第五十六話 竹皮は恨む

 見渡す限りの山、山、山。

 澄川宿を出ると、行く先には紅葉の壁がそびえ立っていた。街道は山の裾野をたどるように続いている。


「壮観だねぇ」


 みつが菅笠を持ち上げてはしゃいだ声を上げた。


「ここを越えたら合根あいのね関所だ。何ごともなければ、閉門する暮れ六つごごろくじまでには着けるはずだが」

「わたしたちが行くのは普通の街道じゃあないものね。何が起こるかわからない。そうだろ、おはるさん?」

「……そのとおりだ」


 通常の旅程であれば、少しばかり足を早めて整備された街道を行けば済むのだが、志乃たちの道行きはそうもいかない。人目を避け、手入れのされていない古い街道を行くのだ。悪路である。すんなりいくとは限らない。

 人里を離れ、草木ばかりが目立つようになったころである。

 前を歩いていたみつの姿が、消えた。


「あれっ? みつさん?」


 行く手には別の旅人の一行が見えるだけだ。驚いた志乃は、馬上からきょろきょろと目を走らせた。本当にいない。


 そこで気づいた。

 晴時の足が止まっている。すなわち、手綱を握られている馬も、その上の志乃も止まったということだ。

 晴時の視線は街道の先を向いていなかった。


「こっちだ」


 彼は街道を横切って、落ち葉をわんさと落としている雑木の中に分け入った。突然のことだったので、志乃はいくつかの枝葉を顔に食らった。木々から伸びる枝の高さが、ちょうど馬に乗った志乃と同じ高さだったのである。


「おい、おみつ」

「おはるさん、ここ馬で進むの大変じゃない?」


 みつが待っていた。

 彼女は消えたのではない。志乃が見ていない隙に、ふらりと山に踏み入ったのだ。


 どうしてかというのはすぐにわかった。足元に道が伸びている。そこだけ雑草が薄く、土が剥き出しになっていた。よく観察してみると、周囲の木にも違和感があった。やけに均等に、整然と生えているのである。まるで人の手で植えられたようだった。

 この道を隠すために、誰かが木を植えたのだ。


「ハルさん、もしかしてこの先が?」

「ああ、古い街道だ」


 旅人が迷い込まないように、道の分岐を塞ぐ意味でこんなことにされている。志乃の予想は当たった。やはり、このあたりの木々は人の手で植えられたものだった。

 晴時はそれ以上進もうとしなかった。

 おかげで志乃は、ちょうど頭の上にきた枝を避けるために、馬の背に伏せなければならなかった。低く伏せたまま、晴時に抗議の視線を送る。


 彼はみつを睨んでいた。


「知らねば道だと気づかぬ。そして、ここが道だと知っているのは、街道として生きていたころに通ったことがある者か、わざわざ調べた者だけだ」

「嘘じゃないって言ったろ。わたしもここを通る必要があった。だから知ってた」

女子おなごがひとりで通ろうとする道ではなかろう。今の時分、このような古い街道を進んで利用するのは……」


 表の道を行くことを憚る目的がある者。危険をおしてでも急ぐ必要がある者。

 要は、後ろ暗い理由を持つ人々だ。


「怪しいのなんてお互い様じゃない」

「そうだな。怪しげな旅人である俺たちに無理を言って、同行しようとするおまえ。この上なく怪しい」


 聞くと、みつの顔が青ざめた。

 こちらの事情を察したらしい。


 人の目を避けたい志乃と晴時。そこに無理矢理ついてくる、古い道を熟知したみつ。まるで狙ったかのような――。


(それじゃ、おみつさんは、やっぱり私たちを……?)


