エクストラ 美玖の追憶(終)<本編第9幕>

 涙が乾くまで待っていたのか、ヨシ君のお家との距離を測られたくないのか。運転手は車を何度も右折左折させていた。そうして走るうちに、車窓の右手に見えてきた小高い丘は――住宅団地だった。


『お嬢さん。そろそろ寄宿舎に到着します。手荷物をご確認ください』


 ここは、どこ?――時間にして一時間半ほど過ぎていると思った。少しだけ慣れた車内の雰囲気ですら、いつまでも親しんでいられないようで。それがとても心細い気がしたから、弱音が出てしまったんだ。


『残念ながら、お答えできかねます。あまり詮索されないのが、ここで長く生きるコツかと』


 車通りのない二車線の道路を車はゆっくり上がっていって。すれ違ったのは、ただ一台の黒のワンボックスカーだけだった。


 ……そのボックスカーの中は、様子が分からないようカーテンを閉めきっていた。どうしてかボックスカーが、この先の未来を暗示しているように思えた。だから数少ない手荷物を抱きしめてポツリ――ヨシ君……


   ◇◆◇


 寄宿舎は、古めかしい四階建てのアパートだった。似たアパートが他に四つほど寄宿舎前から見えた。丘の大きさを思えば、もっと建てられているだろうと思えたよ。


 運転手さんが言うには、この集合団地すべて合わせて羽田野家が買いとったという話で。こんな真似をした理由は――招かざる人々を寄せつけないためだったらしい。


 羽田野家は秘密裏に何かを実行しようと言うのか、あるいは隠しとおそうと言うのか。不思議すぎて、考えずにはいられなかった。


『お嬢さん。手前てまえとはここでお別れです。この先はあの入口にいる女が案内します。健やかに過ごされると願っております』


 運転手さんが指さしたと同時に、寄宿舎の入口に立っていた女性がお辞儀をした。その姿は初めて見る本物の敬礼だと思えたんだ。


 数少ない手荷物を持って車を降りた。そこに案内係の女性が寄ってきて――


『須賀谷美玖さまですね? お坊ちゃまより事情は伺っております。須賀谷さまのお部屋へご案内します』


 美玖の背後では静かに車が去って行った。これでもう独りでは逃げられない状況になって、ため息まじりに女性の後ろをついて行ったんだ。


 入り口を抜けてから、女性はここでの生活の仕方一日の過ごし方を説明していった。ただ外見の古めかしさとは裏腹の、きらびやかな内装が美玖の心を落ち着かなくさせて。大事な説明もあっただろうに、聞き流すようになってしまった。


 ただ、そんな初見の人間はありふれていたのか、案内人は最後に――


『ご不明な点は、お部屋の中のタブレットでご確認ください。タブレットの操作でご不明があれば、内線電話がございますので――』


 分からないことは聞いてほしいというのだけど、他方で美玖をカゴの鳥と言っているようだった。


 そして――美玖専用と言う部屋に押しこめられた。その部屋は思ってもみないほど広くきらびやかで、女の子の一人暮らしに使う部屋だとは到底思えなかった。


 その部屋の意味を知るまで、一月と掛からなかったんだ。


   ◇◆◇


 連れてこられて二週間以上になった。その間に外出の許可をお願いしまくったけれど、まったく聞き入れてもらえなくて。ただ一貫して、身体を清潔にし、メイクの上達を求められた。


 この部屋へ案内した女性――ハウスキーパーの前で初めてメイクしたときは、あまりにも無様で野暮ったいと評価されて。ヨシ君がカワイイと、好みだとほめてくれたメイクを馬鹿にされて――美玖の大事な思いでを軽く見られたようで、とっても腹が立ったんだ。


