第5話 傅役《ふやく》は心配性?


「……様、若様!」

 侍女の呼びかける声で、俺はハッと我に返った。


 危ない、完全に意識が飛んでいた。

 目の前の侍女がきょとんとした顔で俺を見ている。 そりゃそうだろう、いきなり見知らぬ天井を見上げて呆然としていたんだから。


「あ、いや、なんでもない……ちょっと考え事だ」

 なんとか取りつくろうが、侍女のいぶかしむような視線は変わらない。


 まずい、これ以上ボロを出す前に、なんとかこの場を切り抜けなければ。

 そう思った矢先、廊下の向こうからドタドタと慌ただしい足音が近づいてきた。そして、勢いよく障子が開け放たれる。


上総介かずさのすけ様!

 ご無事と伺い、飛んでまいりましたぞ !」

 現れたのは、いかにも武士といった風貌ふうぼうの、しかし歳の頃は五十代くらいだろうか、白髪混じりの厳つい顔をした初老の男性だった。

 立派な髭を蓄え、その目には威厳と共に深い心配の色が浮かんでいる。

 服装も侍女とは違い、どこか地位の高さを感じさせる。


平手ひらて様……」

 侍女が控えるように後ろに下がる。

 この人が「平手」というらしい。


 平手と名乗った老爺は、ズカズカと部屋に入ってくると、俺のすぐそばに座り込み、じっと俺の顔を覗き込んできた。

 その距離の近さと、真剣な眼差しに、俺は思わずたじろぐ。


「お加減は如何にございますか? 昨日は例の馬から落馬されたと聞き、この政秀まさひで、肝を冷やしましたぞ! お怪我はございませぬか? 頭などを強く打たれたのでは……」


 政秀まさひで? この人が平手政秀?

 歴史の授業で聞いたことがあるような……いや、時代劇でか ?


 それより、「落馬」?

 俺が? 全く記憶にない。

 それに「上総介様」って、さっきの侍女も言ってたな。

 俺の呼び名か、あるいは役職か何かか?

 混乱する頭で、俺はつい現代語で返してしまった。


「あ、えっと……だ、大丈夫っす。怪我とかは、たぶん……。

 それより、昨日は何があったんでしたっけ? ちょっと記憶が曖昧で……」


 俺の言葉を聞いた瞬間、平手政秀の顔がみるみる曇っていくのが分かった。

 そして、天を仰ぐように大きく、深いため息をついた。


「ああ……殿……またもやそのような奇矯きょうなことを……。落馬の衝撃で、もしや記憶まで……おお、なげかわしい……!」


 キキョウ? 奇矯? どういう意味だ?

 政秀の反応と、その言葉の端々から、俺はようやく自分の置かれている状況の一端を理解し始めた。

 どうやら俺は、この世界では相当な「変わり者」あるいは「常識外れな奴」として認識されているらしい。いわゆる……「うつけ者」ってやつか。


「うつけ」織田信長……時代劇で聞いたことがある。もしかして、俺が転生したのは、あの有名な……?

 だとしたら、状況は思った以上にヤバいかもしれない。

 政秀は、俺の「奇行きょう」を嘆きつつも、その瞳の奥にはどこか諦めきれないような、複雑な感情がらめいているように見えた。

 この人は、俺のことを心底心配してくれているのかもしれない。……俺(信長)のことを。


「……少し、外の空気を吸ってくる」

 このまま部屋にいてもらちが明かない。それに、この心配そうな政秀の視線にさらされ続けるのも、なんだか居心地が悪い。

 俺はそう呟くと、おぼつかない足取りで部屋を出た。


 廊下を歩き、庭が見える縁側に出る。

 手入れされているのかいないのか、雑然とした印象の庭だ。

 それでも、外の空気は少しだけ俺の混乱した頭を冷ましてくれた。

 その時、廊下の向こうから、よろいが擦れるような音と共に、数人の屈強な男たちが歩いてくるのが見えた。

 腰には刀を差し、いかにも歴戦の武士といった風貌だ。年の頃は二十代から三十代くらいだろうか。


 彼らは俺の姿を認めると、一瞬足を止め、こちらに視線を向けた。

 その目に宿るのは、好奇心……いや、もっと冷ややかな、呆れや侮りのような色。

 まるで、「ああ、またうつけ殿が何かやってるのか」とでも言いたげな空気だ。


 彼らは軽く会釈だけすると、俺を意に介さない様子で通り過ぎていく。

 その威圧感と、あからさまな軽視の態度に、俺は完全に気圧されていた。

 歓迎されていない。

 完全に俺はここでは異物で、邪魔者なのだ。

 強い疎外感が胸を締め付ける。


「……情報、集めないと……」


 この世界で生き残るために、自分が何者で、周りの人間が誰で、何を考えているのかを知らなければならない。


 そして、この「うつけ」という評判。

 これは俺にとって、敵なのか、それとも……使い方によっては、味方になるのかもしれない?


 途方もない課題を前に、俺はただ縁側に立ち尽くすしかなかった。


 何から手をつければいいのか、誰を信じればいいのか、全く見当もつかない。


 戦国時代に転生なんて、ラノベの読みすぎだって笑っていた昔の自分を、今すぐ殴り飛ばしてやりたい気分だった。



 ※「奇矯」は「きょう」と読みます。この言葉は、普通ではない、不自然な、または風変わりな様子を表すために使われます。特に、人の行動や考え方が常識から外れている場合に用いられることが多いです。


 chatGPTより


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