最終幕 時計の針は動き出す

 今日で何度目だろう?――美玖に過去を語り掛けだして十年を超えた。辛いことも幸せだったことも、何が呼び水かは分からない――医師の助言に縋って語り掛けてきた。けれど美玖は僕を佐賀美晴信と……佐久間義彦を思い出せなかった。


 美玖の思い出せないことは他にもある。高校入学試験の日から生命の灯火が消えかけていたあの日まで、かなりの記憶が抜け落ちていた。美玖の心はほぼ中学生の頃へ巻き戻って――佐久間義彦が存在しない世界線にいた。


 症状名は解離性健忘。医師曰く、原因は身体欠損を受けた時の体験にあると。指先や胸の先っぽなど、小さな欠損を身体のあちこちに受けていた。


 心当たりは羽田野しかない。けれど推測の域を出ない。訴え出ても警察は動かない――いや、相手が強力過ぎて動けない。


 羽田野を追い詰めようと同じ大学や企業へと進んだが、牙城は厚かった。行幸だったのは羽田野の新たなが同期にいたこと。同期の彼らが入社しなければ、ボロを出すまでもっと時間が掛かっただろう。今でも友として付き合い続けてくれる彼らに、感謝が絶えない。


 彼らに執着した羽田野は自滅して命を散らした。彼のブレーンも行方はようとして知れない。僕の復讐は……意味を為さなかった。出来れば美玖の受けた傷痕の数だけ、羽田野を壊したかった。それはもう……叶わない。


 ピリリピロリ!!――携帯が友からのメッセージ着信を告げた。無駄に循環し始めた思考を制止してくれたのは有り難い。早速とばかり携帯を確認する。


 映し出されたのは一枚の写真……いやもっとだ。友は相当親バカになったらしい。生まれて間もない若君を抱っこの真似する五歳ほどの姫御。どうやら姫御は頼もしく成長したようだ。若君を泣かせた写真では、相当やんちゃな様子でもあったが。


 美玖が笑顔を取り戻すまで笑わないと決めていたが、つい頬が緩んだ。そこでふと思いついた――美玖に新しい刺激をあげるのも良さそうだ。


 意気揚々と携帯に映る写真を、姉弟きょうだいが一緒に写るものに戻す。僕に構わずりんごを剥く美玖にも見せようと、隣に腰掛けなおした。


「ハル君、なあに?」


 美玖の声に構わず肩を抱き、腕を回した方の手で携帯の画面を見せる。美玖は携帯を視界に収めると動きを止め――いや、体が固まった。強ばった筋肉が小刻みに震え出し、薄っすらと肌に汗が滲み出した。カチカチと音がしたと思ったら叫び声を上げ出した。


「ごめんなさいごめんなさい――」


 美玖は謝罪を繰り返し、隙を突くように僕を弾き飛ばし――手にしていた果物ナイフを喉を突くような向き持ち直した。


「ごめんなさい、ヨシ君!!」


 僕は身体を割り込ませるので精一杯だった。首筋に走った激痛が意識を飛ばした――

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