第二十二話 来客絶えず

 息を呑んだのは篤保とくもりただひとりだった。

 あまりにもいいタイミングでやってきた晴時に、しかし、すぐに得心がいったらしい。回廊の向こうに目をやって、舌打ちをした。


「……あの女中め、余計なことを」


 対照的に、志乃はほっとしていた。

 晴時の登場にも驚かない。彼か詠月か、どちらかが来るだろうとは思っていた。

 理由はもちろん篤保が言ったように、すずである。篤保の強引さからして困った展開になるのは目に見えていたのだ。茶を用意すると言って部屋を離れたすずが、その実、人を呼びに行った可能性は高い。


 案の定というべきか、晴時にやや遅れて彼女は戻ってきた。廊下から志乃を見、ぺこりと頭を下げる。


「叔父上、今すぐにお引き取り願いたい。無論、そこの賄賂とともにな」


 晴時は厳しく言うと、志乃と篤保の間に割って入った。志乃の薄い肩を握っていた手も、力任せに剥がす。それから志乃を隠すように立ちはだかったので、志乃からは篤保の顔が見えなくなった。

 向こうからも志乃が見えなくなったのをいいことに、はあ、と息を吐き出す。実はあと少しで声が出そうなくらいに痛かった。肩の骨が割れるところだった。


「そんなに神子殿の心変わりが怖いか。これ見よがしに取り入りおって」

「彼女は誰にも肩入れしない。俺にも詠月様にもだ。そして、間宮の当主問題に彼女は関わらない」

「よく言う。おまえが囲いたいだけだろう」

「彼女を拾ったのは俺だ。だから身の回りには気をつけてやる。それ以上でもそれ以下でもない。邪推はやめていただけませんか」


 言い合うふたりの声音が硬い。睨み合っているのが手に取るようにわかった。志乃ははらはらしながら晴時の背を見上げたが、それも長くは続かなかった。


 畳を擦る音。篤保が立ち上がったのである。


「それを神子だと言ったのはおまえだぞ、晴時」

「だが、間宮家の問題に関わるとは言っていない。彼女の判断が次期当主を左右するというのはそちらの思い込みです」

「どうだかな」


 篤保は畳を踏み鳴らしながら部屋を出た。最初に訪れたときよりもいっそう荒い足取りだった。


「周りはそう思わぬだろうよ。おまえ以外は」


 怒りの名残を置き去りに、篤保は廊下を去っていった。反物の入った桐箱を抱えた従者も、慌ててあとを追っていく。


「真っ先に叔父上が出てきてしまっては、通達した意味がないではないか」


 晴時はすずを促して中へ入れると、ぴしゃりと障子を閉めた。


「志乃様、お怪我はございませんか」

「大丈夫。ありがとう、とっても助かった」

「当然のことです」


 すずの表情筋は相変わらず仕事をしていなかったが、安心してくれている。ような気がした。少なくとも、彼女は志乃の味方だ。昨日からずっと傍に控えているので、志乃の世話を任されているのだろうし、安心して頼ることができる。ずっと無表情なのはやはり怖いが。


「何を言われた?」


 篤保が座っていた場所に、今度は晴時が腰を下ろした。怒りを封じるような厳しい顔だったが、篤保を前にしたときよりはるかに落ち着ける。志乃は篤保とのやり取りを思い出しながら、ゆっくりと口を開いた。


「詠月様とハルさんのどっちが当主になるべきか」

「やはりな。答えたか」


 志乃はかぶりを振った。話を逸らして詠月の出自を聞いたことも伝える。


「ほかには?」

「何も。あ、綺麗な反物を出してきて、これで着物を仕立てさせようとか言ってましたけど」


 ぴくり、と晴時の眉が動いた。


「受け取ったのか」

「まさか……っていうか、答える前にあの人が勝手にいろいろ言い始めて」

「なら、いい。今後も知らぬ者からの贈りものはもらうなよ」


 頷いた志乃だったが、晴時の発言の違和感に眉をひそめた。

 彼は今、今後も、と言わなかったか。


「あの、私への接触は禁止しているんですよね……?」

「もちろんだ。しかし、叔父上が……先代の弟が先んじて禁を破ってしまった」


 篤保はおそらく、神子と話したことを隠さないだろう。むしろ積極的に広めるかもしれない。志乃に当主を決める権利があるか否かはもはや関係なく、「神力を持った神子という存在」は大変に有用なものだ。志乃を自分の側に引き入れてしまえば、詠月派の勢いを高めることができる。志乃のもとへと積極的に人を寄越してくる可能性すらあった。