『ここを訪れるお客様のお好みは、高校生男子ごときが好む安いものではございません』


 美玖の訂正を求める言葉は、こうして一刀両断された。どこにでもあるドラッグストアであった出来事のこととはいえ、ヨシ君とおくれた楽しい記憶をうち壊されてしまった。


 そんな失意の美玖をしかるハウスキーパーの目は、目的遂行だけを目指す無機質なものに見えたんだ。


   ◇◆◇


 来る日も来る日も自分みがきさせられて、三週間がたった。現れたのは――


『やあ、元気してたかい?』


 ハウスキーパーを従えた、羽田野が部屋に入ってきた。突然のことに驚きすぎて、メイクレッスンの手を止めてしまった。


『須賀谷さん。お坊ちゃまのです。お迎えのご挨拶はどうしました?!』


 貴人が入室した時の立ち居振る舞いは、もう教育されていた。にも係わらず美玖ができないでいては、教育係の彼女がご主人に見放されてしまうのかなと思えた。


 だから身動きしない美玖に、ハウスキーパーの怒りが飛んだよ。それで教育の成果が表れて――その声で体のスイッチが入って――


『いらっしゃいませ、充彦ぼっちゃま。本日はお越しいただき、誠にありがとうございます』


 笑顔でカーテシーを決めていた。ハッと気づいて、にらもうとしても……表情は笑顔のまま崩れそうもなかった。


 内面でせめぎ合い体を震わせる美玖の姿を、羽田野がくつくつと笑って――


『山野井さん、今日はいいよ。前触れもなしにやって来た。マナー違反はこちらだからね。それにガチガチのまま、お相手を勤めてもらってもね』

『はあぁ。坊ちゃまは甘いです……須賀谷さん、


 彼たちのやり取りでやっと体が。同時に体の力も抜けて、床に崩れ落ちた。そんな姿をやっぱり『無様』とののしるハウスキーパーがいて。その横では、より楽しそうな声を上げて羽田野は笑っていた。


『中々に順調だね。さて、時間もないからさ、お相手してもらおうかな。


『元気してた? お姉ちゃんは少し退屈してたんだ。だから……キミが、相手してくださいね』


 再び自由がきかなくなって――勢いよく立ちあがり、おもねるような笑顔を遠くの姿見に映していた。そして軽い足どりで羽田野に近づき――彼の首に両腕を回して口づけた。


 羽田野は満足げな笑みを浮かべ、美玖の唇を割ってきた――美玖の本心を置きざりにして。


――イヤ、イヤぁ――


   ◇◆◇


『やあ、

『もうお姉ちゃんを待たせるなんて、ダメなんだからね』


 羽田野が来た数日後から、お客様が美玖を訪ねてくるようになった。なぜか、どのお客たちも姉弟の設定で遊んでいこうとしていた。


 そのことをハウスキーパーに尋ねたことがあったけど――にべのない返事だけしかくれなかった。


『身から出た錆です』


 たしかに覚えがないわけではなかった。けれどサビになった出来事を大っぴらに話したことはなかったはずで。美玖のあれこれを羽田野に教えたのはだれか――それがとても気になりだしたんだ。


『おねえちゃん、何か気になることあるの? お願いだ、こっちを向いて?』

『ああ、ごめん、ごめん。今日はおもいっきり甘えさせてあげる約束だったね。さあさあ、こっちへおで』


 美玖よりずっと年上で、どこにも弟らしさなんてない男性の腕をとって組んだ。彼は占めたものだと、美玖の豊かな部分へ手を伸ばしてきて――


『まだはやーい』


 スルリ腕を引き抜いて、手を引くように彼をベッドに誘導したんだ。本心をぞんざいにしたまま、体だけ勝手に動いたんだ。


――イヤ、イヤ、イヤぁ――


   ◇◆◇


『美玖ちゃん!』


 ハル君?――たまった疲労のせいで、ベッドから起きあがれないでいた。そんな時にノックの音が聞こえても、反応する気にならなくて。そんな美玖を構うことなく、呼び声と共にドアが開いて――まさかの人物が飛び込んできたんだ。


『美玖ちゃん! ああぁ、こんなにやつれて』


 あはは、こんな姿見られたくなかったな――ドアのほうを力なく見て、微かに笑った。おかげでグチも止まらなくて。だから心配げな表情のハル君が近よってこようと――


『佐賀美さま。触れてしまえば、無事ではすみませんよ?』

『――くっ!』


 後から入ってきたハウスキーパーに静止されていた。彼女は相変わらず冷ややかな目つきをさいていて、美玖を――ハル君でさえ下に見ているようだった。


 たぶんハル君も羽田野には逆らえなかったんだろう。そんな状況は私立校での様子で察することはできていた。でも明らかにあの時期とは違う雰囲気を、ハル君は醸しだしているようだった。


