第12話。美紅と欲望
今日は
いつも通りの時間に家を訪ねると、扉を開けたのは晴久だった。これまでは晴久の母親が出迎えてくれていたけど、珍しいこともあると
「先生いらっしゃい」
玄関から入り、靴を脱ごうとする。
その時、玄関に靴が置かれていないことに美紅は気づいた。いつもはいくつかの靴が置かれていてる。
晴久以外は出かけている。何度も足を運べば今日のような日もある。ただ、美紅が本当に気にしているのは晴久と二人きりという状況だった。
玄関から晴久の部屋に向かう。
いつもと変わらない部屋。晴久が部屋のインテリアに興味が無いことを美紅は知っていた。だからこそ、普通なら気づけないような変化にも目を向けることになった。
「……」
ソレに気づいたところで指摘は出来ない。
指摘をして誤魔化されたら、無駄になる。今の関係を保つ為にも美紅は気づかないフリをした。
勉強が始まれば、美紅も集中することにした。
いつも通りに仕事をして、いつも通りに終わらせるだけ。ただ、それだけで何事も無く一日が終わるはずだった。
ずっと、晴久がソワソワしていることに美紅は気づいていた。勉強に集中していないだけなら、それでもよかった。ただ、会話を求められると、ただでさえ遅れている勉強がさらに遅れてしまう。
「先生、あの……」
そして、晴久の手が完全に止まってしまった。
勉強の強制は美紅には出来ない。だからこそ、美紅は晴久の話を聞くことにした。
「この前、花火大会がありましたよね?」
「ええ。そうですね」
「俺、その花火大会に行ったんだ」
そんな話を聞かされても仕方ない。美紅は聞き流すつもりだった。ただ、花火大会という言葉を聞いて美紅の頭の中には
このタイミングで結衣のことを思いだすのは最悪だった。晴久が余計なことを言ったりするから。そんなことを美紅が心の中で考えていた。
しかし、美紅はすぐに間違っていると理解した。
晴久の言葉と結衣との思い出は無関係じゃなかった。
「先生」
晴久の手に握られているケータイ。そこに映し出されている写真を見て、美紅は動揺してしまった。
「これまずいと思うけど」
写真に写っていたのは、自分だと美紅は認識した。その場面は美紅と結衣がキスをしているところだった。
「どうして、そんなものを……」
「学校の奴に誘われて行ったんだよね。めんどくさくて途中で抜けたけど、まさか、あんな場所に先生が居るとは思わなかった」
誰かに見られる危険性はあった。ただ、それが一番見られてはいけない相手だとは思わなかった。
「この子、先生の子供じゃないよね?」
結衣のことを知られたわけじゃない。それでも美紅は上手い言い訳が思いつかなかった。
「親戚の子供です」
「親戚の子とキスしてたってこと?」
「女の子同士ですよ。何か問題がありますか?」
美紅は平然を装うつもりだった。
「じゃあ、なんで。先生って呼ばれてたの?」
「……っ」
晴久は初めから結衣との関係を知っていた。いったいどんな方法で知ったのか。美紅は晴久の存在が不気味に感じてしまった。
「先生、まさか、教え子に手を出したの?」
「だから、その子は……」
「先生の仕事先に確認しようかな」
「……っ」
写真がある以上、言い訳は出来ない。ただのスキンシップという言い訳が通じる相手がいるとは思えない。
失敗した。
美紅は自分の軽率な行動が招いた結果であると自覚した。そうならない為に関係を割り切っていたはずなのに、場の空気に流されてしまった。
「何が望みですか……」
追い詰めるようなやり方。それは晴久に目的があるからだとわかっている。
「俺の命令に従ってほしいんだけど」
「命令……」
「そうだな、まずは……」
晴久の視線が少し下がった気がする。
「そのダサい服、脱いでよ」
この部屋の全体が映るように設置されているカメラ。初めから晴久は写真を使って、自分の要求を通すつもりだった。
晴久の要求を受け入れることは悪手だと美紅はわかっている。それでも、今の状態では美紅の立場が悪いままだった。
「わかりました」
美紅は自らの服に手を触れたのは、着ている服を脱ぐ為だった。上着を脱げば、下に着ているシャツがあらわになる。
これで、終わるとは思えない。
目の前にいる人間は性欲を持て余している男。晴久のプライベートにまで口を出すつもりはなかったけれど、この部屋で晴久が何をしているのか。ずっと前から美紅は気づいていた。
「ボタン、外して」
美紅はシャツのボタンに手をかける。一つ一つ外していくと、下着が見てしまう。ただ、晴久の望みがそれで以上であると美紅は理解していた。
下着を見られたくらいで美紅は動揺するつもりはなかった。相手は男であっても、子供。恥ずかしいとすら感じなかった。
「先生、意外と大きいんだ……」
気持ちの悪い視線を向けられている。
自分の体に興奮するような人間が世の中にいるとは美紅は思わなかった。なのに、晴久の体は確かに反応を示している。
「これで満足ですか?」
「そんなわけない」
晴久が近づいてくる。両手を前に出したのは何かに触れる為。たった一つの写真で晴久はどこまで要求をするつもりなのか。
しかし、美紅も黙っているつもりはない。晴久が体に触れたという事実があれば、自分の不利な立場も少しは変えられる。
だから、今だけは我慢をする。これは自分が受ける罰べきだと美紅は言い聞かせた。
晴久の手が美紅の胸に触れようとした。
「……っ!」
その動きを止めたのは、晴久を呼ぶ声だった。
晴久の母親が帰ってきたのか。晴久は目の前に置かれた餌の前で、待てをさせられた犬のような顔をしていた。
だからこそ、声を出すか晴久は迷っていた。
そんなことは無駄だと美紅は気づいている。
部屋の扉が叩かれた瞬間、美紅は脱ぎかけの服を戻すことにした。もし、母親が入ってくればお互いに言い訳が出来なくなってしまう。
「なんだよ!」
晴久は荒らげた声を出す。
「先生来てるんでしょ。挨拶済ませておきたくて」
短いやり取りを終えて、母親は部屋の前から離れて行った。晴久は気が変わったのか、乱暴に椅子に座った。
「今日は勉強の気分じゃなくなった」
「帰れということですか?」
「そうだ。あのババアには適当に言っとけ」
これが晴久の本性。いつもの弱々しい姿は本音を隠す為の偽装。人間関係を保つ為に普通の人間が常に隠している自分。
不祥事の証拠を手に入れて浮かれてしまったからか。晴久が手にしたモノは他人を従わせる為の道具ではなく、自分の醜さを証明する為の道具だった。
「では、帰らせていただきます」
もう、晴久と会うことはない。
でなければ、この感情を抑えられなくなるから。
「……」
晴久の家を出てから、美紅は宛もなく歩き続けていた。そうすることで頭の中の嫌な気持ちが晴れる気がしたから。
「……っ」
頭を抱えてしゃがみ込んだのは、あの気持ちの悪い光景を消したかったから。都合のよく忘れることの出来ない頭に美紅は爪を立てる。
「せっかくの綺麗な髪が台無しになるぞ」
投げかけるような言葉。美紅は助けを求めているわけじゃなかった。だからこそ、顔をあげないようにした。
「哀れじゃな。自分が何を求めるかも気づけておらんとは」
「
「道の真ん中で迷惑行為をしている女の気持ちなんて知らんぞ。今のおぬしは、ただの障害物じゃ」
美紅は月雲の足に目を向ける。
「じゃあ、月雲ちゃんは、なに……」
「わしはただのお節介焼きじゃ」
月雲が手を差し伸べてくる。
その手を美紅は弱々しく握った。
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