隣の席の孤高クール系美少女のせいで青春ができない
蟻依 乃梨
第1話
教室から窓の外を眺めると、まだ散りきっていない桜が見える。まだ残っているピンクの花が、雲一つない快晴の朝の青に映える。
近年の地球温暖化傾向に逆らうように、謎に力強く咲き続ける桜。普段は気にも留めないような気候の違いだが、この春ばかりは、自分の背中を押してくれている、味方のように思える。
例年と違う春。例年と違う自分。
——視界の上部を常に陣取っている、この明るい前髪のせいである。
「やっほ。流石に金髪は目立つね」
イケメンが、話しかけてきた。
「おはよう。一応、金髪ではなく正確にはダークブロンドっていうらしい」
この可愛らしいイケメン……なんだっけ、ああそう、
入学初日から知り合いを一人作れたのはラッキーだったが、この少し身長は低いもののスラッとした体型、プロの画家にお金渡して作ってもらったかのような整った童顔、この自信に満ち溢れた雰囲気——ここまでイケメンだと、少女マンガの王子様というよりも、スカ◯とジャパンの悪役みたいな印象を受けてしまう。
そしてそんなのが、何故か俺に、話しかけてきた。はい恐怖。周りの関係もフラットな状態で?特段面白い自己紹介をしたわけでもない俺に笑顔で話しかけてくる?はい恐……ドッキリだ。あ、ドッキリ、そうドッキリだ、これ。わかっちゃったぞ。
本人曰く自分は人見知りしがちで割と恥ずかしがりなどと言っていたが、そんな人が派手髪の奴に話しかけるなんてことあるんだろうか。
引場は俺の目の前の席に座る。俺は昨日の席決めで最後列の左から二つ目の割と当たりの席を獲得した。周期表で言うならばラジウムの位置。そして目の前のこいつはバリウムである。
「中学の頃は禁止だったわけだから」
「まぁな」
「でもそんなすぐに染めるものなのかな?もっとこう……一年くらい経ってからじゃない?そういうの」
「え、本当に?そんなもんかな……」
「何か、すぐ変えたかった理由でもお有りで?」
「……」
さて。なぜ俺が例年と違う派手な髪色になっているのか。中学を卒業し、高校に入るそのタイミングで、なぜ人は髪色を明るくするのか。そんなの一つしかないだろ。もちろん——
「いや、姉が美容師の勉強中で、カラーの練習をしたいとかなんとかで」
もちろん——高校デビューだ。
会話の端々から俺のコミュニケーション能力の低さが垣間見えているが、こいつには多分……気づかれていないだろう、俺がド陰キャであったことは。
回想——3年前のおもひで。
『ねぇ、
『……だれ、ていうか俺馴れ合いとかそういうのいいから』
『え……えぇ』
『だれかに寄り添ってないと生きてけないとか、寄生虫かよ』
はい回想終わり。もうおわり、やめて。一瞬だけどここで止めさせて。この時の寄生虫かよ(キメ顔)も、この後の給食の時間に屋上に行って『あれ?石蕗くんどこ…?』で注目を浴びようとしていた謎のくだりももう思い出させないでくれ。これ以上鮮明に脳内再現したら苦しすぎてしんでしまう。
俺——
もう中学三年生だったし、教室でも浮いていて地味な俺をいじめると言うようなことはなかった。ただ、クラス内で好きにグループ分けを行う時や図書館に続く廊下を一人で歩くお昼時などの謎の孤独感と喪失感。こちらは一人でいることを選択しているのに、まるで一人になってしまっている哀れな存在、として扱われる惨めさ。周りが、一人でいることを許してくれない。それに何故かじわじわ心が削られていた自分も、心底気持ち悪かった。
その一年間で俺は決心した。
高校に入ったら、しっかり友達を作ろう。
心を許せる存在、励まし合う仲間、恋人……目指すは、いわゆる青春だ。
青き春を実現する為に高校は同じ中学の人間がほぼいないような少し遠い場所を選んだ。イタい頃の俺の記憶があるやつはほぼ確実に選ばないであろう場所。
名前は
いかんせん小さく、正直アクセスもそこまでいいわけでは無い。何なの