『……今日は残念な話を伝えに来たんだ』


 残念? 何のこと?――少しだけ間をおいて、ハル君はここに来た目的を果たそうとした。でも今さら、寄宿舎の外の事情に意味があるとは思えなかったんだ。


『気を確かに持って聞いてほしい』


 ハル君が念を押すから、強い意味があると思えたんだ。急な緊張に、ノドが鳴ったよ。


『美玖ちゃんのお母さんが死んだよ』


 ……ウソ――頭の中が真っ白になった。体が他人よりは弱かったお母さん。カゼは引きやすかったけれど、重症になることはまずなくて。何より最後に会ったときは、気落ちしていた以上には体調に悪い影響は感じなかったのに。


『お母さんの死体のそばには、ヨシの父親の遺体もあったそうでさ』


 …………なぜ??――ハル君の続いた言葉は美玖を混乱させたんだ。美玖の本当のお父さんかもしれなかった、ヨシ君のお父さんの敬二おじさん。でもヨシ君のお父さんだから、悪くは言いたくなかった――そんな人ではあったのだけど。


『現場を検証した警察からの情報だったんだけど……二人の遺体には性交の痕があったんだって』


 ………………まだ?――お母さんを無暗に疑いたくはなかった。お父さんの手紙の通り――ある一時期の過ち――それだけだと、ずっと思いたかったんだ。でも裏切りは未だに続いていた、その証拠を物語っているようで。


『現場はヨシの家だったんだ。だからヨシあいつのお母さんがショックを受けて、お母さんの田舎へ引っ越すことにな――――』


 ……………………どうして?――目の前が真っ暗になった。その中でヨシ君の背中がどんどん小さくなっていって、最後には水滴ににじんでしまうように消えさった。


『美玖ちゃん! しっかりっ!』


 ハル君の声はもう聞こえなくて。ただただ疲れて動かない腕の代わりに、美玖の心の叫びだけ彼方へと伸びていたんだ。


――イヤ、イヤ、ヨシ君、イカナイデぇ――


   ◇◆◇


 ハル君が訪れてから半月分の夜が明けた。その間、シカバネ無気力な生活が続いたんだ。お客人の相手なんて、スイッチを入れられてしまえばに従うだけだったから。


 当然、こんなことではお客人も興味を失っていくわけで。ハウスキーパーからのお小言は日増しに増えるだけで。その彼女が上役を呼びだす日までは、それほど掛からなかった。


『やあぁ、久しぶり……』


 突然の訪問者は羽田野だった。さわやかな笑顔が、一目美玖を収めたとたんに思案顔に変わったの。それは美玖がベッドに伏したままだったから。


『これは重症だね。先日、佐賀美君が来た時からだったね?』

『おっしゃる通りです』

『その場に居たらしいね。気づいたことはあったかな?』


 ハウスキーパーは自身に向けられた鋭い視線を受けとめて、少しだけ思いだすような顔をしたんだ。


『……身近な人物がほとんどあの世へ旅立った。そう聞かされたからかと』

『ふむ……彼氏については?』

『その話の前に、絶望していたようでした』

『なるほど』


 羽田野は視線を美玖から外して、考え事を始めた。美玖もハウスキーパーも、動きも言葉を放つこともないから、沈黙がこの部屋を満たしたんだ。でも冷徹な声が沈黙を切り裂くまで、それほど掛からなかった。


『残念だね。キミならこちら側に来てくれると期待していたんだ』


 以前から羽田野に、熱心に勧誘されていた記憶がよみがえった。そんなにも美玖を評価していたんだろうか。本当のところ、心弱い小娘だったというのに。


『山野井さん、いつものルートで宜しく』

『承知しました』


 もう羽田野は美玖を見ていなかった。ただハウスキーパーも見ていなかった。彼が見ているのは未来の仲間か、それとも……


『さようなら、須賀谷さん』


 そう言葉を捨てて、羽田野は部屋を出ていった。シカバネな美玖はただ見送るだけで。でも、同じく彼を見送るハウスキーパーは――彼女は口の端を持ち上げていた。


   ◆◇◆◇◆


 ねぇ、何あきらめてんの?


