第25話 僕と猫
――深夜0時。
僕と猫は さんざん日本中を散歩し、いま神奈川の海の砂浜で二人して『大の字』で寝転がっていた。
見上げる夜空は満天に輝いていた。
どうして街ではなくここにいるかというと、猫がどうしても最後にここに来たいと言うので、仕方なく ここに来ているのだ。
そして猫が どうしても二人で、この砂浜で一緒に大の字で寝たいと言うから、仕方なくここで寝ているのだ。
(まったく……僕はペットに甘いな……)
大統領をペット扱いしたのは、人類で僕が初だろう。
(そういえば、ここは……?)
思い出す。
あの場所に近いと――。
僕が自殺した、あの場所に近いと思い出す。
そして猫が『僕を救った場所』でもある。
そんなところに僕を連れきたということは、猫には何か考えがあるのだろう。
コイツはバカに見えてバカじゃない。
考えなしで、思いつきで行動しているように見えて違う。
ここに連れてきたということは何か意図があるのだろう。
僕たちは無言で夜空を見上げ、時間は『夜中の1時』を回った。
今日、僕と猫は さまざまな場所を回り、さまざまのモノを見て、さまざまな食べ物を、僕は猫のきぐるみの中のアリスの口に放りこんだ。
はっきりいて楽しかった。認めたくないが楽しすぎた。
(クソっ、こんな恥ずかしい思いをして楽しかったなんて、猫には絶対いえねーな。でもなんだろう……この感覚は? まるで人生最後の日みたいだ……)
今日、僕は死ぬかもしれない――そんな予感があった。けれど それでもいいと思えた。
いま死んでも僕は、何も後悔はしないだろう。きっと満足して死ねるだろう。
こいつの隣で、こんな綺麗な星空を見上げながら死ねるなら。
『生まれてきてよかった』『こいつに会えてよかった』
そう思って僕は死ねるだろう。
自殺した時にも安堵したが、それとはまったく違う別の感覚だ。
ただの予感でしかないのに、ここまで思えるなんてな。
こんな満天の星空の下で、猫が隣にいるせいだろう。
ガラにもなく感傷に浸り、僕のすべてを救ってくれた猫に感謝した。
「綺麗ニャね」
「……ああ、綺麗だな」
大の字で寝転がりながら、語り合う。
「猫はこうしてご主人様と、猫が死ぬ前に、砂浜で一緒に星空を見上げるのが夢だったニャ」
「ロマンチックな夢だな………てか、死ぬって……。僕はともかく、おまえはまだまだ長いだろ?」
「人の人生に、短いとか長いとか関係ないニャ」
「そういう哲学的な話しはよくわからん。だからおまえは、死ぬとか言うなよ……」
僕にとっておまえはヒーローなんだから。
「哲学とかじゃないニャ。事実ニャ」
「だから、よくわからんって」
「人の命なんてあっというまニャ。だから猫は精一杯生きて、死ぬ時は笑って、ご主人様に看取られて死にたいニャ」
「僕のほうが早く死ぬさ」
「それはわからないニャ。人はいつか死ぬニャ。あした死ぬかも知れないニャ」
「……そうだな」
「もし、ご主人様が死んだら、猫はワンワン泣くニャ。猫なのにワンワン泣くニャ。猫の中身も絶対ワンワン泣くにゃ。大統領なのに」
「………おまえのキャラには似合うが、あいつのキャラで泣かれても困るな……マジで」
神妙な声色で猫が聞いてきた。
「猫がもし、ご主人様より先に死んだら、ご主人様は泣いてくれるかニャ?」
その問いかけに満天の星空を見上げて答える。
「ワンワンは泣かねぇー。でも、きっと 、絶対に泣くな。いまでも、おまえが死んだことを考えるだけで、少し涙ぐむんだ……なんだろうな……この気持ち……?」
綺麗な星空の下で心が緩んだせいか、本音を吐露してしまった。
「猫はあのとき……ご主人様が屋上で猫の中身に言ってくれた言葉が、死ぬほど嬉しかったニャ」
思い出して顔が赤くなる。
「あ、あの時のことは忘れろ……黒歴史だ」
「猫にとっては白歴史ニャ♪」
こいつにとってアレは、僕を救うための自作自演ってだけではなかったのだろう。
アレには、猫なりの深い考えがあったに違いない。
いまならそれがわかる。
無言で僕たちは、砂浜で大の字で寝転がったまま、満天の星空を見上げ続けた。
そうすること20分。猫に聞いた。
「なぁー猫? なんでおまえは、猫の格好をしているんだ?」
「これが本体ニャ」
「真面目に答えろよ……」
少し強めの口調で言うと、猫はモゾモゾと動き。
「うーん……じゃあ脱ぐニャ」
「こ、ここでかっ!」(たしか猫の中身は、下着のはず。こんな人目があるかもしれない場所で、本気で脱ぐ気か?)
