第4話

第四章 再生の扉


フィレンツェの朝は静かだった。

薄い霧が石畳を包み込み、冷たい空気が街を覆っている。


ミヤモトは古びた教会の前に立ち、朝焼けに浮かぶ尖塔を見上げていた。

壁には火災の傷跡が今も残り、ひび割れがその歴史を刻んでいる。


「……あの日のままか。」


彼は手をポケットに入れたまま、小さくため息をついた。

誰にも気づかれないように扉を押すと、ギシリと音を立てて開いた。


教会の中は薄暗く、床には砕けたタイルが点在していた。

祭壇には白布がかけられ、長い間触れられていないことが一目で分かる。


「修復には時間がかかるな。」


独り言のように呟いた瞬間、背後から軽やかな足音が響いた。


「おはようございます。」


振り返ると、陽菜が肩にスケッチブックを抱えて立っていた。


「早いな。」


「ミヤモトさんも。」

陽菜は少し笑いながら教会の扉に手を添えた。


「気になってしまって。休むように言われたんですけどね。」


「休めと言ったのは俺だ。」


「ええ、だから余計に気になって。」


陽菜は教会の中を見回し、光の差し込む窓のひび割れをじっと見つめた。


「……壊れたまま、ですね。」


「そうだ。」


ミヤモトは彼女の視線を追いながら、床の破片をつま先で転がす。


「このままでも、教会は教会だ。」


陽菜は少し考え込んだ後、スケッチブックを開いた。


「でも、私はやっぱり直したいと思うんです。」


ページには教会の外観が描かれていた。

ひび割れを残しつつも、新たなステンドグラスが窓に嵌め込まれたデザイン。


「これは?」


「欠けた星のデザインです。」

陽菜は指で星の部分をなぞりながら続けた。


「夜空に輝く星の中には、生まれたときから欠けているものがあるそうです。

でも、その星は他の星よりも強く光るって。」


ミヤモトは陽菜の言葉に耳を傾けながら、ゆっくりとそのスケッチを見つめた。


「欠けた星が光るか。」


「はい。この教会にも、欠けた星の窓があったら素敵だと思って。」


しばらくの沈黙の後、ミヤモトは静かに頷いた。


「それなら、崩れ落ちた部分に嵌めるか。」


「本当に?」


「火災で壊れたままにしてきたが、お前のスケッチを見たら…少し変えてみるのも悪くないと思った。」


陽菜はその言葉に目を見開き、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。」


ミヤモトは窓のひび割れを指でなぞりながら、ぼそりと呟いた。


「どうせやるなら、俺一人じゃ大変だしな。」


「え?」


「お前も手伝うだろ?」


「……ノーOKカット!」


陽菜が突然そう言って、ミヤモトは思わず吹き出した。


「またそれか。」


「ええ、なんとなく。」


「まったく。」

ミヤモトは頭を軽く振りながら、窓の修復作業に取り掛かり始める。


教会の修復作業が始まったのは、その翌日だった。

壁の傷跡を確認しながら、陽菜は新しいステンドグラスのデザインを考えていた。


ミヤモトは脚立に登り、崩れかけた窓枠を補強している。


「ミヤモトさん、ステンドグラスの取り付けって、結構難しいんですか?」


「昔やったことがある。慣れれば簡単だ。」


「じゃあ、私も教えてもらえますか?」


「ノーOKカットでよければな。」


「それ、私のセリフです。」


二人は目を合わせて笑った。


数日後、教会に新しいステンドグラスが取り付けられた。

欠けた星が描かれたその窓からは、柔らかな光が差し込んでいる。


陽菜はミヤモトと並んで、完成したステンドグラスを見上げた。


「星が光ってますね。」


「そうだな。」


ミヤモトは腕を組みながら、星の光を見つめた。


「欠けた星でも、光は差し込むもんだ。」


陽菜はその言葉を噛み締めるように静かに頷いた。


「この教会も、これで完成ですね。」


ミヤモトは少し照れくさそうに目をそらし、ぽつりと言う。


「……ノーOKカット、だな。」


フィレンツェの空に、新たな星が輝き始めていた。




「ノーOKカット!!」


陽菜の明るい声が教会の静寂に響き渡る。


ミヤモトはステンドグラスの光を背に、驚いたように彼女を振り返った。


「おいおい…声がデカい。」


「だって、やっと終わったんですよ? これくらい言わせてください。」

陽菜は両手を広げて、完成した教会を見上げる。


窓から差し込む光は、まるで星屑のように床に散らばっていた。

欠けた星が映し出す光は、ひび割れた壁を柔らかく照らしている。


「……まあ、悪くない。」


ミヤモトは少しだけ笑い、教会の扉を開けた。


「じゃあ、終わったことだし帰るぞ。」


「はい! でも、ミヤモトさん。」


「ん?」


陽菜は少し得意げな顔をして、窓のひび割れを指さした。


「直し忘れてますよ。」


「わざとだ。」


「……え?」


ミヤモトは足を止めて、振り返ることなく呟いた。


「欠けた星の下には、ひび割れが似合うんだろ。」


陽菜は一瞬、言葉を失ったが、すぐに微笑みを浮かべる。


「ノーOKカットですね。」


「お前、それ気に入りすぎだろ。」


教会の扉が閉まり、外の光が二人の背中を包む。


「ノーOKカット!!」


二人の声が重なり、教会の尖塔へと吸い込まれていった。


フィレンツェの空には、欠けた星が強く輝いていた。

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