第3話 日常の終わり

「ああ、立ちっぱなしもナンだし、そこの椅子に座ったら?」


 思い出したように魔導書から顔を上げたアルマスが、ライヤの傍らに置かれている小さな木製の椅子を指差した。


「は、はい、失礼します」


 ライヤは、おずおずと椅子に腰掛けたが、どうにも落ち着かない気分だった。


「……兄上は、お元気かな」

「はい。お変わりないと存じます」

「それなら良かった。即位してからは、お忙しいようだから……以前は、よく『離れここ』にも来てくださっていたんだけど」


 ぼそぼそと話すアルマスは、ライヤの目には、どこか寂しそうに映った。


「国王陛下とアルマス様は折り合いが良くないなどという話を耳に挟んだこともありましたが、根も葉もない噂のようですね」


 ライヤの言葉に、アルマスは肩を竦めた。


「僕たちの仲が悪いほうが都合のいい人たちもいるんだろうね。父上がお元気だった頃は、兄上を跡継ぎにしたい人たちと、僕を担ぎ上げようとする人たちが対立していたらしくて……僕は王位になんて興味ないし、ずっと魔法の研究をしていられれば、それで幸せなのに」


――ヴァイヌ様とアルマス様を政争の道具にしようとする者たちがいたということか。宮廷が決して綺麗なものでないことは分かっているけれど……


 ライヤは、身分が高い者ゆえの苦労を思い、少し暗い気持ちになった。


「アルマス様は、そういった争いを目にするのが嫌で、引きこもっておられたのですね」

「それもあるけど、基本的に僕は人と話すのが好きじゃないんだ。でも、兄上は別だよ」


 アルマスの表情が、少し和らいだ。

 

「陛下のこと、お好きなのですね」

「もちろんさ。兄上を嫌う者など、いる訳がないよ」


 そう言うアルマスの青白かった頬に、少し赤味が差した。

  

「僕が魔法の話をすると、みんなは難しいとか言って逃げるのに、兄上は、ちゃんと話を聞いてくれるんだ。この『離れ』を研究室として改装することも、兄上が父上に口添えしてくれたから実現したんだよ。父上は、僕などには興味なかったけど、兄上のことは可愛がっておられたから」

「そうなのですね。……でも、アルマス様は人と話されるのがお好きではないとのことですが、私のことは大丈夫なのでしょうか?」


 ふと浮かんだ疑問を、ライヤは口に出した。


「君は兄上が選んだ人だから……あ、もしも迷惑なら話しかけないようにするけど」


 アルマスは、しまったとでも言うような顔をしたかと思うと、申し訳なさそうに俯いた。


「とんでもないです! わ、私などでよろしければ、いつでもお声かけください」


 ライヤの言葉に、アルマスは安堵の表情を浮かべた。

 

――アルマス様は警戒心の強い方のようだが、私を護衛に指名したのがヴァイヌ様というだけで、ここまで信用されるとは……これも、ヴァイヌ様がアルマス様に絶大な信頼を得られているゆえだ。やはり、ヴァイヌ様は素晴らしい御方なのだな。


 想像していた人物像とは全く異なるアルマスの様子に戸惑いながらも、彼が外で噂されていたような冷酷で気難しい人ではないことに、ライヤも安堵していた。


「君は、魔法に興味ある?」

「……私は『魔素』との親和性が低いので魔法を発動することができませんが、自分も使えたら良いなと思うことはあります」


 アルマスからの突然の問いかけに、ライヤは考えながら答えた。

 この世界における「魔法」とは、呪文の詠唱あるいは儀式などによって、あらゆる空間に無尽蔵に存在する「魔素」と呼ばれる物質を取り出し、それを熱や光など、あらゆる形状に変化させて利用するものである。

 また、呪文を詠唱した際の効果は、術者の「魔素との親和性」に依存する。

 「魔素との親和性」は、その人間が一度に動かせる「魔素」の量の多寡たかで、親和性が高い程に呪文の効果も上がるというものだ。これは生まれつき決まっていて、訓練などで底上げすることはほとんど不可能と言われている。

 人間の中では呪文を詠唱しても魔法を発動できない者のほうが多い為、これは特に恥ずべきことではない。

 高位の魔術師と呼ばれるには、魔法の仕組みを理解し膨大な呪文を覚えることのできる頭脳と、高い「魔素との親和性」の両方が必要とされ、狭き門と言われている。


「ああ、そうなのか。まぁ、そういう人たちの為に『魔導具』があるとも言えるけどね」

「そうですね。『魔導具』があれば、魔法の心得がなくとも、あの『昇降機エレベータ』のようなものを動かせますね」


 ライヤが相槌を打つと、アルマスの目が輝いた。


「これが何か分かる?」


 アルマスは、机の上に置かれていた小さな箱の蓋を取って、中身をライヤに見せた。

 そこにあったのは、てのひらに収まるくらいの大きさをした、緑色に光る結晶だった。


「『魔結晶まけっしょう』でしょうか?」


 「魔結晶」は、地中から採掘される特殊な素材だが、限られた場所でしか採れないのと、精製するには特殊な技術が必要な為、一般人から見ると貴重なものだ。 


「そう、これがないと『魔導具』が動かないのは知ってるよね。いま、僕が研究しているのは、空間から取り込んだ『魔素』を更に効率よく魔法に変換する方法なんだ。完成すれば、より小さな『魔結晶』で動く『魔導具』を作れるようになる筈さ」