「……もう、ヨシ君に会えないし……」


 会いたくないの?


「……会いたいよ。でも、願い出ても……」


 行動しないで、わかるもの?


「……判るから。彼女は美玖をキライ。それに……遠すぎて……」


 本当か、試してみようよ?


「……もう気力もわかないんだ……」


 じゃあさ、そこ代って?


「……えっ?……」


「このままじゃ、いつまで生きられるか、怪しく思わない?」


 ……そうだけど……


「だったら、任せてみない?」


 ……………………


「だまってるなら、賛成とみなすわよ?」


 ……………………


「決まりね。はまだ、あきらめてないんだから」


 ……………………


   ◇◆◇


一度でいいからを動かしてみたいと思っていたらしい。


 前にいた、たくさんのたちは、ある時から順に消えていなくなった。最後に残された、には、好奇心だけがいっぱいだった。


 だから夜になると、美玖ホンモノの代わりを彼女が務めはじめた。



 ハウスキーパー気むずかしい女の受けがだいぶ良くなってきた。おかげでお客さまたちも、もう一回やって来るようになった。お客さまはかわいいとおだててくれる。だからサービスをいっぱいいっぱいしてあげた。


 だけど不安はなくならなかった。それどころか、おびえて過ごす毎日にかわっていく。おとなりさんから、イタイイタイとさけびの声が聞こえるから。


 まだは痛みを受けていないかった。けれど雪がふるさむい日、ついに事件は起きた。の顔をびんたしたり、お腹にグーを入れたりする、お客についてしまったから。


 ひどい痛みにベッドをころげ落ち、こわさに歯がチカチカ音をたてた。大声でどやしてくるお客に、何もいいかえせなくて。そんな弱気につけこんで、もっとの顔をお客は痛めつける。


 さらにくり返そうとしたところで、ハウスキーパー気むずかしい女が男たちをつれて乗りこんできた。お客はグーをたくさんあびてたおされた。さっきまでお客だったものは引きずられて、お外へとはこびだされた。


 それを見おくるハウスキーパー気むずかしい女を見て、顔をゆがませたんだ。


「ようやっと、邪魔者を完全排除できますね。あと少しです。を捨てられたし、次は…………捨てられそうだからと、おべっかを使いだすなんて。たいへん気に入りません――このブタは 初めっから、気に入らなかったんですよ!」


 さらに顔をくずして、をにらみつけた。そのはくりょくに、体は横だおしになったんだ。こわくてこわくて、がコントロールを手ばなしてしまったから……



 ……近ごろ芽生えたらしい小悪魔も、消えてしまった……


   ◇◆◇


「美玖ちゃん! ケガをしたって?!」


 ノックもなく、飛びこんできたのはハル君だった。その後ろからのんびりと大男も入ってきた。ハウスキーパーでないたことが、美玖の近い未来の暗さを物語っていると思う。


「こんなにも包帯を巻かれてるなんて。ハウスキーパーは何をしていたんだ?!」

「もう少し、お静かに」


 美玖の今をハル君が嘆いたところで、大男がハル君の頭に手を乗せる。それはすぐにでもこの首をねじ切れると、脅しているようだった。


「解ってる」

「結構です」


 ハル君は大男への眼差しを精一杯の鋭くした。いつの間にこんな強さを身に着けたのかな――そんな疑問が頭にうかぶ。


 大男が手をほどいて少し後ろに下がると、あらためてハル君が近づいてきた。


「触れてはなりませぬ」

「それも解ってる。だが見舞いの花ぐらい、置かせてくれ」


 もう一度、大男はここの規則を盾にとった。ハル君が不機嫌そうに答えるけれど、それはある種の芝居を隠すためだった。なぜなら……ハル君は笑顔を浮かべていたから。体を動かすのもつらい美玖では、ハル君の姿がちらとしか見えない。じっくり見ていないから、笑顔になる意味が分からなかった。


