第三章 タイプ20のトリステス

ハンスの戦い


第三章 タイプ20のトリステス


その日は、クロード組は、休憩をはさみながら、一日中馬車での移動となった。と言っても、ハシントの国に近づくにつれて、地質が悪くなってくるので、馬車で3日間ほど移動した後は、そこからは徒歩で移動する予定であった。

 空模様を気にしているシュザンヌを見て、クロードは不思議そうに眉をひそめた。

「シュザンヌ、空がどうかしたか」

「うん、それが……。どうも、この空模様は、自然現象じゃなくて、あの一昨日会った悪魔や亡霊たちの影響もあってそうなってるんじゃないか、って思って……」

「……そうか?」

「前フェリクス先生に聞いたのよ。そういう話。悪魔は天候にも影響を及ぼすってね。それに、もう一つ、気になることがあって」

「ああ」

「私、昨日の夜、数秘術で占いをしてみたんだけど。ハンスのことは、結構毎日これで占ってるんだけどね。本人には秘密で」

「私は知ってるけどね!」とノエリア。

「そう、ノエリアには結果を伝えることもあるんだけど。昨日いつものように占いしてみたら、嫌な結果が出て……ハンスに、死相が見えたのよ。私、怖くなっちゃって」

「……カルロスには見えたのか?死相は」

「カルロスさんのことは占ってないの。その人のこと、良く知らないと、つまり、情報が少ないと、占えないから」

「そうだったな」

「それで私、別れ際に、ハンスにお守りを渡したんだけど」

「それでだったんだな」

「うん」

「なら大丈夫じゃないかな。占いの結果は絶対じゃないってのはお前も知っての通りだし、それにお前は、見えた”ハンスの死“という未来を変えるべく、行動を動かした。これって、未来に何かしらの波紋を広げ、未来を変えた、ってことになるんじゃないかな」

「そうね、ありがと、クロード」

 馬車で進むにつれ、人影や民家は少なくなり、さらに道も悪くなってきた。明らかに、メルバーンからハシントという国に向かっていることが、3人にはうかがえた。

 その日の夜は、なんとか見つけた小さな町の宿屋に泊まり、事なきを得た。

 しかし、あいにくの曇り空だったので、月明かりが届かないため、ハンスとの交信はできないままでいた。

「シュザンヌ、そろそろ寝ましょうか」と、ノエリアが心配そうに言った。

「そうね」

 占いの結果である“ハンスの死相”は消えていなかった。気がかりなまま、シュザンヌは宿屋の一室で、眠りに落ちたのだった。

 その日のシュザンヌの夢は、決していいものとは言えなかった。

「よう、シュザンヌ」と、数メートル離れたところにいるハンスが手を挙げてこちらに向けて振っている。

「ハンス!」シュザンヌは、もやの中を、かき分けるようにして、ハンスのところへ行こうとする。

 しかし、ハンスはほほ笑むような顔をシュザンヌに向けたまま、スーッと後ろの方へ消えていく。

「待って!」とシュザンヌが叫ぶが、ハンスの幻像は、鋭い鎌のようなものでズタズタにかき消された。そして、散り散りになった幻像の後ろから、大きな死神の鎌を持った、死神のような黒い亡霊が、ぬっと現れ、ニタニタと笑い、次に今度はその鎌をシュザンヌに向けて振り下ろす――

 その瞬間、シュザンヌは目が覚めた。

 隣をふと見る。隣のベッドで、ノエリアがすやすやと寝ている。彼女は青色を好んでおり、(紫色も好きであったが)よくドレスには青色や紫色のものを選んでいた。寝巻は、白色のネグリジェであったが。

 改めて、なんと大それた旅に出てきてしまったんだろう、と思った。ドラゴンの髪の毛一本を探すための旅。そのために、クロードとノエリアがついてきてくれた。自分なんかのために。しかし、本当にドラゴンは見つかるのだろうか?それに、ハンスはと言えば、結婚を控えているのに、今や二人は離れ離れ。おまけに、ハンス達の旅の危険度は、シュザンヌの旅よりはるかに高い。危険すぎる。そんな旅に、エルフのカルロスがついて行ってくれているとはいえ、送り出してしまった自分が悔やまれた。

 さっきの夢のこともある。ハンスとは、もう二度と会えないのではないか……。そんな嫌な予感が、頭をよぎる。

 同時刻。ハンスも、エンテ山脈のふもとの街まで馬車の旅をしていたのだが、その途中で寄った宿屋で一夜を過ごしていた。

 ハンスはまだ眠っていた。夢の中で、シュザンヌのことが出てきた。シュザンヌの両親は、彼女が幼い頃に亡くなった。はじめに父がなくなり、その後彼女の母が亡くなった。そのどちらの時も、ハンスはシュザンヌのそばにいた。そしてどちらの時も、彼女と一緒に、彼女の両親が息絶える場面を見たのだが……

 その光景が、走馬燈のようにハンスの夢に出てきた。まだ幼すぎて、何が起こっているのかわかっていないシュザンヌ。そのそばで、茫然と立ち尽くすしかないハンス。

 その走馬燈が消えて、今度は成長したシュザンヌが現れた。17歳の姿だ。

「ハンス、ごめんね……私、もう寿命みたい」そう言って、悲しく微笑んで、シュザンヌの右手のトリステスの赤い光が、異常なほど光る。いつも以上の明るさだ。そして、トリステスの紋様から赤い亀裂が走り、その亀裂が、右手から全身へと広がっていく。ミシミシと音を立てて、シュザンヌの体に、赤い亀裂が走っていく。シュザンヌは相変わらず悲しそうにほほ笑んだまま。ハンスは、そんなシュザンヌを抱きしめるが、シュザンヌの体に走った亀裂が全身に及んだ瞬間、彼女の体は無数の塵のように砕け散ってしまうのだった。

 そのかけらも、赤く光って、蒸発するようにシュッと空気に消えていく。

 そう、彼女の両親がたどった末路と同じ方法で。

 ハンスは、そのかけらの一つが、自分の掌の上で、消えていくのを見つめ、

「シュザンヌ!俺を置いていくな!残された俺は、そしてお前の友達は、どうなるんだ……こんな風にしたのは、どこのどいつだ。シュザンヌを、返せ!」

 と叫ぶ。しかし、夢の中の空には、死神の笑い声が響くだけ、である。

 少しして。ハンスは目を覚ました。

 天井を仰ぎ見る。死神はいない。塵となって消えたシュザンヌもいない。


 〈このままだと、シュザンヌは、いずれ死ぬ。〉


 それは、ハンスにはわかっていた。れっきとした事実であった。それを防ぐため、こうしてハンスはカルロスと共に、旅に出ているのだ。

 シュザンヌとハンス。二人の思いは交差しているのに、運命がそれを阻む。どこかすれ違っている。そのすれ違いが、どうしようもなく、双方にとって悲しかった。

「俺は、負けない。そんな運命には負けない。そんな運命なら、俺が変えて見せる」

 と、ハンスは拳を握りしめた。夢の中では、その掌の中には、シュザンヌのかけらがあった。

「そんな未来は、俺が認めない」と、ハンスが呟いた。時刻はまだ早朝。彼は、カルロスから教えてもらった、魔法の使い方のノートを開き、一人勉強することにした。

 

シュザンヌ組に戻ろう。

 彼女らは、宿屋を後にすると、2日間、馬車での旅を続けた。北へ、北へ、ひたすら進んだ。途中、地質が悪くなって、ぬかるみなどに足をとられ、馬車が止まることもあったが、何とか目的地へと近づいていた。

 12月14日。一行が離散してから3日目。午後2時頃、馬車の御者の老人が、馬を止めた。

「ご一行方」と言って、老人が馬車の戸をノックした。

 クロードが一行の代表として、老人と話をした。

「どうもここまででして。これ以上は、馬車で進むのは難しいし、それにハシントでは馬車に乗る習慣がない。私としても、ハシントにまで行ったこともないし、私はメルバーン国内しか馬車を走らせない規定の会社で働いているので、申し訳ないが」

「分かってます、ここまで、ありがとうございました、ラザファムさん。これが馬車の代金です」

「どうも、クロードさん」

「ラザファムさん、帰りは道中お気をつけて。我々のことは、気にせず。また、我々の旅のことは、あまり他言無用でお願いします」

「クエスト志望の方にはよくあることで、私もよく存じ上げております。その点に関しましては、どうか私を信頼なさってください」

「はい」

「それでは、クロードさん。それから、お嬢さん方。私はこれで失礼します」

 馬車から降りた3人は、荷物を受け取り、もと来た道を去っていくラザファムとその馬車を見送った。

「さて、と。二人とも、これからは徒歩での旅になる。女性にはやや過酷かもしれんが、ここまで来たんだ、頼むぞ」

「うん、ありがとう、クロード」と、シュザンヌが巻き毛をくるくると指先でいじる。彼女にはそういう癖があった。

「私も、何とか頑張るし、大丈夫よ。そこまで心配しなくても」と、ノエリアが気丈にふるまう。

 彼女は青いドレスの上に、茶色いコートを着ていた。

「前話した通り、ここから徒歩で3日ほどで、ハシントの国境に着く。およそ80kmの距離だと俺はふんでいる。休憩も挟みつつ、行くぞ」

 3人は、少ない荷物を各々抱え、歩き出した。まだメルバーンの国の中にいるとはいえ、その風景は大分街中とは違っていた。クロードの話では、ここからは途中、宿屋もないらしい。確かに、民家は見えない。

 野宿することになる、と彼は言っていた。

 それに、シュザンヌ達には気になることがあった。例の、”亡霊”の存在だ。それに、死霊の国に住むという、悪魔たち。それが、旅の道中、襲ってくることも十分に考えられた。

 森の中を、3人は徒歩で進んでいった。やや薄暗い森の中を、3人は無言で歩いた。

 空は幸いにも晴れていた。シュザンヌは、今夜は月が出るだろうから、ハンスと通信できるかもしれない、もっとも、それは向こうの空も同じように晴れていて、月が出ていたらの話だが、と思った。

