第15話。美紅と神社
もうすぐ日付が変わろうとしている。もし、結衣が家に帰ってくれば
「結衣ちゃん……どこに行ったの……」
それなりに広い街で子供を一人見つける。難しいことは誰もが理解しながら、結衣のことを必死に探している。
「おい、月雲」
夜の十二時になり、三人で集まったのは闇雲に探しても見つからないことがわかったから。ただ、雨音は月雲と顔を合わせるなり、喧嘩腰で絡み始めた。
「なんじゃ。わしの可愛い妹よ」
「お前、真面目に探してるのか?」
「わしは警察犬じゃないぞ」
「……っ。私はお前の勘を信じて……!」
美紅は今にも月雲に殴りかかりそうな雨音の腕を掴んで引き離した。想像以上の仲の悪さに戸惑いながら、勝手に喧嘩をする二人に美紅は感情を掻き乱されてしまった。
「お願い。二人とも喧嘩しないで」
「やれやれ。真面目に喧嘩する気も起きんわ」
月雲が大きく動いて、美紅の腕を掴んだ。明確な痛みを感じ、美紅は雨音を掴んでいた手を離す。そのまま月雲は雨音の体を自分の方に抱き寄せていた。
「美紅よ。気休めを言うつもりはないが、落ち着け。おぬし、そんな顔で歩き回ってたら人から心配されるぞ」
美紅は自分の顔に触れる。今、自分がどんな顔をしていたかもわからない。月雲が雨音を奪い取ったのは、そこに理由があるからだと思った。
「お前がさっさと見つければいいだけの話だろ」
「まだ繰り返すか?小さいヤツじゃな」
「なんだと!」
また喧嘩を始めた二人に美紅は心底呆れてしまった。今は喧嘩なんてしてる場合じゃないのに、どうして二人はこんなにも仲が悪いのだろうか。
「二人はもう帰って」
美紅が二人を帰らせようとしたのは、ここに三人が集まった理由と同じ。時間的にも二人が外を出歩いているのは問題があるからだった。
「正直、わしらの足では限界があるな」
他にも探している人はいるけど、今だに結衣が見つかっていない。そんな状況で二人に一晩中人探しをさせるわけにはいかない。
「月雲ちゃん……?」
不意に月雲が空に浮かぶ月を見上げていた。
「これはマズイな」
「なんだよ。いきなり」
「もうすぐ雨が降るぞ」
雨音の言っていた月雲の勘というものだろうか。
「ガキが外を出歩いている可能性があるのか?」
「さあな。だが、こんな時間まで子供を留めておける場所も限られておるじゃろ。近所の公園などであれば、既に他の連中が発見しているはずじゃ」
美紅は月雲の言葉で思い出した。
「神社……」
結衣と一緒に花火を見た、あの神社。
「神社も探してる奴がおるじゃろ?」
「ううん。結衣ちゃんと間違えて行った神社があって……」
どうして、思いつかなかったのか。美紅が忘れようとしていた記憶。大切な思い出の場所。大切な場所だからこそ、誰にも探させようとしなかった。
「雨音ちゃん。月雲ちゃん。二人は先に帰って」
もし、間違っていたとしても他の場所を探せばいい。これ以上、二人を自分のことに付き合わせたくなくて、美紅はもう一度、二人には家に帰るように伝えた。
「どうする?雨音よ」
「帰るしかないだろ」
「なんじゃ。おぬし随分と素直になったな」
「人のこと言えないだろ。お前が人に懐いてるのなんか気持ち悪いぞ」
月雲が雨音の腕を掴んでいた。
「姉妹の好みは似るようじゃな」
「離せ。暑苦しい」
雨音の腕を掴んだまま月雲が美紅の顔を見る。
「美紅。今日はおぬしの家に泊まってもよいか?」
「それはいいけど……」
「よし。なら、さっさと行くがよい」
ようやく終わった会話。美紅が駆け出したのは二人にお礼を言った後。もし、二人と一緒に探していなければ、神社のことを思い出すのが遅れてしまっていたかもしれない。
少しでも早く結衣のところに行く必要があった。
でも、月雲の言葉を聞き逃さなかった美紅は少しだけ寄り道をすることにした。また余計な失敗をしない為に。美紅は月雲の忠告に従うことにした。
着いた神社が以前と違った雰囲気があるのは、雨が降って辺りが暗くなっているせいだろうか。美紅は持ってきた懐中電灯で辺りを照らした。
月雲の言っていた通り、雨が降り始めた。
