「ひい、ふう、みい、よー、いつ、むー、なな……幻の酒が七つ！？　……だと！？」

　店々が犇（ひし）めく大きな市場で、商人の男がすっとんきょうな声を上げた。

　雲一つない秋空に大きな声が響いて、道行く人が商人を見た。

「ええ。どれくらいになるかしら？」

　『幻の銘酒』と呼ばれる高額な酒を質屋に持ち込んだ女は、落ち着いた茶色の着物姿に、首元まである黒髪。そして、目から下を薄絹で隠した、年齢不詳の不思議な出立ちだった。やけに存在感のある切れ長の目で、商人の男をじっと見ていた。

　男は鑑定眼を試されているようで、緊張した口調で酒の入った瓢箪（ひょうたん）を握った。

「……酒蔵の印も本物に間違いない。入手困難で、都へ持って行ったら瞬く間に売れてしまう酒だ……。今日は運が良い。これくらいでどうだろう」

　商人は銀銭（ぎんせん）を十枚テーブルに並べ、少し考えてから十二枚に増やした。

「……問題ないわ。商談成立」

　女は手早く銀銭（ぎんせん）を袋に入れて酒を置き、立ち去ろうとした。

　商人の男が「待ってくれ！」と声をかけると、竹笠を頭に被った男が立ちはだかり、威圧感を放った。どうやら、女の護衛らしい。

「何か……？」

　護衛の男は長身で白い着物を着ており、武人の出立ちをしていた。

　商人の男は一瞬怯（ひる）んだが、興奮を抑えきれぬ声で続けた。

「他にも商品はあるか？　取引先の倍の値段で買おう」

　女と竹笠の男は目配せをすると、木箱から白い紙で丁寧に包まれた織物を取り出した。

　紙を開くと、鮮やかな緑色で織り込まれた複雑な模様が見え、商人は目を見開いた。

「これは……、まさか……マホロバの絹織物か」

「ええ。呉服を扱う市場へ持ち込むつもりだったの」

「酒も絹織物も、産地は閉ざされたアワ山（さん）のものか……。とんでもねぇもの手に入れちまったな」

「ご名答。よくご存知ね」

「銀銭（ぎんせん）二十……いや、三十でどうだ。帝都（ていと）で高く売れるはずだ」

「……いいわ。こちらも商談成立」

　女が手早く絹織物を白い紙で覆い、商人に手渡すと、男は恐る恐る受け取り、「本物手に取ったの、初めてだ」と呟いた。

　机の上に銀銭（ぎんせん）が幾重にも重ねられ、道行く人がこちらを見ていた。

　竹笠の男は大きな手のひらでそれを掴み、「高額でのお取引、感謝いたします」と、手早く袋に入れた。

　幻の名品を売りに来た二人が足早に店を後にすると、商人の男はゴクリと息を飲み、二人が視界から消えた事を確認した。そして、一目散に仲間の元へ走った。

　謎めいた二人は、人混みに紛れるように市場の通りを歩いていた。

　女は鬱陶しそうに首を振り、顔を覆っていた薄絹を取り払った。

「もう。肌にカサカサ当たるのよ、これ」

　落ち着いた茶色の着物に似つかわしくない、十六歳の少女の顔が露わになった。

　サラリと真っ直ぐな黒髪が首元まで伸びて、切れ長の目尻が凛々しく上がっている。大人びた顔つきをしていたが、痒そうに頬や鼻を擦る姿は、あどけない少女の表情そのものだ。