を見て、どうか静養に励んでほしい」


 顔の前にかざされた花束は、細身の花三輪だけ。それを美玖の頭の横に置いて、ハル君は励ましてくれた。先のない美玖には無意味かなと思う。ただ――


、それじゃ」


 大男には聞こえない、小さな声でハル君がつぶやいた。そしてすぐに、飛びこんできたときと同じ表情を作って、こちらに背中を見せた。そのまま言葉もなく、ハル君が部屋を出ていく。


 そのハル君を大男は送りだして、それから姿に似あわない俊敏さで花束を回収したね。花束をザっと眺めたと思えば、そのまま持ってハル君の後ろを追っていったよ。開いたまま残されたドアは、少し間をおいていつもみたいにひとりで閉じたの。


   ◇◆◇


 目を閉じていたら、うつらうつらしていた。気づけば、ハル君のお見まいから、長い時計の針が一周以上していた。


 体のあちらこちらに受けたたくさんの傷――その痛みはで誤魔化されていた。けれど副作用みたいで、体を動かしたい気持ちがどこかへ吹きとんでいた。だから――放っておいて欲しかった。


 耳元に音を立てるがあって、少し前からしている呼びかけがとても疎ましかった。でも美玖が根負けして、応じたの。


 ハル君、何?――気力のない、かすれ声がでた。それでも――


「美玖ちゃん、起きたんだね。応えてくれて良かったよ


 無邪気に喜ぶ声が、耳を打つ。ハル君が元気すぎて、美玖には毒だった。だから少しだけイヤミを言いたくなって――ハル君は、ゴキゲンだね。


「そうなんだ。聞いてよ、美玖ちゃん。やっと父さんに認めさせたんだ。ぼくは出来るんだって、証明してみせたんだ」


 そう。よくがんばったね――初めはあわせるようなイントネーションだった。でもがんばる人をお世話したくなる性分だから、美玖も少し声を弾ませた。


「それで父さんが報酬だって、ぼくらの秘密を教えてくれたんだ」


 ひみつ?――そんなもの、あると思いもしていない。だから驚きしかなくて、オウム返しになってしまった。


「ぼくら――姉弟きょうだいだったんだ」


 は?――意識しても出ない怖い声が、あきれも混じって出たんだ。佐賀美のおじさまともあろう人が…………


「姉弟だよ、きょ・う・だ・い」


 あまりに美玖が理解できていないと思ったのだろう、ハル君が重ねに重ねて繰りかえす。そもそもお母さんが佐賀美のおじさまと子供ができるようなこと……心の中で否定しかけて、時どき不自然なお母さんを思いだしたんだ。


 お母さんと佐賀美のおじさまの姿は見ていないのに、二人の荒い息が聞こえたりした。そんなことが子供のころから、どれだけあったのか……


 お父さんを大事な人だと口にしたお母さん。佐賀美のおじさまを迎えいれたお母さん。事実だけ教えられた、ヨシ君のお父さんに種をもらうお母さん。それらが重ならなくて、美玖の心がきしんだ。


「ヨシとじゃない。美玖ちゃんは――ぼくのお姉ちゃんなんだ。だから喜んでいいんだ。半分だけと言っても――――」


 ハル君のお話は続いていた。でも美玖は……お話を聞かなかった……うんん、聞けなかったんだ。


 パリン――きしみが強まって音を立てた。美玖の心が粉々に砕けた音だった……


   ◇◆◇


 底なしの暗がりへ落ちていく、無数の欠片たち。欠片の色は白であれば黒でもあって。赤や青や緑や茶に輝く七色にさえ、次々に移りかわる。


 それらは次第に無数を超えるチリとなり、蒸発するように消えていく。いくつかの振動だけを、絶望の果てに反響させて。


――より所をとり違えていたなんて――


――ひとりでバカみたいに踊りくるっていたなんて――



――愛しい人をあざむいて苦しめたなんて――




――もう許しての声も届かないなんて――





――だったら……このまま消えてしまおう――






――だれの手にも届かないところへ行ってしまおう――






        プツッ






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