民明書房からの引用シリーズ
水底から斯く語りき
第1話 夢を喰らう
熟睡感は取り立ててないが、眠気があるかと言われたらそれもない。
生々しい嫌な夢を見たからだろうか。
至上の喜びから、抗いようもなく一気に奈落の底へ突き落とされる茫然自失の生々しさを現す言葉を、私は持ち合わせていないのだ。
朝一番、普段であれば目覚めは良い自覚はあるのだが、鳥肌が立つ程に生々しい嫌な夢を見たせいで、どうにも目覚めが宜しくない。
その筈だった。
生々しい夢。多幸感を得て恍惚に満ちる心臓の鼓動と、肌に触れる風の感触も、相手と口付けを交わした唇の熱さも、耳に突き刺さるほどの慟哭、溢れんばかりの絶望感に胸を締め付けられる感覚を明確に覚えている筈なのに、その詳細が一切出てこない。
夢で得た感覚だけを身体に残したまま、時間と共に夢の内容が急速に失われていく。
ちりん、と小さく転がる鈴の音に振り向けば、一切の汚れもない純白の体毛を持った愛猫がベッドボードに行儀良く座っている。瞳孔を針の様に細めて水色の瞳でじっと見つめていた。
「雪ちゃん、おはよう。そこに居たんだね」
愛猫に朝の挨拶をして、ふと気付いた事が口から漏れた。
「雪ちゃん、私が嫌な夢を見た時は必ずそこに座ってるね。嫌な夢から守ってくれてるのかな?ありがとうね。」
お礼の言葉と共に頭を撫でると、愛猫が一度だけ鳴く。
ベッドから立ち上がった時には、身体に残る夢の残滓はすっかり消え去っていた。もう夢を見た事すら覚えていない。
「お腹空いたね。ご飯にしよっか」
部屋に残された愛猫は舌なめずりをした後、まん丸になった瞳孔で飼い主の後を追いかけた。
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