念の為に傘とカッパもコンビニで買っておいたけれど、走る為にすぐにカッパを使った。ただ、突然の吹きつけるような雨で足元は靴下まで濡れてしまっていた。
「結衣ちゃん!」
美紅は声を出して、結衣に呼びかけた。
子供が隠れるような場所があるとすれば、崩れかけた本殿の辺り。見落とさないように光を当てていくと、子供の脚のようなものが見えた。
すぐに駆け寄り、体を低くする。結衣であることを確かめる為に懐中電灯を向けると、そこには顔に泥をつけた結衣が倒れていた。
「……っ」
手を伸ばして、結衣の体に触れると、髪や服が濡れていることがわかった。体は冷たく、よく見れば顔も赤くなっていた。
「結衣ちゃん……」
すぐにケータイで救急車を呼ぼうとした。
けれど、美紅の脚に触れる手があった。
「先生……」
「結衣ちゃん!」
美紅はカッパを脱いで結衣の体を抱き上げる。その冷えきった体を温める為に美紅は結衣を抱きしめて、自分の熱を少しでも分け与えようとした。
「迷惑かけて、ごめんなさい……」
「大丈夫。大丈夫だからね……」
美紅がケータイで連絡を取ったのは雪子だった。
すぐに迎えに来ると言っていたけど、美紅は少しでも早く結衣を安全なところに運ぶ為、カッパを着直すことにした。
結衣をカッパの中に入れたまま抱き上げる。持ってきた傘を使って少しでも結衣が雨に当たらないようにする。
「結衣ちゃん。落ちないようにね……」
美紅は神社の跡地から離れることにした。
歩いている間、自分の服に水が染み込むような感覚があった。それでも結衣を必死に抱きしめたのは自分よりも、結衣の体が冷たかったから。
「先生……私……」
雨の音にかき消えてしまいそうな、結衣の小さな声。聞き逃さないように、言葉を持つことにした。
「先生のことが、好きです……」
確かに聞こえた結衣の言葉。
どうして、結衣がこんなことをしたのか。
それは結衣が自らの願いを叶える為だとわかった。
「結衣ちゃん……」
愛の告白。
そう美紅が捉えてしまったのは、結衣の行動が本気だったから。ただの教師と生徒の関係で、ここまでする理由もない。
もし、本当に結衣と心が通じ合ったのなら。
美紅が想像したのは、他人から後ろ指をさされるような関係。理解が出来ても受け入れてくれる人間なんても、世界のどこにもいないと美紅は思った。
「……っ」
通りに出ると、目の前に車が停まった。
その車から降りてきたのは雪子だった。雨に濡れることも構わず、美紅の方に駆け寄ってくると、結衣に体を寄せていた。
「よかった……」
安堵したのか、雪子の口から声が漏れる。
「雪子さん、結衣さんを車に」
美紅は冷静に対応をする。停められていた車の後部座席側の扉を開けると、美紅はカッパを外して結衣を乗せることにした。
扉を閉じて、美紅は車から離れた。
「美紅さんも乗ってください」
運転席に乗り込もうとした雪子が声をかけてきた。
きっと、雪子なら家まで送り届けてくれる。そんな予感が美紅にはあった。ただ、美紅は拒絶するように雪子から目を逸らした。
「すみません。私は平気です」
後ろめたい気持ちがあることに美紅は気づいた。
結衣の母親である雪子には何も話せない。
「……わかりました」
雪子には不安や焦りがあったのか。あっさり受け入れたのは結衣のことを気にしているから。車は走り出し、すぐに姿は見えなくなってしまった。
美紅はカッパを外したまま、傘を下げる。
既に濡れていた体。全身に雨が染み込み、指先から水が流れ落ちていく。美紅の見上げた黒い空からは永遠と雨粒が落ちてくる。
雨の冷たさで、全身の熱が引いていくようだった。
結衣に告白されて、舞い上がっている自分がいることに美紅は気づいた。きっと、次に会った時には今日のことを思い出して、顔を赤くしてしまう気がした。
「先生のことが好き、か……」
美紅の冷めた体の中で、その感情だけは熱く残り続けることになった。本当の愛と呼ぶべきでない醜い感情が美紅の中で育ち始めていた。
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