 上の者が積極的におこなったのであれば、そして是非にと勧めてくるのであれば、他の者がためらう道理はない。


「あまりひどいようなら、また考える。おまえを本邸から出す必要が出てくるかもしれぬな」


 しかし、本邸から出てどこへ行くというのだろう。そもそも志乃が間宮家の本邸へと連れてこられたのには、間宮の手元で監視をするという意味があったはずだ。神力を抱えたまま死なれては困る、逃げられても困る。だから本邸に留めるのではなかったか。


「まったく……下手なことを言うのではなかったな」


 後悔しても遅い。そも、晴時が志乃を神子だと言い切らねば、篤保などとはまた別の理由で、訪問者がやってきただけだ。志乃の命を狙った刺客である。どう転んでも、いい結果にはならなかった。この際、神子発言に関しては過ぎたことと諦めるべきである。


「すずもいるし……あの、今日みたいにハルさんが来てくれたら何とかなると思います」

「……そうだな」


 晴時の返事までにやや間があった。あまり乗り気ではない。


 堂々と頼る宣言をしてしまったのがまずかったか。たしかに、客が来るたびに毎回ここまで呼びつけられては困るかもしれない。彼は祓守頭なのだ。志乃の世話ばかりにかまけていることはできない。時間を割かなければいけない仕事はほかに山ほどある。


「ハルさん?」

「いや、人を寄越すのはいいかもしれないと思っただけだ。詠月様に頼んでみよう」


 晴時は思案顔のまま席を立った。どこか心ここにあらずといった様子である。


「すず、あとは頼んだぞ」

「かしこまりました」


 指を揃えて低頭したすずにひとつ頷いて、晴時は出ていった。


 志乃への訪問者が増える。

 予想は、悪い方向に当たった。


  ◇ ◇ ◇


 それから数日はひどい有り様だった。

 朝食をとった直後から、いきなり人がやってくる。来客が途切れないということはなかったが、午前にひとり、昼にひとり、ふたり、午後にまたひとり、といった具合にうまくばらけて訪ねてくるのだ。


 志乃の部屋には、陽都ようとで流行りの菓子、着物のデザイン画が収録されたファッション誌のような本――小袖雛型こそでひながたというらしい――や、竜胆が咲いた小さな鉢、丸い硝子ガラスの器で優雅に泳ぐ金魚など、さまざまな手土産が持ち込まれた。

 何も受け取るなと言った晴時のお達しは極力守るようにしていたが、部屋に置き去られてしまってはどうしようもない。そういうときは、すずに頼んで部屋から出してもらった。詠月や晴時を通して贈り主に返されているはずである。


 志乃に執拗にプレゼントを押しつけてくる彼らの話の内容はもちろん、次期当主についてだ。

 それも圧倒的に詠月派が多い。おおむねが篤保と同じ手口だった。当主が決まらずに困っている、とわざとらしく眉を傾け、神子殿はどちらが相応しいと思うか、と問う。そしてさりげなく晴時を貶め、あいつはやめて詠月様を推せと力説してくるのである。


 篤保のうわさを聞きつけたのか、日を追うごとに晴時派の訪問も増えていく。

 こちらも手口はあまり変わらなかった。貶める対象が詠月で、推薦する対象が晴時になっただけだ。しかし、誰も彼もわずかに歯切れの悪い言葉を選んでいた。


 晴時の血も手放しで認められるものではないが、詠月よりはましだろう、といった具合にである。


 ただ、その理由を深くまで問う暇は志乃にはなかった。

 誰が来た場合でも、ほとんど話の途中で退席する。それは詠月が現れてお叱りを受けるからであったり、使用人がやってきて訪問者を呼び出すからであったりした。この使用人は詠月か晴時が差し向けている。毎回志乃の部屋まで来て客を撃退するわけにもいかず、編み出した案だ。

 あるいはすずの奮闘により、門前払いに成功することもあった。そういうときはだいたいすずがそしりを受けてしまうので、志乃としてはあまり嬉しくない。


 すずも、連日矢面に立っているだけあって、少しずつ疲労の色が見え始めていた。具体的には小さくため息を吐く姿がちらほらと見られるようになった。


 もちろん志乃も疲れている。


 部屋から逃げ出そうにも、志乃の行動範囲といえばすぐそこにある庭園くらいだ。邸内を歩き回ればかえって目立ってしまうし、そもそもそんなことをしたところで行き先がない。詠月や晴時の仕事の邪魔をするわけにもいかない。

 祓守師たちについて回ってはどうかとも考えたが、提案するまでもなく自分の中で却下した。彼らの仕事についていけば、今度は志乃の中にある神力が暴走する可能性に怯えることになる。見事な足手まといである。


 手詰まりだ。一週間ほどが経過して、ストレスで胃に穴が空くのも時間の問題か、というときである。


「詠月さまの命よ。仕方がないから、わたくしがあなたのお友達になってさしあげるわ」


 羽麻子がやってきた。

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