猫は首周りのファスナーを開けて、寝転がりながら きぐるみをズルズルと降ろし始めた。
「お、おいっ、猫ォ! ちょっ……やめっ……!」
猫の方を向きながら まぶたを閉じた。
「友」
アリスが僕を呼んだ。
「…………」
まぶたを閉じたまま答えない。
「友よ……【水着】だよ」
「えっ! ――水着ッ!」
まぶたを開けると、瞳に映りこんだのは、僕の横に寝転がる『水着姿アリス』だった。
真っ白な水着で、この満天の星空に映える、アリスらしい、アリスに似合う水着だった。
「ふふふっ。友はもしかして、ボクが下着姿だと思ったのかい?」
見透かすような瞳に晒されて目をそらす。
「……さ、さあな」(思ったよ、バカっ)
「すまないね、期待に添うことができなくて。今回はここにくることを最初から決めていたから、水着を着用していたのだよ」
「ああ、そうかい……」
「じゃあ一緒に入ろう。『海』に」
「はぁ? しょ、正気か? いま真冬じゃねーか?」
寝転がりながらアリスは、この満天の星空に負けないくらいの笑顔を輝かせた。
「ボクの夢は、満天の星空の下、友と一緒に海に入ることなのだよ」
「い、いったい……何個 あんだよ?」
「いいから、ほら……」
起き上がり、僕の手を引っ張っていく。
「お、おい!」
夜の月明かりを浴びてアリスの体は、まるで女神のように光輝いていた。
「さあ……」
引っ張られ、海の中に数十センチほど浸かった。
「さ、寒いぞ……」
膝までとはいえ冬の海は寒く、全身をぶるぶると震わせた。
「ふふふっ、君はバカなのかい? いまは真冬なんだぞ」
「おまえが入れたんだろっ!」
「いいじゃないか、風邪をひけば。ボクたちの心臓収縮病は、風邪になれば治るのだから」
「病気は僕だけだろ! それに治るわけじゃない。一時的に発作を起こさないだけで、肺炎とかにはなりやすいんだぞ。それで前に死にかけたし……」
「そうだったな……忘れていたよ……」
髪を掻きわけ夜空を見上げた。
その姿はまるで――以下省略。これ以上褒めたくねぇ。
アリスは美しい体をかがませ、両手を海面につけ――
「それっ!」
「なっ! 冷てぇな、何すんだ!」
「あははっ。ボクはこうやって、死ぬ前に友と共に、海で海水をかけあうのが夢だったのさ」
「ったく、多すぎだろ! 何個あんだよ?」
両手を満天の星空に高く広げた。
「――数えきれないくらいさっ! きっとボクが死ぬまでには、全部 叶えるのは無理だろうねっ」
この星の数と同じくらいってことか? アリスらしいな。
――そのとき、あることを思いついてしまった。
言ってしまったら大変なことになりそうな内容だが、この星空の下で気持ちが緩んでしまったせいだろうか、心に芽生えたその想いを伝えてしまう。
「なら、それに付き合ってやるよ!」
「えっ? いまなんて……」
初めて見た。アリスのキョトンとした顔。
そんなアリスの顔に、おりゃっと海水をかける。
「うはっ! やったなぁー、友! えいっ!」
満天の星空の下、僕たちは海水をかけ合い語り合う。
「アリス。僕はもうすぐ死ぬ」
パシャ。
「そのようだね」
パシャ。
「僕には……ずっと夢がなかった。ヒーローになるって言ったのも半分勢いだしな」
パシャ。
「知ってるよ」
パシャ。
「だからアリス……おまえが羨ましい」
パシャ。
「さすがボク。もっと羨ましがりたまえ」
パシャ。
「だから決めた……」
パシャ。
「何をだい?」
パシャ。
「僕の夢だ……」
パシャ。
「それは?」
パシャ。
「死ぬまで、おまえの夢につき合ってやるよ。おまえの夢を叶える手伝いをさせてくれ!」
パシャ。
「…………」
アリスは海水をかける手を止めて、腕をダランとさせて立ち尽くした――。
「嬉しい……」
雫が瞳からこぼれ落ちる。
「涙が出るくらい嬉しいよ、友ぉ……」
にっこりと笑い、海水でびしょびしょの手で目元をぬぐう。
