第16話(最終回)

 突然夜中に僕が泊まっていたホテルのドアをノックする者がいた。


 僕はすぐに、ついに居場所を突き止められたことを悟った。


 窓に走り寄ってそこから逃げ出せるかどうか考えた。部屋は六階だ。


 しかし、僕が僅かな間迷っているうちに、ドアが開いた。


 そこにいたのは、スーツ姿の男でも、トレーナー姿の男でもなく、女性だった。


 かなりの長身で、長い金髪。


 彼女は自分がアルタイルの人間であることを堂々と名乗った。


 それはどう考えても軽率な振る舞いであるはずなのだが、恐らくそれでも平気なほど僕を捕獲する準備は整っているのだろう。


 これまでだ。彼女は僕を連れ出した。


 その行き先は妻とユミの待つ世界に違いないと思っていたのだが、目的地で僕を待っていたのはブランコだった。


 久しぶりに会うブランコは、元々引き締まった肉体をしていたが、更に体重が減っているようだった。


「ボクはあの晩、ススキガハラ区にいました」

 彼は語り出した。奥はテーブルの上に出された白いティーカップを眺め続けながら、話に耳を傾けた。


「ボクはアルタイルのスパイとして潜入していました。いえ、スパイというのは少し違いますね。ボクが受けた任務はその範疇をすでに越えたものでしたから。ボクは爆弾をもっていました。セレーヌの中で爆発させる為にです」


「俺が君を家に招待したことは、アルタイルの思惑にまんまと乗ってしまったということになるのか」


「何を言ってももはや信じてはもらえないのかも知れませんが。そうではありません。順番が違います。あなたに招かれてセレーヌの地理に詳しくなったことにより、ボクはセレーヌ侵入の実行役に選ばれたのです。詳しくなったといってもその範囲は狭いものでした。なので、どうしても、あなたの家の近所をターゲットとせざるをえなかったのです」


「ブランコの葛藤をできれば察してあげて欲しい。彼は苦しんでいた」

大きな窓の外を向いて黙り続けていた金髪の女性がこちらを向いていった。冷たい、機械的な語り口だった。


「ありがとうマリア」

動くことのない時計の針を見つめるような目で、ブランコは笑った。


「あの時、作戦行動中に、ボクはセレーヌの警備隊に見つかってしまいました。足に銃撃を受け動けなくなっているところをユミに助けられたのです」


「どうしてユミが」


「警備隊から逃げ回るボクを彼女は偶然見つけたのです。恐らく自分の家の近所を散歩でもしていたのでしょう。ぼくに気付いた彼女は追ってきました。そして倒れている僕を見つけたのです。そのときボクが背負っていた爆弾から、甲高いアラームがなりました。ボクは驚きました。その音はボクがパスワードを入力することによってのみ鳴るはずだったはずでした。アラームから十分で爆弾は爆発します」


「確実に目的を達成するための仕組みが幾重にも構成されていた」

 マリアの冷たい声。


「つまりブランコは捨て駒にされたということか」

「ボクもそれを悟りました。そして限られた十分という時間の中で葛藤しました。あのときどうするのが人としての正解だったのか、いつまで考えても答えが出ません」


 それきり言葉が途絶えたブランコの代わりに、マリアが続きをあくまでも事務的に話す。


「ブランコは爆弾から離れるという選択肢を捨てた。その状況で離れれば、爆弾はセレーヌの手によって止められる可能性が高い。爆弾を持ったまま移動。敵から逃れながら、本来爆発させるべき地点に少しでも近づこうと彼はした」


「ボクは死ぬつもりでした。でもユミがそれを許してはくれなかったのです。あのときのユミの顔が目に焼き付いて消えてくれない。爆弾を僕から奪い取って、あの子は走り出しました。遠くに爆弾を捨てて彼女も逃げようとしたのでしょうが、その前に十分の時は過ぎたのです」


「ユミ」


 僕は両手で自分の顔を覆った。ただ自分の娘のことを思った。ブランコのことは恨みもしなければ哀れみもしなかった。


 ユミ。ユミ。


「ボクはずっと考え続けています。怪我はしていてもボクからユミの力で爆弾を奪うなんてことができたでしょうか? ボクは意図的にユミに爆弾を渡したのではないだろうか。ボクは時間が残っていないことを知っていながらユミが走っていくのを止めなかったのではないだろうか。ああ、どうか答えを教えてください!」


「僕にこの話をしてよかったのか?」


「いいわけがないでしょう。これでボクのアルタイル人としての人生は終わりました。でも仕方のないことです。あのユミのまなざしによって、ボクがなすべきことは定められたのです」


「あなたは精神が混乱している」

 マリアがブランコの肩に手を置いた。口調は冷たいままだったが、その手にはある感情が感じられた。


 でも彼は立ち尽くしたまま、何もない白い壁を見続けている。マリアの言葉は続く。


「これが人の歴史というものよ。耐えられないものはみな歴史から排除された。名前すら消えて、何もしていないのと同じになった。でもあなたにはそれを拒む権利がある。当然の感情を無視できる人間のためにこの世界はあるのだから」


 人類が初めて地球以外の天体で戦闘行為を行ったとき、最初に死亡したのは、民間人の女の子だった。


 彼女は僕の娘で、望遠鏡で地球を見るのが好きだった。


 そして二番目に亡くなったアルタイルの男性は、昔バスケットボールの選手だった。


「そのときユミはなにか言ってたかい?」

 ブランコにはマリアの声が聞こえていないようなので、僕が代わりに言葉を与えた。そしてブランコは答えた。


「おなか減ってる? と彼女は笑いました」

〈了〉

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月のいくさ のんぴ @Non-Pi

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