 幸いにも、森の中を進んでいる間、死霊の国からの使いの魔のようなものたちが出てくることはなかった。

 クロードが最も心配していたのはその点だったのだが、なんとか大丈夫そうだ、と彼は思った。

 途中、森の中の小川で、水筒に水をくんだりした。

「森の中の清水って、本当においしいわねぇ!」とノエリア。

「そうね!森の中もいいわね」

「おいおい、気楽だな。ハシントに着いたら、そうも言ってられなくなるぞ、きっと」と、クロードが苦笑する。

「どうしてよ、クロード」

「なんといっても、ハシントは礫砂漠の国だ。森も少なければ、ただの砂利道のような殺風景が続くだけ、と聞いている。俺も任務で少しは行ったことがあるから知ってるけど、女性には向いてないよなあ、どう考えても……」

「あら、私、それぐらいの覚悟はできてるつもりよ」と、シュザンヌ。

「分かった、分かった。まあ、それもハシントに着いてから、考えような」そう言って、クロードは小川の水で顔を洗った。冬なので、少しぶるっと震えていたが。

 3人は小休憩を挟んだ後、クロードの使う「方位を調べる魔法」を頼りに、北へと進んだ。その魔法なら自分も使えるから、とシュザンヌが言ったが、「お前は魔力を温存してろ」とクロードに一蹴されてしまった。

「なにせ、魔力の半分もハンス義兄さんに渡した後だぞ。少しは、自分の体のことも、考えた方がいいぞ」とクロードは言うのだった。

 そういうところ、頼りになるなあ、やっぱりハンスの言う通り、クロードについてきてもらって、本当によかった……とシュザンヌは内心思っていた。

 夕方になり、やがて日も沈んできた。夜近くの森の中は、昼間とは違って、不気味な怖さがあった。

「このあたりは獣も出ると聞く。俺が獣除けのたき火をたくから、シュザンヌとノエリアは少し石の上にでも座って休んでるといい」

 クロードはさほど疲れも見せず、せっせと薪を集め、火を起こす呪文で火をたいた。シュザンヌとノエリアは、正直一日中歩き通しで、へにょへにょに疲れていたので、クロードの申し出をありがたく受け取った。

 クロードは、どうせ魔力を使って、「歩行補助の呪文」でも使い、疲れがたまりにくくする遠征用の呪文でも使ったんだろう、とシュザンヌは目算した。彼女もそれぐらいは使えたらいいのだが、あいにくそれは王宮の遠征部隊でぐらいしか教わる機会もない呪文で、しかも使いこなすにはそれ相応の努力と時間がかかるらしかった。下手をすれば、魔力を消費するだけで、疲れもたまるという、最悪のパターンになるらしい。

 いとこのクロードは、その「歩行補助の呪文」を見事に使いこなし、最小限の魔力消費で、徒歩での長距離移動を可能にしていた。二人の女性陣がいなければ、本当はもっと早いペースで進んでいただろう。

 15分ほどして、薪から熱い炎がほとばしり出た。寒さに震えていた二人は、一目散に薪のまわりに駆け寄った。あたりは不気味なほど静かだ。時折、木の枝から鳥がバサッと飛び立つ音が聞こえるぐらいだ。

 しかし、クロードは首をふっていた。

「獣の鳴き声がかすかに遠くから聞こえる。用心するに越したことはないな」

 そう言って、一人、保護結界の魔法陣を、野宿場所と決めたその場所周辺に、杖で書き始めた。クロードはシュザンヌのような「ワンド(杖)」はほとんど使わない主義だったが、このように魔法陣を書くときは、背丈ほどもある長い杖を取り出して、地面に結界を書いていた。

「シュザンヌ、結界を書くのを、少し手伝ってくれないか」と、珍しくクロ―ドが言ってきたので、シュザンヌは喜んで手を貸した。

 彼女は空中から白い透明な“アルカナワンド”を取り出すと、クロードと打ち合わせをしてから、二人して巨大な魔法陣を地面に書き始めた。ノエリアは、椅子替わりになる木の丸太を探してきて、焚火の周りに置いていた。3人で、焚火を囲んで、座るためだ。

 やがて夕日も沈み、あたりは完全に真っ暗になった。町の中と違い、街灯もないため、本当に真っ暗だった。クロードが焚いてくれた焚火のおかげで、その周辺だけは、少しは見えたのだが。

「寒いな……。俺が、コートでも、取り出してやるよ」と言って、クロードが、旅行鞄を開けた。その中から、魔法で圧縮しておいた、3人分の、雪国用の分厚いコートを、取り出して再び元の大きさに戻すのを、シュザンヌとノエリアはじっと見ていた。

 3人はコートを着ると、今回の旅はじめての”野宿“を、内心少し楽しんでいた。まあ、楽しんでいたのはシュザンヌとノエリアぐらいだろうか。クロードの場合、王宮の護衛係などで勤めた経験上、こうした”遠征“につきものの”野宿“は何度も経験しているため、さほど真新しいこともなく、”おもしろい“という感情もなかったが。

 やがて、クロードが、器用に、これまた魔法で圧縮していたミニチュアサイズのコップや料理用のお鍋を旅行鞄から取り出し、元の大きさに戻して、夕食を作り出した。

 やれやれ、女性陣よりも手先が器用で、料理が上手とは……と、シュザンヌは内心、器用ないとこに関心していた。

「手伝うわよ、クロード、女の子が男の子に料理ばっかりさせるわけにはいかないでしょ……」と、シュザンヌが手伝おうとしたが、

「俺は遠征とかで自炊には慣れてるから。お前たちは、座ってこれでも飲んでろ」と言って、クロードは、2つのコップに温かいココアをついで、シュザンヌとノエリアに黙って差し出した。彼なりの優しさなのだろう。二人はありがたく受け取った。

「本当にいいの……?クロード……?」

「そんなに言うなら、明日か明後日からは、手伝ってもらおうかな、シュザンヌ」と、クロードがほほ笑んで言った。いいながらも、食事の準備の手は止めない。どうやら、シチューを作っているようだった。

「にしても、魔法とはいえよくできてるわねえ!このドールハウスのミニチュア家具みたいな食材にお鍋に食器!ねえ、クロード、この旅行鞄の中には、何日分の食糧が入ってるの?」と、ノエリアが、ミニチュアの缶詰を一つ、手でつまんで眺めながら、クロードに尋ねる。

「ん?これか?これにはだな、まあ一応3か月分の食糧が入ってるんだ。俺が食材を買って魔法で圧縮しておいたのさ。これぐらいは用意しとかないとな。3か月分もあれば、どっかで町に立ち寄って、そこでまた食料を調達できる、と思ってだな……」

「さっすがクロード!頼りになるわね!」と、二人が声をそろえる。クロードは、まんざらでもなさそうだ。少し照れているようにも見える。

「ほら、できたぞ」

 しばらくたって、クロードが言った。焚火の上で、大きなお鍋で煮たシチューは、男性が作ったとは思えないほど、とてもおいしそうだった。

 三人は、木の器にシチューをついで、一緒に夜ご飯を食べたのだった。その日の歩き通しの中、ずっとシュザンヌの肩掛けカバンの中にいたステファンは、今はカバンから出て、クロードからもらったペット用のフードを食べていた。

 寒い外気の中、シチューから出る湯気が、シチューの温かさを物語っていた。

 ふーっ、ふーっと言いながら、シュザンヌはシチューを食べる。とてもおいしい。

「そういやあ、今日は月が綺麗に出てるな」と、クロードがジャガイモを食べながら空を見上げた。

「そうねえ……」と、ノエリア。

「ハンス達なら、最初にまず馬車で、エンテ山脈のふもとのパルティアの町に向かうと、カルロスから聞いてある。今頃、パルティアに着いてるかもしれんな。向こうも月が出てるなら、通信、できるんじゃないのか」

「そうね。食べ終わったら、通信してみようかしら……」と、シュザンヌ。

「シュザンヌとしては、ハンスのこと、気になるわよね」と、ノエリア。

「うん……」そう言って、シュザンヌはペットフードをもぐもぐと食べているステファンを見やった。

 シチューを食べ終え、片付けも終わった頃、シュザンヌはステファンを膝の上にのせ、パチパチとはぜる焚火の火を見つめていた。ノエリアは、寒いのか、手を焚火にかざしている。クロードは何も言わない。カバンから取り出した本を取り出し、読書しているようだ。

 シュザンヌは、確かめるように夜空を見上げた。都会では見れない満点の星空だ。それに、月もきれいに見える。これなら、通信も簡単にできそうだ、と思った。

 彼女は、クロードとノエリアに、ハンスと通信してみる旨を告げ、二人の了承を得た。

「ステファン、ロロと通信してもいい?」と、シュザンヌがステファンに話しかける。

 ステファンが「みゃあ」と、「了解」というように鳴く。ステファンの額にある、青い宝石が、キラリと輝く。

「ハンス、気づいてくれるといいんだけど……」と、シュザンヌがクロードに言った。

「そうだな。こればっかりは、やってみるしかないな。あとは、あっちにいるロロが頼りだな」

「頑張って、シュザンヌ!」とノエリアがステファンをのぞき込む。

「いつ見ても、ステファンの青い宝石は、綺麗ねえ……」

「本当にね。よし、それじゃあしてみましょうか……。アレフ、ザイン、ラベト。我、汝と交渉す」と言って、シュザンヌが、斜めかけカバン(ポシェットのようなもの)から、銀貨のコインを取り出し、それに聖水の代わりとして水をかけ、コインを媒体にし、月明かりをステファンの額の宝石に反射させた。それまで、シュザンヌの膝の上をうろちょろしていたステファンの動きが、ぴたっと止まる。

 この魔法では、声を出すことはできなかった。意識上で、交信をするのだった。だから、シュザンヌとハンスの話している内容は、傍で見ているクロードとノエリアには、分からなかった。

 そのころ、午後8時頃、宿屋の一室で、魔術の修行をしていたハンスとカルロスは、部屋に出していたロロが、うろちょろするのをやめて、ハンスの膝の上に座り、ハンスをトントン、と小さなかわいい手で叩くのを見やった。見れば、ロロの額の宝石が、いつもよりきらきらときらめいている。

「みゃあ」と、ロロがハンスに向かって鳴く。

「ハンス、そういやあ今日は月明かりだ。シュザンヌからじゃないか」と、カルロスが言った。

「そうだな……ロロ、サンキューな、教えてくれて。いい子だ、ロロ」と言って、ハンスがロロを撫でる。

「ええと、どうするんだっけ。そうだ、銀貨だ、銀貨」と言って、ハンスがポケットから銀貨を取り出し、水をかけて、窓際に寄り、月明かりがうまくロロの額の青い宝石に反射するようにした。そして、シュザンヌが教えてくれた呪文を唱えた。