もう海水か涙かわからない。
「……それで友は、なんでボクの夢を?」
にっこりと笑い。
「僕はおまえの友達だ。友達が友達の夢を叶えたいと思うのは普通のことだろ? おまえの国では違うのか?」
「いいや。だが、その生き方は理解できるけど、ボクにはマネはできないな」
「いいさ。お前はお前らしく生きて、僕に夢を見させてくれ。お前がお前であるかぎり、僕はおまえの夢を叶え続けてやるよ」
言ってしまった。
どうせろくな事にならないのはわかりきっている——けど、めちゃめちゃスッキリした。
初めて100% 自分の意志で『夢』ってヤツを手に入れて。
他人の夢に乗っかるという情けない夢だが、それでも価値があると強く思えた。
「嬉しいなぁ、友ぉ……。なら、ボクの夢をもう一つ叶えてほしい……いますぐに」
アリスは僕に近づき、塗れた体を密着させてきた。
「あ、アリス?」
動揺する僕に告げられる。
「叶えてもらう夢の内容は……砂浜で友と一緒に追いかけっこ……これはまあ、できれば夕日をバックにしたいから今度にしよう……」
(い、いきなり、とんでもなく恥ずかしいのがきたな……)
ゴクリとつばを飲み込み、アリスの口から出る次の内容にドキドキした。
そのドキドキなかには、別の感情が含まれているような気がするのは気のせいだろうか?
アリスは 僕の瞳をじっと捉え――
「いますぐ叶えられる夢にしよう。その夢は、生涯の友と決めた者と、冬の満天の星空の下で、海水をかけあったあと……」
「こまけぇーな!」
「シンプルさ。ただ『キスをしたい』……それだけの事なのだから」
「えっ?」
目をつぶりアリスは、僕に『キス』をした。
瞳を見開き、アリスの顔をじっと凝視した。
長い長い長い キスだった。
たぶん、それほど長くはなかっただろう。けれど、瞳を見開きキスする彼女を見続ける僕には、永遠にさえ感じられた。
この時の僕は、死の病気のことを忘れ、アリスの事しか考えられなくなっていた。
――そして 長い長い長い、永遠にさえ感じられたキスが終わり、アリスは僕から唇を離した。
「これでまた夢が叶ったよ。ありがとう、友」
光輝く笑顔は嘘偽りなく女神のようだった。
「こ、こういうのは普通、恋人とするもんだろ? と、友達でいいのか……?」
真っ赤な顔でドキドキする僕に、アリスは無邪気に笑いかける。
「それはまた別の夢」
「……本当にいったい 何個あんだよ?」
アリスは両手を星空に広げた。
「――この星と同じくらいさっ。言ったろ、ボクが生きているうちには叶えられないと。それに、キミがいないと叶える意味がないものが大半さ」
無邪気な笑顔は星空をも超える。
「そうか……なら長生きしないとな」
「ああ、ボクのため長生きしてくれたまえ」
「ああ……善処する」
もう一度、僕たちはキスをした。
今度はお互い同時だった。
今日という日は、僕にとって特別な日になった。
いまの僕には、生とか死とか関係ない。
『幸福』
それしか考えられなかった。
そしてアリスは、アメリアに帰って行った。
あのあとアリスは――
『ボクは、アメリアに帰らなくちゃならない……。ここでさよならだよ……友』
さわやかに言い残し、笑顔で帰って行った。
なんとなく今日で最後かもしれないという予感があったが、どうやら自分の命ではなかったようだ。
どうということはない。
ただの、よくある友人との『最後の別れ』である。
◆◆
――アリスがいなくなってからしばらくが経ち、その間 僕はずっと学校を休んでいた。
気持ちが空っぽになり、行く気がまったく失せてしまったのだ。
きっと下には ひきこもりの妹がテレビを見ているだろう。けれど勝手に休んでいる僕に何も言ってこない。
まあ、普段無口で無愛想なあいつがいちいち言ってこないか。
ベッドに寝転がり、天井を見上げ続けた。
(喪失感……て、ヤツなのかな……これが……?)
