第六話 緊迫する場面

 準決勝当日の午前九時二十七分、僕はロッカールームにいた。



「以上だ。全力で戦ってこい」


「はい!」



 監督の声に、ベンチ入りメンバー全員が声を揃える。


 先発出場メンバーが試合開始に向けて気持ちを作る傍ら、僕はスパイクの紐を結び直す。


 きれいな蝶々結びが出来上がると同時に、僕の頭の中に幹恵の顔がふと浮かぶ。


 僕は頭の中に浮かんだ幹恵に尋ねるように、小声で言葉を発する。



「準決勝まで来たよ。準々決勝で出番はなかったけど、幹恵ちゃんの言葉のおかげで、出番がなくても不貞腐れなくなったよ」



 僕は曲げた膝をゆっくり伸ばし、チームメイトの姿を見渡す。


 僕以外、県大会上位以上の成績を収め、この高校の男子サッカー部に入部した。


 なんの実績もない僕なんか、彼らに相手にされないだろうと入学前まで思っていた。


 しかし実際に入学し、入部してみると現実はまったく違った。



「史也、今日も頑張ろうぜ!」



 同級生の武田恵一たけだけいいちが笑顔で僕に声を掛けてくれた。


 僕と恵一は、高校一年時からずっと同じクラスだ。


 僕の高校入学後、最初の友人でもある。


 恵一が僕に声を掛けてくれて以降、彼以外のクラスメイト、そして男子サッカー部員の中に溶け込むことができるようになった。



 僕のポジションは最終ラインの真ん中で、恵一は一列目の位置だ。


 

「恵一、今日もゴール決めてやれ!」



 僕は笑顔で恵一に言葉を掛ける。


 恵一は笑顔で頷くと僕の左肩に手を置き、力強く言葉を掛ける。



「史也の対人の強さはチームナンバーワンだと思っている。絶対に史也の力が必要になる。その時は頼んだぞ」



 これまで掛けられたことのないような言葉を聞き、僕の目頭が僅かに熱くなる。


 

「おいおい、涙は全国の頂点に立つ時までとっておけよ」



 僕の様子を見た恵一がやさしい笑みを浮かべ、言葉を掛ける。


 僕は目元を右手の甲で拭うと、笑顔で恵一の目を見つめ、小さく頷く。



「うん! 今日も頑張ろう!」



 そして明るい声を発し、僕は恵一と腕相撲をするように右手を取り合った。



 

 試合は前半に吉田体育大学附属高校が二点を奪取し、無失点で凌いだ。


 迎えた後半、吉田体育大学附属高校は二十九分に一点を返され、一点差に迫られる。


 ベンチに腰掛けていた僕は腰を上げ、イレブンを鼓舞する。


 それから数十秒後、ある光景が僕の目に映る。



浩二郎こうじろう……」



 僕と同じポジションの二年生、橋本浩二郎はしもとこうじろうが左脹脛ふくらはぎを抱え、ピッチに倒れていた。


 浩二郎は相手のドリブル突破を阻もうと、右脚をボールに伸ばした。


 それを見たもう一人の相手選手が、浩二郎のディフェンスを阻もうと、彼の背後から右脚を伸ばした。


 そして運が悪いことに、相手選手のスパイクの底が浩二郎の左脹脛に直撃してしまった。



 浩二郎はこれ以上のプレーは無理と判断され、ピッチに現れた担架に乗せられ、医務室に運ばれる。


 吉田体育大学附属高校男子サッカー部監督、高山宗則たかやまむねのりは担架が見えなくなると同時に、一人の選手に視線を向ける。


 吉田体育大学附属高校は交代枠を一つ残していた。



 監督は視線を移すことなく、ゆっくりと歩みを進める。


 その瞬間、僕の背筋が一気に伸びる。


 やがて、監督の足が止まる。


 

 僕の目の前で……。



 監督は僕の目を見つめ小さく頷くと、力強く言葉を発する。



「出番だ」



緊迫する場面で、高校入学後最初の出番がやってきた。




 



 



 


 



 

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