第12話 更に地獄の生活は続く

当時はまだアトピー性皮膚炎の研究が始まって間もないのか

医療が発展途上だった

症例が少なすぎた為、私の体は珍しかったのだろうし

そこ迄酷いアトピーになる人は数えるほどしかいなかったと思うので

街中に居ても好奇の目で見られることも多かった。


それでも、まだ東京都内で中心部となると、

昔から知っている人たちばかりだったので

誰も気にせず、まだ受け入れられていたと思う。

皆、慣れていたこともあるし。


保育園から小学校に上がっても、

お友達が沢山居て、誰も私の身体のことを気にする人は居なかった。


皆心配してくれていた。

大丈夫か、と。


その頃には更にアトピーは悪くなっていて、

夜パジャマに着替えて傷や炎症を掻いてしまうと、自分の皮膚から出た液体が朝迄にはパジャマについて乾燥してしまうので

朝、学校に行く為に着替えるには

お風呂場で皮膚をふやかしてパジャマから皮膚を外す作業から始まった。


濡らさないで皮膚からはがそうとするものなら

皮膚ごと剥けた。


なので全てが苦痛だった。


だけれども、学校に行けば皆心配してくれて、

だけれども、授業は楽しく先生からも自信をつけてくれようとしたのか

可愛がられることも多かった。


でも、喘息やアトピーのひどさで学校に行けない日も増えていった。

特に、喘息はひどく、病院にも通院を定期的にさせて貰えていなかった私は

吸入器も無く(心臓に悪いからと使わせて貰えていなかったかよく分からないが)

喘息は放置され、アトピーはボロボロで、

そんな中で母はいよいよ私の呼吸が出来なくなると近くの病院で注射を打ってもらいにつれてくれて

アトピーもどんどんひどくなるばかりだったので

そのうち国立の小児病院に紹介されて行ったが、

ここで。。。



幼児虐待、性虐待だと思われるが

沢山の男性医師がいる前で一人、

服を脱がされた。


何度も。


イヤだ、と言っても服を脱がされた。

症例を見たいのか、

研究したかったのか、

研修なのか。


イヤだ、と言っても

そばにいる母迄が「何やってるの。脱ぎなさい!」と守ってくれなかった。

そしてお母さんは外で待っていてください、ということもあるし、


一人、


真っ裸にされて。いじられて。


見られて。



何度も


その度にイヤだという心の感情は奪われ

無理やりにでも引き剝がされて

心は奪われ

心は無視され


治療だから 



小学校低学年6歳頃の心には重たすぎる



何を抵抗してもダメなんだ、とこの時に感じたのだ。。。



以降毎回心の中での「イヤ」を自分で引き裂いて自分から破る。自分の心を自分で壊してバリンと割らなければいけなかった。。


自分はイヤなのに、イヤという言葉も心も感情もダメ


いじめだ。


こうして心は 失われていく。

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