　少女は胸に手を当てて、大きく息を吐いた。

「緊張した……。サク兄（にい）、私、変じゃなかった？」

　竹笠を被ったサクヤという男は、妹弟子のアマネを鼓舞するように勢いよく背中を叩いた。

「上出来！　初日であれだけハッタリかませたら大したもんだよ。貴族が娯楽品を売りに来ているように見えたよ」

「本当？　じゃあ、今日の武道大会、見に行けるの？」

「十分だ。お釣りが来るよ」

　アマネがほっと胸を撫で下ろしたとき、「お姉さん、見て行かない？　採れたての果物！」と店先から声をかけられた。思わず足を止め、目を見開いた。

「すごい……。お山では見たことのない果物がいっぱい……」

　サクヤは可笑しそうに口元を綻ばせた。

「貴族のフリはもう終しまいだ。それより、山を下りたの初めてなんだから、いろいろ見ておいで」

「いいの！？」

　アマネは子供のように、目を輝かせて八百屋の女将に言った。

「これはなんて果物？　小さい蜜柑（みかん）みたいなの」

「これ、ちょっと珍しいのよ。タチバナっていうの。ヤマトタチバナ」

「え！？　タチバナ！？　……し、知ってる！」

　興奮したアマネの様子にサクヤはクスクスと笑いながら、「これ、ください」と、懐から銅銭（どうせん）を取り出した。

　アマネは驚いた様子でサクヤを見上げた。

「どうして欲しいってわかったの？」

「アマネの思ってる事なんて、顔見たらすぐわかるよ」

　アマネは急に恥ずかしくなって、頬を染めた。

──はしゃぎすぎちゃった。サク兄に子供っぽいって思われたかしら。

　アマネにとって五つ年上のサクヤは、幼馴染であり、兄のような存在だった。そして、初恋の人だった。

　アマネがチラリとサクヤの顔色を伺うと、可愛い妹を見るような満面の笑みで、麻袋に入った『タチバナ』を差し出していた。

「……ありがと」

　子供っぽく思われたくなくて、アマネは無愛想に麻袋を受け取った。

「どういたしまして。嬉しいなぁ、アマネと市場にいるなんて。大きくなったなぁ」

──完全に子供だと思われてる。

　アマネは、小さく溜息をついた。

　

　散策を終えた二人は、松の木が並ぶ旧道に入った。

　市場へ向かう者と帰路につく者がまばらになり、人通りが少なくなった頃、アマネはふと足を止めた。

　サクヤは立ち止まったアマネに気付いて振り返った。

　そこには十数年は経っているであろう古い御触書（おふれがき）があり、アマネはその前で立ちすくんでいた。

　サクヤはアマネの元へ戻り、頭を優しく撫でた。

「……俺はこんなの見慣れてるけど。アマネは初めて見るもんな」

　アマネは御触書（おふれがき）を、固い表情で見つめていた。

『御触書（おふれがき）

一、罪人である元神官を捕らえた者に、報奨金として銀銭（ぎんせん）百枚を下す。

　この罪、帝（みかど）を殺（あや）めんとした企（くわだ）てによるものにて、大罪にて候（そうろう）。

一、かの神官の血縁者である「アワ山（さん）の一族」を捕らえた者には、一人につき銀銭（ぎんせん）十枚を下す。

　アワ山（さん）の一族、妖しき術をもって人々の心を惑わし、世を乱す恐れあり。

　故（ゆえ）に真凪州（まなす）ノ国においては、この者らを厳しく取り締まり、島々の平和を守る所存なり。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　真凪州（まなす）ノ国、天政院（てんせいいん）』

　　　　　　　

　

