鴉の美しさを語る話

 お付き合いさせて貰っている佐伯小鳩さんは、おとなしい、控えめな女性であまり自分のことは語らない。でも、気に入ったドラマのことを楽しそうに話してくれる。同じ話を見て、どのように感じたのかを聞けば、なんとなく人となりも見えてくる。

日曜日の朝、馴染みの喫茶店で話をして、ドラマの話を聞いて、少しだけ僕の話をして。そうして穏やかに日々が過ぎていく。僕はそれで幸せなのだけど、彼女はどうなのだろうか? 確か、結婚願望があると佐伯さんを紹介してくれた僕の妹が言っていた気がする。それなら、お互いのことをよく知って、結婚してうまくやっていけるかどうか考えた方がいいのかもしれない。そんなことを考える。だけど、結婚できるかどうかだけ考えるのは億劫だし、楽しくないし。慌てず、ゆっくり、今の関係から進むのか、終わるのかを見極めていけばいいかと楽観視している。


 ある日曜日の朝、いつもの喫茶店でコーヒーを飲みながら、二人で話をしていた。

「以前に、鴉が美しいという話をしていただきましたね」

 佐伯さんは柔らかな口調で話題を振ってきた。

「ああ、僕の友人にそんなことを言う人がいます」

 少しだけ話題に上ったそんな話を覚えてくれていたのか。どこか、琴線に触れる部分でもあったのかなと思う。

「どうして、なのでしょうか?」

 何か大切な質問なのか、他愛のない疑問なのかはわからない。

「そうですね。僕は彼ではないから、正確なところはわからない。けれど、一緒に考えてみます?」

 少し、興味が惹かれたので、そう提案してみる。

「私にわかるでしょうか?」

 不安そうに佐伯さんが訊いてくる。

「正解する必要はないんです。自分なりの答えを見つけることができれば。その結果、鴉は美しいと思うか、やっぱり違うと思うのか。僕は正解を聞くこともできるけれど、そうするより、楽しいと思いますよ」

 楽しいと表現したけれど、何かもっと、適切な言葉があったかもしれない。

「ミステリみたいですね」

 ふわりとした声で佐伯さんが笑う。

「答えは出ないかもしれませんが」

 そう言ってコーヒーに口を付けて、一拍、間をとる。

「まず、形と色、どちらが美しいのだと思います?」

 僕は鴉を美しいと表現した理由を考えたことは無かった。変わったことを言うなと思った程度だ。それでも、多分、僕なりの答えを出すことはできると思う。ただ、僕が理由を考えたり、友人に理由を尋ねたりして出した答えを伝えるだけでは、佐伯さんにとって面白い話にはならないような気がする。彼女には彼女の答えを出してほしい。

「私は、鴉の姿をよく思い出せません。黒のイメージしか」

 佐伯さんは少し悩むそぶりを見せてから、そう答える。

「じゃあ、色で」

 努めて軽くそう伝える。

「いいんですか? そんな決め方で」

 少し驚いたように佐伯さんが言う。驚いただけのようで、咎める感じはしない。

「テストじゃないですから。自分たちで納得できる答えがあればそれでいいんですよ」

 こんなやり取り自体を僕は楽しんでいる。佐伯さんはどうだろうか?

「自分たちで納得できる答え」

 佐伯さんはそこの部分を反復する。

「さて、黒はお好きですか?」

 少しおどけて尋ねてみる。

「黒は。そうですね。前は少し怖かったです」

 前はということは、今は大丈夫なのだろうか?

「黒を克服する何かがあったんですね」

「はい。今は大丈夫です」

 何があったかは知らないけれど、苦手が無くなったのなら、良かったのだと思う。

「今は、黒の美しさがわかるような気がします」

 佐伯さんは珍しく、自信ありげに答えてくれる。

「美しい黒のことを濡れ羽色とか言いますね」

 そんな言葉が、口から出る。昔から鴉の黒は美しさを表していた。ただ、僕たちが鴉のことをよく見なくなっただけかもしれない。

「だったら、鴉の美しさってなんだかわかる気がします」

 あっさりと、佐伯さんは鴉の美しさを見つけてしまったみたいだ。

「艶やかな黒。まるで」

 佐伯さんはそこで言葉を切って、続きを言わない。

「今度、鴉を見かけたらよく見てみます」

「美しい黒だといいですね」

 そう言って、その日は佐伯さんと別れた。


 それから数日の間、鴉の美しさを感じてみたくて、朝の通勤途中、鴉を探してみた。探しているときには案外見かけないもので、遠くで鳴き声が聞こえる程度だった。

 土曜日、ようやく遠くを飛んでいる鴉を見かけた。距離があって黒いことしか分からない。その黒は美しいのか醜いのか僕には判断できなかった。

 そう言えば、昔、鴉みたいだって言われたことがあったことを思い出す。多分、僕の髪が真っ黒いからだったと思う。

「あなたが女の子だったらみどりなす黒髪とかいって褒められただろうにね」

 と少し残念そうに祖母に言われたこともある。そうか、みんな黒は美しい色だと知っていたんだ。そんな風に理解した。


 日曜日、いつもの喫茶店で佐伯さんは開口一番、

「鴉の黒、見ました。艶やかで惹きこまれる色です」

 と嬉しそうに報告してくれた。

「鴉って、少し怖かったんですけど、美しい鳥だったんですね」

 小鳩にとって、鴉は天敵かもしれないですからね。なんて軽口が頭をよぎったけれど、余計なことは言わない方がいいような気がして口に出すのを控える。代わりに

「僕も鴉を見ました。探すと案外見つからないものですね。いつ、どこにいるのか。鴉って身近な鳥だと思っていたけれど、あまり鴉のことを理解できていないのかもしれないと思いました」

 僕が鴉のことを知らないだけかもしれないけれど。鴉に限らず、知っているつもりで案外何も知らないのかもしれない。それでいいと思っていた。

 一方で、佐伯さんのことも全然知らない。だけど、それではいけないような気がするのはなぜだろうか?

 佐伯さんは鴉の美しさを感じることができて、彼女の中ではこの話は奇麗に終わった。僕の方も鴉の美しさを実際に見ることはできなかったが理解はできた。だけど、僕は佐伯さんが黒に対する苦手意識がなくなった理由はわからない。少しもやもやするのは、彼女のことをもっと知りたいと思っているからなのだろうか?

「一つだけ、教えていただけますか?」

 思い切って、訊いてみることにする。

「なんでしょう?」

 佐伯さんは不思議そうな顔をしている。

「黒が、苦手でなくなった理由を」

 佐伯さんは困ったように微笑んでから、俯く。訊いてはいけないことだったのかなと少し後悔したが、言葉を取り消すことはできない。

「不躾な質問でしたね、すみません」

 取り繕って別の話題を探そうとしていると、

「黒髪が美しい男性とお知り合いになったから。です」

 消え入りそうな声で佐伯さんが答えてくれる。

 これは、自惚れてもいいのだろうか? そんなことを考えながら少し落ち着くためにコーヒーを口に運んだ。

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