俺の地元は杉並区で、正直めちゃめちゃ遠いというわけではないのだが、基本的に杉並区民は区の端くれであるからこそ区民の誇りを謎に持っており、二十三区外に出ようなどと思うことはないので、おそらく出会うことはないだろうと思う。わざわざ西に行く必要がない。八王子には本当に申し訳ないと思ってる()。
「ふーん、身内に美容師さんとかいると、無料で気軽にイメチェン出来て楽そうだね」
「めっっちゃ楽。美容師の専門学生ではあるけれど、うちの家族は全員切ってもらってたな」
「えー、じゃあ僕もお願いしちゃおうかな」
「では姉の家は札幌なので、飛行機で二時間かけて髪切りにいってもらって」
「あえ?……じゃあ——」
「ちょっとそこ、どいてもらっていいですか」
引場の声を遮るように、俺の右後ろから透き通った声が聞こえた。そちらに振り返ると、容姿端麗な少女が、こちらを見下ろしていた。
「あ、すまん」
俺が、彼女の座ろうとしていた席への道を塞いでいた。彼女の席は、どうやら一番左の一番後ろ。教卓から最も離れた窓側。主人公席である。
椅子を斜めにして二本足でバランスをとるように座っていた俺は、ガタンと前の足もしっかり床につけ、前に出て少女に道を譲る。
漫画ならツヤツヤと描き文字をよこしたくなるほど美しく長い
そして、座った彼女は、軽蔑するような鋭い眼差しを俺に寄越した。
「周り、ちゃんと見た方がいいですよ」
「……」
唖然とする俺と引場。
口わるぅ……。と一瞬は思ったものの、もちろん彼女が正しいので、なんとも言えない。少女は、鞄から取り出した本に目を落とす。冷徹で、世界に対する興味が無い、そんな眼。
それと同時に、俺は彼女に対してもう一つ思うことがあった。その永久凍土を具象化したような態度が、過去の自分と重なった。中学一年生の頃の自分を見ているようで、表面的な驚きに対して、胸襟には懐かしさと痛々しさがあった。
そんなふうに色々考えている俺に、引場が小さい声で話しかけてくる。
(流石、主席ってかんじだね)
(主席……え、何が)
(この人。
やべ、寝てた。だって話が長い上に、そう、あのあれですね。来賓が来すぎね。OB会の副会長くらいならば出席を我慢してほしんだけど?
「何をコソコソ話しているんですか」
「えあ」
戸鹿?さんが本から顔を上げて話しかけてきた。
「いや、…その…」
「ぜったい私の話ですよね」
引場はたじろぐ。まぁ、そりゃそうだわな。周りをもっと見た方がいいなどとお咎めくらった後に眉間に皺寄せて二人でコソコソ話していたら自分の悪口言ってるって思うだろう。
「いやなに、その美人さの秘訣はどこにあるのかなぁー、と……」
不自然な返し。
「……」
「ねぇ?石蕗」
冷たい沈黙と視線に耐えられなかった引場が助けを求めてくる。こいつ……。
「……別に隠す話でもなかったろ。主席なんだって?すごいな」
俺はシンプルに話していた内容を言う。逆にあの誤魔化し方はドギツい悪口言ってると勘違いされかねない。内緒話をしていたら誤魔化したくなるマインドはわからないでもないが。
「そうですね。どうも」
冷たい返しをし、戸鹿さんは本を読み直し始める。そんなに人と話したくないのか。そのページをめくる落ち着いた所作は、気を抜けば見惚れてしまいそうなほどに絵になり、そしてこちらに『もう話しかけてくるな』と言わんばかりの圧を醸し出していた。
まさに一匹狼。一人で戦える強みがあるから群れない。彼女の場合はその学力、またそこから来る自信がそうさせているのだろう。
正直、格好良くて羨ましい——などと、思っていたかもしれない。ぼっち経験者でなければ。この尖り方はぼっち寸前、一歩足を前に出せばぼっち渓谷にストンと落ちてしまうまで進行している。というかもうほぼこれクレバスに落下しているくらいまであるだろ。
これは無意識に『こんなこともできないんですか?』などと言ってすぐ周りと隔たりが出来て孤立、三年後くらいに思い返して苦しくなるパターンですね(六敗)。
「……ここ結構頭いいところだよな」
その俺の問いかけに引場がこちらを向き直し、話しかけてくる。
「……え、あぁー、まぁ、それなりに」
「俺は東京でも屈指の進学校だと聞いてここを選んだわけなんだけれども」
「いやほんとに。僕なんか最高D判定のおこぼれ野郎だしねぇ」
