第2話

 レグルスの住む丸太小屋は実によくできたものだった。

 広々としたリビングと、二口コンロを備えたキッチン。大きな窓からは陽の光が差し込み、日中は十分な明るさを保っていた。

 屋内には扉が二つあり、一つはトイレと洗面所、それと風呂場に繋がっており、もう一つは寝室に繋がっている。

 一人で暮らすには十分すぎる広さと機能を持つ家に、アトリは驚きを隠すことが出来なかった。


「こんな立派な丸太小屋、見たことありませんよ……!」

「いやー、こだわって作ってたら止め時を見失っちまってなぁ。三日間寝ずに作業してこうなっちまった」


 どこか照れた様子で笑うレグルスにつられて笑い、アトリは勧められるがままに椅子に腰かけた。

 窓から見える景色にアトリが見惚れている間に、レグルスはキッチンへ向かう。

 食器棚からマグカップを二個取り出すと、瓶詰のインスタントのコーヒーの蓋を開けた。


「レグルスさんは、この山にいつから住んでいらっしゃるんですか?」

「越してきたのは十年前になるか。住めば都だな」

「十年! でしたら、この近辺で何か見ませんでしたか? 前回の戦いの名残。何でもいいんです」

「名残……か」


 カップを手にしたレグルスは、一つをアトリの前に置いてから対面の椅子の背を引いた。

 カップに注がれたコーヒーの水面を揺らしながら、自身もまた席に着く。

 眉間の皺を深くしたその顔付きに、アトリはしまったと反省する。


 魔王と勇者の戦いと言ってしまえば、まるで個人間の戦いのように聞こえてしまうが実情はそうではない。

 魔王の率いるモンスターの軍勢と、勇者が率いる人類連合軍による戦争なのである。

 戦争である以上、物的被害、人的被害は免れない。

 いかに勇者が勝利したとはいえ、傷ついた人々の心までもが丸く収まるわけではないのだ。

 アトリは、レグルスが戦争を経てこの土地に辿り着いたのだと考える。

 つまりレグルスにとって戦争の話は傷口に塩を塗る行為になりかねないのだと、アトリは激しく後悔した。


「すみません! あまりにも不躾でした……」

「ああ、いや、こっちこそ。顔に出たか」


 困ったように笑いながら、レグルスはカップに口を付けた。

 ゴクッと喉を鳴らしてコーヒーを勢いよく飲み込むと、一息はいて、アトリの顔を見た。


「学者さんが望むようなものがあるか、考え込んじまった。それだけだな。気にすることじゃない」

「……すみません、ありがとうございます」


 レグルスの気遣いに、アトリは申し訳なさと恥ずかしさを感じてしまう。

 気持ちを落ち着けるべく、差し出されたカップに口を付けて一口飲む。

 口内に広がる暖かさとほろ苦さがアトリの緊張をほぐした。


「美味しいです」

「そいつは良かった」

「あの、レグルスさん。私、この周辺を調査したいんです。許可を頂けませんか?」

「許可っつってもなぁ……俺はこの山の持ち主でもないし……」

「え? レグルスさんの土地じゃないんですか?」

「ンなわけないって。持ち主のじーさんから借りてるだけさ。ま、そのじーさんも二年前に死んじまったんだが」


 だから好きにしていいんじゃないか。と、大味なレグルスの意見に苦笑いを浮かべながらも、アトリは内心大いに喜んだ。

 大抵は調査といえば好意的に協力をしてくれる人ばかりなのだが、中には当然ながら協力を拒まれる場合もある。

 そうなれば貴重な資料が眠っていたとしても、掘り返すことは不可能なのだ。


「この山には湖があるんですよね? 私、とりあえずそこの調査に行こうと思ってます」


 コーヒーを飲み干し、ご馳走様でしたとアトリは席を立つ。

 再び大きなリュックサックを背負おうとしたところで、レグルスに引き留められた。


「必要なモンだけ持っていきな。魔族だって出ないわけじゃない。ここら辺はそんな大荷物じゃ動き回れんよ」

「そうですか……。では、すみません。置いていきますね」


 いそいそとリュックサックを下ろし、アトリは蓋を開けて中に手を突っ込む。

 調査活動に必要なものを指先で探るアトリの様子を見て、レグルスは少し驚いた様子を見せていた。


「……自分で言っておいてなんだが、こんな知らんオッサンを信じていいのかい?」

「大丈夫です。あの、失礼かもしれませんが、レグルスさんは剣士だったんでしょう?」

「ン? どうしてそう思う?」

「助けていただいたときに見せてもらった手の平。マメが潰れて固くなっているのが見えました。特に小指の付け根のマメは、剣を持つ方特有のものですよね。剣士だった方が悪党とは思えません」

「どうかな。元剣士の現悪党だっていると思うぞ」


 レグルスのどこかお茶らけた様子の声色に、アトリは自分の予測が正しいことを知る。

 肩掛けバックに必要なものを詰め込んだアトリは、にっこりと笑いながらレグルスに頭を下げた。


「私を助けてくれた。それだけで信じるには十分です。それじゃ、行ってきます!」

「おう、気を付けてな」


 扉の向こうに消えていくアトリの背中を見送って、レグルスは背もたれにどかりと背中を預けた。


「……さて、どうするか……」


 誰に聞かせわけでもない独り言が、ぽつりと漏れた。

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