第11話。美紅と花火
「先生?」
少し考え事をしていたのは、数日前に父と話をしたせいだ。上手く気持ちの切り替えが出来ず、楽しみにしていた今日という日に美紅は余計なことを考えてしまっていた。
「結衣ちゃん、手を繋ごうね」
平日の夜に結衣と行くことになったのは近所で行われる花火大会だった。結衣は浴衣を着ているけれど、美紅はいつも出かける時の格好をしていた。
結衣の母親である
「出店、色々あるね」
花火大会ということで、出店も出ている。
高校生の頃は友人と一緒に出店を回ったことを美紅は思い出していた。あの頃は恋愛に興味を持つことが出来ず、恋人と一緒に花火を見ることはなかったけれど、後悔はしていなかった。
きっと、あの時、恋人を作っていた方が後悔をしていた。教師としての道を諦めた時、過去のすべてを許せる気になってしまった。
「お金、雪子さんから預かってるから。結衣ちゃんの欲しいものがあったら言ってね」
「わかりました……」
結衣が最初に買ったのはわたあめだった。いきなりわたあめを食べるとは思わなかったけど、結衣はずっとわたあめをちびちび食べていた。
雪子から預かったお金はまだ余っている。二人分も預かったせいで、簡単には消費することも出来なかった。
「結衣ちゃん?」
ここに来てから、結衣がずっとソワソワしていた。わたあめを食べるのが遅いのは、何か他に気になることがあるからだと美紅は思った。
「先生は……何も食べないんですか?」
「それじゃあ、私も何か食べようかな」
美紅はかき氷を食べることにした。
あまり食べ歩きというものに慣れていなくて、熱を冷ます為のかき氷もどんどん溶けてしまう。美紅がかき氷を食べ終わる頃には結衣もわたあめを食べ終わっていた。
ただ、今になっても結衣の気が散っていることが美紅は気になった。ゴミを捨て終わってから、あらためて結衣に聞くことにした。
「結衣ちゃん、何か気になることあるの?」
「えーと……」
結衣が山の方を見ていた。
「山の上にある神社に行きたくて……」
山の上にある神社。実際に足を運んだことはなかったけど、雑誌に載るような花火を見るのに最適なデートスポットだったと美紅は記憶している。
おそらく、結衣は誰かから話を聞いて行きたいと考えた。
そこが恋人同士が行くような特別な場所であることを結衣は知らない。きっと、二人で行っても恋人達が既に足を運んでいると美紅は思った。
ただ、花火を見るだけなら、周りを気にする必要はない。これから神社に移動をしても、花火の時間には間に合う。
「それじゃあ、行こっか」
出店のある通りから外れて、山の方に向かっていく。結衣は案内をしたいのか、手を繋いだまま先を歩いていた。
そうやって歩いているうちに結衣の視線が向けられる場所があった。そこには大きな鳥居が見え、結衣が近づく。
「あれ……?」
何か違和感があった。
美紅が鳥居の周りを確かめるよりも先に結衣が鳥居に向かって歩き出す。それを無理に止めることも出来ず、美紅は結衣の後についていく。
暗くて足元がよく見えない。周りを見ている余裕もなくて、道の先に辿り着くまで、結衣に案内を任せていた。
「え……?」
しばらく歩いたところで、結衣が立ち止まった。
確かに道の先に神社はあった。
だけど、この神社は長年使われていない。崩れかけた本殿と雑草の生い茂った道。ずっと管理が行われていないのは一目でわかる
ただ、足を運ぶまでは勘違いをする人間も多いと美紅は思った。結衣もここに来て、場所が間違っていることに気づいたのか慌てていた。
余計な口出しをしなかったことが、美紅の失敗だった。気づこうと思えば、途中でも気づけたはずだった。
「ちょっと待ってね」
このままだと打ち上げの時間に間に合わない。美紅はケータイで本来の行き先を調べていることにした。そうすれば、すぐに結衣の行こうとした神社の場所がわかった。
「結衣ちゃん、行こうか」
「ごめんなさい……」
「気にしなくていいよ」
結衣の手を引いて来た道を戻る。通りに出てからは道路に沿って、山の方に登って行くことになる。
きっと、こんな結果を結衣は望んでなかった。
美紅の手が後ろに引かれるのは、結衣の歩く速度が遅くなっているから。美紅が横目に結衣の姿を確かめてみれば、落ち込んだ顔が見えた。
「あ……」
そんな結衣に追い打ちをかけるように夜空に花火が打ち上がった。最初の一発をかわきりに次々と花火が上がっている。
「結衣ちゃん、ここからでも見えるよ」
ガードレールに近づいて、二人で花火を見る。
ここでも十分な花火が見れる。ただ、花火を見上げるような立ち位置になってしまう。座れる場所もないから、終わるまでには首を痛めてしまうかもしれない。
「結衣ちゃん……?」
花火の音に紛れて、結衣の泣き声が聞こえる。
美紅は腰を低くして、結衣と目線の高さを合わせた。結衣は泣いている顔を見られたくないのかうつむいてしまう。
誰だって失敗をする。ただ、その失敗が経験になるのは後になってから。今の結衣が抱えている感情は消化出来ずに涙となって溢れてしまっている。
普通の人間なら、涙を止める為に慰めたり、寄り添って、落ち着かせようとする。そんな当たり前のことが美紅の頭の中では浮かんでいた。
しかし、思考と体の動きは大きくズレてしまう。
心臓の高鳴り。花火の音に紛れて気づくことに遅れてしまった。だからこそ、美紅は自分の行動を止めることが出来なかった。
「結衣ちゃん、大丈夫だからね」
優しい言葉を投げかけながら、美紅は自分の顔を結衣に近づけた。行動の意味なら理解している。美紅が寸前で顔を止めたのは、人として許されないことだから。
美紅は顔を引こうとした。しかし、結衣の小さな両手が美紅の頬に触れる。そのまま結衣は目を閉じて、顔を動かした。
「……っ」
唇が触れた瞬間、美紅の中にある壁のようなものが崩れる感覚があった。結衣の唇を求めるように美紅は自分の唇を押し当てた。
初めてキス。結衣の顔が真っ赤になっているのを見て、美紅は恥ずかしくなった。意識するほど自分のやったことが、普通ではないと気づかされるのだから。
「……っ」
美紅は結衣の体を掴んで、引き離した。
「ご、ごめんなさい……」
結衣は戸惑っている。それは唇を触れ合わせたことに対するものだった。本人も理解出来ていないからこその戸惑い。
「結衣ちゃんって、意外とだいたんだね」
「うぅ……」
美紅が茶化したのは、また変な空気にならないようにする為。キスしたところで、二人の関係に変化があるわけじゃない。
周りに目を向けると、先程まで見えなかった人達が山の方から降りてくる姿が見えた。花火の音が聞こえなくなってから時間が経っており、花火大会が終わったことに気づいた。
「そろそろ帰ろっか」
美紅は結衣と手を繋いだ。
「あの……先生……」
歩きながら、結衣が声をかけてきた。
「どうしたの?」
「私……」
さっきよりも結衣の顔が赤くなっている。
「……初めてのキスでした」
結衣にとって、さっきのキスは特別なものになるだろうか。それとも、子供の頃の気の迷いとして切り捨てられるだろうか。
美紅はあまり喜ばないようにしながらも、自らの唇に指先を触れさせた。結衣の唇の感触を自分だけは忘れない。
そんなことを美紅は考えていた。
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