 しばらくして、シュザンヌの呼ぶ声が、ハンスの脳裏に響いた。

「ハンス……?ハンス!」と、確かに、シュザンヌの声がした。あの、懐かしい声だ。

「シュザンヌか?俺たち、通信できてるんだな!」

 二人は、現実世界を離れたもやもやとした霧の立ち込める”イメージの世界”の中で、対面する形で向き合っていた。

「ハンス、もうパルティアの町に着いた頃?」

「いや、まだパルティアには着いてないよ。カルロスによれば、明日到着見込みだってさ」

「そう」

「パルティアまでは馬車で行けるんだけど。そこからは山道を進むから、基本野宿になるな」

「私たち、今日は野宿なのよ。と言っても、明日も明後日も、きっと野宿なんだけどね」

「そうか。寒くないか?大丈夫か?」

「ううん、心配ないよ。クロードがよくしてくれてるから。彼、すっごく頼りになるの。さすが、王宮魔術師だけのことはあるわ。我がいとこながら、すさまじい魔法使いって感じ」

「やっぱ、クロードに同伴を頼んでおいて正解だったぜ。女性二人で行かせるわけにはいかないしな」

「……そうね……でも、魔法ギルドに入る予定だったクロードを引き留めちゃって、延期させてしまって、申し訳ない気もするけど」

「奴はもう気にしてないさ。それより……」と、ハンスは、今朝見たあの夢の内容を話そうとしたが、やめた。

 シュザンヌもまた、夢の中で見た、ハンスが鎌でズタズタにされる夢を思い出していた。

 二人の間に、少し沈黙が訪れる。

「ま、野宿、気をつけろよ。何かあったらまた知らせろ。俺が何とかする」

「何とかするってハンス、あなたこっちにこれないじゃない」と言って、シュザンヌが思わず吹き出す。

「あ、そうだったな」

「ハンスったら」

「まあ、とにかく、なんでも俺に相談しろ。俺に任せろ。俺だって、今もカルロスと魔法の特訓をしてる。これなら、死霊の国の奴らがいつ現れても、同等に戦えるはずだ。これも、お前に魔力をもらったからだな。本当にありがとな、シュザンヌ」

「いいのよ、ハンス。気にしないで」

「お前はいっつもそうだよな。ありがとうな……。けど、お前の寿命がそんなに短くなってたなんて、俺知らなかった。お前のご両親よりも短い寿命だなんて、知らなかった……」

「うん、私も、初めて知ったときはびっくりしたけど。ハンスに言ったら心配すると思って、言えなかった」

「今度からは、ちゃんと言えよ。もっと早く。クロードには、言ってたくせに」

「ごめん、ごめんなさい、ハンス。これからは、言うわ。ちゃんとね。あなたに、一番にね」

「そうそう、俺ら、婚約してるんだから。それ当然な。じゃ、俺、魔法の修行するから。また何かあったら、ステファン経由で、また俺に話してくれ」

「うん。それじゃあね、ハンス。今日は少しでも話せて、嬉しかった。あ、あのね、最後に、ずっと聞きたいことがあって……いつもは、その言えなかったんだけど」

「ん?なんだよ?言ってみろよ」

「その……。ハンスって、私のこと、本当は嫌い、なのかなって……。私のこと、両親が死んでからも色々と面倒見てくれたのも、全部義務心からで、本当は、私のこと、そんなに好きじゃないのかな、とか思ったり……」シュザンヌが、うつむく。

「はあ?何言ってんだ、バカ。俺は、義務とかそんなのからじゃなくて、お前が好きだから、お前がほっとけなかったから、お前と一緒にいた。面倒も見た。それを通して、お前と過ごすうち、お前のことが好きになって、婚約した。トリステスなんて関係ない、たとえお前の寿命が短くても、それでも一緒に過ごしたい、結婚したいって思ったから、お前と婚約したんだ。はき違えるなよ。安心しろ、俺は、いつだってお前のそばにいるさ」 

 そう言って、ハンスがシュザンヌの手を握る。

「ハンス……ありがとう。今の言葉、本当だよね?」

「ああ、本当だよ」

「ありがとう」

「んじゃあ、シュザンヌ、俺もカルロスとの特訓に戻らねえと。連絡、ありがとな。俺も、近況が聞けて嬉しかったよ。クロードがいるとはいえ、野宿だし、色々と気をつけろよ。それじゃあな」

「うん、またね、ハンス」と言って、二人の通信は終わった。

 シュザンヌの手から、銀貨がチリーンと地面に落ちる。その音で、シュザンヌは現実世界に意識を取り戻した。 

「シュザンヌ、どうだった?ハンスと、話せたんだよね?」と、ノエリア。

「うん、意識の中だったけど、あれは確かに、ハンスの声だったし、ハンスの手だった」

「うまくいったようだな」とクロードが銀貨を拾いながら言う。

「よかったよかった。万事順調」

 シュザンヌは、さっきの通信の内容を、どう二人に伝えたらいいものか、迷ったのだが、結局言わないでおくことに決めた。銀貨をクロードから受け取り、ポシェットの中に入れる。

 時刻はまだ8時15分ごろであった。魔法修行に明け暮れているハンス達一行に比べ、シュザンヌ一行は、焚火を囲い、食後のお話会をしているところだった。

 火で沸かしたホットミルクを飲みながら、3人は今後の予定などを話した。

「まずは、ドラゴンの里に関する情報を得るため、ルザークの町を目指す」と、マグカップを手に、クロードが断固たる決意で言った。

「ルザークって?」と、ノエリア。

「ここから4~5日の距離で着く、ハシントの町だ。そこは、ハシントでも有数の交易の町なんだが、そこならいろんな情報が手に入ると聞く。それに、裏の情報を持った奴らが集まるバザールもあるらしい。少し怪しいやつらもいるようだが、その闇の情報市場に行って金でも出せば、ドラゴンの里に関する情報も手に入るだろう。また、これはいけないことだが、ルザークのバザールでは、ドラゴンにまつわる掘り出し物なども多数売られていると聞く。もちろん、表じゃない、裏ルートでの話だが。そこに俺たちが探し求める”ドラゴンの髪の毛“はないだろうが、そういうドラゴンの用品を扱ってるやつらに聞けば、ほぼ確実に、里への行き方を教えてもらえるだろう……」

「うっわー、クロードって、表だけじゃなくて、そういう裏のやり方まで知ってるのね!」と、ノエリアが、ホットミルクを思わず吹き出しそうになりながら言う。

「おい、人聞きが悪いぞ。これは、別に、俺がそういう裏ルートに精通しているとかそういうことじゃなくて、仕事上知りえた情報であってだな……好きで知ったわけでもないし、護衛の仕事で世界各地飛び回ってたら、常識的につく知識であってだな……決して俺が裏ルートが好きなわけではない……俺はむしろ、正規の方法で、ドラゴンの里へ行くことを望んでる。けど、シュザンヌの寿命のこともあるし、それに女性二人に、長期間の徒歩の旅はつらいだろ。だから、こうして、裏だけど最短のルートをとってるわけで……」

 クロードの長い話を半分聞きながら、シュザンヌはハンスとの通信を思い出していた。ハンスは、シュザンヌのことが嫌いなわけでもないらしい。よかった……と、シュザンヌがホットミルクを飲みながら安堵する。

「……ねえ、シュザンヌ、どう思う?」シュザンヌの回想の時間は、二人の声で破られた。

「……は?」

「だーかーら、クロードの話よ!ちゃんと聞いてた?」と、ノエリアが半分あきれ顔で言う。

「え?あ、あ……うん、まあ……」

「“まぁ”って!そんな……まあ、いいけど、別に。それより、クロードの言う通り、まずはルザークの町に行くのが手っ取り早いみたいね。正直、今は森の中、うっそうとした森の中であるけれども、まだメルバーンの国の中。けど、ハシントの国に入ったら、本当の礫砂漠が始まるわけよね。ハシントは、無法の国って聞くし、何が起きるか分かんなくて、ちょっと心配だけど」

「そうね、真っ先にノエリアが狙われそうね」

「え?そうかな……」

「そうだな」とクロードも同意する。

「二人とも、ひどいなあ……私だって、用心してるって」と言って、ノエリアが、ハンドバッグから折り畳み式の小刀(ナイフ)を取り出した。それに、なんと、黒い旧式のピストルまで入っている。どうやら、ノエリアの両親からもらったもののようだ、とシュザンヌは推測した。

「おい、それ二つ、持ってるのは結構だが、扱い方とか、ちゃんと分かってるのか。使ったこと、ないだろ」と、クロードが困惑気味に言う。

「父さんと母さんからもらったのよ。用心しなさいってね。使い方は、知らないけどね」

「やっぱり……」クロードががっくりとする。

「でも、クロードから教えてもらえばいいでしょ」

「ピストルの使い方を教えても、お前に任せると危なっかしい。そんなことより、俺がお前を守るつもりでいるから、まあ今のところはいいだろう……」

「ノエリア、クロードは王宮の護衛係も務めてたのよ、これ以上のボディーガードなんていないわよ!ね、クロード?」

「んん?あ?そうだな……」ポリポリ、とクロードが指で顔をかく。

 これからの旅に若干の不安を覚えつつ、シュザンヌは、魔法が一応使える自分こそ、クロードと同じぐらい、頑張って、この旅に貢献したい、と思った。

 夜も更け、三人は旅の疲れもあり、早めに寝ることにした。

 遠くでは、森の中から、獣のなく声もする。近くにはいなさそうだが……。

「夕方にはっといた保護結界のおかげで、朝方までは持つようにしてある。俺も今日は魔力を少し使ったし、お前らも一日歩き通しで疲れたろ。もう寝ようか」

「そうね。さんせーーい」と、ノエリア。

「ノエリアとシュザンヌは、結界の中でだが、焚火の左側の簡易シートの上で寝袋で寝てもらう。俺は焚火の右側にシートでもひいて、寝るから。野宿には慣れてるし」

 シュザンヌとノエリアは、クロードの圧縮されていた、寝袋を解除してもらい、地面の上に簡単なシートをひいて、その上で寝袋で寝ることにした。クロードも同じ感じだ。てきぱきと、あくびをしながら、眠そうな目で寝袋を準備するクロード。

