第14話。美紅と姉妹

「いらっしゃいませ」


 家庭教師の仕事を辞めた美紅みく月雲つくもの店で働くことにした。飲食店ということで、心配事もあったけれど、数日もすれば美紅も慣れ始めていた。


「どうじゃ。うちのメイド喫茶」


「月雲ちゃんって、店長だったんだ」


「違うな。わしは店長代理じゃ」


 メイド喫茶と聞いて、どんな仕事なのかと美紅は思っていた。けれど、少し可愛いウェイトレスの格好をしているだけで想像を絶するような仕事ではなかった。


「なんか、想像と違ってたかな」


「昔は萌えというヤツを全面に押し出して色々やってたみたいなんじゃが。最近は競争相手も多くてな。今はメニューに力を入れとるんじゃ」


 食べさせてもらった料理はどれも美味しかった。


 お昼時になると、料理目当てでやって来るお客さんがいて。黙々と食べている姿は迫力すら感じてしまった。


「私、ここで浮いてないかな?」


「おぬしは十分若いじゃろ」


 長い期間続けられるような仕事ではないと美紅は考えていた。次の仕事を見つけるまでの繋ぎとして、今は真面目に仕事を続けるつもりだった。


雨音あまねには仕事を変えたこと言ったのか?」


「ううん。言ってない」


「そうか。まあ、おぬしがそれでよいなら構わんのじゃが」


 学校の教師になる夢からは遠のいてしまったけど、今の自分には教師になる資格はない。そんなことを考えながら美紅は仕事を続けていた。


 結局、花火大会の日を最後に結衣ゆいとは会っていない。もし、あの写真が拡散されれば、美紅が家庭教師を辞めた理由も知られてしまう。


 背負うものがなければ、美紅は罰を受けるつもりだった。今の美紅に唯一残された、雨音の存在が美紅が人間として生きていられる理由だった。




 美紅の覚悟を揺らがせる出来事が起きたのは家庭教師を辞めてから一ヶ月後のことだった。


 月雲の店で働いた後、自宅で雨音と二人で過ごしていた。今だに家庭教師の仕事を辞めたことを家族には話していないような状況だった。


「美紅、電話鳴ってるぞ」


「わかった」


 テーブルの上に置かれているケータイを手に取ろうとした。けれど、途中で美紅は手を止めた。


 ケータイの画面に表示されていた名前は雪子ゆきこ。結衣の母親には家庭教師を辞める連絡を仕事の紹介先に頼んでいた。


 だから、今さら話し合うこともない。それでも美紅が電話に出ることにしたのは、結衣に黙って辞めてしまったことを今でも悔いていたから。


「はい。陽咲ようさきです」


「美紅さん、いまどちらにいますか?」


「自宅ですけど……」


 電話の向こうが騒がしい。外からの電話なのか。


「結衣のこと知りませんか?」


「結衣さん……?」


「実はずっと家に帰って来なくて」


「……っ」


 結衣が家に帰って来ない。つまり、それは結衣が行方不明になっているということ。冷静に対応をするつもりだった美紅の頭が急速に熱の上がる感覚があった。


「学校には行っていたんですか?」


「はい。午後の授業が終わるまでは学校に居たみたいです」


 つまり、放課後から行方不明になった。


「今、みんなで探していますが、見つからなくて……」


 電話越しで伝わる雪子の焦り。わざわざ家庭教師を辞めた人間に連絡を取るくらい雪子は結衣のことを心配している。


 それに気づきながらも、美紅は悩んでいた。


 結衣に会えば覚悟が揺らぐ気がした。何も言わずに家庭教師を辞めてしまって、結衣に恨まれているとすら美紅は思っていた。


「結衣さんに……私のこと話しましたか?」


「……っ」


 雪子の様子がおかしい。


「雪子さん……?」


「ずっと、あの子に美紅さんが家庭教師を辞めたことを話していませんでした。ですが、少し前に……あの子がいないと思って、その話をしてしまいました……」


 つまり、辞めた話を結衣に聞かれていた。


「それからずっと、あの子が悩んでいる様子で……」


 美紅は自分の失敗だと思った。


「私も一緒に探します」


