転移聖女の遺産が孫娘を守る

 色褪せた本を消し去る事なんてわたしにはできなかった。幸いにも鍵を挿せばまた封印し直せる仕様だったから、本棚のできるだけ日光の当たらない場所にしまっておいた。日焼けでダメになってしまうのも目の届かない場所にしまいこむのも可哀想な気がしたし、封印を解くには日本のごく限定された界隈の知識がないとだめだから多分他の人には読まれないと――油断を、していたんだと思う。


「聖女の遺産を受け継いだらしいな」

 わたしの部屋に入るなり、そいつはじろじろと部屋を見回す。

 おばあちゃんの知り合いのいとこの親戚だとかで家柄と魔術の才能と容姿に恵まれたものの性格だけはゴミ。最初に会った時から何となく気に入らなかったけど前世を思い出した今ならはっきり言える。

 クソモラハラ野郎、男尊女卑、逝ってよし……は前世母の受け売りか。

「お前にはもったいない。この俺が正しく使ってやる」

「聖女の血をひくのはわたしですが?」

「いずれ俺の妻になるのだろう。ならば俺のものも同然だ」

「婚約者【候補】でしょう」

 露骨にため息をついてみせるとクソ野郎(なんか貴族貴族した名前がついているけど呼ぶのもムカつくから省略)はこめかみをひきつらせた。それでもわたしへの苛立ちより遺産への欲の方が勝ったのか、鏡台に置かれたバレッタをいじり始める。

「ふん、ただのアンティークか。……それは、」

 クソ野郎は本棚の片隅を見て目を見開く。この野郎にも色褪せた本の持つ魔力が感じとれたのだろう。

 わたしは思わず駆け寄るけれどクソ野郎の方が速かった。クソ野郎が本を手に取ると光が文字を描く。

「薔薇の数字? こんな子ども騙し、俺の前では通用せん」

 自信満々鼻高々でクソ野郎が指を掲げた。

「古代語『ROSA』を数字に置き換え足し合わせる……『4』だ!」

 古代魔術のひとつ、数秘術。

 アルファベットを数字に置き換えて足し合わせる暗号は魔術世界の基礎教養のひとつ、だけど。

 クソ野郎の描いた文字が封印魔術の前で消し飛び、ふにゃふにゃした……クイズ番組とかでハズレた時の効果音が鳴り響いた。

「なんだと!? ならば」

 いくつもの数字が当たっては砕ける。そのうちタライでも降ってきそうだ。ちょっと見てみたい気はするけど、この男の手がおばあちゃんの心に触れているのは不愉快だ。

「気が済んだでしょう。返してください」

「黙れ! こんな厳重な封印を施しているのだぞ、どんな秘術が記されているのか」

「あ、そんなんじゃないです」

 わたしは半笑いで答えて――しまった、と思った時には男に腕を捕まれていた。

 血走った目がわたしを睨む。

「解けたのか。お前ごときに、これが」

 犬歯をむき出しにして男が詰め寄る。食い込む指が痛い。長身がこちらを押し潰そうとするように迫るから本能的に冷たい汗がにじむ。

「解け。解いてみせろ、そうすれば秘術は俺のものだ」

 男が本を押し付けてくる。

 うなずいたって解放なんかしてくれない。どうせ読めないんだから日記だとでもいってヒステリーをやりすごせばいい。

 でも。

 わたしは空いた腕で本を抱きしめると男を睨んだ。

「これはあなたの目に触れていいものではありません。お断りします」

 ジャンルがどうとかじゃない。

 大切なひとの心の隙間を、このぶしつけ野郎の目に触れさせる事そのものが気に入らない。

 殴るなら殴れ、親でもなんでも使って婚約破棄&慰謝料で破産させてやる……!

