エクストラ 美玖の追憶(2)<本編第2幕>

『ねぇ、美玖ちゃん。ボクの……家庭教師、してみない? お金はたくさん出すからさ』


 美玖にとって魅力的な提案をハル君がしてくれたの。破格だと正直思ったのね。お父さんたちの手助けになりそうだから、提案に乗ろう――そう思って声を出そうとして――


『ハル、てめぇ! 美玖を買おうってのかあ?!』


 でもヨシ君が大きな声を上げたの。美玖は開けた口が閉じて――ヨシ君を見あげたのね。立ち上がって手をグーにして怒った顔で、ハル君に怒声を浴びせていたんだ。


『ヨシ、お金は理由なく渡せないものなんだ。言い訳が必要なんだよ』


 ハル君は落ち着いた感じではいたけれど、何故か勝ち誇った顔を付きでヨシ君と向かいあってた。そう――ヨシ君を挑発するような態度で。そのときのハル君の顔が佐賀美のおじさまに見えだしたわ。


 美玖が自分の気持ちを言いだす前に、ヨシ君の怒りがピークに達していたの。ヨシ君はグーを頭上に掲げ、ハル君に殴り掛かった。美玖はハル君が避けると思った。でも表情を変えず動きを見せないハル君は、ますます佐賀美のおじさまに見えて――慌ててヨシ君に飛びついた。正面からヨシ君に抱きついて、ヨシ君の前進を止めた。


『美玖! 放せ! は・な・せ!』

『ダメ! ダメだよ! 怪我させちゃだめ!』


 美玖の脳裏には、佐賀美のおじさまがヨシ君を断罪してる光景が浮かんでいたの。あの人ならハル君をそそのかしていても不思議はないって。ハル君を傷つけたから、ヨシ君はタダでは済まなくなったって。


 そして美玖も分かったことがあったんだ。美玖はこんなことでヨシ君を失いたくないって思いを――ここまでしてもいいってハル君に思わせた美玖は、友達の忠告も聞かない悪い子だって。


『あーあ。ヨシ、カッコ悪いな。助ける方法を考えようって、言い出したのは、ヨシだよ?』

『何を! 放せ、美玖。放せ!』


 ハル君が調子に乗ってさらにヨシ君を挑発したわ。ヨシ君ももっともっと怒りを募らせるから、美玖では押さえようもなくなってきて言葉も出なかったの。どうしたら二人を止められるか、もう分からなくなったとき――


『どうした? 何を騒いでいる?』


 お父さんの声が聞こえた。工場から戻ってきたところみたいで、リビングに顔をだしてくれた。美玖はこれ幸いと助けを求めたの。


『お父さん! 二人を止めて』


 こうしてお父さんに仲裁してもらったのだけど、二人がちゃんと顔をあわせてお話しする日は来なくなった。


   ◇◆◇


『今日はどんな用事?』


 中学校の裏庭に美玖は呼び出されていたの。特に校舎の出入口から目線の通らない場所にやってきていた。


『町工場の様子はどうかなって思ってね』


 ハル君は以来、工場へも美玖の家にも来なくなっていた。仲たがいしたヨシ君が美玖のそばにいたから。逆にヨシ君はできるだけそばに居ようとしてた。警戒してるからだと思ったの。だから今も、ヨシ君には内緒で裏庭を訪れたんだ。


『あまり良くないかな』

『そっか…………で、あの時の提案にイエスはもらえそうかな?』


 何気ない世間話に時たま、ハル君はあの日の提案をまぜてきていた。美玖は蒸しかえして欲しくなかったから、頭をふって断っていたの。その時のハル君は本来のようにしょげた顔をするから、美玖は悲しくなっていたの。


『……まあ、その気になったら何時でも言って欲しい。ぼくに出来ること――ぼくの家にあるのは、お金くらいだからさ』


 そう言って、美玖が来た方とは別の校舎の出入口に向かって、ハル君は去って行った。美玖の中に悲しませただけの記憶がまた一つ降り積もったのね。今日もと気持ちを沈ませていたときに――


――カサリ――


 美玖がやってきた方から草の葉を弾く音がした。慌てて振りむいても、だれもいなかった。けれど、美玖には分かったんだ。ヨシ君がそこに居たってね。


 美玖の両目から自然と涙がこぼれ落ちたの――お昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り止んでも。


   ◇◆◇


『融資先や取引先を回って来る。夕飯には戻るから、朱美はご馳走を作っておいてくれ。美玖もお母さんを手伝ってくれな』


 美玖が中学校へ行こうと家を出るとき、お父さんから掛けられた声。この日はヨシ君のお誘いも断って、真っすぐに帰宅したの。お父さんの言いつけ通りにお母さんを手伝おうと思ってね。


 でも、家の中の電気はどこも点いていなくて変だと思ったの。居るはずのお母さんを探してみれば、お父さんとの寝室にいてベッドで泣き崩れていた。


 泣いてる理由を聞いても美玖には話してくれなくて。ただ謝罪だけ繰り返されたのね。だからお父さんお母さんと仲の良かったヨシ君のお家に連絡して、事情を知らないか聞こうと思ったんだよ。


