第15話 幼き日の記憶

 

 空高くに日が昇り、昼食にしようと2人は、町の西側を守る簡素な防御壁の手前で支度を始める。ルクスエはアレクアの背に乗せている荷物の括り紐をほどき、カルアは防御壁周りに生える木々から落ちた枝を集め、焚火を起こした。

 敷物を地面へ敷き、火の近くに水の入った金属製の湯沸かしポットを置く。ルクスエは昼食が入った風呂敷をほどくと、中から出てきたのは具材を包んだ丸いパンだ。すでに出来上がっているが、ルクスエはパンを串に刺し、火で炙る。


「このままでも良いが、もう一度焼くと更に美味いんだ」


 やがてパンは狐色に焼き上がり、湯気と共に香ばしい香が立ちこめる。


「よし。食べてくれ」


 カルアはルクスエからパンの刺さった串を貰い、恐る恐る食べた。

 薄めのパンの生地はパリッとした軽快な食感があり、中からは程よい温かさの甘辛いタレで炒められた野菜と肉が顔を出す。


「とても美味しいです」


 はじめて食べる味にカルアは驚きながら感想を言うと、ルクスエは目を輝かせた。


「よかった! もっと色んな料理を作るから、楽しみにしていてくれ!」


 そろそろスープだけでは飽きが来るだろう。固形の料理を少しずつ献立に加えよう。そう考えていたルクスエは、カルアの反応に大いに喜んだ。

 とはいえ、カルアの食べられる量は少ない。包み焼きパン一個で彼の食事は終わった。


「……ルクスエさんは、その量で足りるのですか?」

「え?」


 炙った包み焼パン3個目を食べ終えたルクスエに、カルアは問いかける。

 大丈夫、と口に出そうとしたルクスエだったが、はっと何かに気付き顔に手を添える。


「も、もしかして、顔に出ていたか?」

「はい。4日前の昼食の際に、追加で肉を焼いた時も、物足りなさそうな顔をしていらっしゃいました」

「よく観察しているな。俺は、そんなに分かりやすく顔に出ていたか……」


 恥ずかしくなりつつも、実際にルクスエの腹はまだ6分目にも達していないので、言い訳のしようがない。

 金を幾らか持って来ているが、ここで買いに行くのは違う気がする。どうしたものか、と考えていると、ふと耳に、聴き馴染みのある鳥の声と羽ばたく音が耳に届いた。


「獲るか」

「え?」


 カルアが聞き返した瞬間、ルクスエは持って来ていた弓矢を手に取った瞬間、穏やかだった表情から狩る者としての顔つきへと一変する。

 太陽が傾き始めようとする中、獲物をその目で捕らえたルクスエは、弓の弦を大きく引っ張り、一本の矢を天へと放った。

 動きに無駄はなく、一瞬で終わった。

 上空から、防御壁周囲に生える木々の中へと何かが落下する。それは低い木々の中で、枝を揺らしながらガサガサと音を立てて暴れている。

 ルクスエは竜の牙のナイフを鞘から抜くと、ゆっくりと近付く。


 そして、

「お見事です」

「ありがとう」


 ルクスエがとどめを刺したのは、立派な水鳥だ。どうやら水路から西側へと飛んできたようだ。カルアに成果を見せた後、木の影で水鳥を手早く捌いたルクスエは、早速肉を串に刺し、火で炙る。一匹丸ごとは今のルクスエでは食べきれない為、半分はリシタとアレクアに分け与えた。


「見張りの時、昼食はいつもアレクアの上で摂っているが、こういうのも悪くないな」


 焼けた鳥肉を一本食べながら、ルクスエは言った。

 青い空。風そよぐ木陰の下で、ゆっくりと食事を楽しみながら過ごす。1人であったのなら、こんな時間を持とうなんて思うもしなかった。

 少し離れた場所では、一通り走って満足したアレクアと物静かなリシタは草を食んでいる。自由の身となっているアレクアふと駆け出すが、リシタが2人の近くに留まっていると気づくと直ぐに戻ってきた。二匹の仲はそれほど悪くはなく、お互いに群れとして認識をしている様子だ。


「……ルクスエさん」

「どうした?」

「あなたは、どうして私にこんなにも親切にしてくださるのですか?」 


 お茶が半分にまでなった湯呑を見ながら、カルアはルクスエに問う。

 最初は、同情して助けてくれたのだと思った。譲り受けた広い家に逆鱗の首飾りから、彼には財力があり、世話や補佐を務める使用人を必要としていると考えるようになった。

 しかし、暖かい布団と毛布、3食の食事、新しい服、生活用品とルクスエは見返りを求めず当然の様にカルアに与える。命令をし、こき使うでもなく、カルアが出来る範囲の事をすればそれで良いと優しく声を掛けてくれる。今回だって、ゆっくり体を休めれば良いものを、リシタの為に外出を提案してくれた。