 男が腕を振り上げた。

 わたしは目をつぶって歯を食い縛る。


 重い、打撃の音がした。


 わたしを捕らえていた手の感覚が消える。弾みでふらついた体を支えたのは誰かの体温だった。

「怪我してねえか」

 聞き覚えのない若い声。じゃらりと金属の擦れる音。

 目を開くとクソ野郎が床に倒れていた。片頬を真っ赤に腫れ上がらせた男はわたしの背後に目を向けてうめく。

「な、何者だ!」

「てめえに名乗る名前なんかあるか」

 舌打ちするのはわたしと同年代らしき男――ぼろぼろのジーパン、真っ赤に染めた髪の間から覗くピアス、形容するなら売れないミュージシャンみたいなその男は、唇の端をひん曲げてクソ野郎を嘲笑う。

「丸腰の女に手ぇあげるなんてダセー真似すんじゃねえよ。失せろ」

「貴様ぁ!!」

 クソ野郎ががばりと起き上がる。詠唱もなくその正面に魔法陣を浮かび上がらせ、ばちばちと火花を散らす。

 わたしもひと呼吸で防御術を構築。さがりなさい、と言おうとした瞬間古ぼけたジャケットがわたしの側を通りすぎた。

 赤毛のヤンキーはためらいもなく攻撃魔術の前に体を晒す。

 魔法陣が生むのはひと一人を消し炭にできる光弾。

 対してヤンキーは素手。魔法の護符さえ持っていない。

 ヤンキー拳が光弾を打ち、


 消えた。


「なんだ。派手なくせにショボい手品だな」

「は……!?」

 クソ野郎が絶句する。わたしだって自分の目を疑った。

 でもすぐに理解した。

「そこまでです。双方さがりなさい」

 頭のなかでありし日のおばあちゃんを思い浮かべ、できるかぎり威厳ある感じで腹の底から声を出す。

「これこそ聖女の秘術。おばあさまのいた『魔術なき世界』の知識とおばあさまの魔力で産み出した、意思ある精霊。存在の基礎に『魔術なき世界』を持つゆえにその拳はあらゆる魔術を無効化するのです」

 聖女と呼ばれるほどの逸材が心と魔力をこめて物語を記したのならその登場人物が精霊や式神になってもおかしくない。詳細とか無効化うんぬんは多分そうだろうなー、という予測だ。だからヤンキー君はハテナマークを浮かべてこっち見ないでほしい。

「わたしを守護する精霊に膝をついたあなたに、わたしの伴侶たる資格はありません。早々に立ち去りなさい」

 たたみかけると、赤毛の男がタイミングよく拳を鳴らしてくれる。結構アドリブきくヤンキーだこのひと。

 モラハラ野郎は悲鳴をあげて逃げていった。どたばたという足音が遠ざかるのを聞きながらわたしとヤンキーは顔を見合わせる。

「……で、ここどこなんだ。俺バカだから簡単に説明たのむ」

 わたしは言葉を選びながら事情を話していった。

 ここは剣と魔法の世界。

 あなたは日本生まれのおばあちゃんが書いた物語の登場人物で、わたしは作者の孫(前世もち)。

 あなたにとって創造主であるおばあちゃんは既にこの世のひとでないこと。

 ヤンキーはうんうんと頷いていたが次第に眉間にシワが寄っていく。

「日本から異世界に来た、みたいなことでいいか」

「ええ」

「でも俺は本当は日本で生きてるんじゃない」

「……まあ、そうね」

「じゃあ俺、どこに帰ればいいんだ」

 異世界からもとの世界に帰る。

 前世母いわく昔の異世界トリップものはそれがゴールだったらしい。ただ――わたしは本の封印を解いてざっとページをめくってみる。

 日本を舞台にした物語。丁寧に綴られている、けれど、エンドマークは見当たらない。

 未完のまま作者を失った不完全な世界は果たして帰る場所になるのだろうか。

 言葉を返すことができない。わたしはうつむいたまま小さく「ごめんなさい」と呟いた。

 重苦しい沈黙が部屋を満たす。

 それを破ったのはヤンキーのため息だった。

「あんたが作者の孫なんだろ。じゃああんたが続きを書け」

「え?」

「さっき言ってた守護がどうとか。あんたはいいとこのお嬢様で、ロクデナシが寄り付いて迷惑してる。あんたが物語を終わらせるまで俺が用心棒やってやるよ」

 視線をそらし鼻の下を指で擦り、照れ臭そうにヤンキーが言う。そうしているとちょっと幼い雰囲気がでてかわいいかもしれない、が。

「BL作品のキャラの乙女ゲー的二次は苦手なんだよなー」

「わかる言葉で喋れ」

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おばあちゃんの形見とわたし 戸波ミナト @tonaminato

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