僕にとってアリスは、かけがえのない存在だったのだろう。
友であり、ヒーローであり、それ以上の何か。
ベッドに寝転がりながら、アリスとの短い出会いを、始まりから終わりまで 永久にループするように思い浮かべていた。
まるで、終わらない螺旋階段をぐるぐると回っているかのように――。
そのとき、ドガドガと階段を駆け上がる音が聞こえてきた。
部屋のドアがバンと開かれ――
「にッ、兄さん!」
息を切らせて妹が入ってきた。
「なんだ、いきなり?」
ベッドで寝転がったまま聞くと。
「はあ、はあ、はあ……。に、兄さんの、友だちの大統領さんが、いまテレビに出てるよぉ」
「そりゃあ出てもおかしくないだろ? 大統領なんだしさ」
「違うッ! 婚約会見するんだって! 早く下に来て! もうすぐやるよ!」
「婚約……! そうか……」( そうだったのか……。そのためにアリスは、アメリアに帰ったのか……)
ほっと安堵した。
(――なにか大変なことがあって、帰りたくないのに国に帰ったと思っていたけど……そうか、あいつは自分の意思で帰ったのか……よかった)
相手は誰だかわからないが、あいつが選んだならきっと良い奴だろう。
『婚約おめでとう』と心の底から思えた。
でも、なんだろう? この心に ほんのわずかにひっかかる痛みは?
違和感を感じながら階段を降り、妹とリビングのテレビで婚約会見の映像を見ることにした。
テレビをつけると、ちょうど始まるところのようだ。
世界生中継でやるらしく、大きな会見場の壇上に、アメリア大統領のアリスが立っていた。
白い純白のドレスを着ていて、態度もいつものふざけた感じではなく、真面目でどこから見ても大統領の風格があった。
世間では、所詮 彼女は世襲でなっただけの小娘。政治などできはしない、などと囁かれていたが、この映像の先に映るアリスは自信に満ち溢れ、容姿、立ち振る舞い、威厳、世界のトップに立つだけのオーラとカリスマ性を感じさせた。
友だから優遇して見ているのではなく、友だからこそ厳しく見てその結論に至った。
壇上のアリスは、マイクの前で優雅な態度で喋り始める。
「ボクは、アメリア大統領アリス・ハートです。今日、世界中のみなさんに聞いてもらうことは、ボクの婚約についてです。まわりくどいコトは嫌いなので、この場ではっきり言わせてもらいます……」
アリスの言葉を聞くために、世界中の人々が、僕のようにテレビの前で固唾を飲んでいることだろう。そう思うとなんだか誇らしい気持ちになった。それはいまテレビの向こうにいる彼女が、僕にとってかけがえようない友人だからだ。
「相手は、日本でボクを救ってくれた、友であり、愛する人……『真帆世 海斗』。彼とボクは婚約することになりました」
「 ええええええええええええええええええええええええええええええええええッ! 」
目玉が飛び出るほど仰天した。
驚愕して硬まっている僕の横で、一緒に見ていた妹も驚き硬まっていた。
「こ、婚約……。に、兄さん……いつのまに婚約したの? まだ恋人にすらなってなのに……」
「……僕が聞きたい……」
マジで × 100億。
困惑する僕に、妹は「はあ——っ」と長い溜息を吐いた。
「なーんだ、猫ちゃんとは遊びだったのか……残念」
この腐が。まだ猫の中身を男だと思っていたのか。つーか、いま目の前にいる大統領がその中身だからな。信じられないだろうけど。ってか、大統領と婚約したことをもっと驚けよ。
会見が終わり、妹はトボトボと部屋に戻り、リビングに僕一人が残された。
映像の先の取材陣はざわついていた。それはそうだろう。世界の大統領が、日本の一市民の、死にかけの僕と婚約するのだから。
プルルルルルルルルルル。
玄関の電話が鳴り、受話器をダッシュで奪取。
「アリスかッ!」
「ああ、友か。ボクたちは婚約したぞ」