(クロードは女性に興味ないみたいだし、性格上そんなことしないし、一緒の結界の中で寝ても安心だけど……むしろ心配なのは、メルバーンの国を出たら、あの死霊の国の連中がまた来ないかってこと。それだけが、心配だわ)と思いつつ、シュザンヌもあくびをして、寝袋の中に入った。ちらりと除き目で、焚火を見る。

 焚火は、クロードの魔力がすこし入っているせいか、まだ勢いをおとさずに燃え続けている。クロードいわく、保護結界より、焚火の方が、獣対策には有効とのこと、だった。

「おやすみ」そう言って、3人は、満天の星空を背景に、眠りに落ちたのだった。

 

夜も明け、シュザンヌ達一行が、徒歩で、森の中を進み、ハシントの国に入国するのを目標としていた時……一方で、ハンスとカルロスは、馬車でパルティアの街に進んでいた。

「ふわわ……」と、ハンスが、馬車の中で大きなあくびをする。

「おい、今日中にはパルティアの街に着く。よかったな、旅が予定通りに進んでて。それより、朝からだが、昨日の魔法の特訓の復習でもするか、ハンス?」

「カルロス?お前特訓のやり方教えんのうまいけど、若干鬼だな、鬼!まあいい、よろしく頼みますよ、先生!」

 このような調子で、二人は午前中も馬車の中で特訓をしていた。正午になるころには、二人は、メルバーンの国を抜け、エンテ山脈のふもとの町・パルティアに着いたのだった。

「ふう、やっと馬車の狭い空間から脱出できたぜ……」

「そうだな、ハンス。だが、何度も言うが、ここエンテ山脈はどこの国にも属さない無法地帯だ。くれぐれも身の安全には気を付けるんだぞ」

「俺はガキじゃねえ、自分のことぐらい自分で守れるさ……そのための特訓、だろ?」

「そうだな」と、カルロスがふっと笑う。

 馬車は運賃を受け取ると速やかに走り去っていった。パルティアを訪れる客はそういない。厄介ごとに巻き込まれる前に、逃げ出したかったのが本心だったのだろう、とハンスは悟った。

「さ・て・と。んじゃあ、とりあえず昼飯でも食べるかな……」

 二人は連れ立って、少量の荷物を手に、地元の人でにぎわうパルティアの街に繰り出した。どうも、旅人はあまり訪れないようだが、町には人口はある程度はいるようであった。

 町でひときわ目立つのは、町の中心部に立つ大聖堂の存在だった。高さは150mを超えており、3つの大きな尖塔が立っている。ステンドグラスの装飾も見える。

「この町は宗教とかあんのか?」と、手を目の上にあてて、眩しそうに大聖堂のてっぺんを見ながら、ハンスが呑気そうに言った。

「大聖堂があるんだから、何かしらの宗教はあるようだな。どうだ、お昼の後にでも、大聖堂に寄ってみるか、ハンス」

「いいな、賛成だ」

「よし、じゃあまずは町のレストランでも探すか」

 二人はコートを目深にかぶって、なるべく人目につかないように行動するように心がけた。コートの色も、カルロスのエルフの魔法によって、地元の人の来ている茶色い色に変えておいた。まるでカメレオンじゃないか、とハンスはつっこみたくなった。カルロスの使う“エルフ特有の不思議な力”は、どうも、クロードやシュザンヌが使う“人間の使う魔法”とは、一部違うようにも思えた。

 一方で、カルロスは人間の使う魔法にも詳しいようで、ハンスに繰り返して丁寧に教えてくれた。

 おかげで、ハンスは、カルロスから旅立ちの前日にもらった”一般用の銃“を改造し、魔法銃も撃てるようにして、シュザンヌからもらった魔力を使って、何発か試し撃ちもした。また、父から譲り受けた剣だが、カルロスからは、「魔法で作り出す剣に比べて重量はあるが、その分攻撃力も増す。魔力を注ぎ込み、アンデッドたちにも攻撃が届くようになれば、十分使い物にはなるだろう。それに、何より、普段から使い慣れてる剣の方が、実戦には役立つだろう」とのことであった。

 幼いころから、鍛冶屋の息子というだけあって、剣の訓練も受けていたハンスにとっては、使い慣れてる剣で戦えるのはありがたいことでもあった。

 カルロスやクロードは、魔法で作り出す”架空の剣“で戦うが、ハンスは、父が作った剣で戦うことに、こだわりを見せていた。

「あんたら二人、見かけない顔だが……もしかして、旅人さんかい?」と、レストランを探していた矢先、二人は老婆の一人からそっと話しかけられた。

「ばあさん、よくわかったな、と言いたいところだが……できれば、このことはあまり大っぴらにはしないでほしい。目立ちたくないんでな」と、カルロス。

「それはそれは、わたしゃあ構わないけどね。それより、あんたら、何のためにこんな世界の端まで?まさか山脈を超える気かい?」

「そのまさかさ」とハンス。フードを脱ぐと、隠していた金髪と青い目があらわになった。

「あらっ、お前さん、帝国の人かい?」

「ハンス、フードをかぶれ」とカルロスが困ったように言う。

「帝国じゃなくて、メルバーンなんだけどね。それより、ばあさん、ここの人たちは、あの大聖堂と深いつながりがあるようだが……」と、ハンス。

「ああ、そうだよ。あれは、我が町の女神様、サラソタ様をまつっている聖堂なのさ。あんたたちも、観光ついでに見ていくといい」

「そりゃどうも。それじゃあ、もうお暇するよ、お婆さん」と言って、カルロスが何枚かの銀貨を老婆に渡した。口止め料といったところか。

 何やらにやついている老婆と別れ、二人は混雑した町の中を進んでいった。

「ハンス、あんなふうにして、身元をばらすような真似はもうやめろ。ここでは、お前の金髪は目立つようだぞ」と言って、カルロスが、エルフの魔術で、ハンスの髪の色を黒色に変えた。

「わりぃ、わりぃ。でも、言われてみれば、ここには金髪の人間は見当たらねーな。みんな、黒か茶色だな。カルロス、お前の青髪も変えた方が……」

「言われる前にやってるさ」と言って、カルロスは自分の髪も黒髪に変えていた。

 二人は何とかレストランを見つけ、昼食をとることができた。

 軽い昼食を済ませ、ハンスとカルロスは、エンテ山脈での長旅に備え、情報収集をすることにした。このパルティアの街でなら、もしかしたら山脈を超える近道を知っているガイドでも雇えるのではないか、と思ってのことだった。

 任務で各国を放浪しており、地理にも造詣の深いクロードと違い、カルロスは、人間のいる地域(イブハール以外)の地理には若干疎い様子を見せた。それはハンスも気づいていた。しかし、だからと言って、ハンスも、メルバーン以外からは出たこともなく、同じく地理には疎かったため、何も言えなかった。

 1時間ほど、銀貨を使ってコネでガイドを探そうとしたが、ガイドはなかなか見つからなかった。

 やがて、夕日が差し込むようになり、二人はへとへとになって町の中心部の噴水の端に座り込んだ。

「なあ、もう4時間は探してるよな」と、ハンス。

「そうだな」

「今日は無理そうだ。かといって、山脈を超えるには、ガイドはいるだろう。明日にでも、続き探すか」

「そうだな、その前に、気晴らしに大聖堂にでも行って見るか。お前が気になってたところだ」

「そうしようぜ、カルロス。俺も、女神サラソタを、この目で見てみたいと思ってたところさ」

 二人は、疲れも残っていたが、大聖堂へ行って見ることにした。

 町のどこからでも、聖堂の尖塔は見えたので、たどり着くのに迷うことはなかった。

 二人が大聖堂に足を踏み入れると、同時に「ゴーン」という、重層な渋い鐘の鳴る音が響き渡った。建物に反響して響くので、思わずハンスは耳を手でふさいだ。カルロスは平気そうにしている。

二人が入ったころが、ちょうど信者たちによる女神への”祈り“が捧げられる刻限だったらしい。さっきの大きな鐘の音は、その時刻がきたことを告げるものだったようだ。

 100名ほどの信者が、白いフードを着て、祭壇に立つ”女神サラソタの像“に祈りをささげていた。まずは、信者たちの歌から始まるようだ。

「旅人よ、よくぞ参られた」と、二人の前に、神父のような老人が現れた。若い付き人(男性)もいる。

「大司教様、よいのですか……」と、その付き人が言う。大司教が手でそれを制する。

 ふう、とため息をつき、

「やはり、外見を変えても、見破られるものなんだな」と言って、カルロスは指をパチン、とならし、自分とハンスの髪と目の色をもとに戻した。

「この町に来て、何人もの人に、見破られたよ、大司教殿」と、カルロスが苦笑いする。

「あなたは人間ではないようで」と、大司教が笑う。

「私は、イブハールから来たとあるエルフさ。それより、司教殿、私とこの連れのハンスは、ある目的があり、エンテ山脈を越えて雪原の国リラを目指している。そのために、山脈を超えるためのガイドが必要だ。なにとぞお力添えを願いたい」

「その話も、町の者から聞いています」と、司教。カルロスが口止め料として払った“わいろ”も、無駄だったようだな、と思い、ハンスは苦笑いをした。あの最初に会った老婆も怪しい、と思った。

「ガイドなら、適任者が一人おりますが、できれば、何故あのやっかいな長い山脈を超えたいのか、お聞かせ願えますかな?」と司教が目を光らせる。

「……とある女性の命を救うため、我々二人は、まずリラの国を目指しているのです。それから、リラの国に降り立った暁には……」とカルロスが説明し、“死霊の国を目指しているのです”と言おうとした瞬間だった。

