街でも雀を見かける話

「佐伯さん、こんにちは。そこにいないと思っていた人がいるとびっくりしますね」

 土曜日の夕方、最寄りの駅でたまたまお付き合いしている佐伯小鳩さんを見かけたのでそう言って声を掛けた。佐伯さんもちょっとびっくりしたみたいだ。

「驚かすつもりは無かったんですけど、申し訳ないですね」

 小さく頭を下げる。佐伯さんは少し拗ねたように

「大丈夫です」

 と答えた後、ふっと息を吐く。

「会えて嬉しい気持ちもありますし」

 佐伯さんはそう続けて、恥ずかしくなったみたいで俯いてしまう。

「今日は友達とお茶をした帰りなんです」

 佐伯さんは特に聞いたわけでもないのに、駅の雑踏の中に紛れて消えそうな声で教えてくれる。恥ずかしがることは無いと思う。

「それならお茶に誘うのは申し訳ないですね」

 僕は時間があるけれど、もう一軒喫茶店にと言うのは芸がない気がする。

「お邪魔でなければ送っていきますよ」

 前に聞いた話では佐伯さんは実家暮らしで、僕の住むアパートと駅を挟んで反対方向に住んでいたはず。遠回りどころではないけれどそれもいいかなと思う。

「お家は反対方向ですよね」

 佐伯さんは申し訳なさそうに言う。口調から辞退ではないと勝手に解釈して、

「まあ、暇ですし。よかったらお話をしたいかなと」

 と少し押してみる。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 佐伯さんのお許しが得られたので、二人で歩き始める。

「先程のいないと思っていた場所にって話ですけど」

 何の気なしに話を切り出す。

「佐伯さんも最寄り駅は同じわけだから、いないと思うこと自体が思い込みですよね。会える可能性があるのにそのことに気付いていないだけで」

 特に落としどころがあるわけでもない、どこに着地するか分からない話だなと思いながら続ける。

「私はもしかしたら会えるかもって、少し期待してました」

 少し照れたような様子で佐伯さんが告白する。会えるかもって思っていた佐伯さんより先に、駅で出会うことを想像していなかった僕の方が気が付くなんて面白いものだなと思う。そのことを指摘すると、

「先に見つけられなくて悔しいです」

 と佐伯さんが答える。怒っているというより残念と言う気持ちがにじみ出るような口調が面白く、少し笑ってしまう。

「おかしいでしょうか」

 咎める雰囲気ではないけれど、ちょっと聞かずにはいられないという感じで佐伯さんが尋ねてくる。

「いえ。失礼しました。笑ってしまって申し訳ありません」

 そう謝って、佐伯さんの顔を見る。やはり怒ってはいないようだ。

「予想していてもいなくても。期待していてもいなくても。どこかには僕はいるわけですから、僕たちが会える可能性があるということですね」

 当たり前のことを指摘する。

「でも、こうして会えるのも小さな奇跡のような気がします」

 弾んだ声で佐伯さんは答える。

「では、僕たちは小さな奇跡を積み上げているところでしょうか。普段会っていることも実は尊い奇跡かもしれません」

 僕たちが知り合うことができたのは僕の妹の作為によるものだけど、必然だったかと言われると偶然に寄っているような気がする。

「街で知り合いとすれ違っても気にしないのに、今日は佐伯さんに声を掛けました。自分でも面白いなと思います」

 まあ、僕はもともと薄情と言うか愛想がないというか。知り合いともそんなに話をすることが無かったから、わざわざ声を掛けて話をしたいと思うなんて、だいぶ変わったものだと思う。佐伯さんと話をしていて面白いと思うのは波長が合うということだろうか。

「声を掛けていただいて光栄です」

 佐伯さんは冗談めかしてそう言って微笑む。

「私は、声を掛けたい時も何と言ったらよいかわからなくなるので。こんにちはと言った後、続ける言葉に詰まってしまいます」

 ちょっと後ろ向きな告白が続く。

「こんにちはと言って、こんにちはと返事が返ってくるということは人と繋がっているということだと思いますよ。僕なんか、こんにちはすらないかもしれない」

 我ながら不愛想だと思う。

「そうでしょうか。それなら、今日は特別ですね」

 佐伯さんから無邪気な返事が返ってくる。今日がではなく、僕にとって佐伯さんが特別なのだと思うがあまりに恥ずかしいので口には出さない。

「雀がいますね」

 不意に佐伯さんがそんなことを言う。

 確かに雀の鳴き声が聞こえる。僕はまったく気にしていなかった。僕は周りに注意を払っていないということを再認識して苦笑する。

「全然気にしていませんでした。確かに雀の声が聞こえます。言われるまで気づかないなんて、雀に悪いような気がします」

 すれ違う人に注意を払わない様に、街路樹の枝で鳴いている雀に気付かない。興味がないことには無頓着。雀と同列に扱われた人からは失礼なと怒られるかもしれない。

 一方で佐伯さんはすれ違う知人とは言葉を交わすそうだし、道端の雀には気付くし、僕より豊かな世界に暮らしているような気がする。

「佐伯さんは僕の世界に雀を連れてきてくれました」

 いるけれど気づかない。だから僕の世界に雀はいないも同然だった。だけどこうして認識することで、僕の世界がにぎやかになったような気がする。

「そんな大それたことではないです」

 佐伯さんが謙遜する。

「すれ違う人も雀も確かにそこにいるんですよね。ただ、僕は気に留めていなかっただけで」

 僕の世界は狭く空っぽな世界だったのかもしれない。佐伯さんの世界がどれくらいの広さかなのは僕にはわからないけれど、僕よりは人口密度の高い世界のようだ。

僕は、自分の世界がどれだけ空虚でもよいと思っていた。むしろ空虚な世界を好ましいと思っていたかもしれない。

「僕にとっての世の中は、関わりの強い人たちだけ、興味があることだけの小さな世界だった気がします。でも佐伯さんの話を聞いていると、世界は僕の気が付かなかった色々な事象で満ち溢れている。空虚な世界が満たされていくような感じがします。満たされていく世界。充実しているってことですかね」

 雀の話からかなり飛躍してしまうが、率直に思ったことを口にする。

「僕はあまり自分の世界の密度に気を止めていなかったのですが、もっと密度の高い世界を構築した方が良いような気がしてきました」

 そう続けて佐伯さんの方を見る。佐伯さんは、悪戯を思いついたという風な顔をして、

「それなら、両親に会っていただけますか。お付き合いしている方として紹介したいんです」

 と提案する。

「僕の空疎な世界に、新しく佐伯さんのご両親が登場いただけるというわけですね」

 狼狽えながらも軽口で返事をする。なんと挨拶しようかなんて悩みながら、こういった戸惑いも悪くはないなと感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る