第2話 眠れる魔導王子

 国王ヴァイヌとの面会を終えたライヤは、父のイルマリと共に、城内に併設されている近衛騎士の宿舎へと向かっていた。


「早速だが、明日、宿舎からアルマス殿下のお住まいになる『離れ』に移ってもらうことになる。引越しの手伝いには私の部下を向かわせよう」


 強面こわもてで部下たちから恐れ敬われている一方、イルマリは娘のライヤを大切にしている。

 言葉は少なくとも、彼が内心では心配しているであろうことが、ライヤにも伝わってきた。

 

「……お気遣い、ありがとうございます」


 そんな父の前で、あからさまに落胆した様子を見せる訳にはいかないと、ライヤは強張った微笑みを浮かべた。


「突然の話で私も驚いているのだが、陛下直々じきじきのご指名というのは大変名誉なことだからな。……ところで」


 一旦言葉を切ったイルマリは、やや逡巡する様子を見せた後、再び口を開いた。


「陛下と向き合って、何か感じるものはなかったか?」


 父の言葉に、ライヤは首を傾げた。


「いえ……とても緊張はしましたが」

「そうか。私の気の所為かもしれないな。……いや、妙なことを聞いてすまなかった」


 何か言いかけて言葉を飲み込んだイルマリに、ライヤは少し違和感を覚えたが、彼が話を終えようとしているのを感じて、話題を変えることにした。


「ところで、アルマス王子殿下は、どのような御方なのでしょうか。先代の国王陛下の御葬儀の際、遠くから、お姿はお見かけしましたが、普段は城内でもお会いしたことがないので……気難しい御方と聞いたことはあります」


 ライヤが先代国王の葬儀で見かけたアルマスは、巻き毛がかった長い黒髪に黒い喪服が相俟あいまって、まるで彼そのものが死の使いの如き姿だった。


「私も、じっくりとお話したことはないが、気難しいというより、少し人見知りが激しい御方だ。先日、二十歳になられたところだから、お前とは歳も近いな。いずれにせよ、何か困ったことがあれば、いつでも私に相談するといい」


 言って、イルマリがライヤの背中に優しく手を当てた。その温もりに、彼女は身体の強張こわばりがわずかにほぐれるような気がした。



 アルマス王子が研究室兼住居としている「離れ」は、王城の敷地内にある、使われなくなった塔の一つを、彼の希望により改装したというものだ。

 ライヤは、住居としてあてがわれた「離れ」の一室への引っ越し作業を済ませた。

 これまで住んでいた宿舎よりも広い、護衛用の部屋は、掃除も行き届いており、専用の浴室やかわやも設置されている。


――思っていた以上に快適そうな部屋だけど、ヴァイヌ様のいらっしゃる王宮からは離れてしまったな……


 窓から外を見たライヤは、見慣れた王宮の建物が遠くなってしまったことに寂しさを感じた。

 ライヤは気を取り直し、護衛対象のアルマスに挨拶しようと部屋を出た。

 ちょうど行き会った若い侍従に、ライヤは声をかけた。


「アルマス殿下に御挨拶したいのだが、案内してもらえるか?」

「新しい護衛の方ですね。殿下は、最上階の研究室にこもっておられます。ただ……」

 

 トニと名乗った侍従は、少し困ったような表情を見せた。


「何か、問題でも?」

「殿下は、読書や実験に夢中になられていると、他のものは目に入らなくなってしまう御方なので、そこをご承知いただければと」

 