 女神サラソタの像から、不気味な声が響き渡った。

 像の口元から、奇妙な笑い声がする。それまで歌を歌っていた信者たちも、「何事か」と言って、歌うのをやめた。大司教も、カルロスの方から、振り向いて像を見る。

「愚かな人間風情が……まだ旅を続ける気か……」と、聞きなれた声がした。

 この、しわがれた、魂の奥底に響くような冷たいしゃがれ声は、間違いなく”死霊の国と関係のある奴ら”の声に違いない、とハンスはふんだ。

「サ、サラソタ様が……」と、大司教の付き人がうろたえる。

「皆の者、逃げるんじゃ!早く、今すぐ!」と、大司教が信者たちに大声で指示を出す。

 言われたそばから、信者たちは、我先にと、聖堂の出口を目指し殺到していく。

「カヤール、お前は力を貸してくれるか?お前と私とで、サラソタ様の異変に対処できるか?」どうも、大司教の付き人の名は、”カヤール“というらしい。

「大司教様、われら二人には、多少なりとも武力のたしなみがあります。ここは、我々二人にお任せ下さい。それより、大司教、あなたたちには戦うすべはあるのですか?」と、カルロスがサラソタの像から目を離さずに言った。像は、ピシピシと嫌な音をたてて、ひび割れていく。信者たちから、悲痛な叫び声が上がる。

「そ、そなたたちは一体……」と大司教。

「敵は、間違いなく俺たち二人を狙ってるんです!大司教、あなた方も、戦えないなら、避難をしてください!」とハンスが叫びながら、崩壊していくサラソタの像の破片を避ける。

「我々にも、多少の武力のたしなみはあるが……。我々が使うのは、いわばハシント流の魔術の一端、と言ったところだ!」と、大司教が言う。

「カヤール、お前は信者たちが逃げる誘導を頼む!私はこのお二人の旅人の助力をしようと思う!」

「大司教様!私もお助けします!」

「カヤール、お前は信者たちを見てくれ!信者たちが全員逃げきったら、こっちの加勢をしてくれればいい」

「……わかりました、大司教さま!」と言って、カヤールは逃げまどい、混乱する信者たちの方へまっすぐ走って行った。それを見届け、大司教が微笑む。

「ハンス、さっそく授業の実践と言ったところだ。……やれるか?」

「……肩慣らしには、ちょうどいいだろ」と、ハンスがやや強がりを言う。

「ならいい。だが、油断はするな」と、カルロスがやや緊張した面持ちで言う。“いざとなったら、自分がハンスを守らなければ……ハンスは、シュザンヌにとって、必要な、いなくてはならない、大切な人なんだから”、とカルロスは密かに思っていた。

 ―もしハンスが命を落とせば、シュザンヌはどうするだろうか?―

 カルロスは、ぶんぶん、と顔を振った。弱気になってどうする、と自分をたしなめる。

 地響きの音とともに、ひび割れていたサラソタの像が、崩壊していく。信者たちの大部分は、聖堂から逃げ出したようだった。その隙に、ハンスは、カバンから、父から譲り受けた細身の剣を取り出していた。それに、カルロスから学んだ魔術の呪文を唱え、剣の刃先に、自分の魔力を注ぎ込む。ほかでもない、シュザンヌが分けてくれた魔力を、注ぎ込んでいく。

 ―シュザンヌ、一緒に戦ってくれ……!――

 と、思いながら。

「小僧」と、ハンスの後ろで声がした。

 ハンスが慌ててぱっと振り向く。そこには、一度見たことのあるものがいた……クロードが呼び出した、あの悪魔だ。多少姿は違うが、同じ生き物ということが分かる。

「ナベリウスを呼び出し、使った少年は、お前か」

「は?クロードのこと?違う、俺はハンスだ」

「まあ、どちらでもいい。メフィストフェレス様から聞いている、お前たち二人のことを、な。なんでも、人間風情で、われらの死霊の国を目指しているとか……」

「俺はエルフだぞ」と、カルロスがやや機嫌を損ねて言う。

「ああ、報告によればそうだったかな?まあ、どちらでもいい」と、新たな悪魔がしゃがれ声で笑う。

「何がおかしい」と、カルロス。

「何でもない。それより、事情が変わってな。トリステスを持つ、お嬢さんをおびき出すための”人質“として、そのお嬢さんの婚約者を生け捕りにせよ、との命令だ。俺としては、生け捕りなんて甘いことなんてせずに、殺したいところだが、生け捕りにせよとのメフィストフェレス様からの命令だ。だから、小僧、命を奪われずに済むことに感謝することだな……」

「何を、わけのわからないことを……」と、ハンス。

―シュザンヌのトリステスに、こいつらも気づいてしまったか――、と、カルロスが思った。

「ハンスを狙うつもりか」と、カルロスが苦い顔をして悪魔に問う。

「まさにその通り。ちなみに、われの名はフォカロルと申す」悪魔がにやりと笑う。

「ハンス、水だ」と、カルロスが魔法の剣を構えながら言う。

「水?」

「ああ、フォカロルという悪魔は、人を溺死させる悪魔と言われている。水をあやつり、お前を生け捕りにするだろう。まあ、もっとも、俺や大司教には、当然、死を望んでくるだろうがな」

「俺を、生け捕りだと?こいつら、シュザンヌのトリステスに目を付けたのか?でも、どうして?ほかにも、そんなトリステスを持ってる人を救うための人なら、たくさんいるはずなのに……そのためのクエストだろ?」

「……説明は戦いの後だ、ハンス」と、カルロス。

「まずは、目の前の敵に集中しろ!俺がお前を守るから、お前も、生け捕りにだけはされるなよ!」

「俺は、お前に守られるつもりはない!自分のことぐらい、自分で守るっつーの!!」ハンスがやや憤慨する。

「無理するな、若造」と、大司教がハンスに優しく声をかける。

「爺さん、あんた、名前は?」と、ハンス。

「私は、まだ爺さんと呼ばれる歳ではない……私は、ラナドという」

「そっか……ラナドさん、あんたも、殺されんなよ!」と、ハンス。

 その言葉が終わらないうちに、敵……悪魔のフォカロルが、半分グリフォンの姿をした姿で、爪を立て、何やら憎悪の呪文を唱えだした。

「来るぞ!」とカルロス。

 カルロスがとっさにハンスをつかんで避ける。フォカロルが、水の触手を飛ばしてきたのだ。あれに絡めとられたら、すぐに言葉通り”生け捕り“にされるだろう、とハンスは想像した。

 ラナドの方は、カルロスに負けない身のこなしで、触手を避けた。どうやら、戦いの経験はあるらしい。

「モーントシャイン(月光)!」と言って、ハンスが、カルロスにつかまれたままの状態で、剣を振りかざし、カルロスの手を振り払って、長い水の触手に向かって走って行った。

「ウォォォォォォ」と言って、ハンスが、父直伝の剣術で、触手を真っ二つに切る。おそらく死生術の一種だろうが、魔法を使って、普通の剣でも死生術に効くようにしてあるので、効果はあったようだった。

 しかし、真っ二つにしたはずの触手が、あっという間に、悪魔の呪文によって、スライムのように再生し、一つにぐにゃりとつながった。

 ハンスはそこももう一度真っ二つに切りかかった。しかし、再生速度も速く、きりがない。

 そうこうしているうちに、何本もある触手のうちのもう一本が、ハンスを狙う。

「ハンス!」と、思わずカルロスが叫ぶ。カルロスは、自分を狙う触手を薙ぎ払いつつ、ハンスのことも気にかけていた。

「俺は大丈夫だ!それより、信者たちが、危ない!」と、ハンス。

 ハンスの言葉通りだった。悪魔は、逃げ遅れた信者たちの何人かを、触手を使って狙っていた。カヤールがなんとか魔法の剣のようなもので応戦していたが、いつまでもつか、分からない。

 ハンスは、一瞬、信者たちをかばうべきか、それともハンスを見守るべきか、迷っていたが、その迷いを察知したかのように、ラナドが素早くカヤールの応戦に向かった。

「あの無鉄砲な小僧を助けてやってくれ」と、ラナドがカルロスにそっとつぶやく。

「礼を言う」と、カルロス。

 しつこくカルロスにも飛ばされてくる長い水の触手……水のモンスターを剣で薙ぎ払いながら、カルロスは徐々にハンスに近づく。

「おい、無茶はするな、ハンス!狙われてるのはお前だ!わかってるだろ」とカルロスがハンスに叫ぶ。

「カルロス、それより、この悪魔の攻略法を教えてくれ!」と、ハンス。息は上がっていないようだ。どうやら、シュザンヌの与えた魔力が、ハンスの体力をも、上げてくれたらしい。

「シュザンヌの魔力のおかげか、戦闘中は疲れを感じねぇ。俺なら、もっといける。カルロス、俺にも少しはいいところ持ってかせてくれ」

「……ハンス……」

 そういいつつも、ハンスが心配なのか、カルロスはハンスと背中合わせで戦う。万が一ハンスに何かあったら。シュザンヌに、合わせる顔がない……カルロスはそう思っていた。それが心配の種だった。

 しかし、それは杞憂だったようだ、とカルロスも認めざるをえなかった。最初は、水の触手の動きについていけず、触手に絡まれながらそれを薙ぎ払っていたハンスであったが、徐々に身のこなしもさまになってきて、カルロスが教えた、移動速度を上げる魔法を、実戦の中で習得していっているのが、カルロスには分かった。

――こいつは、なかなかいい勘をもってそうだな……

 と、カルロスが、触手を薙ぎ払いつつ、思う。

 その時、二人から少し離れたところで、数十人の叫び声がした。

 カヤールとラナドの二人では、逃げ遅れた多くの信者を守り切るのは、難しかったらしい。カヤールも息が上がっている。二人の隙をついたのか、悪魔のフォカロルは、触手を操り、20名ほどの信者たちを生け捕りにしていた。そして、タコの足のようにして、生け捕りにした信者たちを、空中で縛り上げていた。

「やめろ!彼らに手を出すな!」と、カヤールが叫ぶ。

「あいつ……!」と、ハンスが思わず動きを止めて、フォカロルの方を見やる。

「信者たちを人質にするつもりか…!」と、カルロスが顔を暗くする。

 フォカロルは、方針を変えるつもりらしい。いつまでも、信者組の相手と、ハンス&カルロス組の、二組の相手をして、自分の死生術の力を分散するのはやめて、一つにして、力を一気に出そうというつもりらしい。

 そのために、まず動きをとめるため、信者たちを狙ったのだ。

「よく聞け、小僧……ハンスとか言ったな」フォカロルの、悪魔特有のしゃがれた声がハンスに向けられる。

「お前が自分を差し出さない限り、俺はこれから、10秒ごとにこの捕らえた信者たちを一人ずつ、殺していく。それでいいのか、お前は……?自分に問うことだな、信者の命をとるか、それとも婚約者のお嬢さんの命を取るか」

