異世界に転生したら貯金が500億パルあった

ばろに

プロローグ

第1話 異世界で待ち受ける大金

「バカ野郎!この書き方じゃダメだって言っただろう!このミス何回目だよ!」


 上司の怒鳴り声を受けて、僕はその説教が終わるまで我慢する。複雑すぎるフォーマットにも文句はあったし、僕は上司に怒られないために奉仕するだけの存在ではないという思いも飲み込んだ。


 仕事を続けながら、僕は自らの境遇について考えていた。


 生まれてすぐに両親を亡くした。親戚の間を転々としながら大学を卒業し、ひとり暮らしを始め仕事をこなす毎日を送り、数年が経つ。


 僕には、ツキがないんだろうか?それとも、努力が足りないのだろうか?


 疲弊した現在を思うと、きりのない考えが頭をもたげる。


 仕事を終え、夕方の街の片隅で缶コーヒーを買った。近くのベンチに座り、ゆっくりとそれを飲み干す。


 このままどこかへ行ってしまおうか?


 その思いつきを捨て切ることができず、僕は帰り道をいつもとは違うめちゃくちゃな道順で行くことにした。方角だけを合わせて、どんどんと裏路地に入っていく。


 そしてそれを抜けたとき、僕の目の前には奇妙な風景が広がった。


 知らない景色――というよりも、建物と人込みをよく観察すれば、その細部やその服装のデザインや色使いは僕が今まで見た何とも微妙に異なっている。外国のそれでもなく、全く違うものだ。


 後ろを振り返ると、僕がやってきた元の場所とはつながっていない。


 ここは、どこだ?


 そのとき人にぶつかられ、間もなくかばんを盗られていた。


 対応などできないまま、盗人は人込みの中に消えていく。


 知らない場所で、持ち物も全て失くした。


 僕はしばらく呆然と立ち尽くす。


「探しましたよ、サイト様」


 自分の名前を呼ばれて、声の主に視線を合わせる。


 ちょっと背の低い、綺麗な顔立ちの女性だった。女の子とも呼べるだろうか、若く見える。


「もう、どこへ行かれてたんですか?スマホも持たないで……現金も少しお渡ししますね。今度ははぐれないでください!」


 スマホとお札を何枚か渡される。


 見たことのないお金だ。その1枚には「10パル」と記されていた。


 女性のいぶかしむ目が、僕のスーツ姿に向けられていた。


 とにかく、この新しい状況に取り組もう。


「君の名前は?」


「おかしなことを聞かれますね。わたしはエリン。サイト様に仕えて3年になります」


 何か情報がほしい。この子は味方のようだから……僕は渡されたスマホを起動する。操作方法は同じなようで、通知が1件ある。


 総資産に対して現預金比率が高すぎます?


 通知からアプリを開くと、資産管理アプリのようだった。適当に操作してみると、総資産の円グラフが全て、100%が現預金と表示されているのを確認する。


 何のための資産管理アプリだよ……呆れながら、さらに現預金がどれくらいあるのかを確認する。


 でかでかと表示されたその総額は――500億パル。


 何か、冷静にこの状況を楽しんでいる自分がいた。


 周りを見渡し、市場のような一角が近くにあったので雑然と並ぶ店の中から選び、店先に置かれた商品のひとつ、お菓子を手に取った。価格は1パルとある。


「これください」


 店主に自分が持つお札の中から1パル紙幣を渡し、商品を購入する。


 板チョコだ。包装を剥がし、かじる。


「甘いものがほしかったんですか?」


 そばにつくエリンが言う。


 カカオの風味と甘さが口に広がる。


 100円くらいの商品だろう。それを自分で確かめる。



 ――500億パルは日本円に換算すると5兆円に相当する



「エリン、近くに銀行はないかな?」


 次にやることは決まった。エリンは少し不思議そうにしながらも、嫌な顔もせず案内してくれる。


 銀行名が「サナル銀行」であることを聞き出し、移動の間に資産管理アプリから自分の預金があるかを確認しようとするも、案外早く着いたようだ。


 スマホの時計は13時57分を指している。それももう気にならない。


 サナル銀行に入ると、窓口は空いていたからそのひとつに行き、受付に預金残高があるのか聞こうとして、奥から足早に中年の男がやってくるのが見えた。


「これはサイト様!本日はどのようなご用件でしょう?先にお伝えしていただければ対応させていただきましたのに」


 名札の肩書きには支店長とある。支店長は受付に小声で「わたしがお相手するから」と言って交代する。


「いや、近くまで来たから寄ったんだ」


「そうでしたか」


「お金を3000パル下ろしたい」


「かしこまりました」


 支店長が示す手順に従って、お金を引き出した。必要なものはエリンがすっと差し出してくれた。


「わざわざすまないね。今日はこれで帰るよ」


 深々とお辞儀をする支店長に見送られながら、僕たちは銀行を出る。エリンは片時も離れていない。


「この格好、おかしいだろう?僕に服を見繕ってくれないかな」


「はい、それはよろしいですけど」


「簡素なものにしたい」


「そうですか。ではカンナルミへ行きましょう」


 エリンについて歩き、街並みを観察するが見知ったものはない。


 ここは、僕の世界とつながってはいない。


 店に着いたようだ。看板の文字が「カンナルミ」と読める。


 店内に入る。カジュアルな男性向きの洋服店だ。


 早速僕に似合う服を選び始めるエリンを眺める。真剣に悩み出しそうだったので手短に頼むと伝えた。するとすぐさまトータルコーディネートを終えてくれたので試着室に入って着替えた。


 最後に自分でも鏡に映る姿を確認した。やはり見慣れない、いや見たことのないデザインだな。


 レジでこのまま着ていく旨を伝え、支払いをすると302パルだった。


 僕は400パルを払い、


「お釣りは要らないから、この服を処分してもらえませんか」


 と不要になったスーツやらを捨ててくれるよう頼んだ。


 店員は店主に確認してから僕の頼みを承諾した。


 僕がカンナルミを出たとき、もう元の世界の痕跡は残っていなかった。


 僕は生まれ変わってこの世界で生きていく。

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