 アルマスは変わり者だという噂を思い出したライヤは、なるほどと頷いた。


「そうか、了解した」

「では、こちらへ」


 ライヤを案内していたトニが、一つの両開きの扉の前で立ち止まった。

 彼が壁に設置された丸い突起を押すと、扉は音もなく開いた。

 その奥にあるのは、立った状態ならば、三、四人ほどが入れそうな小部屋だ。


「これは?」

「最上階への直通昇降装置エレベータです。殿下が設計された『魔導具』の一つですね。ささ、お入りください」


 「魔導具」とは、魔法を動力にした、あらゆる生活用品や武器などを指す言葉である。

 魔法の心得のない者でも、「魔導具」を使えば労せずに火を起こしたり清浄な水を生成できたりと、その用途や効果は幅広い。

 普及率は国や地域によってだが、この王城では、一部ではあるものの部屋の温度管理などにも「魔導具」が用いられている。

 ト二に促され、ライヤは彼と共に小部屋へと入った。

 室内にも設けられた丸い突起をトニが操作すると、扉が閉まり、ライヤは小部屋が魔導具特有の奇妙な駆動音と共に上昇していくのを感じた。


「『魔道具』ということは、これも魔法の力で動いているのか?」

「そうです。使い方は、いま御覧になった通り、扉の横の切り替え装置スイッチを押すだけです」

「なるほど、この魔法で動く『昇降装置エレベータ』があれば、高層階への移動も楽になるという訳か」


 初めて目にする大掛かりな「魔導具」を前に、ライヤは、設計者であるアルマスは、さぞ頭脳明晰な人物なのだろうと考えた。

 やがて昇降装置エレベータが停止し、扉が開いた。

 小部屋から出るト二の後について、ライヤは研究室の出入り口であろう扉の前に立った。


「アルマス殿下、新しい護衛の方が挨拶に見えています」


 そう言いながらトニが研究室の扉を叩いても、返事はない。


「仕方ありませんね」


 トニが事もなげに扉を開けるのを見て、ライヤは少し驚いた。


「勝手に入って、大丈夫なのか?」


 高貴な身分である者の私室に無断で入るなど、彼女には考えられないことだった。


「いつものことなので……殿下も構わないと仰っていますから」


 トニは苦笑いすると、勝手知ったるといった様子で部屋の中を歩いていく。

 彼に付いていったライヤは、魔導書らしき書物の詰まった幾つもの書棚や、作りかけの魔導具と思われる様々な装置の間を縫って、最も奥の空間に辿り着いた。

 そこにいたのは、魔導書と魔導具の積み上がった机に突っ伏しているローブ姿の若い男――アルマスだった。

 彼の、巻き毛がかった黒く長い髪に、ライヤは見覚えがあった。


「アルマス様、起きてください」


 トニに肩を揺すられ、アルマスが顔を上げた。


「……あ、もう夕食の時間?」


 そう言って、アルマスが髪をかき上げると、彼の顏が露わになった。

 ライヤが初めて目にするアルマスの顏は、整ってはいるものの、兄のヴァイヌには全くと言っていい程に似ていない。

 青白い肌が、彼が噂通り滅多に「離れ」から出ることがないのを物語っている。

 ヴァイヌが太陽のような明るさを持つのに対し、アルマスからは夜空に浮かぶ月のような冷たさを、ライヤは感じた。


「いえ、夕食までは、あと二時間ほどあります。恐れながら、殿下は夜更かしが過ぎるきらいがありますので、中途半端な時間に眠くなられるのかと」

「う~ん、でも、夜中のほうが頭が冴える気がするんだよね」


 欠伸あくびをしながら呟いたアルマスは、ライヤの存在に気付いたのか、その琥珀色の目で彼女を一瞥いちべつした。


「……誰?」

「新しく着任した護衛の方です。では、私は、これにて失礼いたします」


 トニは、怪訝そうな表情のアルマスに説明すると、自分の役目は済んだとばかりに部屋から出て行った。

 アルマスと二人きりで残されたライヤは、戸惑いつつも挨拶をした。


「今日から、殿下の護衛を務めさせていただきます、ライヤ・タハティと申します。以後お見知りおきを」

「ああ、そう」


 興味無さそうに頷いて、アルマスは机の上に開かれている分厚い魔導書に目を落としたが、放置され困惑しているライヤを横目で見て言った。


「何をしてるの?」

「いえ……私は殿下の護衛を……」

「そもそも、僕が『離れ』から出ることなんてほとんど無いんだから、護衛なんて要らないと思うけど。だから、四六時中、僕の傍にいる必要はないよ。僕も落ち着かないし」


 ライヤは、アルマスの思わぬ言葉に戸惑った。


――たしかに、王族らしくないというか、変わった御方かもしれない……


「私は、国王陛下直々じきじきのお申し付けにより、こちらへ参ったのです。殿下が必要ないとおおせであっても、引き下がる訳にはまいりません」

「兄上が、直々じきじきに?」


 それまで興味無さそうにしていたアルマスだったが、ライヤの言葉を聞くと、彼女のほうへ向き直った。


「兄上が、直接お話しされたの? 君と?」

「はい……」


 光の加減で金色に光って見えるアルマスの目に鋭く見据えられ、ライヤは狼狽した。


「僕とは、もう一月ひとつき以上会っていないのに……」


 ねた子供のように唇を尖らせて俯くアルマスの姿に、ライヤは、彼をどのように扱っていいのか分からず、ますます困惑した。

 何とはなしにアルマスが冷静で理知的な人物であろうと想像していたライヤにとって、予想外の状況だ。


「……でも、兄上ご自身が君を選んだというなら、君も信用できる人ということだね」


 ふとアルマスが顔を上げ、初めてライヤの顔を正面から見た。


「そうか、それなら、ここにいてくれていいよ。ただし、部屋の中の本や魔導具には触らないで」


 そう言うと、アルマスは再び魔導書を読み始めた。

 ライヤは、何とか追い出されずに済んだと胸を撫で下ろしたものの、やはり何もすることがない状況であるのは変わらないのに気付いて、どうしたものかと思案した。

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