「お前っ……やめろ!!」と、ハンスが激昂して言う。

「まずは一人、見せしめに殺してみようか」と、フォカロルがにんまりと笑った。その鋭い爪を、くいっと空中でひねると、水の触手の一本が、女性の信者の体全体を包み込んだ。

 当然、水の中では、通常の人間は息ができない。その信者は魔法が使えないらしく、溺れ死ぬことになるだろう。

「ひねりつぶすのも簡単だが、溺死させる方が、我には合っているのでな」

 ハンスが、女性を助けるため、触手に切りかかろうとした。

「よせ、ハンス!それだと……」と、カルロスが制止する間もまく、ハンスが走り出す。

 すると、ハンスが触手を真っ二つに切る瞬間に、悪魔は女性を触手で握りつぶし、細かい肉片と血しぶきに変えてしまった。ハンスの剣が、むなしく虚空を切る。ハンスに、女性の血しぶきがかかった。

「ラミア……」と、ラナドがその信者の名をつぶやいて、我を忘れたように悲嘆の表情をした。

「お、俺……」と、ハンスが手についた返り血を見て思わず言った。

「俺のせいで……?人が、死んだ……?」

「フォカロル!何があってもハンスを渡すつもりはない!こんなふざけた茶番は今すぐやめろ!」カルロスが叫ぶが、悪魔は聞く気配もない。ただ笑っているだけだ。

「小僧、まだ一人目だ!次は二人目。10秒間だけ待ってやる。さあ、どうする?」

 信者の泣き叫ぶ声を無視し、悪魔は、今度は男の子の信者を触手で覆った。

「くそっ……!」と、カルロスが舌打ちする。

 しかし、その場にいるカルロス・ラナド・カヤールには、なすすべもなかった。ハンスはハンスで、悪魔に少し近い距離で、血の海に片膝をついて呆然としている。

 10秒たち、その信者は前の犠牲者のように触手によって肉片になった。

 ブシュッと嫌な音を立てて、血と水と肉片が混ざった液体が、聖堂の床に散らばる。

「核だ……」と、ハンスが一人、そっと呟いた。その声は、誰の耳にも届かない。

「大司教様、このままでは!皆が殺されてしまいます!かくなるうえは、あの旅人をさしだすしか方法はないでしょう!」と、カヤールが半狂乱になって言う。ラナドは、その難しい判断に、言葉を失う。

 ハンスがゆっくりと立ち上がる。何か、吹っ切れたような目をしていた。

「ハンス……?」と、カルロスが声をかける。

“カルロス、聞こえるか”と、ハンスがカルロスに、魔法を使って脳に語りかけた。近距離なら、こうして通信のようなこともできるのだ。

“ハンス!ああ、聞こえるぞ”

“核だ”と、ハンスがカルロスに語り掛けた。

“シュザンヌが俺にくれた魔力のおかげか、俺には見えた。奴の水の触手の中を、移動している核がある。それはおそらく奴の弱点だ。弱点を隠すために、奴は核を常に移動させ、容易には切れないようにしてるみたいだ。今から、俺がそれをたたっ切る”

“俺には見えないが……そうか、お前には見えるのか。わかった。だが、ハンス、お前が動けば、悪魔は信者を確実に殺すぞ”

“待ってるだけでも、信者は殺される。それに、奴は、俺が核を見えているという事実を知らない。そこだけが、俺らに与えられたチャンスだ。この方法しかない”

 そこで通信は途絶えた。カルロスは止めるべきか、それとも見守るべきか迷っていたのだが、ハンスはもう心を決めていたらしい。

 ちょうど、4人目の犠牲者が出たところだった。

 カルロスが、ハンスの指示を受けて、一気に急に走り出す。悪魔は多少戸惑ったようだった。

「エルフめ、気でも狂ったか!お前が動けば、信者を殺すだけだ!それでもいいのだな!」

 ハンスが、その隙に、まっしぐらにやや右の方向へ移動した。悪魔は完全にカルロスに気をとられて、油断していたらしい。それに、信者を一気に殺そうと、触手の何本かが、嫌な音を立てて信者を殺していた。

 ハンスが、カルロスの剣から逃れようと移動した核の目の前にさっと現れた。ただし、悪魔に気づかれないように、体も頭も、視覚も、核の方は向いていない。

「終わりだよ……!」と言って、ハンスが背中ごしに後ろを見ずに、剣を後ろにスパッと薙ぎ払った。

 ハンスの、魔法がかかった、父から譲り受けた剣が、悪魔の水の死生術の核を、真っ二つに切りさいた。

「なんだと……?」悪魔の言葉とともに、水の触手が一気に力を失い、残された信者たちは触手から解き放たれ、床にたたきつけられた。

 8~9人ほどだろうか……生き残った信者たちが、カヤールによって助けられ、救助されるのを、ハンスは横目で見た。

「おのれ、人間風情が……!」という、嵐の轟音に似た声を上げ、フォカロルの水の死生術は消え去った。

 聖堂の床を、おびただしい血と肉片と、そしてはじけ散った大量の水が、満たしていた。

「だが、水の死生術が終わっても、冥界から亡霊をいくらでも呼び出せばいい……!」

「それは出来ないだろう、フォカロル」と、カルロスが顔についた血をぬぐって言い放つ。

「お前は力を使いすぎた。お前が今ここで亡霊を呼び出すのは結構だが、俺も一介のエルフ、亡霊相手に戦うすべならある程度は知っている。お前に勝ち目はないぞ、フォカロル。撤退するのが無難な策というものだ」

「くそっ……!」と言って、フォカロルは忌々しそうにうめきながら、

「だが、我らは諦めん……小僧、お前を生け捕りにし、あの小娘をあのお方に差し出すまでは……」

と言って、虚空の闇に消えていった。

「……終わった」と、ハンスが拍子抜けしたように言った。ハンスの剣には、信者たちの犠牲による返り血や肉片が生々しく付着していた。

「……まさか、タイプ15のシュザンヌのトリステスに、相手の弱点を見抜くような力まで備わっていたとは……」と、カルロスがつぶやく。

「カルロス、そういえば、お前、やつらがシュザンヌのトリステスを狙ってる理由を、知ってるみたいなこと、戦いの最初らへんに言ってたよな。あとで説明するとか言ってたが、今ここで、俺に教えてくれ!一体、何をお前は、俺やシュザンヌに隠してるっていうんだよ……?」

「それはだな……」カルロスが言葉を濁す。

「ああ!ラミアに、ザハラ、それに幼いナバートまで……」

 カヤールが、一人手で顔を覆い、犠牲となった信者たちの名前を呼んでいた。完全に我を失っているように見えた。動揺が見て取れる。

「ラナド様!あいつらのせいです!あのハンスとかいう小僧が、我々の制止を聞かずに走り出し、信者たちを見殺しにしたのです!あいつらに報いを!!ラナド様!!どうかご指示を……。でないと、死んでいった信者たちに顔向けができません!」

 ラナドはラナドで、泣き崩れる信者たちの生き残りを抱きしめて慰めているところだった。

「カヤール……」と、ラナド。

「……確かに、俺たちのせいだな」と、カルロスがぽつりと呟く。

「……」ハンスには、返す言葉もない。

「あの化け物……フォカロルと言いましたかな、あの悪魔は、あなた方に用があったようですが」と、すくっと立ち上がったラナドがカルロスに言葉をかける。

「ええ、そうです。結果、この町の皆さんに被害を出してしまいました。我々の責任です。ハンスはともかく、私にはもっとよく戦うすべがあったはずです。それを、あのような方法で、たくさんの方の被害を出してしまいました……これは、ハンスのせいというより、私の責任です」

「あの短時間では、あの化け物を倒す手段など、なかなか誰にも見つけられなかったでしょう」

「大司教殿……」

「あの小僧が、自分を差し出せばよかったんだ!そうすれば、ナバートは死なずに済んだ……」と、カヤールは相変わらず、涙顔のまま、ハンスを指さした。

「カヤール、やめなさい」と、大司教がため息をついて静かに言った。

「旅人殿、あなた方には、旅を続ける深い理由がおありのようだ。あの悪魔たちが、これからもおとなしくしてくれているとは、私には到底思えない。今後も、厳しい旅が続くかもしれん。しかし、この町にこのままいれば、いずれこの町の信者たちの遺族から、あなた方は攻撃を受けることになるでしょう。速やかに、逃げた方がよろしいでしょう」

「大司教様、こいつらを逃がすと……?」カヤールが、信じられないという顔でラナドを見る。

「カルロス殿、山脈を超えるガイドをあなた方に紹介する約束でしたが、今はそんな状況ではないし、そんな時間の猶予もない。あなたなら、魔法をかけて、この町の誰かに化けて、この聖堂から、そしてこの町から逃げ出す術もあるでしょう。さ、早く立ち去った方がよい」

「――わかりました、大司教殿。犠牲になった信者たちの遺族には、いつか必ず、補償をいたします。実は、私はこのようなものなのです」

 と言って、カルロスは懐から取り出したメモ紙に、ペンで走り書きをしてラナドにそっと手渡した。

 それを一目見て、読んで、ラナドは納得したようにうなずいた。

「やはり、あなた方には旅を続ける使命がおありのようだ。こうして出会ったのも何かのご縁でしょう。あの悪魔が悪いのであって、あなた方は悪くない。さあ、早く、この聖堂から脱出しなさい。聖堂からの抜け道は、私が知っています」

 ハンスは、カルロスが書いたメモ紙を読もうとしたのだが、カルロスがわざとハンスに見えないように素早く手渡したため、見ることはできなかった。

 ラナドはメモ紙を魔法で燃やすと、カヤールをその場に残し、カルロスとハンスについてくるように指示した。

「大司教様……どうしてあんな奴らを助けるのですか………」

 泣き崩れる信者たちと一緒にその場に残されたカヤールは、ただそう呟いて、ポカンとしているしかなかった。12人の信者が亡くなったのだ。おまけに、聖堂の内部は少し浸水し、血と肉片でめちゃくちゃ、ときている。みなの信仰の支えであった、女神サラソタの像も粉々だ。

