第18話 甘さと優しさと。




「お風呂,やっぱり疲れちゃった? そう言う顔してるけど」




部屋に戻ると,蘭華は何をするでもなく。


ただベッドの端に腰かけていた。


私に気付いて,その綺麗な顔が向けられる。


ゆるい青の瞳がさらにとろんと細まって,私の胸はきゅうと鳴った。




「ほら。おいで,凛々彩」




他の人にはしないんだろう,無防備なポーズ。


膨らんでいないポッケには,きっと拳銃一丁すら入っていない。


私は迷ったけど。


迷ったのに。


ゆっくりと近づいて,すぽんと収まった。


私が応じたどころか,正面から膝を折ったのが流石に子供っぽいと思われたのか。


蘭華は1度,私の下で目を丸くする。


抱き締めたいのに,流石にその勇気までは出なくて。


自分を支えるために,蘭華の胸に手を置かせて貰うだけにした。


蘭華が本気で私を呼んでいなかったのだとしても。


甘えていいって,皆が先に言ったんだから。


……そうでしょ? 蘭華。




「眠たいの? 凛々彩。それともほんとに,甘えたくなっちゃった?」




腰に手を添えた蘭華が,するりと撫でる。


私は素直に




「うん……」




と目蓋を下ろして,恥ずかしいなりの返事をした。


ぴたりと蘭華の動きが止まる。


ゆっくりと瞳を向けると,蘭華も私を見ていて。


囚われるような感覚に,ゆっくりと心拍が上がった。


ゆるい青が困ったように変化していく様子を,私は見ている。


ついにははあとため息まで吐き出されて,私はその熱っぽさに肩を震わせた。


蘭華?


どうしたのと,胸から肩へ移動させようとすれば。


動かないでと咎められる。


それが確かに咎める音だったので,代わりに私はお尻を落とした。


少しきつかった体勢からすとんと落とし,蘭華と正面から瞳が向き合う。


その近さに,私は驚いて赤面した。




「ほら,逃げないの」




そう言って,どこか嬉しそうにした蘭華は。


私は出来なかったのに,いとも簡単にその身体を抱き締めてしまう。


ぎゅっと密着した身体が,余計に耐えがたい。


くるっと,視界が回った。


次にはぼすっと音が聞こえて,私はぱちぱちと確かめるように瞬く。


蘭華はぼんやりとした目つきで,私の頬を挟んだ。


ぎゅっと目を瞑ると,その手は首筋をなぞるように下りて。


最後は腰をつかむように持ったかと思えば,少しも隙間が空かないように強く抱き締められた。




「あんなやつの手に渡してごめん。触れさせてごめん。思い出すだけでも,怒りで抑えられなくなりそうなんだ」


ー凛々彩が,全部僕のものだったらいいのに。




怒りと派生した別の感情が,熱い吐息となって私の首筋に触れる。


私は確かに聞こえた言葉が,純粋な蘭華の望みが信じられなくて腰を反らした。


蘭華が私に情欲を向けるなんて,考えたこともなかった。


とろけるような青に気付いてしまうと,目が離せない。


染まった顔のまま,いいともだめとも,気にしないでの一言すら言ってあげられない。


頭がふやけて,恥ずかしさにおかしくなりそうになる。


私の滲んだ瞳を見て,唇を震わせた蘭華は。


ゆっくりと抱えるように抱き締めて,私の首筋へ噛みつくように口を開けた。


食べられるのかと思うほど,蘭華が時間をかける。


ちりりとした痛みに驚けば,次には蘭華が私に跨がっていた。


キス,される。


そう感覚で理解して。


蘭華はまた首筋に,瞼に,頬に軽くキスを落とした。


身じろぎひとつしないまま受け入れると,最後はじっくりと目が合って。


私が蘭華の首に手を回すのと同時,唇が触れ合った。




「ん……。?」




外が,騒がし……



「ここか!! 凛々……」



突然の侵入者。


誰だか理解して,真っ赤になる私はその方向に顔を向けられない。


ぶわりと蘭華の殺気がしたけれど,それどころではない私は目の前のシャツをつまんで引き寄せる。


蘭華が動きを止めたのを感じて顔を隠すように身体を起こせば,蘭華はそれを咎めず固まっていた。


そっと頭を撫でるようにして引き起こされる。


私は密着したまま,ちらりと入り口を見た。




「ベルトゥス……あの……その」

 



このゼロ距離を知り合いに見られる恥ずかしさに加え,別れた時の気まずさもある。


何かを飲み込むようにして眉間を揉んだベルトゥスは,真っ直ぐに私を見た。


トストスと近付いてきて,ベッドの前で膝まずく。


驚いていると,蘭華は私を引き離すように抱き締めた。




「良かった。……いや,全く良くはないんだが。すまなかった,凛々彩」




守ると約束したのに,と。


折角の大きな身体が小さくなってしまっている。


驚いた私が身を乗り出すと,蘭華が止めた。


抗議の視線を向けるも受理されることはなく,私は仕方なくその場で口を開く。



「ベルトゥスのせいじゃないわ。忙しい身でずっと一緒にいてくれたじゃない。相手が上手だっただけ」



ベルトゥスのもとに行ったのは,そもそも私の意思だった。


その選択をベルトゥスが悔やんだのだとしても,それはベルトゥスの失敗じゃない。


それに




「ベルトゥスも探してくれていたんでしょ?」




その望み1つが,あの場で私の意識を生かし続けてくれていた。




「それより……ベルトゥス,怪我してるじゃない。寧ろ……あんな場所まで乗り込ませちゃってごめんなさい」




切れた唇に,痕の残る頬。


私一人のためにおおらかな南の土地のトップに傷をつけてしまったのだと思うと,申し訳なかった。




「いや,これは……」




ベルトゥスは困ったように眉を寄せて,私から視線を外す。


そしてそれを代わりに向けられたのは,蘭華だった。




『ふざけるなよ,ベルトゥス。勝手に僕の手放してない凛々彩を拐っておいて,目を離す意味が分からない。僕に啖呵まで切って護れないなら,お前には最初から連れていく権利なんてないよ』