「だとすれば、『魔導具』そのものの価格も抑えることができますね」

「なるほど、そういう方面での効果も見込めるのか。僕は技術的なことしか考えていなかったよ」


 ライヤとしては何気なく言ったつもりの言葉だったが、アルマスは感心したように何度も頷いている。

 初めて見た時は冷たいと感じたアルマスの表情が、いつしか年相応の若者らしくなったと、ライヤは感じていた。



 ライヤがアルマスの護衛を命じられてから、ひと月近くが経過した。

 アルマスはライヤを気に入ったらしく、彼女が傍にいる時は頻繁に話しかけるようになっていた。

 話の内容としては、アルマスが研究している魔法の技術に関することが大半で、ライヤにとって難解なものも多いが、ただ話を聞いているだけでも、彼は満足そうにしていた。

 護衛というよりは、ただの話相手のようだ――ライヤは、そう思いながらも、今の生活が楽しく思えていた。

 ある日のこと、護衛として研究室でアルマスの傍にいたライヤは、彼の沈んだ様子に気付いた。


「殿下、お加減がよろしくないようですが」

「いや、何ともないよ。ただ……」


 アルマスは、ため息をついて言った。


「兄上と、もう二月ふたつきは話していないと思って。お忙しいのだろうけど、今まで、こんなことはなかった……」

「でしたら、お待ちになるばかりではなく、ご自分から陛下に会いに行かれては?」


 ライヤの提案に、アルマスが、びくりと肩を震わせた。


「『離れここ』から出て?」

「アルマス様も、たまには外に御出おでになって陽を浴びたほうが……こちらに来てから、ずっと思っていましたが、こもってばかりなのは、少し不健康かと」


 難しい顔をしているアルマスを見て、ライヤは余計なことを言ったかもしれない、と少し焦った。


「……申し訳ありません、差し出がましいことを……失礼いたしました」

「いや、分かってはいるんだ。兄上は、王になったら面倒なことは全部引き受けるから、僕には好きなだけ魔法の研究をしてていいと仰ったけど……自分でも、甘えているかなとは思ってる。でも、外に出るのは、やはり怖いんだ」

「殿下は、何を恐れていらっしゃるのでしょうか」

「よく分からない。人の目とか、雰囲気とか……外に出る度に、僕の居場所じゃない感じがするというか」


 ここに来てから、ライヤが聞いたアルマス自身の生い立ち――生まれてすぐに母を亡くした上に、父である王は長子のヴァイヌだけを可愛がり、アルマスには無関心だった。曲がりなりにも王族という身分ゆえ、却って親身になってくれる者はおらず、アルマスに心を向けてくれたのは兄のヴァイヌだけ――兄が勧めてくれたという魔法の研究を支えに、彼は生きてきたという。

 兄以外の者からはかえりみられなかったことが、アルマスの自信のなさに繋がっているのだろう――そう、ライヤは思った。


――魔法に関しては素人の私でも、アルマス様の才能が素晴らしいのは分かる……それに、お人柄だって、外で皆が噂しているような御方ではないのに……こもっていては、いつまでもアルマス様が誤解されたままになってしまうではないか。

 

 ライヤは、何とはなしに歯痒い気持ちになったが、同時に、なぜ自分がそのような気持ちになるのかと、戸惑いも覚えた。


「アルマス様からお会いしたいと言われたなら、陛下も、お喜びになられるかと」

「そうかな……」

「陛下は、面倒なことは全て御自分が引き受けると仰るほどに、アルマス様を大切に思っていらっしゃるのですよ。それに、私がご一緒して、殿下をお守りします」


 俯いて考え込んでいたアルマスが、ライヤの言葉を聞くと、はっとした様子で顔を上げた。


「君の言う通りだ。兄上は、何があっても僕のことを大事にしてくれている。当たり前になっていて忘れるところだったよ。君が言ったように、僕から兄上に面会をお願いしてみようと思う」


 言って、アルマスが照れたように微笑んだ。

 その時、ばたばたと複数の人間が階段を上ってくる足音が近付いてきた。

 侍従のトニを始め、「離れ」で働いている者たちが研究室へ来る際は「昇降機エレベータ」を使用していることを考えると、明らかな異常事態だ。

 ライヤは、反射的にアルマスを自分の背後に庇う体勢をとり、出入り口のほうへ向き直った。

 次の瞬間、入室の許可を得ることもないまま、荒々しく開け放たれた扉から、制服姿の衛兵たちが雪崩なだれ込んできた。

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