 一方で、そのころ、ラナドとカルロス、そしてハンス達3人は、聖堂の奥の扉を抜け、ラナドの導きのもと、秘密の地下通路へと降りて行っていた。

 カルロスは冷静に、ラナドについて行っているが、ハンスはどことなく目が虚ろで、カルロスに半ばひっぱられるようにして走っている。

「おい、ハンス、ほうけるのもたいがいにしろ。どうした、あの化け物が怖かったのか?それとも、肉片の残酷な光景に、やられたのか?」

「違うさ、ただ、俺のせいで、たくさんの人が死んだって思うと……それに、カヤールも、俺のせいって、言ってた……」

「お前、鍛冶屋の息子に生まれて、剣術の扱いにはたけてるみたいだが、実戦経験はないに等しいな?」

「学校の授業じゃ、あんなふうに人が死ぬなんて、言ってなかった……」

「まあ、普通の剣技ではああはならないな。あれは、悪魔が人を、死生術ではじけさせたから……」

 そこまでカルロスが言ったところで、信者の最期の無残な光景を思い出したのか、ハンスが急に立ち止まり、胃の中のものを戻してしまった。

「ハンス殿!」と、ラナドも立ち止まり、心配する。

「大丈夫か、ハンス……」と、カルロスがハンスの背中をさする。

「くっそ……」

「え?」

「くそっ、って言ったんだよ!俺がもっとうまくやっとけば、信者はあんなに死ぬことはなかったんだ。いや、最悪、俺がこの身を差し出しとけば……誰も死なずに……済んだんだ……」

「ハンス、そんなこと言うんじゃない。よく考えろ……お前が死んだら、シュザンヌはどうするんだ?」

「……カルロス……俺は、いったい、どうすればよかったんだろうか?何が正義で、何が正しいのか、俺にはよくわからない……」

 とはいうものの、立ち止まるわけにもいかず、2人はハンスを支え、なんとか地下通路を進み、ラナドは見事地下通路への侵入する唯一の扉を完全にしめ、鍵をかけた。

「この錠前の鍵は、私しか持っていない。これで、あなた方は安全だ。町の中を変装して逃げたらいい、と言ったが、あれはカヤールを欺くための嘘だった。この町にも、魔法を使える人間は多数いる。そんな変装も、見破られるだろうから、意味がないからな」

「なるほど、だから我々の存在も、変装のかいなく、あなた方に見破られていた、ってわけか」

 カルロスが、あのわいろをやった老婆の笑顔を思い出していた。ラナドが頷く。

「この地方……つまり、あなた方か来たであろう、魔法の本場、メルバーンやマグノリア帝国、エルフの国イブハール、それ以外の地域にも、あなた方の使う魔術とは異質かもしれんが、魔法を使える人間は数多くいる。これから、あなた方は山脈を超えると言ったが、あなた方の知らない魔法を使う人間には、気を付けることだ……この世界には、あまりにも多くの未知の魔法が存在している。それは、一種の神秘だ」

 言いながら、ラナドは光をともす呪文を唱え、壁に立てかけてあったたいまつに火をともし、真っ暗に近い地下通路を、2人を案内した。

「ここからは、走る必要はないだろう。……ハンス君も、そんな状態ではないだろうし」

「……俺は、もう大丈夫です。……ただ、自分のしたことに、自信が持てなくて」ハンスがうつむく。

「若者よ、おぬしには、シュザンヌという、将来を約束した大切な人がいるようだが。察するに、そなたの旅の目的も、その女性によるものでは?」

「おおもとは、そうです。いや、その通りです」と、カルロスが代わりに答える。

「……ふむ。ハンス殿、“恋”とは、いや”愛“とは、難しいものかもしれない。しかし、君は一人の女性を幸せにできる男性だと私は思う。あれほどの強力な悪魔に目を付けられるほど、今回の件は重大ごとということだろう。私にも察せられる。何かの強力な因果が働いているようだ。信者たちには、私から説明しておく。地下通路で、密かに君たち二人を始末したとでも、言っておこう。偽物の死体を作ることなら、エルフのカルロス殿、あなたにならできるはずです」

 ラナドは、通路の脇に流れる地下水路を指さした。そこに、死体を作って沈めろ、とでも言うかのように。

 一瞬の躊躇ののち、カルロスは「はい、できます」と答えた。

「ならよろしい。さて、ハンス殿、自分の運命から逃げぬことだ。それが、死んでいった信者たちへのせめてもの償いにもなるだろう。この先、何が起こるのか、私にもわからんが、それでも、私は君には、進んでもらいたいと思っている」

「……ラナドさん……」ハンスの目に、光が戻ってくるのが、感じられた。

「自分の運命から、逃げない、か……」と、ハンス。

「その通り」と言って、ラナドは複雑そうな顔をした。

〈この若者のせいで、信者たちが多数死んだのは事実。だが、だからと言って、この二人の旅人の背負う重大な旅の任務を、邪魔するわけにはいかんな〉と、ラナドは心中密かに思っていた。

「この地下通路を進み、分岐点を曲がり、40分ほど歩くと、町の外に出て、エンテ山脈の中に通じています。この町の地上を通らずに、山脈へと行けるのです」

「何から何まで、感謝する、ラナド大司教」と、カルロスが礼を言った。

 3人はしばらく無言で歩いていた。

 心の整理がついたのか、ハンスがふとカルロスにこう質問した。

「カルロス、今ここで、聞いてもいいか……さっきの答えを。奴らがシュザンヌを狙う理由と、シュザンヌのトリステスについて……お前、何か、隠してるだろ」

「私が聞いてもいい話なのですか?」と、ラナド。

「いいよな、カルロス」とハンス。

「……」カルロスは、立ち止まり、腕組みをしてしばし考えていたが、少しして目を開けて、ハンスをじっと見た。

「いいだろう。だが、これを聞いて、ハンス、お前は俺をそのあとも信用してくれるかな?俺は俺なりに、この旅を楽しんでいるつもりなのだがな。お前の成長を見たいと思ってるしな」

「それは、話の内容次第……といいたいところだが、まあいい、どんな内容であれ、お前の魔法の授業は今後も受けるつもりだし、お前との旅をやめるつもりは、ねえよ」

「そうか。いつものハンスに戻ってきたようで何より。では、歩きながらでも、話しましょうか、ラナド殿」

 そういって、3人は再び歩き出した。たいまつの灯りがチラチラと壁に反射する。

「……まずは、シュザンヌのこともだが、俺のことから。俺は、ハンス、お前に最後まで明かすつもりはなかったが、ただの一介のエルフではない。俺は、エルフの王族の親戚だ。王族の少し遠い親戚で、ある程度の自由はある一族に生まれた」

「えっ……カルロスが、王族の親戚?だって?」ハンスの声が思わず裏返る。

「……ラナド殿には、メモを書いて渡してあるから、伝えてあるが。お前には、本当に、最後まで言うつもりはなかった。だが、今ここで言った方が、後々のためにもいいだろうと、俺が今判断した」

「……カルロス……お前って、凄い奴だったんだな……」

「正式に言うと、現イブハール国の国王、ダニーデン・アイザ王の2番目の弟の、ひ孫の一族にあたる。王位継承権は99%ない。ほかに優先する継承権のある男性エルフがたくさんいるからな。俺の番にくることはまずない。言うまでもないが、エルフに寿命はないからな」

「そ、そうだな……」

「とはいうものの、俺も一応王族の一員として、それなりの教育は受けて育った。ただし、イブハールから出国することは、危険を伴うとして、なかなか許されなかった。前にも話したが、急病になった息子の命の恩人であるシャイエ殿(シュザンヌの苗字。つまりシュザンヌの両親)を探すためということと、俺も一応自分の身を守れる十分な年齢に達したということもあって、今回、特別にメルバーン行きを許可された」

「……そうなのか。カルロスは、つまり外の世界も、見てみたかったのもあるんだな」

「それもある。もちろん、シャイエ殿にお礼を言うためというのが第一理由だったが、それと同じぐらい、外の世界を見てみたかった、というのもある。だから、お前の旅の目的を聞いたとき、シャイエ殿の娘さんを助けること、つまり恩返しにもなるし、同時に、外の世界を見て、見聞を深めることもできると思ったのだ……。まあ、私が王族の一員であることは、クロード殿には、すぐにばれてしまったがな」と、苦笑いするカルロス。

「そういやあ、お前、クロードと初めて俺の家で会った時、クロードに連れられて、3階で何か話してたな。あの時、クロードはそれをお前と話してたってわけか」

「その通り。クロードは、王宮で勤めていた経験をお持ちの魔術師。当然、任務でいろいろな国に行かれた経験を持つ。だから、私がうっかりつけて外すのを忘れていたエルフの結婚指輪を見て、見抜かれてしまった。エルフの王族の証である指輪はきちんと外していたのに、結婚指輪は、どうせ誰もわかるまい、と思ってつけたままにしておいたのだ。だが、クロード殿は、エルフ特有の結婚指輪の、わずかな違いも見逃さなかった。だから、3階に連れていかれ、身分を隠している理由などを聞かれた……」

「なるほどな」

「次に、シュザンヌの話に移ろう。彼女のトリステスを見せてもらい、タイプ15のトリステスだということを俺は知った。クロード殿も、トリステスのタイプまでは、知らなかったらしい。そりゃあそうだろう、トリステスは、もともと、エルフから発症した病気だからな。エルフの国の人間の方が、トリステスには詳しいものだ。イブハールの方が、トリステスに関する書物の量は、圧倒的に多いし、内容も豊富だ。だから、私は、クロード殿に、シュザンヌのトリステスについて、自分の知りうる詳細を、教えてやった」

「……トリステスが、もともとエルフから発症したなんて、知らなかった……」

「私は、聞いたことがある」と、ラナド。「カルロス殿、続きを」

「はい、大司教。では、次に、シュザンヌのトリステスについてだが、その前に、トリステスの予備知識を、ハンス、お前はほとんど知らないようだから、少し補足説明してやろう。といっても、これはエルフの国の者しか普通は知らない。クロードも知らなかったしな」

「教えてくれ、カルロス!俺は、シュザンヌの命を救いたい……」

「そうだな。トリステスは、それを持つ人間の寿命を縮める。その呪いは、子孫に遺伝する可能性もある。しかし、その対価として、トリステスを持つものは、死ぬ前に、自信の魔力を、誰かに移すことができる。シュザンヌが、お前に魔法力の半分を、渡したようにな。それも当然と言えるだろう、なにせ、トリステスは、そもそも、他人の魔法力を得たいという、禁術を開発しようとした闇の魔法使いであるダークエルフたちから発症した病気だからな。おそらく禁術に失敗して、その反動としてトリステスが生まれたのだろう。タイプは20まであると前に言ったが、この中で、3つ、あることを示すトリステスがある」

