第6話 死にたくないので、うつけます


 自室に戻った俺は、力なく畳の上に座り込んだ。 障子の向こうからは、家臣たちの話し声や、庭の手入れでもしているのか、ザッザッというほうきの音が聞こえてくる。


 穏やかに見えるこの城の日常が、今の俺にはひどく現実味のないものに感じられた。


(落ち着け……落ち着くんだ、緑野大地……)


 俺は深呼吸を繰り返し、必死に思考を整理しようとした。

 まず、俺は交通事故に遭い、なぜか戦国時代らしき場所で、「織田信長」という歴史上の人物の若い頃の体に入ってしまったらしい。

 周囲からは「うつけ者」だと思われている。

 傅役ふやくとして平手政秀という老臣がいる。


 そこまで整理して、ハッとした。

 事故……そうだ、俺は一人じゃなかった。空と海が、一緒だったはずだ!

 あの二人はどうなった?

 俺と同じように、この時代に飛ばされたのか? それとも……まさか、あの事故で……。


 考えたくない最悪の可能性が頭をよぎり、全身から血の気が引くのを感じた。

 胸が締め付けられるように痛い。


(ダメだ、しっかりしろ! あいつらがどうなったかは、まだ分からない。

 俺がここでウジウジしていても始まらない!)


 自分を奮い立たせ、俺は必死に記憶の糸を手繰り寄せた。

 織田信長……戦国時代……。

 俺のとぼしい歴史知識、そのほとんどは子供の頃に見た時代劇や、たまにテレビで見る歴史特番レベルだ。


「織田信長……うつけ者……桶狭間……」

 キーワードを口に出してみる。


 そうだ、最初はうつけ者と呼ばれていたけど、桶狭間の戦いで今川義元を破って、そこから快進撃が始まったんじゃなかったか?


「天下統一……天下布武……」

 どんどん勢力を拡大して、最後は天下を統一……いや、違う。確か、天下統一を目前にして……。


 その瞬間、雷に打たれたような衝撃が全身を貫いた。

 脳裏に、燃え盛る寺の映像がフラッシュバックする。裏切り者の名前……そうだ、明智光秀!


「本能寺……本能寺の変!」

 思い出した。

 織田信長は天下統一目前で、最も信頼していたはずの家臣、明智光秀に裏切られて京都の本能寺で殺されるんだ!


 ザァァッ……と全身の血が逆流するような感覚。指先が急速に冷えていく。

 死ぬ ? 俺が ?

 この体の持ち主である織田信長が辿る未来は、「死」なのか?


 冗談じゃない ! 俺はまだ十六歳だぞ !

 やり残したことだって山ほどある!

 スキー旅行だってまだ行ってない!

 それに……空と海は?

 もしあいつらもこの時代に来ていたら?

 俺が死んだら、あいつらはどうなるんだ?

 この戦国の世で、二人きりで生きていけるのか?

(死ねない……絶対に、死んでたまるか!)


 恐怖と絶望のどん底で、腹の底から強い衝動が突き上げてきた。

 それは、純粋な「生きたい」という生存本能であり、そして、大切な幼馴染みを守りたいという強い想いだった。


 そうだ、俺は死ねない。

 あいつらを探し出して、再会して、三人で一緒に生き延びるんだ。

 そのためなら、なんだってしてやる。


 歴史を知っている……これは、もしかしたら最大の武器になるんじゃないか?


 これから何が起こるか、誰が味方で誰が敵になる可能性があるのか、俺は断片的にだが知っている。


 このアドバンテージを活かせば、未来を変えられるかもしれない。

 本能寺の変を、回避できるかもしれない!


 そのためには、まず情報が必要だ。

 もっと正確な歴史の知識、この時代の常識、人間関係。そして、力も。今の俺には何もない。


 下手に動けば、すぐに怪しまれてつぶされるだろう。


 ……待てよ? 「うつけ者」という評判。これは、むしろ好都合かもしれない。


 周りに油断させておいて、その間に水面下で情報を集め、力を蓄える。うつけの仮面は、時間稼ぎに使えるんじゃないか?

(よし、決めた……!)


 俺は顔を上げ、部屋の隅にある銅鏡をにらみつけた。

 鏡の中には、まだ幼さの残る、しかし強い意志を秘めた瞳を持つ「織田信長」の顔がある。


「見てろよ、戦国時代……。

 俺は、お前たちの筋書き通りには動かない。

 うつけのフリして、しぶとく生き残ってやる。

 そして、必ず空と海を見つけ出して……俺たちなりの未来を掴んでみせる!」


 覚悟を決めた俺の目に、迷いはもうなかった。


 波乱に満ちた戦国サバイバルが、今、本当の意味で幕を開けたのだ。


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