「その一枠はA判の奴が死に物狂いで求めた一枠なんだぞ、貴重に思え」
この私立白徳高校は入学の難易度がそれなりに高い。偏差値で言うと……いくつだっけ、六十五とかだっけ?都内の私立では七番目くらいに頭のいい高校なんだと。ヘェ〜。受かった俺すご。
そして急に学歴厨のような方向転換をした話の行き先は、どこに向かうのかと言うと。
「その、主席か」
俺は本を読むお淑やか少女を横目で見る。
「すごいよね」
俺たちは、ギリギリ本に集中しているならば認識できない位の声で話す。もちろん、聞こえていないかどうかはわからないが。チラッと見ても、本人は変わらずATフィールド展開中なので反応は微妙なところである。
「クソすごいな」
「クソすごいよね」
「クソとか汚い言葉を使うんじゃありません」
頭いい集団の中でもトップか。こう言うのが東京大学とかそう言うのに集まるんだろうな。今のうちにサインでも。
「昨日は大盛況だったし」
「えなにそれ」
「え、昨日休み時間中も寝てたの?」
やべ、寝て……ねえわ。多分寝てないよ休み時間は。でもあれだ、席替え前だから教卓の真ん前の席で一人絶望していたんだわ。
思案する俺に引場は続ける。
「そりゃまあ、全体的に自分の学力に自信がある人たちが集まってるからね。新入生代表であり、つまり主席。コミュ力高めの子とか、お近づきになりたいって子達が興味を持って話しかけに行ってるっぽいんだよね」
「ヘェ〜、有名人か」
「まぁちょっとした人気者だよね」
「——人気者」
「ん?うん」
ほう。人気者。人気者か。
人気者。なぜかその言葉を自分の耳が離してくれなかった。
利用できるかもしれない。
正直、彼女のコミュニケーション感には期待できないと言える。ただ、その肩書きには非常に期待できる。主席、というのは、こういう進学校では絶大な力を持ち得るのかもしれない。
各々、かなり頭がいい自信に満ちた人達の集まりで、ある程度のプライドがあるはず。そんなプライドをことごとく破られて少なからず興味を示しているということ。となれば、このチャンスをモノにしない手はない。
こいつ——戸鹿茵と仲良くなることは、俺の交友関係を大きく広げ、今後の高校生活を順風満帆に過ごすのに非常に役立つはずだ。
「——そりゃまあ、すごいよな。天才で美少女ともなれば、皆に人気になるのも無理ないか」
引場との会話から。割と積極的に攻める。ある程度、戸鹿にも聞こえる声で。
「ん、あはははは、まぁ、ねー」
先ほどの、戸鹿が見せた身分の低い者と話すかのような冷淡な様子に慄いている引場は、心なしか小さめの声で、苦笑いを浮かべる。まだ触れるか、と目で訴えてきているように感じる。
俺は、その天才美少女に顔だけ向き直し、軽い口調で話しかける。
「なぁ、どう勉強したらそんなに頭が良くなるんだ?」
一瞬の沈黙。
少女は突然のスルーパスにたじろぐこともなく、指をしおりのようにしてページの間に挟み、本を半分閉じてこちらを見る。やはり儚く散ってしまいそうな可憐さと、周囲にいる者全てを緊張させるような冷たさを兼ね備えた顔をしている。
「……質より量です」
彼女はつとめてシンプルに答える。先ほどよりも声のトーンが低い気がした。
「中学の頃はずっと勉強してたのか?」
らしくなく、積極的に行く。
「……ずっとと言うほどではないですが、まぁできるだけ、特に受験期は時間があれば勉強していましたね……」
「よくそんなに勉強できるな」
「……」
「……」
会話が止まる。俺たちは顔を見合わせたまま、数秒止まる。俺は何で彼女が黙ったのかわからなかった。実際には数秒だったが、長い時間に感じた。
お互いに無表情。主観でありながら、ロボット同士で居合を構えているような、無機質な時間だったと思った。
「……なるほど」
その沈黙を破ったのは、少女の声だった。
「貴方のような人のことをなんと言うのか、昨日学びました」
その鉄仮面は崩れないが、彼女は何かスッキリしたような声色で話す。
「貴方のような人のことを……ヤリチン、と呼ぶのでしょう?」
「……は?」