「……」ハンスは静かに聞いていた。ラナドも、歩きながら、興味を示している。

「それは、タイプ1と10と15だ。この3つのタイプのトリステスを持つ者は、実は数が非常に少ない。なぜなら、この3種類のトリステスを持つ者は、つまり、エルフの血をひいている、ということを意味するからだ」

「なんだって?」と、ハンス。

「タイプ1と10は、もともとエルフとして生まれたものが発症するトリステスだ。このタイプのトリステスを持つ者は、昔はたくさんイブハールにもいたが、エルフの国にはトリステスを治せる医者が結構いる。だから、今では、タイプ1と10を持つ者は見かけなくなった。一方、シュザンヌのタイプ15のトリステスは、エルフと人間両方の血をひいている者に発症するトリステスだ」

「つまり、あれか?シュザンヌの祖先に、エルフがいたってことか?」

「通常、エルフと人間が結婚し子供をもうけることは、禁じられていると聞く。それも、太古の昔から」と、ラナド。

「その通り。おそらく、シュザンヌの祖先の誰かが、禁じられていながら、禁断の恋をして、エルフとの間に子を産んだんだろう。その血を、シュザンヌはひいていたのだ。ラナド殿の言うように、それは禁じられていることだから、そもそもタイプ15のトリステスを持つ者は、非常に少ない。治療法も、タイプ1や10と違って複雑になってくるし、治療できる医者も少ない」

「……そんな」

「ハンス、酷だがな、まだ話には続きがある。タイプ1と10と15以外のトリステス……つまりの、残りの17個のトリステスは、エルフ発症ではなく、人間の魔術師から発症したトリステスであるということだ。歴史の勉強でもあるな。人間にも、禁術を作ろうとする闇の魔術師はいる。そいつらが禁術に失敗し、発症し、生み出されてしまったのが、残り17個のトリステスだ。だが、こちらは、まだ治療法が多い。ハンス、お前が挑戦しているクエスト、『イブハールの王女さまにシーサーペントのうろこを献上すれば、一人のトリステスを治してくれる』というものは、おそらくこの17個のトリステスのことを指している。現状では、残り17個のトリステスを治すことはできても、タイプ15のトリステスを治すのは、イブハールの王女からしても、たやすいことではないと聞いたことがあるからだ」

「そうだ、お前、王族なら、イブハールの王女だって、知り合いなんだろ?なら……」

「……俺は、このクエストの発案者である現イブハール国の第二王女、アユタヤ姫とは一度幼少期に話したことがあるが、それきりだ」

「……そうか、そういうもんなんだな」

「ああ、俺は王族の一員ではあるものの、地位はそんなに高くないからな、第二王女に謁見する機会はなかなかないものでな。そもそも、アユタヤ王女が、俺に興味をいだいているとは、思えん」

「……つまり、このクエストを完了できたとしても、シュザンヌのタイプ15のトリステスを治せるとは、限らない、ってことか」

「その通り。だが、まだ望みはあるぞ。俺がかけてるのは、そのもう一つの望みの方だ。実は、俺の兄のお嫁さんが、トリステスを治療できる医者に詳しい女性なのだが、義理の姉が言うには、タイプ15のトリステスを持つ者は、今では完全にその血は絶えて、今の世には存在しない、つまりタイプ15のトリステスを持つ者は、今この世にはいないだろう、というのが一般のエルフの見識なのだ」

「だから、治療法も、根絶してしまった、とでも?なんか、俺には、ますます、望みがなくなってきたように思えるが」

「話にはまだ続きがある。タイプ15のトリステスは、人間とエルフの間に生まれし者が受け継ぐトリステス。だが、その特殊さゆえに、タイプ15を持つ者が、エルフの国・イブハールに迎え入れられ、人間からエルフになる儀式を受ければ、そのタイプは、変化すると言われている。それこそ、最後のタイプである、タイプ20のトリステスにな」

 そこまで聞いて、ラナドが驚きの表情を見せた。

「最後のトリステスは、どんな力が?」

「タイプ20のトリステスは、ほかの、悪しき邪悪なトリステスとは違い、“良性のトリステス”だ。特に害はないし、寿命も縮まることはない。タイプ20のトリステスは、その特性から、“聖なるトリステス”と呼ばれている。ただし、魔法力を誰かに渡す力は、失われるがな」

「じゃあ、シュザンヌが、イブハールでエルフにしてもらえれば、タイプ20のトリステスに変化し、命が助かるってわけだな?お前の言ってた“望み”って、そのことか」

「そうだ」

「しかし、人間からエルフになれる例など、私はどの文献からも聞いたことがないが」と、ラナドが口をはさむ。

「その通り。エルフは普通人間を自分たちの民族に受けいれる慣習はない。だが、例外はある。今までも、俺は数件、その例外を知っている。外の者……人間には、秘密にされているが。エルフが人間を受け入れ、不死の力と、数千年、数億年の月日を生きる権利を渡すためには、条件が存在する。それは、①その者がわずかでもエルフの血をひいていること、②無限の月日を生きるために必要な人格の器があると認められた者、そして③エルフの王および王妃に許可されること、の3つだ」

「じゃあ、シュザンヌは、タイプ15のトリステスを持ってる時点で、一つ目の条件はクリアしてる、ってわけか!」

「その通りだな」

「なら、シュザンヌにとっては、いい話かもしれないな。わずかでもエルフの血をひいているのなら、エルフの国にさえ行けて、そこで迎え入れられたら、トリステスもタイプ20になって、えーーと……『聖なるトリステス』だっけか?……になったら、命の心配もする必要がない!いいぞ!それなら、助かるじゃないか」

 喜び、小躍りしそうなぐらい無邪気な顔をしているハンスを見て、カルロスは軽く心に影がよぎるのを感じた。

(ハンス、分かっているのか……?シュザンヌがエルフになって良性のトリステスになるってことは、シュザンヌとお前は、結ばれることはなくなるってことを……?俺が、最初に、「人間とエルフは通常結ばれることはなく、それは禁じられている」と言ったのを、忘れているのか?)

「そうだな」と、カルロスはハンスをじっと見て答えた。

「ならさ、カルロス!」と、カルロスの考えている事に気付かないまま、ハンスは続けた。

「死霊の国になんて、行かなくていいだろ!そのまま、お前の出身国である、エルフの国……イブハールに行けば、そこで誰かに頼み込んで、シュザンヌを送り届ければいいじゃないか!」

「……そこが難儀なところでな」と、カルロスは苦笑せざるを得なかった。

「普通の人間は、直接エルフの国には行けない仕組みになっている」

「へ?」

「クロードのように、大国に雇われた、エリートの素性のしっかりした者なら、そして仕事上の都合でなら、エルフとの謁見を許可される場合もある。だが、シュザンヌは別だ。失礼な言い方だが、彼女は一般の普通の女性であり、いくら俺のような王族の知り合いと言っても、イブハールに行くことは許されないし、許可されないだろう」

「……」

「それに、謁見するだけでも大変なのに、ましてや人間をエルフに迎え入れるなんてことは、前代未聞のことだし、人間をエルフ化するには危険も伴うと聞く。とはいえ、俺にも、彼女を救う手立てのアイディアがないわけではない。そこは、お前が心配するところじゃない」

「……カルロスの言ってること、よく分からないけれど、でも、お前を信じるよ、師匠。俺は、あなたについていく」

「そうだな」と言って、カルロスは軽く微笑んだ。

 微笑んだ裏腹に、カルロスの胸中は複雑だった。彼の言った「アイディア」の一部は、すでにクロードに話してあった。そのことも、ハンスにはふせていたわけだが、どちらにせよ、そのアイディアがうまくいくにせよ、シュザンヌとハンスは将来結ばれることは………。

 そのことを考えると、カルロスは、どうも明るい気分には、なれないのであった。

「お前に一つ、アドバイスをしておく」と、カルロスがハンスに言った。

「イブハールに行く許可を得るためにも、死霊の国を“通る”必要があるってことだ。俺が言いたいのはな!それだけは覚えておけ。だから、クエストは続行と考えていいよ。なにも、シーサーペントのうろこを取る必要はないかもしれんが、死霊の国には行く必要は出てくる。ということだ。だから、魔法の訓練を、これからも怠らない事だな」

「分かったよ。分かった。死霊の国でも、奴らに負けないぐらい、強くなれるように、俺、頑張るからさ!」

 ハンスはやる気に満ち溢れた感じで、苦笑した。

 3人が歩いていると、やがてラナドの話していた、エンテ山脈へと通じる隠し扉のあるところへとたどり着いた。ラナドが歩を止める。

「さあ、お二人とも、長かった逃避行も、これでおしまいですな。誰も見ていないうちに、そして誰もおってこないうちに、早くお行きなさい。それがいい」

「何もかも、感謝いたします、ラナド殿」と、カルロスが頭を下げた。ハンスも慌てて頭を下げる。

カルロスは、すでに、打ち明け話をするまでに、ラナドに言われた通りに、偽の二人の死体を作って、地下水路に沈めていたので、その点でも、安心だ、とラナドは静かに言った。

「私は、感謝されるほどのことは、しておりませんよ。それより、早くお行きなさい」

「はい」

 そういって、カルロスとハンスは、手を振って、二人が出て行った後、隠し扉を魔法で閉じるラナドの姿をちらりと目の端でとらえつつ、地下水路から脱出したのだった。

 二人が隠し扉から地上に出ると、そこはラナドの言ったおとり、すでに町からは出ており、山道への入り口が、あちらこちらに見受けられた。

 町から上がる人々の喧噪のどよめきが、町から離れていた二人の位置からも聞こえてきた。

 どうやら、(当然の事だが)、人々の混乱は今でも続いているらしい。ラナドを信用しないわけではないが、一刻も早く逃げた方が、無難なように思えた。

「ハンス、暗闇の中の山道など、危険で行きたくないだろうが、行くしかない。進むぞ。俺が光をともすから、ついてこい」

「おう、分かってるって、俺はあなたについてきますってば!」

「よし、その意気だ。行くぞ」

 そういって、二人の旅人の影が、山中へと消えていった。その姿は暗闇へと溶け込み、誰にも見えなくなった。




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