 なぜ、彼がそこまでするのか。何かを得るために身を犠牲にしてきたカルアにとって、理解し難かった。


「親切に理由か。難しいな」


 ルクスエは空を見上げる。

 どこまでも続く果てしない空。今も昔も、この色だけは変わらない。


「昔の俺は、この町で酷い扱いを受けていたんだ」


 沈黙ののち、ルクスエは言った。


「え?」


 その言葉に、カルアは思わず顔を上げた。


「前に、獣以下の生活をしていたと話したよな?」

「はい。覚えています」

「5歳か6歳くらいの時、この町に捨てられ、物乞いをしながらゴミを漁っていたんだ。近しい年頃の子供には石を投げられたし、その親たちからは無いものの様に扱われた」


 カルアは口を噤み、目線を下へ向ける。


「町の連中に比べれば、俺の髪や目の色は特殊だ。竜が化けて町に入ったと言って、子供連中に木の棒を持って襲い掛かってきたこともあった」


 この町の住人は、黒髪か黒に近い茶髪の二択だ。他の町から来た婿や嫁の様に出自が分かっていれば気にされないが、子供とは言えルクスエは違った。忌み子のような明確な云われはなく、その色が不吉がられた。虐めや無いもの扱いは、これが一因している。


「別に町の人達を非難する気はない。知らなければ怖いのは当然で、あっちだって生活は大変なんだ。見ず知らずの子供を養うなんて、余程の裕福な家じゃないとできない」


 恨み辛みが無かったわけでは無い。仕返ししたいと思った事もある。しかし、生きていくには耐えるしかなかった。抵抗すれば、大人達の反感を買い、町を追い出されると思ったからだ。町を出れば、竜と狼の闊歩する世界へと放り出される。耐えさえすれば命が守られる環境に、当時のルクスエは縋りついていた。


「どうして町を守る役職に就いたのですか」

「全員が悪い奴じゃない。テムンやアイアラが俺を気にかけてくれたし、聖地から帰って来た町長がすぐに守ってくれた。良くしてもらった恩を返したくて、戦士になる道を選んだんだ」


 そこで、ルクスエは苦笑する。


「……いや、半分本当で、もう半分は違うな」


 町長に助けてもらったからと言って、すぐに問題が解決するわけでは無い。何かにつけて監視され、あらぬ噂を流された。穀潰しであると陰で囁かれ、店によっては品を買わせてもらえない事もあった。

 そのたびにアイアラが怒り、テムンが諫めていたのは、ルクスエにとって数少ない良い思い出である。


「町の人達に手っ取り早く認めてもらうには、戦士の道しかなかったからだ」 


 竜だけが町の脅威ではない。

 野盗や人攫い、遊牧民による略奪も存在する。ルクスエが戦士になって以降も、度々野盗が現れ、金品や食料を盗もうと目論み、襲ってきたことがあった。

 ある日野盗を退けられたが、攫われかけた少女を助け、ルクスエは足を負傷した。それを皮切りに、町の人々の目が変わり、ルクスエを快く思うようになり始める。そして竜の討伐数が増える毎に、陰の声は聞こえなくなっていった。


「俺にとっては明日を生きる為に、今日死ぬ覚悟が必要だった」


 命を張り、怪我をし、身を犠牲にする姿を周囲に見せる事で、信頼を得るしかなかった。

 自分の好きなモノ、嫌いなモノ、そんなありふれた会話を重ねて信頼を紡ぐ機会は、ルクスエには殆ど与えられていなかった。無い物ねだりをして癇癪を起すつもりは無い。

 ただ、皆と違うと言い聞かされている様で、寂しかった。


「あっ……俺の身の上話が長くなって、悪いな。理由を話すには、知ってもらう必要があると思ったんだ」

「いいえ。ルクスエさんの思いやりの深さを知れて、嬉しく思います」

「気を使わせてすまないな……」


 ようやく首や手首の痣が消えたカルアに比べれば、こんな身の上話は可愛いものだろう。自分は可哀そうな人と自称している様で、恥ずかしさと申し訳なさが湧いて来る。


「俺はそういう境遇があって、カルアには命が脅かされない環境で安心して過ごして欲しいんだ。そして自身を傷付けない方法で、自分の生き方を見つけて欲しい。それが親切の……いや、俺の願いだ」


 風が吹き、木々の枝に茂る葉がざわざわと音を立てる。


「いつか、カルアが元気を取り戻した時、やりたいことを教えてくれないか?」


 ルクスエの笑顔とその問いかけに、カルアの双眸を揺れる。

 答えねばと薄い唇が動き出そうとした。

 しかし、彼は急に空を見上げた。

 その瞬間、突風が吹く。

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