第四十二話 ペットを手に入れる
血相を変えた晴時が部屋に飛び込んできたのは、翌日のことだった。
「おい、叔父上に何を言ったんだ!」
「ヒェッ」
すぱぁんと勢いよく開いた障子に、志乃は跳び上がる。頭上に影が差した。
志乃を間近で見下ろしたのは、もちろん、晴時である。
「ハルさん、何って」
「聞いたぞ、昨日派手にやり合ったんだろう。神子は俺の側についたらしいとあちこちで言われている。おまえ、本当に叔父上に何を言ったんだ?」
「えっと……」
また、自分の口から語りにくいことを求めてくれる。志乃はつっかえつっかえ、昨日の出来事を晴時に話して聞かせた。お世辞にも上手い説明と呼べるものではなかったことは、許してほしい。
志乃がすっかり話し終えると、晴時は黙り込んでしまった。腕を組んだまま、志乃を上から睨みつけている。
志乃は黙って彼を見つめ返した。
昨日はやってしまったと思ったし、反省もしている。しかし志乃は、後悔はしていなかった。あれほど、晴時を貶められたのだ。何度思い返してもほかに手はなかったと言い切れる。
だから、目は逸らさない。
沈黙が落ちる。
さっぱりと晴れた空から降りそそぐ光が、部屋の中を照らしていた。
「……怒鳴り返すなどと、おまえらしくもない。どうしてそんなことになったんだ」
「ハルさんが私を利用するためにわざと妖怪を招き入れたとか、ハルさんがち、畜生の子だとか、いろいろ言われて、頭に来ちゃったんです」
「もっと冷静に話すことはできなかったのか」
「嫌です」
「いっ……」
晴時のこめかみが引きつった。まぶたがゆっくりと閉じ、苗色の瞳が隠れる。
やがて、深いため息が降ってきた。
「言ってしまったことは仕方ない。これから、おまえの身に何が起こるかは理解しているな?」
「私を脅迫するか、排除するか……って、昨日、詠月様が」
「そのとおりだ。おまえは運がいい。おまえが危険な目に遭わぬために、俺はちょうどいいものを持っている」
「ちょうどいいもの?」
首を傾げたところで、志乃は気づいた。
やたらと騒がしい足音がこの部屋に近づいてきている。
「ちょっと晴時! 勝手に先に行かないでよっ。僕ひとりでこれを運ぶなんて!」
「オイコラ小僧! もっと丁寧に運ばんか!」
次いで響いたのは、足音以上にやかましい声である。
やや怯えた表情で入ってきたのは真也だ。
竹で編まれた籠を片手にぶら下げていた。鳥籠のような形状のものだ。隙間が大きく、中が見えるようになっている。
「儂を振り回すとは何事か! だいたい、こんなちんけな入れものに閉じこめおってからに……」
籠の中でわめいているのは、やたらと嗄れた声でしゃべる三毛猫。尻尾が二本に分かれている。ものすごく見覚えがある。
「……え、なに」
つい先日、碧と志乃を襲った猫又だった。
「少し前に真也が捕らえてきた」
「そう、僕の手柄だ。だからもっと褒めてくれてもいいんだよ晴時」
「おまえ、すぐに報告に来なかっただろう。足し引き
「そんなぁ……志乃ちゃんのことで大変だろうからって後回しにしただけなのに」
「いらんことをするな」
しょぼんと眉を傾けた真也が、籠を掲げて志乃を見る。
「……お気遣いありがとうございます?」
笑顔になった。満足したらしい。それは結構なことだが、志乃には、猫又がここにいる理由がどうしてもわからない。
「なんで連れてきたんですか……?」
「ほれ、小娘もこう言うておる。ここは穏便にだの、儂を外に放しては――ギャッ」
晴時が籠の中に手を突っこんで、猫又を引っ張り出した。
「この儂が、ニンゲンの言うことを聞いておとなしく立ち去ってやろうというのだ。せめて扱いには気を遣うがいい」
首根っこを掴まれた猫又は、抵抗を諦めたように四肢を投げ出している。暴れるつもりはないようだ。達者なのは口だけらしい。
「寝言は寝て言え」
猫又をぶら下げたまま、晴時は腰の刀を鳴らした。
猫又の嗄れ声がひっくり返る。
「こ、この屋敷には生涯近づかぬ。この自慢の尾に誓う。どうだ」
「生涯とは、おまえの今の命が尽きるまでか、それとも九つの命すべてが尽きるまでか」
鞘から僅かに姿を現した刀身が、外から差し込む陽光を反射して煌めく。「今すぐ刈り取ってやろう」と言わんばかりだった。
猫又の尻尾が、二本ともぶわりと膨らんだ。
「なし、今のはなしだ。やめてくれ。そもそも、儂の命はもうひとつしか残っておらん」
「九つあったのは本当なんだ……」
志乃の呟きは綺麗に無視された。
晴時がいささか乱暴な動作で猫又を放り投げる。
畳の上に着地した猫又は、逃げるように部屋を駆け抜け、隅に設置された文机の下に潜りこんだ。
はずみで、上に置かれていた埴輪がかたんと音を立てた。昨日、詠月にもらった埴輪だ。文机の上を、あの置物の定位置にしたのである。
「しばらくその猫を傍に置いておけ」
「エッ」
「安心しろ」
晴時は口の端を持ち上げた。不穏な笑みだった。
「どんな要因であれ、おまえに傷ひとつでもつけたら、即座に殺すと言い聞かせてある」
「怖……」
言い聞かせ《きょうはく》がどれくらいの効果を持ったかは、文机の下で震えている猫又を見ればわかる。あれには散々な目に遭わされたが、今この瞬間、志乃は彼のことをちょっとだけ哀れに思った。
「叔父上とて、まさか妖怪が志乃の守護に当たっているとは思わんだろう」
それで、志乃はひらめいた。
「だから、ちょうどいいんですか?」
「ああ。相手が妖怪であれば、まず間違いなく、ほとんどの人間が後れを取る。そこらの刺客は、妖怪を相手に暗殺を企てようとしたことなどないはずだからな」
言われてみれば、たしかにそうだ、と思えなくもない。
「放置しておけば、有事の際に勝手に護ってくれる。おまえにあれの世話をしろだとか、構ってやれだとか言うつもりはない」
「言われても困るんですけど……人じゃ駄目なんですか?