　アマネは目を伏せた。

「こうやってお触れ書きを見ると、悲しくなるのね。神官様が無実の罪を着せられて……。私達の命が銀銭（ぎんせん）十枚だなんて」

「こんなお触れ書き、どこにでもある。気にしてたらきりがないよ。……行こう」

　サクヤは歩き始めた。アマネは胸の中に重たいものを感じながら、サクヤの隣に並んで歩いた。

　その時だった。突然、サクヤがアマネの肩を強く引き寄せた。アマネは酷く動揺した。

「ちょっ……、サク兄！？」

「……」

　突然の出来事に、アマネの心臓は跳ね上がりそうになった。

　憧れのサクヤが、歩きながら恋人のように体を寄せていた。

　一体、どういうつもりなんだろうと、恐る恐るサクヤを見上げたが、竹笠に隠れて表情が見えなかった。

「あの、私……、お触れ書き見て、そりゃ、悲しかったけど、……別に、そんな、慰めてもらわなくても、……平気だから」

「……」

「い、命が銀銭（ぎんせん）十枚だからって……。ごごご、護衛として訓練してきたし！　もし、捕まえようとしてくる奴がいても……、か、返り討ちにできるし……！」

「……」

「だから……！　その……、離して。……サク兄にはキヨ様っていう素敵な人が……！」

　サクヤがアマネの耳元に唇を近付けた。アマネは混乱して、口から心臓が飛び出そうになっていた。

　そして、サクヤが耳元で小さく囁いた。

「──二人……」

「へ？」

「──いや、三人……か」

「は？」

「三人だ。真後ろに二人、斜め後方に一人。付けられてる」

「……え……？」

「悪いけど我慢して。恋仲のふりだ。聞かれてまずいことは耳元で言う。わかるな？」

　アマネは大きく頷いた。

「おそらく、僕に二人、アマネに一人付くと思う。人質にされたら、一人は確保しておいて。やれる時には倒してもいい。殺すなよ」

「……わかった」

　アマネはようやく勘違いに気付いて、思い切り赤面した。

──恥ずかしすぎる……。

　拳を握り、『しっかりしろ！』と自分に言い聞かせた。胸に手をあてて息を整えた後、数秒間、目を閉じた。

　刺さるような視線と、微かに聞こえる不自然な足音。そして、やや鈍い、殺しには慣れていない者の、殺気を感じた。

──なんて未熟なの。この気配に気付かないなんて。……なるほど。発する人の気が、訓練の時とはまるで違う。

　アマネは瞳をギラリと光らせ、懐に忍ばせてある手裏剣（しゅりけん）の位置を確認した。

「……この付け方は……素人……？」

「この辺りの山賊風情（さんぞくふぜい）……だろうね。やっぱり、アワが産地の物を二つ出したのはまずかったか。山賊と繋がっている商人だったんだな」

「ごめんなさい。欲深い商人を選んじゃったみたい。ハズレ引いちゃった」

「いや、大当たりだよ。アワ山（さん）の一族が強いってことを示しておきたかったんだ」

「……どの辺りで動き出すかしら」

「脇道に逸れると森に入るから、こっちから誘い込もう。相手も人目に付かない場所に入ったところを狙って来るはずだ」

　二人は段々畑を抜け、木々の生い茂る森の獣道に入った。

「アマネ、こっちから人気（ひとけ）のない場所に入ったのは、二つ利点がある。わかる？」

「えっと、人目を気にせずに、思う存分に暴れる事ができるから？　もう一つは……、何かしら」

「もう一つは、恋人同志が人目を気にせず触れ合う為と思わせて、山賊を油断させる意図がある」

「へー」

「できる限り油断させて、一気に叩きたいんだ。そのへんの演技は臨機応変に。じゃ、頼むよ」

「は？　……演技？」

「少しの辛抱だから」

　サクヤはやんわりと前置きをしてアマネの背中を木に押し付けると、彼女の背中に手を回して控えめに抱きしめた。

　アマネは「近いなぁもう！」と顔を歪めると、祈るような気持ちで呟いた。

「精神統一精神統一精神統一……。山賊さん、早く来て……」

「ぶつぶつうるさいよ……」

　アマネの背後で乾いた木が足で踏まれ、パキパキと折れる音がした。そこには予想通り、山賊の出立ちをした男が三人現れた。

　三人は短槍（たんそう）を向けてアマネとサクヤを囲み、『抵抗するな』という様子で睨みを利かせていた。

　アマネはサクヤの肩越しに、男達の身なりや体格を見た。

──わかりやすい山賊の身なりね。大男、中男、小男……。さて、誰が私を人質に取りにくるかな。

「お楽しみのところ、悪いな。単刀直入に聞く。アワ山（さん）から来たものか？　いや……聞き方を変えよう。罪人である、神官の一族のものか？」

　サクヤはアマネを抱きしめたまま、不敵に笑った。

「……悪いけど、今いいところだから後にしてくれないか？　アワ山の一族……何の事かな？」

　そう言うと、サクヤはアマネの顎を指で上げた。妙に色っぽい手付きでいかにも『今から口付けをするところ』と見せつけるように顎に触れた指をもて遊んでいる。

　顎を掴まれたアマネの心臓は、これ以上にないくらいに早く波打っていた。体は硬直し、固まっていた。

──サク兄（にい）、演技、振り切りすぎよ。山賊とかどうでもいいから、この状況なんとかして。心臓がもたない。

　山賊はニヤつきながら二人に近付いてきた。

「残念ながら、商人に売った物で、あんたらがアワの山から来た事はわかってる。大人しく着いて来れば、この姉ちゃんにも手荒な真似はしない。可哀想に、固まってるじゃねぇか」

