夜、君と~ 榊原 ゆめこ @fdsjka687

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