あの人に会いたい

「おい。この漫画の八巻、どこに置いたんだよ。」

答えは、返ってこない。

静寂を、勝手に体験した。

「間違えた。今日は一人……」

カレンダーに視線を向ける。

やはり、今日は千尋が来ていた曜日。

「今日だけど、もう一人だ。」

漫画を置いた場所を教えてくれる女の子の声は、もう聞こえない。

「怜、今日は彼女ちゃんが来る日じゃないの?」

母さん、千尋は彼女ではな。

「彼女では、ないんだな。」

彼女だったら、どうだったのだろうか。

大好きな遊園地で、チュロスを買って。

観覧車で、素敵な夜景を見て。

千尋の苦手な絶叫系に行こうと、意地悪を言えただろうか。

彼女どころか、友達ですらなくなった。

のかも。

いや。

まだ、連絡は途絶えてない。

今日は君の部屋、いかないね。

そんな連絡をした。

普通は、どんどん疎遠になっている。

そう捉えるだろう。

だけど、その事実を信じることに不快感がある。

その事実の信憑性が、どんどん増しているのに。

恋愛感情なんて、塵芥にしたい

冷静な考えができない。

そのおかげで、友達を失っ。

てない。

「あら、来たじゃない!」

呼び鈴が、期待感を煽る。

どうせ、宅急便とかだろうが。

何も知らない母親は、上機嫌で玄関に向かう。

「八巻あった。」

黒い本棚から、漫画を取り出す。

「別の漫画のところに置くなと言ってるじゃん……」

千尋と何回も見た、この話。

冷静になってみて、あの時間って意味がなかったな。

その時から、理性がなかったのかも。

でも、それは。

恋愛感情とはまた違う、理性の失い方をしているんじゃないかな。

あの人だけが持つ、魅力。

それに侵されていた。

「あれ、九巻がない。買ってなかったっけ。」

買っとかないと。

と思った九巻が、目の前に現れた。

「同じ漫画のところにあるじゃん。」

千尋。

「今日、来ないんじゃなかったの?」

仲直りにしては、目が合わない。

「サプライズも許せないくらいに怒った?」

怒った。

わけではない。

まあ、だけど。

怒ったと思わせて、考えさせたのも罪だ。

「……そんなことない。」

あれ、なんで。

なんで、素直に謝れないんだよ。

「一昨日の続き、どこにある?」

やっぱり、理性が。

なんで、なんだろう。

もっと本能的な何かで、千尋を失いたくないと思ってんのかな。

「ねえ、どこ?」

口を付けるのかと思うほどに、近い距離。

「……どこだろうな。」

ついでに。

「……ごめん、探してくる。」

本当の俺らも取ってきてくれ。

いや。

男女の本来のあるべき姿ではない。

あの距離感がおかしい、違和感の空間に戻してくれ。

俺がちゃんとしてれば。

「……あった。」

俺が千尋に、そういう感情さえ抱かなければ。

全て、幸せだったのに。

恋愛感情ってのが、嫌いだ。

「はあ、はあ。」

やっぱり、この世界は残酷だ。

失ったものは取り戻せない。

失ったものを想像できてしまう豊かな想像力が、人間にはある。

幸せを想像できない動物が、食物連鎖で簡単な死を遂げるのに。

幸せという名の絵をかける人間が、現実との対比を見て難関な死への欲求を得る。

愚かだ。

嗚呼、愚かだ。

気持ち悪い。

こんなに俺を気持ち悪くさせたのは、させたのは。

「誰だろうな!」

ベッドじゃない、千尋だ。

「残念。好きな人の匂いがする、好きなマットレスだったのに。」

千尋を刺したい。

でも、もう千尋は。

「ごめんなさいね。こんな可愛いなりして柔道の黒帯を持ってるので。」

俺の背後を取っている。

「死んでほしい気持ちもわかるよ。あんな断り方をしたら、まずいかなと思った。」

手が動かない。

「もう、話すね。あなたは、間欠性爆発性障害っていう障害を抱えているの。しかも、重症。」

何を言っているんだよ。このばばあは。

「簡単に言うと、おかしなタイミングで怒りが爆発する。そして、人を傷つけたくなるケースも。」

障害。

この気持ちを障害のせいにして。

「馬鹿にするな!」

体が上手く動かない。

「安心して。十分くらい経てば、元通りになる。」

痛くはないが、動かせない。

金属でも纏っているみたいだ。

でも、柔らかい。

いい匂いがする。

相手の体の匂いが好きな人は、遺伝子レベルで相性がいい。

そんな話を聞いたことがある。

でも、俺は。

誰とも、相性がよくない。

「一回、深呼吸して。」

息を吸って、吐く。

視界がぼやける。

俺はこうやって、人を傷つけるんだ。

迷惑をかけて。

死ぬのは、もっと迷惑だから。

そう言い訳して生きる。

本当は、俺みたいな肉塊。

存在ごと、消えてしまえばいいのに。

「……ごめん。」

こんなに申し訳ないと思っているのに、簡素な謝罪しかできないのは。

好きな人に謝る自分が、より醜いから。

「俺。本気で好き、だから。千尋のこと。」

ちょっと、悔しかった。

いや、大分。

なんだよ。

すごく目を丸めて、そんなに惨めか。

「ごめんなさい。」

空気が変わったような気がした。

何を言っているのか、分からなかった。

なんで、お前も謝るんだよ。

「……私も勘違いしていたことがあります。」

勘違い。

「私はてっきり、その。性交渉しているのかと思っちゃって。」

何を言ってる。

性交渉しているのかと思っちゃって。

唖然。

俺が体を求める、気持ち悪い奴だと思われていたなんて。

気持ち悪い奴なのは、否定しないが。

というか。

性交渉を堂々と、生徒会室でしないだろう。

普通。

どんな、勘違いだよ。

吃驚だ。

「あの時、あんなに強く断ったのは。私も千堂く、いや。怜を本気で好きだったから。そういう目で見られてて、恋愛感情で見られてないんだって思って。少し、腹が立っちゃっただけ。」

照れている。

こういう話は、得意じゃないのか。

可愛い。

神は、俺を見ている。

ちょっと設定をいじってくれて、ありがとう。

これでも、俺の心が幸せだと言っているよ。

「でも、その。本気で好きな上で、そういうことにも手を出したいって言うんなら。いいけど、うん。」

こんな真っ赤な顔は、初めて見た。

相当、恥ずかしいんだろうな。

「興味が無いなんて言ったら、嘘になる。でも、俺の大好きな人を辱めてしまうなら。興味はない。」

明らかに、目が合わない。

「馬鹿。私のことが好きでもない上でそういうことするのは嫌いだけど、そういうことするのが嫌いなんて言ってない……」

千尋の体が、不自然に動く。

何故か、体温が上がる。

興奮、してるのか。

別にしてないし。

あれ。

千尋も、興奮してるような。

やっぱり、興奮する。

嗚呼、落ち着いていられない。

「コンビニエンスストアに行ってくる。なんか、ついでに買ってきてほしいものあるか。」

千尋は、目を手首で隠す。

照れ隠しのつもりだろうか。

耳まで真っ赤だから、照れ隠しにもなっていない。

「あれ、買ってきて。もう、限界。」

柔道の黒帯を持っているような強い人だ。

そんな人が、こんな顔するのが可愛くて仕方が無い。

「馬鹿か、それを買いに行くんだよ。」

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毎日、会いたいな 嗚呼烏 @aakarasu9339

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