ヨルのニク

 「人魚を食べると不死身になれる」

 そんなお話がこの世界にはあるそうですね。私も以前、不思議な魚を食べた事で変化した人間を見たことがあります。

 

 ヨルという生き物がいましてね、謎の多い生物です。人のいない海や川に生息していて、秋から冬にかけて増殖のために空へ行くんです。

 

 ええ、空です。青くて雄大な、光り輝くあの空へ。


 そんなヨルにあこがれを抱く者は数知れず、たくさんの狩人が名声のためにヨルを求めて数々の秘境を渡り歩きました。しかしヨルもそのたびに住処を変えますので、いたちごっこというもの。「幸運にもヨルを見つけても、水中にいなくて取ることができない。」なんてことも頻繁にあります。


 そのため、ヨルを捕まえた者は100人といません。そのなかでも、捕まえた得体のしれない生物であるヨルを食べようとした変わり者は10人といませんでした。


 これはその変わり者の中の1人のお話でございます。


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 漆黒の空を冷たい海風が奔る──。

錨を下ろしたはずの船は強すぎる海の流れに連れ去られ、すでにしばらく前から見えなくなっていた。


 さて、この無人の島から帰る方法は無くなった。行き過ぎた絶望は追い風になり、ヨルを捕まえようという俺の決心をさらに強める。


 雨風の暴力に曝されながら、島を海辺から内側の森へと歩いていく。食料は2日前、島に着くとっくの前から底をついている。雨風のおかげで飲み水には困らなかったのは幸いだった。


 鬱蒼とした森を進むと先は開けており、大きな湖が広がっていた。そして─、雨のベールの中に、ヨルが幻のように浮かんでいた。

 

 一瞬雨がやみ、曇天の切れ間から荘厳な月明かりが差し、ヨルの姿を浮き上がらせる。


 真っ黒で滑らかな身体に、七色の鱗を持つ3mほどの姿は、魚というよりは爬虫類を思わせ、まるで童話に出てくるドラゴンのようだった。


 しばらく呆然とその姿を見つめていたが、ふと我に返ると鞄の中からモリを取り出すとヨルの眉間に向けて投げつけた。


 ヨルはそれまでのゆったりとした動きから急に動きを速め、モリを避けようとした─が、モリに反射した月の光で視界が遮られたのか避けきることはできずモリはヨルの左目に深く突き刺さる。


 『縺舌℃繧?=縺√=縺√≠oooooonm…!』

こまくを、さけびごえが、つらぬいた。

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という内容を、この方はメモ帳代わりに私に書き込んでいましたが、この先は書ける状態ではなかったようですね。さて、続きは彼に代わって私がお話しましょうか。

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 ヨルの鳴き声には人の気を狂わせる効果があったのでしょうか、彼は静かな立ちふるまいから一変して理性を失った獣のように獰猛にヨルへ攻撃を続けました。


 助走をつけ、浮いているヨルに届くほど高く飛び上がると左手でヨルの鼻を掴み、右手で左目に刺さっているモリを引き抜き、そして虹色に輝く黒くぬめぬめとしたその首へ再びモリを突き刺しました。


 どれほど不思議な幻の魚も、弱点は他の生き物と一緒なのでしょう。首にモリで穴を開けられたヨルは地に伏しました。


 そして、先ほどもお話したように彼はヨルをその口へ運んだのです。


 火など通さずに、倒れ伏した瀕死のヨルを鷲掴みにすると生きたままそれを口に運びます。飢えた獰猛なライオンのように、一心不乱にヨルのニクを齧っていきます。あっという間にヨルの幻想的なその姿は肉がところどころ付いた生臭い不気味な白い骨に変わりました。


 ヨルを完食した男は、しばらくの間その場で動きを止め、ときどきえづいたり、咆哮をあげたりしていました。


 それから2時間ほど経った頃でしょうか、動きを止めていた男の皮膚が何の前触れもなく崩れました。あまりの急な出来事に悲鳴をあげる暇もなかったのでしょうか、男の"外側"は何の声もあげずに崩れていきます。


 そしてその内側から、ちょうど蛹が羽化して蝶が現れるように、真っ黒でぬめぬめとした、虹色の光沢をもつ人型の生き物が現れました。


 そして、男の残骸の内側にはびっしりと、黒く細長い卵のようなものが深く突き刺さっています。


 きっと個体数が大きく減ったヨルは進化の過程で、自らを食わせ捕食者を宿主として新たに命を産むという生存方法を編み出したのでしょう。


 生まれ変わったばかりのヨルは飛ぶことができないのでしょうか、人のシルエットのまま四つん這いになり、人には到底出せないであろうスピードで湖ではなく森の奥へと駆け出していったのです。


 それからはヨルの姿の目撃情報を耳にしなくなりましたね。今もどこかにいるのでしょうか。


 人に寄生した卵からはどんなヨルが生まれるのでしょうね、ふふっ……。



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惑いの部屋 猫山鈴助 @nkym5656szsk

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