第17話
本日の天候は雲一つない快晴だった。
さんさんと輝く太陽は目が眩むほど大変眩しく、それでいてとても暖かい。
その下では小鳥たちがすいすいと優雅に泳いでいた。
時折頬をそっと優しく撫でていく微風は心地良い。
今日ほど絶好の日はないだろう。アスタロッテのいる玉座の間へ向かう傍ら、ライシはそんなことをふと思った。
首を長くしていた日がとうとうやってきた。ライシは今日でついに成人を迎える。
精神年齢のほうはもうとっくに老いてしまっているが、この際それはどうでもいい。
ようやく
「――、おはよう母さん」
「おはようライシちゃん。ぐっすりと眠ることができたかしら?」
玉座に座す姿は魔王としての威厳に満ちている。
ただし潤いのある魅力的な唇から紡がれる言葉はひどく穏やかで優しい。
「あぁ、おかげ様で。そんなことよりも母さん、今日は俺の――」
「もう、わかってるわよライシちゃん。せっかちな子なんだから」
「せっかちにもなるさ。なんて言ったって今日は俺の成人式なんだから、ね」
「早いものね……あんなに小さかったライシちゃんが、こんなにも大きくなったんですもの。ここまですくすく育ってくれてママとっても嬉しいわ」
「……それで、母さん。少し頼み、というか成人した際にちょっとした目標があるんだけど」
いよいよ本題を切り出す。ライシは一抹の不安を抱いた。
成人になったからには、もう子どものような振る舞いはできない。一人の大人としてこれより世界へと出る。
それ相応の責務が課せられるのは必然であるし、それを背負うだけの覚悟がないわけでもない。むしろ一刻でも早く城から去りたいという気持ちが逸るぐらいだった。
もう母さんも大丈夫だろう。仮になにかあったとしてもまだ、アリッサたちがいる。
否定されることはきっとないはずだ。そう思っていても何故か、そうならない結果を恐れる己がいる。
ライシは咳払いを一つした。きっと大丈夫だ、そう自らに何度も言い聞かせた。
「目標? それはどんな目標なのかしら?」
「……俺はこれから旅に出ようと思う」
次の瞬間、穏やかだった空気が凍てついた。
つい数秒までにこやかだったはずの表情も、すっかり凍ってしまっている。
あの子にしてこの母あり。息子から見てもおそろしいと感じてしまうほど、アスタロッテの表情は冷たかった。
それでもどうにかして笑みを取り繕うとするから、余計に恐怖でしかない。
「えっと……ごめんなさいライシちゃん。ママ、うまく聞き取れなかったわ。もう一度行ってくれるかしら?」
「だから、旅に出るんだって言ったんだけど……」
「え? マタタビ?」
「母さんふざけるのやめてもらえます?」
「ふざけてなんかいないわよ。ママ、ちゃ~んとライシちゃんのお話聞いてるわ」
「じゃあこの城を出てどこか知らない遠くへと旅立とうと思います。それじゃあ俺はこれで――」
「ま、待って待って! 話があまりにも突拍子すぎるからママ混乱しちゃったじゃない! ライシちゃんが旅? そんなの許されるわけがないでしょう! ママ、わがままは許しませんよ!」
アスタロッテが怒るのは実に久しい。
ライシはもともと、精神年齢はアリッサたちと比較してずっと大人だった。
そのため幼少期の頃は、大変聞き分けのよい素直で良い子でアスタロッテからは認知されている。
だからこれは、アスタロッテのいうとおり人生初のわがままだ。むろん引き下がるつもりは元よりなかった。
もう、子供ではない。大人になったのだからこれより先の人生はすべて自分で決める。
ライシはジッとアスタロッテの目を見た。瞳に映る姿は不安と恐怖に苛まれたか弱い母としての姿だった。
「母さん、これはすべて俺のためでもありこの城……いや、母さんたちのためでもあるんだ」
「私の、ため……?」
「母さん。この世界において重要なのは力だけじゃない、それは情報だ。外の世界がどうなっているのか、どう動いているのか情報を知っていると知らないとじゃ戦況も大きく変わってくる。俺の時だ――ある地方には“井の中の蛙大海を知らず”なんて言葉がある。狭い世界の中ばかりにいてはいつか必ず飲み込まれてしまう。それだけは俺は、したくないんだ」
我ながら違和感のない嘘だ。理由としてはこれほど適したものもなかなかなかろう。
自分本意だとアスタロッテはきっと折れない。対象をあくまでも相手にすることでより交渉しやすくさせる。
事実、アスタロッテの表情がわずかにだが揺らいだ。どうかそのまま承諾してほしい。ライシはそう切に願った。
