第23話 閉じ込められて

 露天風呂。

 源泉の水に特定のミネラルや化学物質が特別に多く含まれていない単純温泉で、神経痛、筋肉痛、関節痛、冷え性、疲労回復、健康増進などなどに効くという。


 高めの温度の湯とのことであったが溶岩の国籠島生まれの悠花からすれば普通かぬるいくらいであった。

 もう少し温度が高いくらいが好みであるが、言っても仕方ない。

 湯を楽しむことよりも重要なことが今、目の前で繰り広げられているのだから意識は否応なくそちらに向くというものだった。


「福岡に入りたいから行き方教えてよ」

「教えたら喰わんでくるるんやろか?」

「うーん、情報によるよね」

「ほほ。そんな気分次第いうなら教えちゃいかんね」

「ぷぅ」


 普通に血を吸ってその記憶を読めば良いのでは? と悠花は思うがそうもいかない事情がある。

 それは相手が千年生きている吸血鬼ということだ。

 千年という莫大な記憶の中から望んだ記憶を探すのは難しいのである。

 千ページびっしりと文字が書かれた分厚い書物からピンポイントで必要な単語を探せというようなものだ。

 到底すぐにはできないし時間がかかる。


 また異能がわからない。完全な食事と割り切るのも良いが、兄エーヴェルトと戦うことになることを考えれば少しは使える異能をストックしておきたいとセラフィーナは考えている。

 いまだ、この千年生きた吸血鬼の異能もわからない状態で吸いつくしてしまうのは使い方がわからない異能を手に入れて無駄になってしまう。

 記憶から異能の使い方を探るのも時間がかかる。


 だからまずはできる限り情報を引き出す必要があった。

 もっとも時間がかかるだけなのだから、最終手段としてさっさと吸いつくして記憶をゆっくり百年くらい時間をかけて探るという方策で行こうかともセラフィーナは考えている。

 その場合は、悠花がネックであるが、おいおい考えようという長く生きた吸血鬼特有の悠長な思考をしていた。


「じゃあ、何ならいいのさ、お婆ちゃん」

「そうだね。まずは自己紹介かね」

「ああ、そういえばお互い名乗ってなかった。これは失敬」


 セラフィーナは湯の中で身体を少女の方へと向き直り、居住まいをただす。


「改めましてお初にお目にかかる古き血、古き血脈に連なる子、永く遠くを生きる同胞よ、テッサリアの巫女より連なる血盟の末席から挨拶申し上げる。セラフィーナ・クーラリース・テッサリアと申します――知ってるだろうけど」

「知っとおよ――古き血、古きテッサリアの巫女の血脈に連なる子、永く遠くを生きる同胞よ。くにさきの鬼より連なる血盟の末席から黒葛原野茉莉つつじばらのまりが挨拶を受けよう。なぁに、おまえさんのような高名も功名もなか、ただん長う生きただけん吸血鬼よ」


 野茉莉からは『なんね、ちゃあんと古い挨拶できるとね』と煽りが視線に感じられ、セラフィーナからはあまり舐めるなよババアと率直な罵倒が視線に乗っている。

 悠花には、それが二人の間でばちばちと火花が散っている風に見えた。


「それじゃあ、最初から。福岡への生き方教えてよ、

「断る、と言えば平行線やねぇ。やけん教えてあげよか

「良いの?」

「あんたのお兄さんに教えても良いと言われとうからね。ただし――」

「っ!」


 セラフィーナは、兄と聞いた瞬間に飛び退き、悠花を抱えて離脱しようとしたが遅い。


「ただし、わしんいじめに耐えられたらやけど。めいっぱいいじめて泣いてる顔を写真にとってきてと言われとってね。たくさん泣いてな?」


 柏手一つ。高らかに響くともに、セラフィーナと悠花の二人は漆黒のキューブに囚われた。


「な、なに!?」

「これがお婆ちゃんの異能か。お兄様めぇ、最初からボクをここに閉じ込めるのが目的だったな」


 そうだよ、可愛い仔猫キティとにやにやとした兄の顔が浮かんできてむかついたのでぐっと拳を握って漆黒の壁を叩いてみた。

 しかし、手が痛いだけでどうにもならなかった。

 電流がないだけで福岡の壁と同じ気配がする。福岡の壁はこの結界と雷ともう一種の異能によってつくられていたのだとこのキューブに囚われたことでセラフィーナは理解した。


「おそらくこの結界が福岡の壁の芯だね。なんとかここから出ないとだ」

「じゃあ、早く出てください。裸であなたとこんなところに閉じ込められるとかぞっとしません」

「ぷぅ……わかったよぅ」


  なら今度はもっと強くとばかりに拳を撃ちつけるが、セラフィーナの拳が砕けただけで漆黒の壁にはなんの影響も及ぼしていないようだった。


「…………」


 今度は冷気で氷を発生させて破ろうとするが氷の方が砕け散る。


「…………だめかも」

「どうするんですか!? 食べるものも何もないのに、どれだけ閉じ込められるかわからないのに!?」

「どうしようかー」

「なんでそんな悠長にしてるんですか!」

「破れないならもうここから根競べになるからだねぇ。待ってれば相手も出してくれるかもしれない。いつまでも風呂に入ってるわけにはいかないと思うし、お兄様が閉じ込めるだけで済ませるとは思えない」

「……はぁ。そうですね、それしかなさそうです。わかりました、それで行きましょう。どれくらい待ちますか? 百年だったらギリギリ間に合いますけそれ以上だと、わたしは死ぬのであなただけになりますね」

「あー、そうだよね。うん、なるたけ頑張ってみる方針に変更で」

「なぜに? 無理なのは見え見えじゃないですか」

「なんででも」


 セラフィーナは、漆黒の壁を殴り始めた。何度も何度も。

 瞬く間に五日が過ぎた。


「おっ、少し削れたかも」

「無駄ですよ、削れてるようには見えません。体力の無駄ですし、じっとしててくださいよ。ここで体力消費して百年、二百年もつんですか」

「持つし、よゆーだし!!」


 さらに一週間が過ぎた。


「はい、氷ー。溶かして水だけでも飲んでおこうねー」

「…………ん」

「ほら、もっと飲んで」

「いい……です……わたしなんて助けなくて……それより吸血鬼を……」

「良いから飲め!」


 悠花はほとんど動けなくなっている。氷を出して溶かして飲んでいるからなんとかなっているが、それもいつまでも持つ者ではない。

 さらに一週間。


「…………」

「ハルカ? あ、ヤバイ……」


 さて、ここが岐路だなとセラフィーナは、殴るのをやめて倒れて呼吸の浅い悠花を見下ろす。

 このままでは悠花は死んでしまうだろう。

 ここで死なれてしまったら大変だ。腐敗とかしたりして血とかの成分が出てしまったらアレルギーが出て死ぬかもしれない。


「……あれをやるか。招き猫って可愛いから、ボク好きなんだよね。それに一人旅よりも道連れがいてほしいし」


 ふっと笑ってセラフィーナは自分の指先を爪で切った。赤い血がゆるやかに流れ出す。


「さあ、ハルカ。飲んで」


 ぽたぽたと悠花の目の前に血が流れ落ちた。

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