 うだうだ悩んでる場合じゃない。今は結衣のことを探さないといけない。その為なら、自分の隠し事を誰かに話す覚悟も必要だと美紅は思った。


「雨音ちゃん」


 雪子との通話を終わらせて、雨音に近づいた。


「なんだ?」


「私、一ヶ月前に家庭教師の仕事を辞めてた」


「ふーん」


「それで、今は月雲ちゃんと一緒に働いてる」


 雨音の顔が不機嫌な表情に変わった。


「月雲ちゃんには新しい仕事を用意してもらった。だから、私は月雲ちゃんに感謝してるし、そのことを雨音ちゃんに黙ってたのは、怒られると思ったから」


「ああ。私は怒るだろうな」


 雨音が美紅に近づいた。


「美紅は私のことを信用してなかったんだろ」


「……っ!」


 その言葉を聞いて美紅の体は動いた。雨音の肩に手を触れたのは言い訳をする為でも、否定の言葉を口にする為でもなかった。


「ごめんなさい……」


 自分が悪いことを美紅は理解していた。


「なんの謝罪だよ」


「私、雨音ちゃんに嫌われたくなかった……」


 月雲のことを雨音に話せば嫌われると美紅は思っていた。でも、隠し事を続けるほど、雨音と話すたびに胸がザワザワして、気持ちが悪くなっていた。


「あのな、美紅……」


 その時、雨音の表情が大きく変わった。


「美紅、お前……どうした?」


 雨音に言われて気づいた。自分の顔に触れた手が震え、瞳からは涙が溢れている。自分でも気づかないような恐怖に美紅は呑み込まれ始めていた。


「あれ、私、どうして……」


 怖い。人間に向けられる感情が、これほどまでに怖いと美紅は知らなかった。いいや。知っていたからこそ、ずっと言葉にすることが出来なかった。


「落ち着いてくれ、私は本気で怒ってるわけじゃ……」


 差し出された雨音の手を美紅は両手で握る。


「ごめんなさい……」


 雨音の体を美紅が引き寄せる。


「何があったんだ?」


「実は……」


 自分が結衣にしたこと。晴久はるひさに脅されたことを美紅は雨音にすべてを話した。


 その時、雨音の顔に浮かぶ感情が本物の怒りの感情であることに美紅は気づいた。先程、向けられた感情なんてものは、とても甘いものだった。


「月雲ちゃんは……そんな私を助けてくれただけで……」


「アイツが私のことを連れ戻す気がないなら、わざわざ喧嘩する理由はない。私が一番怒っているのは、美紅の人生をめちゃくちゃにした奴のことだ」


 まだ晴久は写真を持っている。取り戻すことが不可能だからこそ、家庭教師には戻れない。家庭教師を続けていたら、必ず問題として現れてしまう。


「でも、今は他にやることがあるんだろ?」


「そうだね。実は……結衣ちゃんが行方不明になったって結衣ちゃんのお母さんから連絡があった。それで、雨音ちゃんに結衣ちゃんを探すのを手伝ってほしくて……」


「手伝うだけなら、なんで私に家庭教師を辞めた話をしたんだ?」


 黙っていれば、家庭教師を辞めたことを雨音に知られることはなかった。同じように月雲の話をする必要もなかった。


「……月雲ちゃんも呼ぶつもりだから」


 雨音と月雲の二人に美紅は手伝ってほしいと考えた。だから、すべての隠し事を雨音に話すことにした。


「わかった。呼べ」


「いいの?」


「アイツの勘は本物だ。私が手伝うよりも見つかる可能性がある」


 どうして、初めから雨音のことを信じなかったのだろう。美紅は後悔しながらも、月雲に連絡をすることにした。


「月雲ちゃん、すぐに探しに出てくれるって」


「なら、私達も行くか」


 歩き出そうとした雨音の腕を美紅は掴んだ。


「まだ何かあるのか?」


「……雨音ちゃん。ありがとう」


 雨音は呆れた顔を美紅に向ける。


「気にするな。家族だろ」


 家族。雨音の口から家族なんて言葉が出るとは思いもしなかった。一緒に過ごした時間が無駄でなかったと知り、美紅は嬉しいと感じていた。

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