「だ、だめよライシちゃん! いくらなんでもそれは絶対にだめ! もし怖い人がライシちゃんを誘拐しようとしたらどうするの!?」
「……それ、冗談で言ってるんだよな?」
ライシはいぶかし気な眼差しを送った。
「ライシちゃんはかわいいから、きっと悪いニンゲンたちが捕まえようとしてくるわ!」
「自分の身ぐらい自分でどうにかできるから。というか今までなにも見てなかったのか?」
検問所の門番もどきも、一応アスタロッテは知っている。
強力な護衛付きという条件だからこそ、ライシはあぁやって好き勝手に振る舞うことが許された。
彼女の本音を吐露すれば、本当ならば今すぐにでもやめさせたかっただろう。ライシはそこでも嘘を吐いた――
加えて殺しこそしていないものの、侵入者を追い払うという結果をきちんとライシは残している。
結果がある以上、アスタロッテも異を唱えることができない。それを今更知らないだなんて絶対に言わせない。ライシはアスタロッテを静かに見据えた。
「――、どうしてもここから出ていきたいのね?」
「それはちょっと語弊が……でもまぁ、実質そうでもあるけど」
「なら、私から条件を出します。この条件を見事にクリアできたら――ライシちゃん。あなたの自由にしていいわ」
「乗った」
ライシは不敵な笑みを浮かべた。
いったいどのような条件なのか定かではない。
だが、母はなにがあっても外に出すことを認めたくないらしい。
ろくでもない内容なのは目に視えている。かといって否定していてはずっと城の中にいたままだ。
アモンとの契約がある以上、長居はどうしてもできない。やるしかないのだ。ライシは拳を静かに、それでいて強く握りしめた。
敵前逃亡は打首に処される。それを思えば逃げの選択肢は元よりない。
「それで、その条件っていうのは?」
「それは――“おつかい”よ!」
「お、おつかい……?」
ライシは思わず唖然とした。
どんな内容かと思えば、児戯に等しいものだった。
もっとマシな条件が他にもたくさんあっただろうに……。ライシはすこぶる本気で呆れた。
「ライシちゃんは私が出すお題にそっておつかいに行ってくるの。もし無事にそれを達成できたら、外に出るのを許可してあげる。でも、本当にいいのかしら? 外はこの城以上に危険がいっぱいなのよ!?」
「わかってるってば」
幕末の京も似たようなものだ。
常に死合をしているのも同じだった。危険にはとうの昔に慣れてしまっている。
もしそこで死したとしても、それは単純に己が弱いというだけにすぎない。
恐怖という感情はもはや皆無である。ライシは不敵に笑った。
「ほ、本当にいいの? すっごく怖くて……その、怖いのよ!」
「いやもう少しまともな語彙力ないのかよ……母さん、もう子供じゃないんだから心配しすぎだから」
「ライシちゃんのためを思っていってるのよ!? ママは、失うのが嫌なの……」
「……とにかく、俺に退くつもりはない。おつかいの内容が決まったらいつでも教えて」
項垂れるアスタロッテを残してライシは玉座の間を後にした。
「――、いよいよだな」
自室へ戻ったと同時に、何故かアモンがいた。
彼は壁に背を預け腕を組みながらライシをジッと見つめている。
相変わらずどこか冷たい眼差しだった。心なしか今日は、どこか寂しそうである。
きっと見間違えだろう。アモンほどの男が感傷に浸るなど想像できない。ライシは内心で忍笑った。
「……えぇ。ですがそのためには、どうやら母さんからの条件とやらをどうにかしないといけないらしくて」
「ここまできたのだ。我もできる限りの根回しはしておいてやる」
「感謝しますよ――それにしても、もう二十年になるのかぁ」
ライシは何気なく天井を見やった。
続けて窓へと歩み寄る。開放すれば心地良い風が優しく頬を撫でていった。
すっかり見慣れてしまった景色だ。特に何の感慨もなかったはずの景色が、今ばかりは妙に美しい。
もうすぐこの景色も拝めなくなる。それがきっと惜しいと思っているのだろう。
とにもかくにも、色々なことがあった。騒がしくヒヤヒヤとした日々が多かったがそれでも、楽しかった。
「……今までお世話になりました、アモンさん」
「……その台詞は、すべてが終わってからにしろ」
「……えぇ。えぇ、そうですね。うん、そのとおりだ」
ライシは静かに笑みを浮かべた。
異世界妹行進曲~兄貴は辛いよ、渡る世間はキモウトばかり。ノーマルな俺はあくまで健全な関係でいたいです~ 龍威ユウ @yaibatosaya7895123
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