あなたの犬になります!

縁代まと

あなたの犬になります!

 な、75点!


 ――犬たちのあの世、ワンダフルヘブンにやってきた俺は衝撃を受けていた。

 ここでは試験の点数により転生先を振り分けている。ワンダフルヘブンに来たばかりの頃に試験官のカッコいいドーベルマンがそう説明してくれた。


 俺はいわゆる柴犬だ。

 自分でも愛くるしいと思うが、しかしそんな俺にも夢がある。


 次は異世界転生してメッチャ強いフェンリルになりたい!!


 ……という夢だ。生前、道端に落ちていた雑誌を見て「えー! なにこれカッコいい!」となった憧れの的である。

 まあそれこそ夢物語、叶うことはないだろうと思いながら寒さの中で意識を手放したんだが……これはまたとないチャンスだ! きっと高得点を取れば素敵なフェンリルになれるはず!


 そう意気込んで頑張ったんだが、結局75点だった。

 悪くはないんだがとびきり良いわけでもない。

 俺が微妙な顔をしているとドーベルマンの試験官が優しく声をかけてくれた。


「大丈夫、この試験の点数で決まるのは転生先のランクだけですよ。そこでどう生きて、どんな幸せを掴むかはあなた次第です」


 温かな言葉だったけれど、たぶん柴犬として生まれた後にフェンリルになれる道はない気がする。前もそうだったし。

 ――いや、でも世の中どうなるかわからない。

 ワンダフルヘブンなんていう思いもしなかった場所もあったし、もしかすると俺が知らないだけでフェンリルになれる手段があったかもしれない。


 よし、次の犬生ではそれを探してみよう!

 そう決意し、俺はドーベルマンの試験官にお礼を言って転生すべく走り出した。


     ***


 そんな感じで再び柴犬として生まれたんだが、なんと今世は人間の飼い主がいた。

 どうやら前世と異なり、犬を増やす人間……? が育てている一匹が俺だったらしい。奇特な人間もいたものだ。


 しかしこの生活も結構良いもので、餌を探しに行かなくても腹いっぱい食べられるし寝床は暖かいし、それになんとおやつまで付いているのだ。

 こんなの貰ったら人間の細長い手に俺の手をのせるくらいホイホイやっちゃうぞ。

 これをすると人間は喜んでおやつの追加をくれる。

 今日はサツマイモのおいしいやつだった。


 75点でこれか……なら前回はいったい何点だったんだろう……。


 前世のその前にワンダフルヘブンに行った時のことを思い出そうとしたが、これがまったく記憶にない。

 それもそのはず。

 ドーベルマンの試験官曰く、転生すると記憶がなくなるのが普通らしい。

 それなのになんで今の俺は普通に覚えてるのか、生まれてからずっと謎だった。


 まあそういうこともあるんだろう。

 それより今日のおやつは何かな?


 そうワクワクしているとなぜかケースに誘導され、しばらくそのままどこかへ運ばれ、気がつくと見知らぬ部屋にいた。ひとりの人間の女がこちらを見ているが、その顔にも覚えがない。

 ――いや、待てよ?

 なんか少し前に見た気がする。ただその時の俺はチーズ入りのおやつに夢中であまりよく見ていなかった。もちろん匂いもおやつ優先で嗅いでいたから覚えてない。


 なんとなく覚えているかも程度の人間に突然連れ去られた気分になった俺はとりあえず部屋中を嗅ぎながら移動した。ふむ、危ない奴は潜んでいなさそうだ。

 あの女も遠巻きに見ているだけだから危険はなさそうだし、と。


「……っあぁもう! めちゃくちゃ可愛いおけつ! これぞ可愛いの塊!」


 安心した瞬間に飛びつかれ――そうになったが、その直前に女が思いとどまり、俺の間近で手を左右に動かしながらハァハァと息を荒げた。

 マジか、こいつ空気を撫でてるぞ。


 命の危険を感じるような奴はいないが、別の意味で危険な奴はいたみたいだ。


 そしてこれが別の意味で危険な奴、人間の女『ユカミ』との出会いだった。


     ***


 ユカミは俺にランタロウという名前を付けた。


 でも呼ぶ時は大抵『ラン』なので、俺はそう呼ばれた時に反応するようになった。

 いや、べつにこの変な人間が気に入ったわけじゃないぞ。呼ぶ時は飯をくれたりおやつをくれたり散歩に行くから好きなんだ。


 ただ、たまに謎の白い建物に連れていかれた時は騙し討ちをされた気分になったこともある。他の犬が異様に怖がってるし臭いから嫌なんだよな、あの建物。

 台にのせられて尻の穴まで見られるし。

 人間は犬の尻が好きなのか?