「蘭華にぶん殴られたのが治ってねぇだけだ。何ともねぇよ,凛々彩。寧ろ足りねぇくらいだから心配すんな」




首筋を擦るように目を伏せたベルトゥス。


私は蘭華を見上げる。


殴るのは,いなしたりするのとは違う。


蘭華が細く綺麗な素手で人を制圧するところは,見たことがなかった。




「手当て,してから帰ってね。そのままで良いのだとしても,私がやるわ」




蘭華がベルトゥスに手をあげたことまでは口を出せないけど。


その半分が私のせいであるなら,それは私の傷も同然だった。


心配かけてごめんなさいと,そっと蘭華に身を寄せる。




「……分かった。凛々彩,もし余計な記憶をつつくような事だったら悪い。だが……あんたは,自分がどんな場所にいたか知りたいか?」


「ベルトゥス!!!!!」



ベルトゥスの言葉に,蘭華が鋭く制止を掛けた。


片足を立て降りようとした蘭華を,私が止める。




「ベルトゥス……私,大丈夫。だから聞かせて,あそこはどこで,何だったのか」




私が逢ったのは,たったの3人。


そのどれもが個性的で,存在が強く私の中に残っていた。




「あそこは,南の土地。俺達のテリトリーの廃病院だった」




えっと驚く。


半日も寝ていれば,馬車なら十分で。


私はてっきり,西てきじんのど真ん中辺りだと思っていたから。


夜雅の到着に時間がかかったのも,その自由な性格だけではないと分かる。




「付近の住民も……以前から誰もいないはずの病院に人の出入りがあることや,時折女の声が聞こえることを気味悪がっていたらしい。取り壊しが1度決まったものの,背の高い細身の男に脅されたと言っていた。そんなものにも気付けなかった俺の落ち度だ」




また頭を下げられそうな予感に,私は




「続けて」




と促す。


背の高い細身の男。


ダーレンね,と私はあの恐ろしくも呆気なく命を消した男を思い出した。


今さら脅しの1つや2つ,不思議でもなんでもない。


ベルトゥスに尻尾を掴まれないためとは言え,業者の命があっただけましだと思う。


「半数はダーレンと言う男の娯楽目的だったらしいが,その男が強姦拷問用に任された土地だったらしい。どこまで本当か分かりゃしねぇが,少なくとも中にいた人間を見るにほとんどが本当のことなんだと思う」




歯切れの悪さに,私は首をかしげた。


推し量るように,じっと考えながらベルトゥスは口を開く。




「今の話は……温度差の激しい妙な女に聞いた話なんだ。捕まえてやろうと思ったが,それも失敗した」




シェリアとシェイナ。


シェリー,イナと呼び合う2人だとすぐに分かった。




「楽しませてくれたお礼にと凛々彩に言付けて,おかしな置き土産をしてったんだが……知ってるか?」


「……いいえ」




良くは知らない。


なんと説明していいかも分からず,私は首を横に振る。


そっか,あの2人はあの場を逃れて……


今,どこにいるんだろう。




「あいつら,俺に小瓶を落として行きやがった。俺の囲ってる薬草好きのジジイによると,殆んど賭けではあるものの,病院内の可哀想な女を元に戻せる可能性がある液体らしい」




貴重なそれは,そのおじいさんに任せたとベルトゥスは言った。


望みは薄い,だけど,戻れるかもしれない。




「彼女らはうちで預からせて貰う。野放しにした償いにもならねぇがな」




責任感の強いベルトゥスなら,その人達を悪いようにはしないのだろう。


私は一先ず息をついた。


やっぱり,またしても私に出来ることはない。



「凛々彩」



ベルトゥスが真っ直ぐと私を見る。


微笑むようなタイミングではないと思って,私はこくんと飲み込んだ。




「凛々彩が拐われたのは,俺が尾行に気付けなかったせいなんだ」




もう今さらよ,と口にしようとして,やめる。


ベルトゥスの言葉は,まだ終わっていなかった。




「次は約束を違えない。南がどんな状況であろうと,凛々彩でも西でも駆けつけて護ってやる」




次はないと強く宣言するベルトゥス。


自分の土地への愛が強いベルトゥスが,南が危険でもと口にするには大きな覚悟があるはずで。


戸惑った私は,それでも。


最初に危険が及ぶのは西だと知っている事もあって,頷いた。




「……1度だけ,1度だけ助けて,ベルトゥス。それが過ぎたら,もうせめて私に悪いとは思わないでね」




ベルトゥスはぐっと噛み締める。


抱き締められる……と直感したものの,蘭華がはたき落として。


結果ベルトゥスは私の右手にキスをした。


驚いて固まる。


島の,西の人間にこんな行動をとる人はいない。




「償いは,必ず。だが,もし寂しく思うことがあれば……俺の横はいつも空けとくから」




そう,私,ベルトゥスのプロポーズを……




「ベル…」


「ベルトゥス·ボーン。俺の出番はまだですかーー?????」




鼻を摘まんだわざとらしい高音。


その主は,一気に私達の注目を集めた。

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