噛み跡を刻んでいく未来

黒本聖南

◆◆◆

 時司ときつかさ深夜しんやは作家だ。男の恋人ができてから、男と男の恋の話をよく書いている。

 自分と恋人をモデルに書くので、筆は面白いくらいに進んだ。

 ある時は孤独な王に囲われる愛妾、ある時は盗賊に拐われた獣人の少年、ある時は社長令息と付き人、ある時は敵対する反社会組織の男達。

 今、深夜が書いているのは、吸血鬼と人間の恋物語。吸血鬼は運命の番なる存在を探し求めていて、何百年も掛けて見つけたのは、一人の孤独な男だった。吸血鬼は有無を言わせず男を番にし、ゆっくりと愛を育む。

 巷で流行りのオメガバースとやらを参考にしている。担当編集からオメガバースものを書いてみないかと言われ、深夜は吸血鬼で書くことにした。

 何故なら、


「……深夜」


 男の掠れた声が深夜の耳に届いた。低く、どことなく甘さのある声。恋人である男のその声に、深夜は嬉しそうに目を細めた。


「起きたの、コリダリス」


 恋人の名を呼びながら、膝の上に置いていたノートパソコンを、ベッド脇のサイドテーブルに乗せる。恋人よりも早く目を覚ました深夜は、ベッドの上で執筆をしていたのだ。

 普段であれば、仕事机やダイニングテーブルで書いているが、今は恋人が家に来てくれている。恋人とはそんな頻繁に会えないものだから、あまり傍を離れたくなかった。

 深夜がベッドに寝転ぶと、恋人のコリダリスは反対に身体を起こす。黒く長い髪は癖っ毛で、筋肉質な彼の身体にまとわりついている。深夜は、彼の髪に指を絡めるのがわりと好きだ。コリダリスも拒まず、お返しとばかりに、たまに深夜の真っ直ぐな黒髪に触れる。

 血を連想するような赤い瞳で深夜を見下ろすコリダリス。深夜は微笑み、身に纏うシャツのボタンを上からいくつか開けていく。


「いいよ」


 そう、深夜が口にすると、コリダリスは深夜の身体にゆっくりと覆い被さり、彼の首筋に口を寄せ──がぶりと噛みついた。

 一瞬痛みに顔をしかめた深夜だが、すぐに表情を和らげる。なんなら、恋人の髪に指を絡めて遊ぶ余裕すらあった。


 コリダリス・グレンヴィル。

 深夜の恋人たる彼は、吸血鬼だ。


 いつぞやだったか、深夜が新作小説の取材旅行をした際に、知り合いから用心棒としてコリダリスを紹介され、彼と彼は出会った。

 その時の取材内容は用心棒が必要なくらいには危険なもので、取材中は幾度も命の危機に遭い、そのたびにコリダリスに助けられ、気付いた時には、彼と彼は互いに惹かれ合うようになっていた。

 別れ際、コリダリスから想いを告げ、深夜はそれを拒まなかった。そうして、だいたい月に一度か二度、コリダリスが深夜の元へと訪れるようになる。離れた場所でそれぞれ暮らしていることに加え、コリダリスは忙しい身の上であり、彼らの逢瀬の回数は少ない。

 もう少し、傍にいられたら。

 そんな想いから、新作小説に吸血鬼を出すことに。


「……ねえ、コリダリス」


 うわ言のように名を呼ぶと、恋人は首筋から顔を離し、深夜と目を合わせてくる。

 コリダリスはにこりとも笑わない。けれどその赤い瞳は、愛おしそうに深夜を見ていた。そのことに胸の高鳴りを覚えながら、深夜は願望を口にする。


「──項を噛んで」

「何でだ?」

「……君のものになりたくて」

「お前は俺のものだろう?」

「そうなんだけど、なんか、証が欲しくてさ」

「……」


 コリダリスはじっと深夜を見た後、身体を起こした。お前も起きろと言われ、深夜も身体を起こす。


「俺にはよく分からないが」


 そう言ってコリダリスは、深夜の左手を取ると、薬指の付け根を軽く摘まんだ。


「証ってのは、ここに指輪をはめることを言うんじゃないか?」

「……まあ、それもそうなんだけど、僕は項を噛んでほしくて」

「さっきまでみたいな、首を噛むだけじゃ駄目なのか」

「駄目だね」


 深夜はコリダリスの手をやんわりと離し、彼に背を向けると、髪を退けて項を見せつける。


「さあ、がぶっとお願い」

「……じゃあ、遠慮なく」


 背中を抱き締められ、待ち望んだ軽い痛みが伝わる。深夜は吐息を溢し、瞼を閉じた。

 先ほどの吸血でどうやら満足していたようで、コリダリスは血を吸うことはなかった。しばらくすると、彼はゆっくりと牙を抜いた。それでも依然、抱き締めたままだ。


「襟首の長い服を着ろよ」

「いつも君が帰った後は、しばらくそうしているよ」


 全身の力を抜いて、深夜は背中を、後ろのコリダリスへともたれさせる。伝わる温もりに気が休まった。

 後で、作中の項を噛む場面を見直そうと深夜は考える。この幸福感を読者に伝えたい。


「次に来た時にも噛んでよ」


 その頃には、跡形もなく消えているだろうから。


「……項だけでいいのか?」


 やけに熱の込められた声に、背筋がぞくりとした深夜。少し考えた後に身体ごと振り返り、コリダリスの口元へと顔を寄せる。


「じゃあ、項以外も」


 そして彼らは、そのままベッドに倒れ込み、見つめ合いながら、眠る前の続きをするのだった。

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