——刹那、教室が静まり返るのを感じた。天使が通った、と言うのだろうか。ザワザワしていた教室は一瞬静寂に包まれ、皆が俺と、少女のことを注目した。
俺は、一瞬何を言ったのか理解ができず呆気にとられ、その四文字を頭の中で反芻していた。まさかこの可憐な少女から出るはずのない単語に全員が注目し静寂に包まれた異様な教室の状態、にもかかわらず、この女は。
「どうしたんですか、ヤリチンさん」
すかさずに追撃してくる。俺がまだヤリチン……ヤリチン……ヤリ、チン……と咀嚼している間に、教室は先ほどと同等か、またそれ以上のざわめきを取り戻していた。
無論、先ほどと同じ内容ではないが。
「え、あの人ヤリチンなんだって……」
「え?まじ?あの人、ヤリチンなんだ……」
「見るからに……その、髪色も明るいもんね……」
気づいた瞬間にはもう遅く、教室に早くから来ていたクラスメイトのほぼ全員がひそひそ声でこちらを意識した話をしているようだった。
「いや…………あの」
「はい」
少女は怜悧な表情を崩さずに話す。沈黙の中ヤリチンとか口にした少女のしていい顔じゃないだろ。
「ヤ……リチンの意味、知ってる……?」
「おそらくは。見境なく異性と関係を持とうとする男性のことを、侮蔑を込めてそう表すのでしょう?」
「……」
あぁー、あーん、んんーー。
鍵穴には一応ハマっているものの、回りはしないような回答だった。
「違くはないがもう少し踏み込んだ表現というか」
「踏み込んだ表現というのはどういうことでしょう」
「そのまぁ、汚い表現というか」
どうだろう。“関係を持とうとする”というのはかなり核心を突いているものの、また別の捉え方ができ、こいつの認識は間違っているような気がする。
昨日、学んだとか言ったな。昨日のこいつは学校中の新入生から一躍注目を浴び、話しかけられていたわけだ。そんな中で学ぶ“ヤリチン”の意味など、その本質であるヤリまくりおち◯ちんを含んでいないような気がする。
「なるほど、下品な表現なのでしょうか」
「そうだな。あんまり良くない」
「私は昨日、私をナンパしにきた男性に、知人らしき女性がそう揶揄するように言っていたのですが、彼女は公衆の面前で下品な発言をしていたのですか?」
「……そう、だな」
「うんこみたいな感じですか?」
「俺が悪かったからやめてくれ」
どうやら、超がつくほどの箱入りお嬢様みたいだな。下ネタという概念が存在しない素晴らしき世界で生まれてきたようだった。というかあんまり詳しくない覚えたての表現を使って他人を侮辱するなよ。
——と、高尚な見た目に似つかわしくない低レベルな会話を重ねている間にも。
「あれ、確か石蕗、くんだっけ」
「なんかいけいけそうな奴いるって思ってたわ」
「女の子の方かわいそう……」
注目が途切れることはなく、スルースキル高めの俺も流石に意識外に持って行くことはできなかったのである。流石はカクテルパーティー先輩。マンボウだったなら死ぬよこのストレス。
なるほど、これが人気者ということか。今、初めてクラス中の注目を浴びている。聞いてくれよお母さん、みんなが俺の話をしているんだ。いやぁ非常に嬉しい……。
冗談を言っている場合ではない。どう弁明するかを考えなければ。とりあえず、『いや、俺は童貞やないかーい!!!』は、……なしか。そもそも大声を使うのはなんか図星って感じがすごい。また目の前の女に動揺が表れていると捉えられるのが極めていやだ。
どうしたもんかと思っていると、前の席の男物のブレザーが目に入った。そうやんかこいつは一部始終を見てた——
「……」
と、思ったら俺の目に入ったのは刈り込みが入れられ整えられた襟足と、ブレザーの後ろ側を縦にまっすぐ通る線だった。机を見つめるようにして顔を伏せているその背中は、『ごめん、ばいばい』と語っているようだった。こいつ……。(二回目)
この日は校内案内、行事説明、委員会のお知らせが行われたが、その最中も俺に対する視線は途切れず、一日中針の
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