 俺が嗅ぐのと同じなんだろうか。そのわりには見たり触ってるだけなんだが。


 そんな謎も抱きつつわかったこともある。

 どうやらユカミは俺を育てていた人間と何度か交渉してから俺を引き取ったらしい。同種族を育てずに俺を育てるなんてやっぱり不思議な生き物だ。


 ユカミは会社という名前の群れに入っているようだが、そこへ俺を連れていくことはなかった。

 帰ってくるたび色んなにおいがするのでついつい嗅いでしまう。

 するとユカミは「ご褒美ありがとうございます!!」などと訳のわからないことを言いながら両手を合わせていた。よくわからない奴だな。

 まあ、その後にきちんと飯をくれるなら俺から言うことは何もない。


 そうしてユカミとの生活に慣れてきた頃、俺はあることに気がついた。


 家は人間の巣だが、ユカミの暮らす家には他にもう一室ある。

 俺が普段歩き回っている部屋は綺麗に片付けられていて危険なものはひとつもない。代わりにもう一室は凄まじい荒れ方をしていた。

 そう、ユカミは自分の生活を疎かにするタイプだったのだ。


 俺はワンダフルヘブンで試験の順番待ちをしていた時に話した老犬との記憶を掘り起こす。

 こういう人間はズボラで生活能力がないと見られがちらしい。

 同種族からの評価が落ちちゃうんじゃないか?


 食った後の皿を出しっぱなしなのも人間から見ると宜しくないって聞いたことがある。俺の皿はすぐに洗うのに。

 それを知らせるべくドアの隙間から侵入し、皿を示そうとしたが――俺が汚れた皿を舐めようとしているように見えたのか「わー! だめだめ!」とユカミが勢いよく取り上げた。


 ……それ以来ユカミが皿を放置することはなくなったので成功は成功なんだが、理由がちょっと納得いかないな。


 まあ、なんにせよ俺に生活の場を与えているユカミが同種族から爪弾きに遭うのは見過ごせない。これからもちょくちょく指導するとしよう。


     ***


 なんと人間は皮膚ごと換毛する。

 しかもそれをまた着る。変な生き物だ。


 脱ぎっぱなしになった皮膚を畳むのが普通だと老犬から聞いていたので、俺は敢えてそれを咥えて走り回ってみた。

 これに懲りてしっかりと仕舞うようになったが、楽しかったのでちょっと惜しかったのは内緒だ。


 ある日は背中を嗅がれ、やっぱり尻にはしないんだなぁと思った。

 すると徐々に呼吸が深くなり、吸う時間も明らかに長くなる。嗅ぐってレベルじゃないぞ!

 くすぐったかったんで逃げたが、ユカミが恍惚とした表情をしていたので良しとしよう。……良しにしていいのか少し悩んだが。


 寒い日はユカミが出したコタツに入り込んだ。

 ユカミが「猫みたい……可愛い……」と言っていたのだけ、ちょっとばかり侵害だ。俺は犬だ。


 ユカミが放置していた帽子は噛み心地が良く、穴を開けてしまったのが少しだけ申し訳なくて……その、思わずソファの隙間に逃げ込んでしまった。

 わざとじゃないんだ。

 帽子が俺に噛んでくれと言っていたんだ。


 ユカミは俺をしっかりと叱ってもうしちゃダメだよと言っていたが、それは俺が思っていたよりも随分と優しかった。

 前世ではその辺を歩いている人間の機嫌を損ねると酷い目に遭わされることもあったからな。知恵がついてからはそういう人間は避けるようになったから、本格的にヤバいことにはならなかったが。


 なんにせよ、ユカミは優しい人間らしい。


「ほら、ラン! そっちそっち!」


 春を迎えた頃にフリスビーなるもので遊んだ。

 これが凄まじく楽しい!

 飛んでいくものを噛んでキャッチできると頭の中がホクホクする。これが本能ってやつなんだろうか。ただユカミの投げ方が下手なのでたびたびアクロバティックな動きをすることになった。

 まあ、これはこれで最高だ。


     ***


 ――フリスビーはそうやって何年も遊び、数年経つ頃にはユカミの投げ方もさまになっていた。

 最近では俺のほうが息切れしてしまうくらいだ。

 ユカミはそんなに変わって見えないのに、俺はどうやら老けるのが早いらしい。

 人間って長生きなんだな?