「したぞ……じゃねェーよ! ナニ勝手に気軽に婚約してやがるゥ! しかも世界生中継でェ!」
「いやね、ボクの夢の1つ、世界生中継で婚約会見というものがあってね。思いついてやっちゃったぜ♪」
「ノリ軽っ! そんな軽いノリで世界生中継で婚約するなッ!」
「いやぁー、ボクたち人間はいつ死ぬかわからないじゃないか。だったら、思いついたことはすぐやるべきじゃないかな?」
「限度を考えろッ!」
「それに友も、ボクの夢を叶える手伝いをしてくれるって言ったよね?」
「ぐっ……い、言ったが……。僕になにも言わず勝手にやりやがって……。僕はおまえが、『ボクは、アメリアに帰らなくちゃならない……ここで さようならだよ……友よ』そう言ったから、もう会えないかと思ったのに……」
「はははっ! 帰るとは言ったが、もう会えないとはいってないぞ。早とちりだよ、友!」
「ぐっ!」
恥ずかしさと怒りで全身がわなないた。
「どうやら友は、ボクに会えなくて寂しかったようだね……ボクもだよ。ボクもキミのことを ずっと考えていた」
歯の浮くような台詞に顔が赤くなる。
「うっ、うるさい! ったく……死にたくなってきたぜ……」
受話器の前で頭をぐったりと押さえた。
「そうか。だが、死ぬなら ボクの夢をすべて叶えてから死んでくれ。それまで死ぬことは許さない。これは大統領命令だよ……ふふふっ」
「わかってるよ! もう死ぬ気なんてねェーよ! おまえのおかげでな、ありがとう! もう好きにしやがれェ! ナンデモかんでも、おまえのゆうこと聞いてやるよォ! 僕はおまえのモノだ、好きに使え!」
「そんな投げやりなぁ……。でも、ありがとう。じゃあボクも告るよ。ボクは友のモノだ。キミもボクを好きに使ってくれ。権力でも財力でもエッチなことにでもね」
「お、おまえ……そんなものを僕が行使できると?」
特にエッチなことは絶対に不可能だろう。
「できないところも、ボクは大好きだよ」
「………っ」
さわやかな声が耳に透き通り、さまざまな感情を抱かせた。
一呼吸し、気を落ちつかせたあと、大きな溜息を漏らす。
「はあ~~~。結局、おまえの一人勝ちじゃねぇか……。まあ、いいけどな……じゃあ切るぞ」
肩を落として電話を切ろうとすると、受話器の向こうからアリスの声が届く。
「ボクも もうすぐ日本に帰るから、待っててねぇー。それともう1つ、叶えたい夢があるのだけど」
「……なんだ?」
もうなんでも聞いてやるよ! そんな心境でたずねた。どうせこれ以上の夢なんてないのだから。
「友と、世界生中継で『結婚式』を開いてもいいかな?」
――ガチャッ。
最悪の一日だ。
勝手に婚約させられて、結婚させられそうになった。
昔の僕なら苦悩して、『死にたい』と思っていたはず。けれど、不思議とそんな感情は湧いてこず、よくわからない奇妙な感情に支配されていた。
(あいつに会ってから、本当にろくなことがない。でも、あいつに会ってから、死にたいという気持ちもなくなった……)
「はぁ~」(結局、何もかもアイツのおかげか。アイツは僕にとって、かけがえようのない……)
「……クソ猫アマァだぜェ……」
ぼんやりとつぶいたあと自室に戻り、ベッドに寝転がって天井を見上げた。
(また……あいつに会えるのか。それだけで、なんでこんなに嬉しいんだろうな?)
「はっ!」(ま、まさかっ、僕はあいつのことが……す、すすす……いやいやいや、それはない、断言して……!)
自分に湧いてきた新たなる感情を無理やり掻き消した。
(とにかく……いま考えることは1つ……)
それは――
『婚約破棄ってどうやるんだ?』
これ一点のみ。
だだ、考えても考えても、友の無邪気な笑顔が思い浮かぶのはどうにかしてほしい、マジで。
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