「だから障りは先に取り除いておかねばならぬ」


 晴時が腰の刀に手をかける。今は覆いがかけられているが、晴時のことだ。いざとなれば瞬きの間に剥いで刃を抜き放つのだろう。

 必死にかぶりを振りながら、二歩、三歩と距離を取る。


「ちょっと待ってよ! ち、違うからね! 何が何だかわからないけど、わたしはあんたたちを狙ってる人とか、その手先とか、そんなんじゃないからっ」


 構えるように腰を落とした晴時に、みつはなおも言いつのる。


「わ、わたしには別の事情があって」

「別の事情?」

「そう! この先、手癖の悪い盗人たちのねぐらがあるんだ」


 舌をもつれさせながら、みつは自らの事情とやらを語りはじめた。


 ◇ ◇ ◇


 みつの家は、代々経木きょうぎを作って売っている職人の家系だった。


「きょうぎって何ですか?」


 志乃が馬上からそっと手を挙げると、みつに鼻で笑われた。そんなことも知らないの、という具合である。


「食べものを包む木の板のことだ。朝に食った握り飯、覚えてるか?」

「あ、わかった!」


 握り飯を包んでいた薄い木。あれが経木という名前なのだ。


「今はあちこちで使われてるけどさ、その昔、ひい爺さんの代のときは、食べものを包むには竹の皮が主流だったんだって。まあ、今でも見ることはあるけど」

「あっ」


 志乃は思わず声を上げた。


「何? さっきから話の腰ばっか折って」

「何でもない、続けて」


 自分の勘違いに気づいただけだ。


 晴時から差し出された際に、経木で包まれた握り飯を見て「昔話で見たやつだ」とはしゃいだ志乃だったが、厳密にいうと違う。

 経木は色味が薄くて綺麗な木目が見えていたが、志乃の記憶にあるのは、もっと色が濃くて、斑点とも線ともいえない黒い模様が走っているものだ。たとえば、たけのこの外側――竹の皮のような。


 志乃が昔話の絵本で見たことがあったのは、竹の皮のほうだったのである。経木もたぶん見たことがあるにはあるだろうが、もっと新しいものだ。


「でもそのひい爺さんの代に、竹が一斉に枯れてしまった時期があった」


 竹は何十年かの周期で花を咲かせ、一斉に枯れるといわれている。日ノ倭国でもそういう時期があった。枯れてしまっては、新しい竹も生えてこない。種類によっては、種から発芽するのを待つしかなくなる。


 当たり前だが、竹の皮も採れなくなってしまった。


 そこで目をつけられたのが経木だ。はじめに経木を作って、竹の皮の代わりに売り出したうちのひとりが、みつの曾祖父だった。


「経木は薄く削り出すのは難しいけど、竹の皮みたいに、毎日山に入って採ったり、時間をかけて加工する必要がない」


 技術さえ追いつけば、竹の皮よりもたくさん作って安価で売ることができる。竹皮不足の世間でここぞとばかりに披露すれば、たちまち売れた。

 やがて新しい竹も生えはじめ、ふたたび竹の皮が採れるようになったが、経木のブームは衰えなかった。

 経木は竹皮に取って代わったのである。


「それで困ったのが、竹の皮を作ってた職人とか、商人とかだったんだ」

「……なるほど、わかったぞ。経木職人は、竹皮職人から恨まれたんだな」

「さっすが、おはるさん。そのとおりだよ」


 みつの先祖はそもそも、よその土地から今の人里へと流れてきた者だった。「余所者が余計なものを持ち込んだ」――そう思われたのかもしれない。時を重ねるごとに禍根は薄くなっていったが、それでもやはり、人の恨みは根深いものだ。


 なお悪いのは、恨むという感情は続いても、どうして恨んだかという理由が忘れられてしまうことだった。


「竹の皮だけで食べていく家なんて、今はもう全然ない。うちのひい爺さんの商いのせいで貧しくなった家も、今は持ち直してる。なのに村の連中の一部はいまだにわたしたちを恨んでる。わたしも小さいころは、年の近い子にいじめられたよ。みんなみんな、親がうちを嫌ってるからって理由でいじめてくる。なんで嫌ってるのか、本人たちもわかってないんだ」


 一拍空けて、みつはつけ足した。


「もちろん、女子おなごがわたしを嫌ってたのは、わたしが人よりちょっと可愛かったからなんだけど」


 変な空気がその場を包んだ。晴時も志乃も、言葉が出ない。

 みつはそのまま、しばらく同村の人への愚痴をたれ流していた。しまいには名前を挙げてひとりひとりに対する文句を言い始める。道端の石ころをいじめっ子に見立てているのか、足元の小石をしきりに蹴飛ばしていた。


 たまらず、晴時が口を挟んだ。


「それで、おまえの家が恨まれてることと、おまえが古い街道を知っていて、俺たちに付きまとうことは何の関係がある?」


 顔を上げたみつは、胡乱な目をしていた。


「呪いだよ」

「呪い?」


 みつの家は、恨まれていた。今でこそささやかな迫害だけで済んでいるが、昔はもっとひどかった。経木職人憎し、滅びてしまえ、と物騒な手段に出る者もいたという。


 そうして犠牲になったのが、みつの曾祖父の子供たちだった。

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