 初めは大変嫌だった皮……もとい『服』もたまに着る。

 圧迫感に慣れてしまえば暖かくて便利なのだ。なぜか腹を切られた時のショックで一部がハゲた時も隠せたし。

 ま、まあ、ハゲてても俺は可愛いからどうってことないんだが!


 ああ、あと近ごろ飯の種類が変わった。

 味は正直言って微妙だが、前より食いやすい気がする。でも前みたいに肉っぽいのも山ほど食いたいなぁ。


 散歩は毎日行ってるが、雨の日は軽くに留めている。

 前にリードを引っ張ったらユカミが滑って転んだからな、俺は主人のことを心配できる良い犬なんだ。


 ……そう、何年も一緒に暮らすうちに俺はユカミのことを主人だと認めていた。


 未だに頼りないし、なんなら妹みたいな感覚さえするが、犬としての本能と俺の意思で主人だと認めている。

 で、俺はそれをサポートする補佐ってわけ。


 それなのに俺ときたら、最近はその補佐を上手くできていない気がする。

 困ったもんだ。尻尾を振ったらその勢いで転びそうになったことまであるんだぞ。

 もっといっぱいユカミを補佐してやりたいのにな、と思って気がついた。俺の夢が変わってる。


 フェンリルになる方法は……最初は探し回ってたんだ。

 けど全然見つからなかったし、気がついたらユカミとの生活が楽しくて忘れてることもしばしばあった。

 ドーベルマンの試験官が言っていたことが今ならなんとなくわかる気がする。


 そこでどう生きて、どんな幸せを掴むかはあなた次第、か。


 まあ、たしかにその通りだった気がする。

 フェンリルになれなくても良かったって思えてるのが証拠だ。

 俺はもう目がよく見えないので、頭を撫でるユカミの手を嗅いでから舐めた。そこへ塩っぽい水が落ちてくる。


 人間は悲しいと塩水を目から大量に流すらしい。

 これまでも何度か見たが、今が一番多い。ユカミが悲しんでくれているのは嬉しいけど、うーん。


 こいつをひとり残していくのはちょっと心配だな。

 俺がいなくても大丈夫か?

 そう問いたかったが人間の言葉は話せないので、喉から情けない声が出ただけだった。でもその声に返事をするようにユカミが言う。


「ラン、ありがとね」


 こっちこそ。

 その言葉、冥土の土産に貰っていくぞ。


     ***


 ――で、だ。

 冥土っていってもワンダフルヘブンなわけだが。


 二度目の死を迎えた俺はワンダフルヘブンで沢山の試験官に囲まれて謝罪されていた。中にはあのドーベルマンの試験官もいる。

 なんでも前回の試験の結果が、じつは別の犬のものだったらしい。

 その影響で正規ルートでの転生にならず、記憶も上手くリセットされなかったみたいだ。


「だから記憶が残ってたのか!」

「まことに申し訳ありません、今ならお詫びとして好きなところへ転生させられますが……如何しますか?」


 そう問われ、フェンリルのことが脳裏をよぎったが――でも、今は。


「本当に宜しいのですか? 次は記憶も残りませんよ?」


 俺が希望を伝えると試験官は目をぱちくりさせたが、もちろん良いに決まっている。

 すると「よほど幸せな思い出を作られたんですね」と試験官は嬉しそうにした。

 まあ、そうだな。

 幸せだったから……あいつももう少し幸せになってもらわないと。


 なにせ俺はユカミの『補佐』だからさ。


     ***


 ふわふわとした白い光の中を漂い、寒さを感じて身じろぎする。

 気づけば間近でこちらを見る顔があった。まだ目がよく見えないので細部はわからないけれど、なんとなく懐かしい匂いがする。


「あの子と同じ柴犬だ……!」


 ゆっくりと差し伸べられた手はとても温かかった。

 ああ、主人の手だなって思う。ぼくにはまだそんなものはいないし、この箱の中の世界だけがすべてのはずなのに。


 でもぎゅっと抱き締められると、これだけは思わずにはいられない。

 胸の奥から思わずにはいられなかった。


 ぼくはこの人を支えたい。

 ぼくはこの人と生きたい。

 ぼくはこの人の家族になりたい。

 だから。


 ――ぼく、あなたのランになります!

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あなたの犬になります! 縁代まと @enishiromato

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