「祓守師は妖怪を
「そっか、そうですよね……」
そういえば晴時は、人手不足を理由に部下の任地へ出張したばかりだった。それを小娘ひとりの護衛に当ててしまうのは、志乃でももったいないと思う。
しかし、祓守師が駄目だからと妖怪を連れてくるのはさすがに暴挙が過ぎないだろうか。
志乃が倒れて生死の境をさまよい、完全に回復するまでに時間がかかったのも、もとはといえば猫又のせいだ。あれが襲ってきたのがきっかけなのである。
傍に置いて生活をともにするのは、やっぱり抵抗があった。
「どうしても嫌だというなら、改めるが……」
ううん、と志乃は唸る。晴時の顔と、文机の下から覗いている猫又の丸い尻を何度も見比べた。
「それじゃあさ、こうしよう」
朗らかな声を上げたのは真也だ。彼はまっすぐに文机に向かい、腰を折った。物陰で震える猫又を覗き込む。
真也の気配を感じ取ったのか、猫又の小さな体躯が跳ねた。
本格的に可哀想になってくる怯えようである。いったいどんな脅しかたをされたのだろう。
「なあ、君」
「なんだ」
か細い声が返ってくる。
「志乃ちゃんに謝って」
猫又が動いた。
ぎゅっと体に巻きつけていた尾がほぐれて、わずかに揺れる。前足を踏み踏み、体の向きを変えて、机の下から這い出てきた。
真也の様子を伺いながらも、志乃に向き直って、つぶらな瞳で見上げてくる。
「小娘……ではない、
「まあ、いいでしょう。あとで碧ちゃんにも――はやめておいたほうがいいか。羽麻子様が
あいわかった、と猫又は頭を伏せた。さながら人間の土下座である。
もふもふの毛玉が前足の間に頭を落としている様子は、この妖怪の正体を知らず、かつ、老爺のような声も耳にしていなければ、素直に愛でることができただろう。見た目だけはただ尻尾が割れた三毛猫なのである。ペットとして十分すぎるくらいの愛嬌を持っていた。見た目だけは。
伏せた猫又を見下ろした真也が、満足そうに頷く。彼は悪戯っぽい笑みを浮かべて志乃を見やった。
「納得いかないかもしれないけど、これで手打ちというのはどうかな、志乃ちゃん」
「……わかりました」
猫又は、一応は謝ってくれたのだ。許すことは難しいかもしれないが、この場は目を瞑ろうと思えるくらいには、志乃の心は凪いでいる。
「ハルさん、私は大丈夫です。しばらく、猫又と一緒に暮らせばいいんですよね」
「ああ、そうだ」
羽麻子や碧と会うときには、猫又には隠れていてもらえばいい。
(羽麻子さん、碧ちゃんを襲った妖怪がいるって知ったら、眉を吊り上げて飛びかかりそうだもんなぁ……)
部屋を詮索されるようなことがなければ、バレることもないだろう。あの姉妹との……特に羽麻子との無用なトラブルは避けることができるはずだ。
しかし、である。
問題なのはすずだった。彼女は志乃の身の回りの世話をしている。
すずに対して、猫又の存在を隠し続けることは不可能だ。というか、志乃が隠し通せない。絶対にどこかでぼろを出してしまう。
志乃が不安をこぼすと、真也が声を立てて笑った。
「それなら、もう先に教えちゃえばいいよ」
「えっ、大丈夫なんですか……?」
志乃は真也ではなく、晴時を振り返った。晴時はてっきり、顔をしかめて「何を馬鹿なことを」とでも言うと思ったのだが。
「ああ、そうだな。隠しだてしてあとから暴かれるよりは良いだろう」
彼は意外にも、真也のこの意見を肯定したのである。
「本当に……?」と戸惑いっぱなしの志乃の前で、真也が部屋を出ていった。すずを呼びつけに行ったのだ。
そしてやってきたすずは、たしかに、まったく動揺しなかった。
「こちらは坊ちゃまのご提案ですか」
「そうだが……すず、俺はもう成人している。いい加減に坊ちゃまと呼ぶのは」
「坊ちゃまが是と判断したのであれば、私に異論はありません」
「……そうか、ならいい」
相変わらず文机の前で伏せっている猫又を前にして、すずは「ただし」と言い足した。
「抜け毛には注意してください。あと、眠る際に志乃様の布団に潜り込んだりしないように」
「なぁご」
「そうやって猫ぶるのもやめなさい。不快です」
ふぐ、と呻き声を上げた猫又は、それきり黙ってしまった。
ともあれ、こうして志乃は、少しばかり厄介なペットを手に入れたのである。
そしてこの厄介なペットは、その日のうちに絶大な活躍を見せることとなった。
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