　山賊の中で一番の大男は、余裕の笑みでアマネの腕を背後から押さえ込んで動けないようにした。

　乱暴に腕を掴まれたアマネは、ほんの一瞬、山賊を鋭く睨んだ。大男は少女の目を見て、思わず背筋がゾクリとした。

　少女の瞳は深い青緑色をしていた。その目が光ったような気がしたのだ。

　しかし、すぐに気のせいだと気を取り直し、満足そうに笑った。

「上玉だな。アワの一族でなくても大した金になりそうだ」

　アマネは大袈裟に腰が抜けたフリをして体の力を抜いてみた。それを山賊が「おっと」と呟き、支えた。

──なるほど。隙だらけだ。いつでも殺（や）れる。

　アマネは相手の間合いをはかっていた。できるだけ油断させてから倒そうと、「きゃー！　助けてぇー！」と叫んでみた。

　サクヤは竹笠を下に向け、顔を隠して鼻で笑うと、「下手くそだなぁ」と小さく呟いた。

　山賊は変わらず神妙な様子で続けた。

「アワ山の一族には報奨金が掛かってるんでね。生きたまま御所へ連れて行きたい。兄ちゃん、悪いが、あんただけは気を失っていてもらうよ」

「……抵抗せず、大人しく着いて行くと言ったら？」

「抵抗しない約束なんて、信じられるか」

「そうか……。その判断は、」

　サクヤは体勢をグっと低く落とし、土を強く踏み込んだ。

　突然、山賊の視界から竹笠の男がいなくなったかと思うと、気付いたら木の上に飛び乗っていた。

　「何だ？！」と、山賊がサクヤを目で追っているうちに、鈍い音と共に一人の後頭部に白い風のようなものが当たった。

　その白いものはサクヤの着物で、刺すような鋭い飛び蹴りだったと気付いた時には一人がゆっくりと倒れていった後だった。

　サクヤは蹴りを入れた反動で再び飛び上がっていた。空中で背中から木刀を抜き取った瞬間に振り下ろし、もう一人の首の後ろに木刀が振り下ろされたようだった。

　あまりにも一瞬の出来事だった。アマネを人質に取る大男は、早過ぎる動きに目が追いついていなかった。

　サクヤは大男を横目に見て、「……正しかったね」と呟いた。

　数秒差でゆっくりと土の上に倒れていく仲間達を見て、大男はようやく状況を把握した。血の気が引いていった。

　恐ろしさからアマネを抱える腕に力が込もり、震えていた。片手で短槍（たんそう）を精一杯に伸ばし、闇雲に振り回した。

　サクヤが臆する事なく近づくと、短槍（たんそう）の先が竹笠に強く当たり、傷跡の付いた竹笠がゆっくりと土の上に落ちていった。

　大男は露わになったサクヤの顔を見て、思わず息を呑んだ。

　透き通るような白い肌に、この世のものとは思えない程、整った目鼻立ちの男がそこにいた。目尻はその男の優しさを示すように少し下がっていて、男にしておくにはもったいないと思う程の美しさだった。

　大男の脳裏に『神の化身』という言葉が浮かんだ。背筋が凍り、短槍（たんそう）を握る手が一層震えた。

「ち、近付くな！　……下手な事したら……こいつの命はないぞ！」

　大男はサクヤに向けていた短槍（たんそう）を、アマネの首元に突きつけた。

　

──まぁ、なんとも……お決まりの言葉だこと。

　アマネは小さく溜息を付くと、体の力を緩め、ひゅ、と一つ息を吸った。

　呼吸を整えると、溝落ちの奥の一点に狙いを定めた。奥深くまで差し込むように、肘で一撃を打ち込んだ。

　一瞬だった。

　山賊の体を突き破るような衝撃が走った。

　大男の動きが止まった。

　アマネが拘束されていた腕を素早く抜けて、山賊の顔を自分の体と逆方向へ背けた瞬間に「ゲホっ！　おえっ」と山賊の胃袋の中身が外へ飛び出し、そのまま土の上に倒れ込んだ。

　アマネは「まだ意識があるのね」と懐から麻紐を取り出した。山賊の腕を後ろにまわして縛りながら、眉を顰めて申し訳なさそうに言った。

「向こうのお兄さん達の意識が戻ったら、縄を解いてもらってね」

　虚な目でアマネを見上げる山賊に、サクヤが続けた。

「夕刻までには意識が戻るはずだから、明るいうちに帰るんだ。このへん、狼出るから」

　アマネは心配そうに山賊を覗き込むと、胸を撫で下ろした。

「良かった。お兄さんが倒れた二人を置いて逃げ出したら、これ使わなくちゃと思ってたの」

　と、いかにも肌を貫きそうに黒光りして四方に尖った手裏剣を懐から出した。

　サクヤは眉間に皺を寄せた。

「ダメだよ。これ、まぁまぁ痛いだろ。血が出るのは可哀想だ」

「うん。だから、逃げ出さなくてよかったって言ってるでしょ。あ……。ねぇ、サク兄！　今日の武道大会は！？」

「おそらく仲間にも僕らの特徴が割れてる。諦めよう」

「そんな！　ずっと楽しみにしてたのに！」

　山賊は朦朧としていく意識をかき集めていた。

（何言ってるんだ……こいつら……。子供が虫でも弄（もてあそ）んだかのような会話してやがる……）

　サクヤは、虚な目で自分達を見上げる山賊の前で膝を折ると、改まった様子で告げた。

「君と、君の仲間達に伝えておきたい事がある。アワの一族は強い。怪我をしたくなければ、手を出さない方がいい。僕達も、手荒な真似はしたくないんだ」

　山賊はゆっくりと頷いた。

　アマネも膝を折って「ごめんなさいね。痛かったでしょう？」と言いながら山賊の前に座ると、男の額に薬指を当てた。

　そして目を閉じ、微（かす）かに微笑んだ。

「……ご加護がありますように……」

　山賊は遠くなっていく意識の中で、小さく呟いた。

「……神女様（しんにょさま）」

　虚な目をゆっくりと閉じると、眠るように意識を失った。

「今、この大男……アマネの事、神女様（しんにょさま）って呼んだ？」

「まさか。私、思いっきり肘鉄（ひじてつ）入れたのよ？」

「……そうだよな」

　サクヤが不思議そうに見下ろした大男は、驚く程に穏やかな表情で意識を失っていた。