 けれどお家の電話がなったから、すぐにはできなくなったんだ。泣いてるお母さんに代わって美玖が電話に出たのね。


『ふむ、娘さんですか。気を確かに持って聞いて下さいね。あなたのお父さん――須賀谷俊郎さんがご遺体で見つかりました。突然で申し訳ないのですが、パトカーを差し向けますから、署までご遺体の確認でお出で願います』


 ショッキングな話に感情がついていかなかったの。今日は久しぶりに一家団らん、楽しく夕食どきを過ごすんだって、思い込みたくて。でも冷静な自分も居たんだよ。何時かこんな日が来るんじゃないかって思ってた自分もね。


 電話の内容を伝えたら、お母さんはしくしくという泣き方から、号泣に変わったんだ。お父さんに向かって大声で謝まりながらね。そして部屋の片すみに置かれていた裁縫道具箱から、断ちきりハサミを取り出したの。お母さんはを突こうとしたんだよ。


 とっさに美玖は止めたんだ。そしたら美玖にすがりついて、お母さんは美玖に謝罪を始めたの。そこで美玖はピンときたんだよ。お父さんの死に、お母さんが係わってるんじゃないかって。それで口を開こうとしたんだけど――


――ピンポーン!――

『須賀谷さん、いらっしゃいますか? 警察です』


 お迎えの警察が到着してしまったから、お母さんと二人きりでお話する機会を失ってしまった。この後、お父さんの葬儀やら相続やらで忙しくなって、お母さんに隠しごとがないか質すこともできない日々が続いてしまった。特に葬儀の細かいことは、お母さんに代わって美玖が対応して、喪主も務めなければならなかったから。


   ◇◆◇


 お父さんが亡くなって一月過ぎたころ、お父さんの工場で取締役会という会議が行われたと聞かされた。お母さんが伏せっていたから、佐賀美のおじさまが訪ねてきたんだ。美玖も同席させられてね、佐賀美のおじさまが社長になった話を聞かされたんだよ。


『朱美君――君を会計から社長付き秘書に任命する』


 特に辞令を聞かされたとき、お母さんはうなだれてしまったの。小声で体調不良を訴えてはいたんだけど――


『体調不良は理解するが、少しは出勤してもらわねばな。この私が社長に就任したからには、須賀谷君のように無駄を容認しはしない』


  お母さんは消えるような声で『はい』と答えるだけことで精一杯そうだった。そんなお母さんに要は済んだかのように、佐賀美のおじさまは美玖の方に顔を向けたんだ。


『最近、晴信愚息との交流が途絶えたと聞いているが?』


 普段は気にも留めていなかった佐賀美のおじさまが、この日はハル君を思いやる言葉を投げかけてきた。不思議に思えて質問の意図を問い直そうと思ったんだけれど、おじさんの眼光がきつくて出来なかった。だから素直にヨシ君と仲違いしたことを話してしまったの。


『ふむ。あの佐久間の子らしいな。親がチンピラなら子も同じか。私は感心しない。付き合うなら晴信愚息にしておけ。その方が未来に得があるだろう』


 まさかのヨシ君否定に絶句してしまったのね。そしてハル君を推してくるとも思ってなかったんだ。ハル君を気にかけていないと思ってたからね。


『邪魔をした』


 言葉の出てこない母娘おやこにこれ以上の時間は不要と感じたのか、言い捨てて佐賀美のおじさまはお家を出て行ったの。


   ◇◆◇


 佐賀美のおじさまの言葉を考え出して数日経ったの。この先の困窮を抜けるための方法じゃないかってね。


 その夜、ハル君から電話が掛ってきた。いつもより甘えた声で。


『やっぱり、美玖ちゃんにお願いできないかな?』


 ハル君がお仕事のもっと詳しい条件を並べていった。お金はいくらとか、日払いでとか、週何日で何曜日にとか、何時からとか、待ち合わせの仕方とか、色々と……


 思い迷ってイエスともノーとも答えの出ない美玖に、もっと甘えた声を潜めてハル君が言ったんだ。


『内緒にすればいいんだよ。ヨシのヤツにはさ』


 内緒!――ヨシ君を止めた日に捨てたはずの悪魔が降臨した。意識する間もなく、承諾の意を伝えて通話を切っていたんだ。そこではたと気づいたの――ヨシ君に申しわけないことをしたって。


 ふらふらと考えがあっちへこっちへ跳び回る。今すぐハル君に謝ってなかったことにしようか、ヨシ君に打ち明けて許してもらおうか、ヨシ君にも同席してもらえないか、ハル君には悪いけどサボってしまおうか、それとも……


――そんなに悩むなら、ヨシ君に大事なものを上げておけばイイじゃない?――


 不意に悪魔の声が聞こえた。


――ヨシ君に――大事なを――上げて――おけば――イイ――


 悪魔の声が再び聞こえる。それも強調したいところに抑揚を付けるように。そして美玖は知らず復唱していた――心にしみ込ませるように。


 ついに美玖の身体は携帯を手に取り、メッセージアプリを起動して――


『今週末お泊りに行きたいの。大丈夫かな?』

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