生花
瀬戸口 大河
生花
俊介は右手でテーブルの上に置かれたコーヒーを口にした。緊張のせいか、いつになく味が薄く感じる。
「美咲のお父さんってどんな人なの?」
俊介は少しでも緊張をほぐすため、美咲から安心材料を提供してもらいたかった。
「優しい人だよ。どちらかと言えばお母さんの方が曲者かもしれないね。よくお父さんに愚痴をこぼしてるし。あ、見つけた!」
美咲はよもぎ色のワンピースに似合う、エメラルド色の石があしらわれたイヤリングを手に取った。
「お母さんが曲者なのか。正直、母親がいないから俺はどうすればいいのかイメージ湧かないな。俺の身体のことは知ってる?」
俊介は不安を隠しきれず、次々と質問をしてしまう。そんな俊介を安心させるように、美咲は車椅子に座る彼の頭をそっと撫でた。
「大丈夫だよ。俊介みたいに一生懸命な人のこと、私の両親は好きだと思う。身体が不自由だってことは話したことがあるけど、手脚がないことまでは言ってないよ。」
美咲は優しい声色で語りかけた。
「ネクタイ、少しずれてるよ。」
俊介が右腕一本で締めたネクタイは左上に傾き、不格好だった。恥ずかしそうに直そうとする俊介だが、なかなかうまくいかない。
美咲は彼の目の前でしゃがみ込み、じっと目を見つめた。
「ほら、私が締めてあげる。」
美咲は俊介のネクタイに手を伸ばし、器用に結び目を直した。
「ねえ、私と結婚するんでしょ?親と結婚するわけじゃないんだから、そんなに気にしなくていいの。それに、何かあったら私が守ってあげるんだから。私にとって大事なのは俊介だけ。だから、安心して。」
3つ年下の美咲の力強さに、俊介は惚れ直した。
「俺も、美咲と結婚したい。」
照れくさそうに笑う俊介に、美咲もつられて微笑んだ。彼女は玄関口へ向かって、ゆっくりと車椅子を押した。
結婚の挨拶は美咲の実家ではなく、料亭で行われた。
自宅では俊介は車椅子から極力降りて生活しているが、左肘下と両膝下がない俊介にとって、慣れない人の家では難しいことが多い。美咲は車椅子でも利用しやすい広い個室トイレが設置された割烹料理店を選んでくれた。
俊介たちが到着したとき、美咲の両親はすでに到着していた。
「大変お待たせしてしまい申し訳ありません。」
両親の顔を見るなり、俊介は深く頭を下げた。
「いえいえ、とんでもないですよ。」
優しそうな美咲の父は笑顔で返した。互いに自己紹介を交わし、俊介が用意してきた菓子折りを渡すと、美咲の両親は嬉しそうに受け取った。
それからは俊介が自分のことを語る時間となった。
「母が物心つく前に家を出てしまったこと、生まれつき三肢欠損であること、現在は無職で生活保護を受けていること。」
俊介はできるだけ隠し事をせず、誠実に自分の状況を話した。
「大変な人生を送ってきたようだね。私は結婚に賛成だよ。必要であれば経済的な援助も惜しまない。娘が選んだ男性だからね。2人で幸せになってほしいと考えている。」
美咲の父は柔らかい口調で語った。
「母さんはどう?」
紺色でツヤのあるワンピースを着た美咲の母も、満面の笑みを浮かべて答えた。
「いいじゃないの。私も大賛成だわ。」
俊介の硬かった表情が、一気に緩んだ。
「ありがとうございます。」
俊介は深々と頭を下げた。美咲と美咲の両親も笑顔を見せている。
「俊介さん、頭を上げてください。」
美咲の父はゆっくりとした口調で優しく声をかけた。俊介は涙ぐみながら頭を上げた。
涙を拭くため、俊介はお手洗いに行きたいと申し出た。
「私が連れて行きますよ。家族ですから。」
美咲の母が付き添いを申し出たことに、俊介は少し驚いたが、母親を知らない自分にとって、それが当たり前なのかもしれないと考え、深く気にしなかった。
美咲の母が車椅子をゆっくり押しながら歩く。
「俊介さん、お父様のお名前を伺ってもよろしいですか?」
俊介は自分の家族にまで興味を持ってくれることが嬉しく感じられた。
「花山俊光です。」
すると、美咲の母が唐突に問いかけた。
「あら、俊光さんはまだトラックドライバーをしているの?」
俊介は一瞬、頭が真っ白になった。
美咲の母は車椅子を押す手を止め、俊介の前に回り込んだ。膝を折り、彼の目線に合わせるように中腰になる。俊介の欠損した手足を見つめ、静かに言った。
「初めて見たけど、思ったよりも綺麗に仕上がっているわね。」
俊介の全身に鳥肌が走った。その言葉がどういう意味なのか、考える余裕さえなかった。
美咲の母はバッグから分厚いノートと、白く変色した物体が入ったジップロックを取り出した。
「これ、あなたの手足。もう白骨化してしまったけど、返してあげる。それと、これが私がずっと書き続けた観察日記。これも一緒に渡しておくわ。」
俊介は言葉を失い、目の前の出来事を受け入れることができなかった。美咲の母は彼の表情を気にすることなく、再び車椅子を押し始めた。
トイレに着くまでの間、俊介は何も言えず、ただ涙だけが溢れ続けた。
障害者用のトイレに入ると、美咲の母は内側から鍵をかけた。密室に、2人きりになった。
「俊介さん、実はあなたのお母さんは私なの。」
美咲の母は、冷たくもどこか喜びを帯びた声で話し始めた。
「まだ物心がつく前に、あなたの手足を切り取って逃げたの。警察にも追われたけど、どうにか逃げ切ったわね。」
俊介は混乱し、涙を流しながら首を振るしかなかった。
「今日は続きをするつもりよ。」
美咲の母はバッグから新品の鋸を取り出し、不気味な笑みを浮かべた。
「ほら、残りの右腕も綺麗に切れるように準備したの。」
トイレの中に、俊介の叫び声が響き渡った。
生花 瀬戸口 大河 @ama-katsu1029
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